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125話 罪を刈る者


 神格降臨コール・ゴッド


 教皇がその術式を唱えた瞬間、急激に高まった魔力が突風のように押し寄せてきた。あまりにも濃密すぎて、物理的な圧迫感さえおぼえる原初の魔力。常人ならば触れるだけで気絶し、そのまま命まで刈り取られてしまっても不思議はない――そういうたぐいの力だった。



「チッ!」



 舌打ちして後方に飛ぶ。


 ソウルイーターを宿した俺ならば、魔力に触れただけでどうこうということはない。しかし、不快であるのは間違いなかったし、このおぞましい魔力を発する存在からできるだけ距離をとりたいという思いがあった。


 神格降臨は聖職者が己の身体を依代よりしろとして神を降ろす奇跡のわざ。『蘇生』や『復元』と並ぶ神聖魔法の究極奥義であり、この術式を行使できるのは法神教の教皇ノア・カーネリアスだけだとされている。


 もう少し正確に言えば「行使して生きていられるのはノア教皇だけ」ということになる。それほどに術者の心身にかかる負担は重い。


 だが、術者が人間ではなく不死の王であれば負担など無視することができる。


 俺はまっすぐに教皇ソフィア・アズライトを見据えた。


 光神教における「神」が龍であることは教皇自身が明言した。龍をその身に降ろした教皇は脱皮して人面蛇身の存在になり果てるのか、それともまったく異なる変化を見せるのか。


 その答えはすぐに明らかとなった。



「ぬ!?」



 異音と共に教皇の神官服がちぎれ飛び、服の下に隠されていた白皙はくせきの肌があらわになる。


 何事か、と目を見開く俺の視線の先で、教皇の背中から夜を思わせる色合いの翼が現れた。この翼が神官服を引き裂いたようだ。


 翼の数は二対四枚。こちらの視界を覆うように黒い翼を広げる教皇の姿は、さながら宗教画に描かれる天使のようで、一瞬の半分の間、見入ってしまう。


 教皇の変異はそれだけに留まらなかった。


 翼が出現するのと同時に、白く清らかだった裸体に黒い染みが浮かびあがってきたのである。その染みは教皇の腕に、脚に、胸に、腹に侵食していき、みるみるうちに白い肌を汚していった。


 と、次の瞬間、染みがあった部位から血しぶきが飛び散り、皮膚の裂け目から黒くぶよぶよとした肉塊にくかいが這い出てきた。肉塊は自らが出てきた傷口を覆うようにして教皇の身体にへばりつき、溶けるように形を変えていく。


 得体の知れない肉のかたまりが、不気味な蠕動ぜんどうを繰り返しながら教皇の身体を侵していく様は不気味の一言で、何も知らない人間が見たら教皇が粘液生物スライムに襲われているようにしか見えないだろう。


 むろん、実際はそうではない。先刻からまったく表情を変えない教皇の顔を見れば、すべては向こうの意図どおりに進んでいるのだとわかる。


 正直なところ、この先の光景は見たくなかったが、ここで目を背ければ教皇に対して隙をさらすことになる。俺は教皇の身体から飛び出してきたモノの正体を見極めるべく目をこらした。


 その視線の先で、肉塊は見覚えのある形をとりはじめる。


 はじめはそれが何なのか分からなかった。だが、すぐに理解する。


 別に俺でなくとも分かっただろう。それは誰もが見たことがあるものであり、誰もが持っているものであったから。


 それは目であった。


 それは耳であった。


 それは口であった。


 教皇の腕に、脚に、胸に、腹に、たくさんの目が、耳が、口が張りついている。


 これまでも異形の存在と対峙したことは何度かあったが、ここまでの存在はちょっと記憶にない。外見的な意味でも、実力的な意味でも、である。


 そのとき、地の底から湧きあがるような殷々(いんいん)とした声が俺の耳朶じだを震わせた。教皇の声ではない。無論、俺の声でもない。それは教皇の身体に出現した無数の口から発せられた声だった。



『我は罪を見る者である』



 その言葉と共に、無数の目が俺を睨みつけた。



『我は罪を聞く者である』



 俺が発する音を何ひとつ聞き逃すまいと、向こうが無数の耳をそばだてたのがわかった。



『我は罪を問う者である』



 男性の声、女性の声、大人の声、子供の声。あらゆる響きを内包する声が鼓膜を揺さぶった。


 そして、異形の存在は高らかに己の名を告げる。



『我は罪を刈る者(アズライール)である。ひざまずけ、人間』



 アズライールと名乗ったモノがそう告げた瞬間、それまでただ吹き荒れていた魔力が瞬く間に指向性を帯びた。巨大な鉄槌ハンマーにも似た魔力が俺めがけて振り下ろされ、全身を押しつぶさんばかりの重圧がのしかかってくる。


 きっと向こうにとっては攻撃と呼ぶにも値しない、単なる威嚇いかく。それでも並の旗士がこれを食らえば、耐えきれずに膝をついていたに違いない。それどころか、踏みつぶされたかえるのようにぺちゃんこにされていたかもしれない。


 俺は相手の重圧に耐えながら、皮肉をこめて唇を歪めた。



「神格降臨というからには龍に似た姿になると思っていたんだがな。龍を崇めているというのは嘘っぱちか?」


「いいえ、嘘ではありません」



 応じたその声はアズライールのものではなく、教皇の口から発されたものだった。



「私は神を降ろしたことにより、幻想種を生み出す権能を行使できるようになりました。この姿はその権能を行使した結果です」


「幻想種を、ね」



 小声でつぶやく。つまりアズライールは教皇が龍の権能で生み出した幻想種ということか。


 龍の力を行使できるなら、わざわざ別の幻想種を生み出したりせず、そのまま龍の力を振るえばよい。それをしないのは出来ない理由があるからだろう。


 俺は教皇の後ろで塔のようにそびえたっている龍を、そして龍の額に突き立った大剣を見やった。


 アトリによって封印されたことで、龍の力が弱まっているのは想像にかたくない。それゆえにソフィアは龍の力を直接振るうのではなく、幻想種を生み出すという間接的な方法をとらざるを得なかったのか。


 あるいは、龍の力を振るうには教皇の器が足りなかったという可能性もある。そうであれば、アズライールとやらの力はたかが知れている。


 問題があるとすれば、俺の推測がどちらも間違っていた場合だ。


 龍は弱っておらず、教皇の器も足りていた。それでもあえて教皇がアズライールを生み出したのだとすれば、この幻想種は俺やソウルイーターにとって天敵に等しい存在だということになる。そうでなければ、教皇があえて龍ではなくアズライールを選択する理由がない。


 その俺の思考を読み取ったのか否か、教皇は歌うように言葉を紡いだ。



「アズライールは罪を刈る者。その鎌は肉体と魂を分かつ裁定の神器です。それが意味するところはおわかりでしょう、魂を喰らう者」



 肉体と魂を分かつ。ソウルイーターのように直接魂に作用する力を持つ幻想種ということか。だとすれば、ソウルイーターと同格とは言わないが、それに近い力を持っていると考えるべきだろう。


 それに、肉体と魂を分かつということは、へたに攻撃を受けると俺と同源存在アニマの繋がりを断たれてしまうかもしれない。青林旗士にとっては天敵というしかない相手だ。


 厄介な、という思いが自然と湧きあがってくる。


 だが、同時に面白いとも感じていた。これほどの相手であれば、さぞ喰いでがあるだろう。


 俺が鬼界に来た目的のひとつは幻想種に匹敵するという鬼界の魔物を喰うためだった。喰う相手が「幻想種に匹敵する魔物」から「幻想種」にかわったところで何の問題もない。



「心装励起――喰らい尽くせ、ソウルイーター」



 返答がわりに心装を抜き放つと、教皇はくすりと微笑んだ。


 そして、その表情のまま右手を大きく振るう。



「参ります」



 いつの間にか、教皇の右手には漆黒の大鎌が握られていた。



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