第百十三話 気遣い
「ウルスラ。俺はもう少し鬼界にとどまって色々調べてまわるけど、そちらはどうするつもりだ? これからも同行するということでいいのか?」
「――え?」
「――ん?」
特に含むところのない問いを投げかけたら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を返されたので、俺ははてと首をかしげた。
「どうかしたのか?」
「どうかしたというわけじゃないんだけど……えっと、空はクリムトを見つけたら鬼ヶ島に戻るつもりじゃなかったの?」
「何もなければそれも選択肢のひとつだったけどな。クリムトの話を聞いた今となっては、そういうわけにもいかない」
クリムトの口から明かされた光神教や方相氏のこと。そこから推測したウルスラの父が殺された理由。それに皇帝アマデウス二世が語った三百年の怨讐。鬼界に秘められた謎は枚挙に暇がない。
別段、それらの謎を解き明かす義務など俺にはないが、かといって「御剣家を追放された自分には関係ないこと」と無関係を決め込むわけにもいかなかった。
俺はベルカの一件でノア教皇やラスカリスと間近で接した。その経験から無知であることの危険性は十分に認識している。
それに、俺自身が御剣家と無関係だと思っていても、他者がそう見てくれるとはかぎらないことも教皇から指摘されている。御剣家にまつわる謎が俺の身に害を及ぼす可能性がある以上、これについて調べるのは必要なことだった。
くわえてクライアたち姉弟のこともある。
本来、片腕を失ったクリムトの治療は柊都でおこなうべきだった。少なくとも、何の設備もない鬼界の辺境でおこなうべきではない。
だが、クリムトはアズマ王を討つ密命を帯びながら、それにしくじった身であり、柊都に戻っても治療を受けられるかどうかわからない。それこそギルモアあたりが「腕を失った旗士などベルヒ家には不要である」と言って、戻ってきたクリムトを見殺しにすることもありえた。
その懸念がある以上、クリムトを柊都に連れ帰ってはいおしまい、というわけにはいかない。姉から一連の経緯を聞いたクリムト自身が柊都に戻るのを望まなかったこともあり、治療は鬼界で行わざるをえない状況となっていた。
当然、弟を看病するクライアも鬼界に留まることになる。そんな中、俺ひとりイシュカに帰るわけにもいかない。少なくとも、クリムトが回復するまでは鬼界に留まる必要があった。
ウルスラもウルスラで父の死の真相を探りたいはずだから、鬼界に留まるという選択は渡りに船のはず。そう踏んでいた俺にとって、今のウルスラの反応はかなり予想外だった。
「なにか同行できない理由でもあるのか?」
不思議に思って問いかけると、ウルスラは慌てたように胸の前で両手をわたわたと振ってみせた。
「あ、や、そんなことはないよ。ちょっと、その、意外だったんだ。空は御剣家とか、光神教とか、そういったことにあまり関心はないと思っていたから」
「ああ、そういうことか。まあ正直、関心があるかないかで言ったらないんだが――」
「ないんだ」
「うむ。御剣家の裏っかわなんて、汚泥みたいにドロドロしていて腐臭を放ってるに決まってるからな。触りたくもない」
だが、必要か不要かで言ったら必要なのだ。であれば、えり好みなどしていられない。
――それに、ウルスラに対する気遣いもあった。
もし俺の推測どおり、ウルスラの父の死に御剣家が関わっていたとすれば、ウルスラは選択を迫られることになる。
鬼界と結びついていた主家の非を表沙汰にして弾劾するのか。
もっと直接的に御剣家を仇の片割れと考え、剣をとって主家に挑むのか。
あるいはすべてを心に秘め、これまでどおり主家に仕え続けるのか。
ウルスラの性格からして、最後の選択肢は選ばないだろう。となると、弾劾か、仇討ちか、いずれにせよ御剣家当主を非難する立場に立つことになる。
それはつまり、先代司寇ウルリヒ・ウトガルザと同じ立場に立つということだ。
ウルリヒがどちらを選んだのかは想像するしかないが、先代司寇は行動に移る前に命を奪われた。ウルリヒの命を奪った者が、ウルスラのみを例外とする理由はない。
俺は鬼界に留まっている時間を利用して、そのあたりをウルスラと話し合うつもりだった。ウルスラが望むなら俺が護衛を務めることもできる。いざとなれば、クライアと共にウルスラをイシュカに連れ帰ることもできるだろう。
もちろん、これらは御剣家と光神教が裏でつながっていたという情報が真実だった場合の話だ。それにウルスラ当人が何を望んでいるのかという問題もある。今の段階で俺があれこれ考えても仕方ないのだが、ともあれ、前述したとおり俺が鬼界に留まる理由のひとつは命の恩人に対する気遣いだった。
もちろん、わざわざそんなことを口に出したりはしない。恩着せがましい恩返しなんて洒落にもならん。
と、そんなこちらの内心を読み取ったわけでもあるまいが、ここでウルスラは、ちょっとびっくりするくらい綺麗な微笑みを浮かべる。
そして、耳に心地よい声で、今後も俺たちに同行する旨を伝えてきた。
◆◆◆
当面の行動指針を決めた俺が次に訪ねた相手は、中山の典医であるソザイだった。
「空殿は光神教のことを知りたいと仰せですか?」
ソザイの反問に俺はこくりとうなずく。
御剣家と光神教が結びついているという仮定の上での話だが、御剣家にとって光神教との結びつきは秘中の秘である。同時に、鬼人族と協力関係にある光神教にとっても御剣家とのつながりは秘中の秘であるはずだ。
鬼界に不案内な俺たちがちょっと突いたくらいでは証拠の「しょ」の字も出てこないに違いない。光神教の裏面を調べようと思えば、求められるのは拙速ではなく巧遅だった。
なので、今のうちに改めて光神教に関する知識をたくわえておこうと考えた次第である。
いちおう西都で光神教の経典には一通り目をとおしたが、書物を読んだだけで光神教徒に扮することは難しいだろう。
そこで俺はソザイに声をかけた。直接聞いたわけではないが、ここまでの言動からしてソザイはおそらく光神教徒である。本物の信徒が持つ常識や振る舞いを学ぶ相手としてはうってつけだろう。
こちらの求めに対し、ソザイはさして迷う素振りも見せずに応じてくれた。
クリムトの話では、中山も中山で光神教に一杯食わされたようだから、光神教徒と中山の臣下という立場を兼ね備えるソザイは、立場的にも、心情的にも、難しい位置に置かれているに違いないが、落ち着き払ったソザイの態度を見ていると到底そうは思えない。
あのドーガが敬意を払うだけあって、実に並々ならぬ胆力の持ち主である――そんな風に感心していると、ソザイがゆっくりと口をひらいた。
「経典をお読みになったのであれば、すでに教団についておおよそのところは知っておられよう。されば、僕からは聖女ソフィアについてお伝えいたす。鬼界において光神教が今日まで存続し得たのは、ひとえに聖女の功績なのでござる」
「ソフィア・アズライト、ですね」
「さよう。氾濫する幻想種から世界を守らんとした幻葬の志士。神無の戦士と共に蛇を封じ込めた救世主。そして、忌まわしき裏切り者 御剣一真によって鬼界に封じられた全ての命を救うため、我が身に神を降ろした無私の乙女。ソフィア・アズライトを知らずして光神の教えは語れない――それほどの御方とお考えくだされ」




