第百十八話 結界都市
「へえ、そうすると光神教が方相氏を潰したというのは事実だったのか」
黒い麒麟に牽かれて荒野をひた走る戦車の台上。
そこでカガリから本殿における粛清劇を聞かされた俺は、思わず驚きの声をもらした。西都での光神教の謝罪はてっきり口先だけだと思っていたからだ。
しかし、どうやらそうではないらしい。中山四兄弟の末弟殿は肩をすくめて言葉を続けた。
「ああ。あの後でハクロ兄に聞いたんだが、ハクロ兄が西都に来る直前、教団の派閥のひとつが教会騎士に殲滅されたんだと。まあ『我らこそ方相氏なり』と看板を掲げていたわけじゃないから断言はできない、とハクロ兄は言ってたけど、それでもたぶん間違いないとさ」
なぜハクロがそう判断したかといえば、潰された派閥というのが、人身御供にするにしては大きすぎるからだという。
聞けば、その派閥は教団内でも最古の歴史を持っており、代々の教皇に重用されてきたらしい。
教皇は蛇を封じる結界を維持するため、ほとんど人前に出てこない。そのため、表だった行事や儀式をとりおこなうときは四人の大司教の中から責任者を選出するのだが、重要な儀式の際は決まってその派閥に属する大司教が選出されていた。
そんな有力派閥が一夜のうちに消えてしまったものだから、ハクロが西都へ発つ際、本殿はかなり混乱していたという。
俺は腕を組んで首をひねる。
「責任逃れのための茶番かとばかり思っていたが、そこまでやるとなると単純な尻尾切りというわけではないのかな」
光神教において教皇がどれだけ崇拝されているのか知らないが、昨日まで重用してきた氏族を一夜のうちに滅ぼしたと知られれば、他の信徒たちも心穏やかではいられないだろう。
聖下は不要と判断すれば忠実な信徒でも塵芥のように捨ててしまう――そんな不安が蔓延すれば、教団運営に支障が出るのは避けられない。少なくとも、粛清前とまったく同じ、というわけにはいくまい。
それを覚悟の上で粛清を断行したのだとすれば、教皇は今回の一件に並々ならぬ覚悟を持っているということになる。
俺の考えを聞いたカガリは同意も否定もせず、どこか楽しそうな顔で応じた。
「さてね。でかい派閥を処分することで、自分は陰謀とは無関係だったと中山に釈明するつもりかもしれない。単純に、方相氏が大きくなりすぎて目障りだったから、この機に乗じて排除しただけかもしれない。ま、本殿に行けば嫌でもわかるだろ」
そう言うと、カガリはけらけらと笑いながら「本当はこういう役割はハクロ兄のものなんだけどな」と付け加えた。
その言葉どおり、光神教の司教であるというハクロは今回の本殿行きに同行していない。もっと言えばアズマとドーガもだ。中山の人間で本殿におもむくのはカガリのみであり、兵士のひとりも随行していない。
理由は聞いていないが、おそらくアズマたちは中山が光神教と敵対した場合に備えているのだろう。もし中山と光神教の敵対が明らかになれば、中山内部の光神教徒が動揺するのは間違いない。その際、アズマたちが西都に詰めていれば混乱を最小限におさえることができる。
また、クリムトから聞いた光神教と御剣家のつながりが事実だとすれば、この機に乗じて青林八旗が攻めてくることも考えられる。この場合もアズマたちが西都にいることが大きな意味を持つに違いない。
俺がそんなことをあれこれ考えていると、不意にカガリが前方を指さして言う。
「あの丘を越えたら本殿が見える。一見の価値はあると思うぜ」
それはどういう意味か、とたずねる必要はなかった。カガリの乗騎である角端(黒い麒麟)は素晴らしい速度で斜面を駆けのぼり、ほどなく俺はカガリ言うところの「一見の価値はある」眺望を目の当たりにする。
――それは、一言でいえば光の壁だった。
おそらくは本殿と思われる都市を基点として、白銀色に輝く壁面が北と南の二方向に伸びている。南北に伸びた壁の果ては見て取れず、まるで地平の彼方まで続いているように見えた。
それだけでも十分に驚きだったが、この光の壁は横方向だけでなく、縦方向にも高く高くそびえており、それがまた驚きを加速させた。帝都イニシウムの黄金城壁さえこの壁には及ばない。二倍や三倍ではないのだ。どれだけ少なく見積もっても帝都の城壁の五倍以上の高さがある。
壁面には大小無数の術式が付与されており、あの光の壁が魔法でつくられたものであることを物語っている。
その意味では、人の手でつくられた黄金城壁と比較することに意味はないかもしれない。ただ、つくってしまえばそれで終わりの人工城壁と異なり、結界による防壁は維持のために膨大な魔力を必要とする。それも昨日今日の話ではない。あの壁ができてから、おそらくは三百年が経っているのだ。この規模の結界を三百年維持し続けるために費やされた魔力総量は、いったいどれほどになるのだろう。
なにより、こんな馬鹿げたものを築いてまで光神教が封じたかった蛇――幻想種の王とはいかなる存在なのか。俺には見当もつかなかった。
その後、俺たちが乗った戦車が近づいていくと、本殿の城門が音をたててひらかれる。どうやら都市部分の城壁は人の手でつくられているらしい。こちらの身元を確かめようとしなかったのは、黒い麒麟を見てカガリの存在を悟ったためだと思われる。
そうしている間にも、三百年の歴史を誇る古都の城門はひらき続けていた。ひどく耳障りな音をたてながら。
ややあって城門が完全に開け放たれると、城内へ続く入口があらわれる。ぽっかりとひらかれたその入り口が、俺の目には得体の知れない怪物の口に見えた……