幕間 御剣仁
「島を出る――本気で言っておるのか、仁?」
「はい、兄上。このようなこと、たわむれで申し上げたりはいたしませぬ」
少年――御剣仁はすでに覚悟を定めた者の目で兄 御剣一真に応じる。
一真はその目を見て小さく息を吐く。本気か、と問うたのは形式的なものだった。弟が「話がある」と真剣な顔で部屋を訪れたときから、相手の用件も、本気であることも察していたからだ。
仁は真剣な表情を保ったまま言葉を重ねる。
「兄上もお聞き及びと存じますが、大陸にて幻想種が立て続けに三体討伐されたそうです。わずか一月の間に」
「うむ、聞いている。倒したのは幻想種を討つために種族の垣根を越えて集った戦士たち。巷では幻葬の志士などと呼ばれているそうだな」
「儺儺式使いどもは、数だけ集まった烏合の衆よとあざ笑っておりましたが、こたびの戦果を見れば、彼の者たちの実力は疑いようがございません。この身も大陸に馳せ参じ、幻想種討伐のために一臂の力を尽くしたく存じます。そして、幻想種を討ち果たした武の正体を見極めてくる所存」
叶うならその武を我が物にする――仁があえて口にしなかった本音を、一真の耳ははっきりと聞き取っていた。
一真は再び小さく息を吐く。
「そこまで知っているのなら、このことも聞き及んでいよう――彼らの主力は鬼人族だ」
鬼人族、という言葉を一真が口にした瞬間、兄弟の間にわずかに緊張が走った。
悪鬼妖魔を調伏することを生業とする方相氏。そして、その方相氏の端に連なる御剣家にとって、鬼人族は不倶戴天の敵である。
方相氏の剣である儺儺式は、まさに鬼人を斬るために編み出された剣なのだ。
当然のように鬼人族も方相氏、引いては人間を敵視している。本来なら鬼人族が人間に協力することなどありえないのだが、大陸では幻想種が各地を跋扈していると聞く。鬼人族も背に腹はかえられないと考え、人間と共闘することにしたのだろう。
仁はこの状況を好機と見た。すなわち、いま幻葬の志士に加われば、鬼人族の切り札である心装の秘密を間近で観察することができるのである。
仁はずずいっと膝を進め、兄に近づいた。
「兄上、これは御剣家にとっても千載一遇の好機と心得ます。我らが心装の力を手にし、幻想種を打ち果たしてみせれば、御剣家は方相氏の中でも雄なる地位を得ることができまする。父上たちのように、儺儺式使いどもの盾として使い捨てられることもなくなります!」
「確かにな。だが、長老や儺儺式使いが鬼人族との共闘を肯うはずもない。あの者たちの意向に背けば、御剣家は方相氏から排斥され、私もそなたも野辺に屍をさらすことになる」
「承知しております。それゆえ、それがしは出奔の体を装い――いえ、弟が出奔したなどと知れば、彼奴らは当主としての兄上の責任を問うてきますね……」
仁はそう言うと、妙案はないかと首をひねる。
ややあって、仁はぽんと手を叩き、明るい声音で言った。
「ここはひと思いに死人となりましょう。それがしは適当な戦で討ち死にしたことにして下され。彼奴らにとって御剣家はしょせん捨て駒。兄弟のひとりが死んだところで、偽死ではないかと疑ったりはしますまい」
あっけらかんと言い切る弟を見て、一真は眉間のしわを常以上に深くする。
そして言った。
「わかっておるのか? それをすれば、そなたはこれから先、二度と御剣の姓を名乗れなくなるのだぞ?」
仮に弟が首尾よく心装を会得し、それを兄に伝え、御剣家が方相氏を牛耳る家柄になれたとしても、そこに弟の居場所はない。
一真ひとりであれば、心装に似た力を用いても「自ら編み出した技である」と強弁することができる。実際に一真は青林島から出ておらず、鬼人と接触することはできないからだ。
しかし、そこに一度死んだはずの弟がいて、なおかつ弟も同種の力を振るうと知れば、方相氏に連なる者たちは必ず裏のからくりに気づくだろう。
そうなれば、彼らは御剣家が鬼人族と通じたとみなして総力をあげて潰しにくる。
その標的は兄弟のみにかぎらない。御剣家には少数であるが家臣がおり、家臣の家族がいる。一真は当主として彼らの命にも責任を持たねばならないのである。
そういった諸々を、もちろん仁は承知していた。
「すべて承知の上でございます。なに、どのみちこのままでは儺儺式使いの盾となり、幻想種に食われて死ぬのを待つばかり。それに比べれば、死人として生きるのはずいぶんマシな選択でございましょう」
こともなげに口にした後、仁は少しだけ申し訳なさそうに目を伏せる。
「ただ、御剣家を担う責任を兄上おひとりに押しつけてしまうことは、申し訳なく思っております」
それを聞いた一真は三度息を吐き出した。申し訳ないというのであれば、一真こそ弟に対してそれを言わねばならない。
結局のところ、弟が大陸に渡ろうとしているのは、今のままではいずれ御剣家が立ち行かなくなると分かっているからなのだ。つまりは当主としての一真の器量不足が原因である。
だが、それを言っても弟は否定するだろうし、こちらの謝罪を受け取ろうともしないだろう。そう思った一真は「少し待っておれ」と言い残し、一度自室に戻った。
ややあって戻ってきたとき、一真の手には一本の長刀が握られていた。それを見て仁は目を見開く。
「兄上、それは……」
「御剣家に伝わる二振りの宝刀『笹露』と『笹雪』。そのうちの一振り、笹露だ。持っていくがよい」
そう言って一真は小さく微笑む。当人は気づいていなかったが、それは父たちが死んで以来、はじめて見せた一真の笑みであった。
「いずれそなたの剣が私を超えたときに譲ろうと思っていた。こういう形になるとは思っていなかったが――今のそなたならば、泉下の父上もお認め下さるであろう」
それを聞いた仁は、ここではじめて顔に狼狽の色を浮かべた。
「あ、兄上。お志はありがたく存じますが……笹露は父上の、御剣家当主の佩刀ではございませんか。これは兄上が佩くべき刀です。それがしは叔父上が佩いていた笹雪の方で――いえ、もちろん笹雪とてもそれがしの腕には過ぎた業物でございますが!」
「よい、持っていけ。これが私からそなたにしてやれる、せめてもの芳心である」
そう言って差し出された宝刀を、仁はわずかにためらった後、かしこまって受け取る。
ずしりと手に響く重い感触に、仁は我知らず唇を噛みしめていた。




