126話 幻葬の志士
遅くなりました<(_ _)>
剣と鎌が打ち交わされるたび、耳をつんざく金属音が響き渡る。
繰り返される剣戟の回数はとうに四十を超えて五十に達しようとしていたが、攻防の激しさは寸毫も衰えることなく、むしろ回数を重ねるごとに苛烈さを増していた。
ソフィア教皇は今や翼の生えた異形と化しており、全身に無数の目、耳、口が張りついている。それでなくとも向こうの正体は三百年の時を生きた不死の王。おまけに神格降臨を行使して幻想種の力まで手に入れているのだ。当然、油断など微塵もしていなかった。
ただ、それでも俺はこの敵に意表を突かれていた。教皇が何の術式も使わず、真っ向から『戦士』としてわたり合ってくるとは予想していなかったのである。
死神のそれを思わせる漆黒の大鎌を縦横に振るいながら、跳ねるように地面を蹴って躍りかかってくる迫力は上位旗士に匹敵する。
むろん、俺も押されてばかりではない。敵の攻撃を弾き返して反撃に転じるのだが、教皇は心装による全力の一撃を苦もなく受けとめて小揺るぎもしない。分厚い城壁に剣を叩きつけているような感触だった。
力で崩せないなら速さで、と続けざまに鋒鋩を叩き込んでみても、優雅なほどの体さばきですべて躱され、かえって反撃を食らう有様。力感と速度、そして優美さを兼ね備えた教皇の戦いぶりは、あたかも舞いを舞っているかのようだった。
――やりにくい。
俺は内心でうなる。
ひとつひとつの動作が強く、速く、巧く、繰り出してくる一手一手が常に次の行動への布石になっている。それゆえ攻撃にせよ、防御にせよ、遅滞というものがまるでない。その鮮やかなまでの連動性が、本来無骨であるはずの戦闘行為に流麗さをもたらし、見る者を惹きつけてやまない。
武闘を舞踏へと昇華せしめた戦いぶりは俺にひとりの旗士を想起させた。舞姫と称えられたかつての許嫁の顔が脳裏をよぎる。
次の瞬間。
「て、うおっ!?」
ぞっとするほど鋭い刃鳴りの音が、時ならぬ物思いを打ち破った。
振るわれた大鎌を危ういところで回避した俺は、後方に飛んで相手と距離をとろうとする。しかし、こちらが気をそらした一瞬を好機と狙い定めた教皇は即座に追撃に移り、間合いを詰めてきた。
目にもとまらぬ迫撃は幻想一刀流の高速歩法を彷彿とさせる。
とっさに心装を掲げて敵の大鎌を受けとめると、鉄塊を叩きつけられたような衝撃が伝わってきた。受け流すのは無理だと判断し、奥歯を噛みしめて相手の重圧に対抗する。
「――ッ!!」
「……ッ!!」
互いの口から無言の気合がほとばしり、俺と教皇の視線が至近距離で激突する。
教皇はここが勝負所と見たのだろう、全身から魔力を湧き立たせながら強引に鎌を押し込んできた。俺はそれに対抗するべく更に力を込める――と見せかけて一気に力を緩めた。
いきなり均衡が崩れたことで教皇がつんのめるように前に出る。
俺はその隙を逃さず、教皇と身体を入れ替えるようにして背後にまわりこんだ。そして、そのまま相手の背に斬撃を叩き込む。
死角かつ至近距離からの一撃である。並の敵なら間違いなくこれで終わっていただろう。だが、教皇の身体に浮かびあがる無数の眼は俺の動きを正確に捉えており、教皇は俺の方を振り向きもせずに鎌を振るって致命の一閃を弾き返した。
のみならず、防御のために繰り出した鎌をそのまま反撃に転用し、お返しとばかりに強烈な横薙ぎを叩きつけてくる。
回避のためにぐっと上半身を沈めると、間一髪、頭のすぐ上を致命の響きを帯びた刃鳴が駆け抜けていった。相手の反撃を躱した俺はすぐさま後方に飛び、今度こそ教皇と距離をとる。
――やりにくい。
敵との間合いを測りつつ、俺は先ほどと同じことを、先ほどよりも強く思った。
険しい表情で相手を見据えていると、教皇がどこか愉しげに口をひらく。
「ふふ、目に驚きが見て取れますね。神官である私がここまで戦えるとは思っていなかった、というところでしょうか?」
「……まったくそのとおり。それは幻想種の力なのか? それとも龍の権能とやらか?」
「どちらも違います。これは私、ソフィア・アズライトが人であった頃に培った技。幻葬の志士として幻想種とわたり合うためには、神官といえど前に出て武器を振るわなければならなかったのです」
そう言うと、ソフィアは何かに気づいたように小さく微笑んだ。
「そのとき、手ほどきをしてくださったのが幻想一刀流を編み出した御剣家の始祖たちです。思えば、あなたは私にとって弟弟子にあたるのかもしれませんね」
「姉弟子を気取るなら、始祖直伝の秘剣のひとつも披露してほしいもんだ」
益体もないことを口にしつつ、ぬかりなく相手の挙動に目を配る。
俺の内心には教皇への警戒心が深く根を下ろしていた。事ここにいたっても教皇の狙いが見えないからだ。
はじめは俺を殺すか、あるいは神器を用いて俺とソウルイーターを分断するつもりなのだと思っていたが、それにしては敵意や殺意が感じられない。
それだけ無心で戦っているということかもしれないが、無心で戦っている奴は弟子がどうこうと軽口を叩いたりはしないだろう。
目を奪われるくらい華麗な戦いぶりを披露する一方で、何を考えているのか心底が見通せない。そんなところもかつての許嫁を思い出させて、俺は唇を歪めた。
――やりにくいのも道理か。つくづくアズライトとは相性が悪い。
そんなことを考えながら剣を構えていると、教皇が愉快そうに口角をあげた。
「秘剣をお望みとあらばお見せすることも吝かではありません。ですが、その前にひとつだけ警告を」
「警告?」
「私が手ほどきを受けていた頃、幻想一刀流はまだ完成していませんでした。それゆえ私が学んだのは幻想一刀流の原型となった技です。ただ幻想種を討つために、そのためだけに研ぎ澄まされ、磨きぬかれた技ゆえに、後世に伝えることを念頭に編み出された幻想一刀流よりも荒っぽいのです」
ですので、お気をつけて。
そう言うと、それまで構えらしい構えをとらずに戦っていた教皇がはじめて明確な構えをとった。
それは剣術でいうところの脇構え。右足を半歩引き、敵に対して身体が斜めになるよう構えた上で、得物である鎌を右腰に寄せている。
どことなく剣士が居合を放つときに似ていた。俺でたとえるなら颯や虚喰を放つときの体勢である。
――のんきに分析ができたのはここまでだった。
「ぐっ!?」
空気が震えていた。教皇が発する力の拍動が俺の肌をびりびりと震わせる。
とっさに腰を落とし、全力で防御の姿勢をとった。そうしなければやられる、と本能が警鐘を鳴らしている。
教皇の静かな声が耳朶を震わせた。
「幻葬一刀流 巽の型 狂い飆」
――轟、と。
耳元でそんな音が鳴った気がした。
そう思った次の瞬間、俺の身体は空高く舞い上がっていた。防御も警鐘も何の意味もなさなかった。耐えるという感覚さえないままに地面から引きはがされて宙に放り出される。
勁で足場をつくることもできず、竜巻に巻き込まれた木の葉のようにただただ風に翻弄される。全身の骨という骨が軋み、今にも四肢がちぎれ飛んでしまいそうだった。というか、もうすでにちぎれているのかもしれない。そう思ってしまうくらい全身を苛む風圧は強烈だった。
耳元では絶えず轟音が鳴り響き、視界も二転三転して自分がどちらを向いているのかもわからない。ともすれば意識を手放してしまいそうな混乱の中、その声は奇妙にはっきりと聞こえた。
「幻葬一刀流――」
いつの間に近づいていたのか、大鎌を振りかぶった教皇の姿が視界に映し出される。
俺がとっさに心装を掲げるのと、教皇が次の技を放つのは同時だった。
「震の型 神鳴」
射るような雷光が視界を純白に染めあげる。
直後、俺は物凄まじい衝撃と共に地面に叩きつけられていた。