127話 秘剣
震の型 神鳴。
教皇が口にしたその勁技を俺は知っていた。以前、ティティスの森でゴズ・シーマと戦ったときに見た幻想一刀流の奥伝。
どうして教皇がゴズと同じ技を使ったのかはわからない。俺にわかったことは二つだけ。一つは教皇の勁技の構成がゴズと同質――否、同一のものであること。そしてもう一つは、勁技の威力がゴズに比べて桁外れに大きいことだ。
とっさに心装を掲げたおかげで威力の幾分かはソウルイーターが喰ってくれたようだが、それでも繰り出された攻撃の圧はすさまじいの一語に尽きた。
本物の雷の直撃を受けたような衝撃が脳天をつらぬいた直後、俺の身体は激しく地面に叩きつけられていた。
「ぐ……ぎ……ッ!!」
苦悶と悲鳴と驚愕をごった煮にしたような声が口からあふれ出る。
気が遠くなるような衝撃。頭蓋はひしゃげ、四肢の関節はへし折れ、全身の骨は残らず砕かれた――そう思ってしまうほどの激痛が全身を駆けめぐっている。
むろん、実際にそこまでひどい怪我を負っているわけではないだろう。いくらソウルイーターに復元能力があるとはいえ、そこまでのダメージを負えば俺も生きてはいられないはず。今も全身を走る痛みは俺が生きていることの証だった。
だが、当人の感覚からすれば、本当に全身を砕かれたような衝撃と苦痛だったのである。
……まあ、ドーガと三日三晩の死闘を繰り広げた際には、これと同じような苦痛を何十、へたをすると何百と味わったので、もう慣れっこといえば慣れっこなのだが、慣れたから痛みが減るというものでもない。痛いものは痛いのだ。
そんなことを考えながら上空に視線を向ける。
視線の先では教皇が四枚の黒い翼を羽ばたかせて空中に留まり、ひたとこちらを見据えていた。切れ長の双眸に爛々たる戦意を宿した教皇が、手に持った鎌を大きく振り上げる。
先の神鳴と似て非なる構えを見て、脳裏に警鐘が鳴り響く。
俺が苦痛を無視して身体を起こそうとした刹那、はるか頭上にいるはずの教皇の声がはっきりと耳元で聞こえた気がした。
「幻葬一刀流 離の型 瞋り火」
教皇が放った勁技は渦巻く炎と化し、俺めがけて殺到してきた。熱量の高さを示すように青く燃え盛る巨大な炎。躱す余裕などどこにもない。
青炎は一瞬で俺を呑み込むと、一拍の間を置いて轟音と共に大きく爆ぜた。膨れあがった爆発は逆巻きながら宙を駆けのぼり、鬼界の空を激しく焦がす。
さらに勁技が生んだ焦熱は見えざる炎となって周囲を焼き払い、あたりの空気は呼吸するだけで肺が焼けてしまいそうなくらい煮えたぎっている。あまりの高熱に地面を覆う砂礫も半ば溶けてしまっており、焦げたような異臭が鼻を刺した。
俺が生身の人間であれば、黒焦げどころか血の一滴、骨の一片に至るまで焼き尽くされ、消滅していたに違いない。教皇が放った勁技は瞬きのうちに周囲を炎熱地獄へと変えていた。
たった三度の攻撃で、竜巻を起こし、雷を落とし、焦土をつくりだした教皇。
その教皇はなおも攻撃の手を止めていなかった。
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤。これ天地自然の理を示す八つの形なり。すなわち八卦」
神に捧げる祝詞のように、あるいは魔法を行使する詠唱のように、教皇の滑らかな言葉が俺の耳朶を震わせる。
「乾・兌は合して太陽となり、離・震は合して少陰となり、巽・坎は合して少陽となり、艮・坤は合して太陰となる。これ天地自然の理を示す四つの象なり。すなわち四象」
翼を羽ばたかせて急上昇した教皇は、ある高さまで達するや即座に身をひるがえし、一転して急降下に移る。
自らが生み出した猛熱と青炎をかきわけながら、一直線に地上の俺めがけて突き進んでくる姿は大地を穿つ隕石を想起させた。
「――幻葬一刀流 少陰の型 白之太刀」
教皇の手に握られた大鎌がまばゆく輝き、白銀の閃光となって振り下ろされる。
次の瞬間、斬撃は地軸を揺るがす凄絶な威力を解き放ち、鬼界の大地を震撼させた。
――ややあって。
「三形一象を修めた我が秘剣、いかがでしたか?」
今しがた神域の一撃を放ったばかりの教皇が、まるで何事もなかったかのように微笑んで問いかけてくる。
俺はとっさに応じることもできず、ぜいぜいと荒い息を吐くばかりだった。向こうの絶刀を受けとめた両腕はしびれて動かず、心装を握る手のひらの感覚もほとんどない。いや、手のひらだけでなく、その他の身体の感覚もないに等しかった。
正直なところ、今追撃されると非常にまずいのだが、いかなる意図があってのことか、教皇はそれをしようとしない。
向こうの意図はわからないが、教皇が会話をしたいならそれに乗って回復の時間を稼ぐべし。
そう判断した俺は、吐き捨てるように教皇の問いに応じた。
「死ぬほど痛かったな」
「一命を賭して磨きあげた剣技を、痛かった、で済まされてしまいましたか。手ほどきをしてくださった御剣家の始祖たちに叱られてしまいますね」
そう言うと、教皇はわざとらしく肩を縮める。そして、軽やかな口調で先ほど口にしていた言葉の続きを語り始めた。
「太陽・少陰は合して陽となり、少陽・太陰は合して陰となる。これ天地自然の理を示す二つの儀なり。すなわち両儀。そして、陽・陰は合して太極となれり。これ天地自然の理なり。総じて八形四象二儀一極。これら十五の型の修得をもって幻葬一刀流は皆伝となります」
「十五の型……さっき口にしていた三形一象とやらは、四つの型を修めたという意味か?」
「はい。剣士ならざる身にはそれが精一杯でした」
教皇が告げた瞬間、大地が揺れた。教皇の背後で巨塔のようにそびえたつ龍が不快げに身体を震わせたのである。
同時に、憎悪にまみれた龍の視線が地上を一撫でした。今は封じられているとはいえ、かつて世界を滅ぼさんとしたモノの一瞥は不可視の鉄槌となって地上にいる俺を――いや、俺だけでなく教皇をも打ち据える。
どうやら俺が生きているのに教皇が口ばかり動かしているのがご不満らしい。
だが、教皇は龍の眼圧をそよ風のようにいなし、俺に向けて言葉を重ねた。
「もっとも、幻葬一刀流を極めることができたのはわずか三人のみ。幻葬の志士の中には優れた剣士が大勢いましたが、彼らでも皆伝に至ることはできませんでした。龍を討つ太刀は人にとってあまりに高すぎた。御剣家が今に伝える幻想一刀流は、皆伝へと至る険路を少しでも均すために編み出されたのです」
「険路を均す? ということはどちらも……」
「はい。十五の型の修得をもって皆伝となるのはどちらの流派も同じです」
教皇の言葉は先刻の疑問――ゴズと教皇が同一の勁技を使える理由――の答えになるものだった。
教皇が口にした幻葬一刀流を極めた三人とは、おそらく御剣仁と御剣一真、そして鬼人族のアトリのこと。
そして教皇の言葉どおり、御剣一真が幻想一刀流を立ち上げた理由が、一人でも多く幻葬一刀流の皆伝者を輩出するためだったのだとすれば、ふたつの流派が同一の奥義を伝えている理由にも説明がつく。
まあその場合、どうして一真はわざわざ流派の名前に手を加えたのか、という疑問が生じるのだが――一真にしてみれば、自分の剣は弟の剣の真似事に過ぎない、という意識があったのかもしれない。
ひょっとすると御剣家の中には「幻想一刀流の皆伝に至った者のみが幻葬一刀流を名乗ることを許される」なんて掟もあるのかもしれない。
俺がそんなことを考えている間にも教皇の言葉は続いていた。
「皆伝に至るために重要なのは剣と勁の調和です。どれだけ正確に剣を振るおうと、必要な勁なくして型を放つことはできません。逆もまたしかり。必要な勁を有していようとも、剣士としての技量がともなわなければやはり型を放つことはできない。あなたが今以上の強さを求めるのなら調和に意を用いることです。特にあなたは勁の比重が大きすぎる。同源存在にひきずられる者は決して高みに至ることはできません」
「……」
俺は教皇の忠告に無言で応じた。
向こうが口にしている内容に疑念があったわけではない。むしろうなずける部分が多々あった。
だからこそ「おかしい」と感じたのである。ここまでは回復の時間稼ぎのため、多少の疑念があっても向こうに話を合わせてきたが、さすがに奥義の手ほどきまでされては不審をおぼえざるを得ない。教皇の言動は敵に塩を送るどころの話ではなかった。
俺は慎重に相手の様子をうかがいながら口をひらく。
「忠告痛み入ると言いたいところだが、いいのか? さっきから後ろもずいぶんお怒りのようだが」
「姉弟子から弟弟子への手向けの言葉です。多少は目こぼししてくださるでしょう。それでなくとも龍の眼はとうに曇っていますので問題ありません」
「……どういう意味だ?」
不意に教皇の言葉がぬめるような響きを帯びた。そんな気がした。
背にぞくりとするものを感じ、眉根を寄せて問いかける。すると、教皇はそれまでと変わらぬ口調でこんな言葉を返してきた。
「先ほどから私の頭の中にはひとつの言葉が繰り返し響いています。殺せ、殺せ、忌まわしき竜を殺せ、という龍の言葉が。そして、これこそ龍の目が盲いている証に他なりません」
それを聞いても俺の疑念は解けない。というか、ますます深まった。
神格降臨を行使した教皇が龍の言葉を聞けるのは当然のこと。そして龍が言うところの「忌まわしき竜」とは間違いなくソウルイーターのことだろう。
ソウルイーターは千年前、黄金帝国の時代に龍を討ち果たし、おそらくは三百年前にも御剣仁に宿って封印に寄与した龍の怨敵。
であれば、龍がソウルイーターを危険視するのも、教皇に命じて殺させようとするのも当然のことだろう。
そんな俺の疑問に気づいているのか否か、教皇は静かにこう続けた。
「あなたを前にしながら竜しか見えていない。それだけで龍が盲いているのは明白なのです、御剣空」