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第百十話 目覚め


 大興山にトンテンカンテンと補修作業の音が鳴り響く。


 作業にとりかかっているのは言うまでもなく中山兵なのだが、俺も俺で彼らに混じって建物の修復作業に従事していた。


 最初に言っておくと、ドーガやカガリはここを本格的な拠点に作り替えようとしているわけではない。玄蜂げんほうによる襲撃で負傷した兵たちが回復するまでの仮の拠点として、最低限の補修をしているだけである。


 聞けば、もともと大興山やその周辺は魔物が多く棲息していたそうで、実際にあれから二度ばかり玄蜂げんほうとは別種の魔物の襲撃があった。これは玄蜂げんほうを退けてから一日足らずの間の出来事である。


 こちらに関しては、俺が出るまでもなく中山軍のみで撃退していたが、その戦いでも少数ながら負傷者が出ている。遠からず打ち捨てることになる砦とはいえ、最低限の備えはしておかねば、とドーガたちは考えたのだろう。


 べつに頼まれたわけではなかったが、俺もこれに協力していた。こちらもクリムトやウルスラという負傷者がいるからだ。それに、必要に駆られてのことだったとはいえ、俺は魔物よりも先に勁技けいぎで建物の屋根を破壊した。自分の尻ぬぐいは自分でしなければなるまい。


 まあ負傷者といっても、ウルスラはすでに立って歩けるくらいには回復しているのだけど。さすがに剣をとって戦うのは厳しいだろうが、補修作業にいそしむ俺の手助けをすることくらいは出来た。


 襲撃時の負傷の状態を思えば、奇跡的な回復速度といえる。



「空の血はすごいね。これ、回復薬ポーションというより万能薬エリクシール――ううん、変若水おちみずとか九転丹とか、そういった神話に出てくる薬の効果なんじゃないかな。あいにく、僕はどっちも飲んだことはないんだけど」



 そう言いながら、材木に穴をあけるきりを手渡してくるウルスラ。


 礼を言ってそれを受け取った俺は、軽く肩をすくめる。



「俺の仲間――クリムトに使っている回復薬ポーションをつくった魔術師の言葉を借りれば、俺の血は劇薬なんだそうだ。あまりにも強力すぎて、かえって病人や怪我人の状態を悪化させかねない」



 だから、いちおうは状態が落ち着いているクリムトには使わなかったのである。逆に、ウルスラは傷が深すぎて、とおりいっぺんの治療をほどこしても意味がないことは明白だった。


 傷が肩だったこともあり、止血もろくにできない。あのままでは間違いなく死んでいただろう。


 それで一か八かの賭けに出たわけだ。


 以前、ゴズたちに襲われたミロスラフにそうしたように、俺は自分で腕の肉を喰いちぎり、そこからすすったた血をウルスラの口に流し込んだ。


 ウルスラの負傷はあの時のミロスラフよりもはるかに深く、正直なところ、手遅れかと思ったのだが――あの時と違うのは俺のレベルも同様だった。あれから幾度も幻想種を喰って大幅にレベルが上がったことにより、血の効果も大幅に上がっていたらしい。


 目の前にいるウルスラがその証だった。



「もっとも、いつでも誰にでも同じくらい効くとは思えない。あの時は、運とか相性とか、そういうものも良かったんだろうさ。次も同じ結果になるとは思わないでくれよ」



 釘を刺す意味も込めてそう告げる。自分の血が万能薬の代わりになるからといって、いつでもすすんで他者を助けるつもりはない。


 昔、母さんから聞いた昔話の中に、自分の持っている宝石や毛皮を貧しい人たちに与え続け、最後には何もなくなって凍え死ぬ王子様の話があったが、俺にそんな自己犠牲の心はない。


 いつだって優先するのは他人より自分だ。身をけずって他人を救うとしても、それは俺がそうしたいと思ったときだけである。俺に対して自己犠牲を強要してくる相手が現れれば、躊躇なく心装を振るって叩き斬るだろう。


 俺の言わんとすることを察したのか、ウルスラはその場で居住まいを正し、真剣な表情で俺を見た。



「もちろん承知してる。言うまでもないことだけど、今回の一件は決して口外しない。仮に僕がこの先、大きな怪我をして命が危うくなろうとも、君の血にすがったりはしない。ウルスラ・ウトガルザの名に懸けて誓う」


「うむ、百点満点の返答だ。そういう相手なら、俺もまた助けてやろうって気になるかもな。まあ、次はしっかり対価をいただくことになるがね」



 そう言ってけらけらと軽薄に笑う。俺としては今しがたのやり取りを冗談ぽく流して、それでおしまいというつもりだったのだが、ウルスラは真剣な表情を崩さずに言葉を続けた。



「僕としては、次は、と言わずに今回も対価を要求してほしいところなんだけど。命を救ってもらったんだ、たいていのことには応じるよ? あ、もちろん言われないでもお礼はするつもりだけど、どうせなら恩人の望みに沿いたい」


「その気持ちだけ受け取っておこう。なにせ命を救ってもらったのはこっちも同じだからな。あの蔚塁うつるいという剣士の気配、俺はまったく気づけなかった。ウルスラがいなかったら、今ごろ頭と胴が分かれていただろうさ」



 敵意はなく、戦意もなく、わずかなけいすら感じさせずに室内に入り込み、振るわれたあの一刀。向こうはまろばしと呼んでいたそうだが、あの一連の流れを思い起こすと、こうしている今も背筋に寒気が走る。


 戦闘状態であれば、けいによる守りで防ぐこともできただろうが、あのときの俺はそこに至っていなかった。くわえて、向こうはけいごと斬り裂く技も持っていた。


 いくらソウルイーターに復元能力があるとはいえ、頭と胴を切り離されてしまえばおしまいである。


 俺にとってウルスラは間違いなく命の恩人だった。間違っても命を助けてやった礼に魂を喰わせろ、なんて言えない。心装込みの全力稽古に付き合ってほしい、くらいは言ってもいいような気もするが。


 ――まあ、それはさておき。


 俺は眼前のウルスラの目をじっと見る。俺と目が合うと、ウルスラは戸惑ったように目を瞬かせたのち、つつっと視線をそらしてしまった。


 これである。俺の恩人さんは先ほどから――というか、目を覚ましてからずっとなのだが、俺と話すときになかなか目を合わせてくれない。つけくわえれば、口調もちょっと早くなっている。


 これは襲撃以前のウルスラにはなかったことだった。


 理由を推測するのは難しいことではない。というか、子供でもわかるくらい簡単である。血を与えた際、俺と唇を合わせたことを気にしているのだろう。目覚めた瞬間、カガリいわく「けったいな悲鳴」を盛大にあげていたからな。


 というわけでウルスラの態度の原因はわかっているのだが、解決策となるとなかなか浮かんでこなかった。


 勝手に唇を重ねてごめんなさい、と謝るのも変な話である。あれは純然たる救命行為であり、色めいた気持ちなど欠片かけらもなかったのだから。


 かといって「川でおぼれた人間を助けたようなものだから俺は気にしていない。そちらも気にするな」と男の側から口にするのも違う気がする。以前、クラウディア・ドラグノートにまったく同じことを口にしたが、あのときは実行に移す前だったからなあ……


 とつおいつ考えた末、俺は向こうの動揺に気づかないふりをして、時間が解決するのを待つことにした。これが大人の態度というものだろう――たぶん!


 と、そのとき、視界の端に小走りで駆け寄ってくるクライアの姿が映った。ランやヤマトの姉弟と共にクリムトの面倒を見ていたはずだが、どうしたのだろう。


 そう思ってクライアに視線を転じた俺は、相手の顔に隠しきれない喜びが浮かんでいることに気づく。それだけで俺はクライアの用件を察した。今の状況でクライアが喜びをあらわにする理由などひとつしかない。



そら殿!」



 息せき切って駆け寄ってきたクライアは、喜びの表情をそのままに口をひらく。


 予想どおり、それはクリムトが目を覚ましたという知らせだった。



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