第百話 蛇
西都に到着した翌日、俺たちはさっそく案内役の鬼人と共に西都を見てまわる――前に勉強することになった。
内容は光神教についてである。
鬼界にいる人間はおしなべて光神教徒であり、中山に滞在中は俺たちも光神教徒に扮することになる。
俺たちの身元は中山王家が保証してくれるので、そうそう疑われることはないだろうが、それでも最低限の知識は持っておく必要があった。
「ハクロがおれば、あれにすべて押しつけ――もとい、任せるのだがな」
不承不承という風に俺たちの前に立ったのは王弟ドーガだった。聞けば、ドーガの弟であるハクロは光神教の司教であり、本来なら光神教について教える役目はハクロに与えられていた、とドーガは言う。
そうならなかったのは、今現在、ハクロが西都に不在であるためらしい。さすがに不在の理由については教えてくれなかったが、それはともかく、光神教について知識を深めるのは俺としても望むところだった。
これまでに耳にした光神教の知識を思い起こす。
法神教の前身になった組織。三百年前の戦いで人間を裏切り、鬼人族についた者たち。鬼ヶ島で戦ったオウケン、ベルカで遭遇したラスカリス、帝都で対面したアドアステラ皇帝など、光神教の名を口にした者は数多い。
皇帝アマデウス二世は光神教について次のように述べていた。
『龍穴より生まれ来る幻想種が、なぜ人間への敵意を抱えているのか? それは大地そのものに人間への敵意が内包されているからである――そう唱える者たちがいる。人間は空に轟く雷に神を見る生き物だ。幻想種を生み出す大地に、その者たちは神を見た』
大地を神として崇め、幻想種を神の使いとして敬い、ついには浄世――世界を浄めるという名目の下、時の権力者たちに戦いを挑んだという光神教。
その教えはいかなるものなのか。また、その教えを奉じる者たちはどんな人間なのか。
俺でなくとも興味が湧くだろうと思ってクライアたちを見ると、ふたりは光神教云々以前に、そもそも鬼界に人間がいることに驚いている様子だった。
クライアにせよ、ウルスラにせよ、若くして上位旗士に名を連ねる御剣家の精鋭である。そのふたりでも光神教の情報はまったく知らなかったようだ。青林八旗においても、鬼界に関する知識は特級の秘密事項なのだろう。
してみると、皇帝が俺に語ってくれた話は本当に秘中の秘だったことになる。鬼門を通るために認印指輪を与えてくれたことといい、アマデウス二世の厚意には頭が下がる。
そんなことを頭のすみで考えながら、俺たちはドーガから光神教について一通りのことを教わった。
話を聞く前は「幻想種を崇めよ!」だの「異教徒は殺すべし!」だのといった過激な教義がわんさか出てくるものと思っていたが、結論からいえば、そんなことはなかった。
ドーガの口から語られた教義は、殺すなかれ、盗むなかれ、あざむくなかれといった内容ばかりで、そこに邪教と誹られる要素はない。用意してもらった経典の中身も同様である。
かつて邪教として排斥された過激な教義が、三百年の間に穏やかな内容に変化したのであれば問題はないのだが……まあ、たぶん違うだろう。
おそらく一般の信徒に向けた教義と、教団上層部が知る教義が異なっているのだ。これまで見聞きしてきた光神教の情報を思い返すと、そうとしか思えない。
ここで俺はふと疑問をおぼえ、ドーガに問いを向けた。
鬼界はおぞましい瘴気が満ちており、多量の魔力を持つ心装使いさえこの地に常駐することはできない。一旗の旗士でさえ数日ごとの休養を余儀なくされている、とウルスラは話していた。
そんな場所で光神教徒たちはどうやって生活しているのだろうか。まさか信徒全員が心装使い以上の魔力を持っているわけでもあるまい。
この疑問に対する答えは「光神教徒たちは自分たちの神殿に結界を築き、信徒たちはその中で暮らしている」というものだった。
それを聞いた俺は、なるほど、とうなずく。
脳裏に浮かんだのは、ヒュドラの死毒を防ぐためにノア教皇が築こうとしている結界である。
かたや毒を防ぐ結界。かたや瘴気を防ぐ結界。光神教も法神教も元は同じ教えであったのだから、同質の術式が存在しても不思議はない。というか、実際に同じ術式なのかもしれない。普通に考えれば、瘴気も毒みたいなものだろうし。
そんなことを考えている間にもドーガの言葉は続いていた。
「鬼界の東には本殿と呼ばれる光神教の本拠地がある。神殿とは名ばかりのれっきとした街――いや、都市であるがな。光神教はその都市を丸ごと結界で覆い、蛇の瘴気が鬼界に広がることを防いでいるのだ。あの者たちがおらねば、鬼界はとうの昔に蛇の瘴毒に呑まれ、人の住めない泥土になり果てていたであろう」
そう告げた後、ドーガはやや皮肉っぽく「少なくとも、あの者たちはそう主張しておる」と付け加えた。
どうやらドーガ自身は光神教に対して含むところがありそうだが、光神教が鬼界で最も危険な場所に本拠地を構えているのは間違いないらしい。その点は十分に評価に値する、とドーガは考えているようだった。
向こうの話を聞き終えた俺はわずかに眉根を寄せて考え込む。今のドーガの話の中に気になる単語が出てきたからだ。
蛇。
その言葉を聞くのは初めてではない。昨日、アズマも同じ言葉を口にしていた。鬼界は蛇の呪いが渦巻く怨毒の地だ、と。
あのときはクリムトの話を優先したので聞き返さなかったが、アズマとドーガ、ふたりの話ぶりから察するに、鬼人族はその蛇とやらが鬼界を覆う瘴気の源であると考えているのだろう。
言うまでもないが、これは御剣家の認識と異なっている。御剣家は鬼界に満ちる力は鬼神のものであると信じている。
鬼人族が鬼神のことを蛇と呼んでいる可能性が脳裏をよぎったが、俺はすぐにその可能性を否定した。アズマは蛇の名を口にした後で「鬼神の加護を受けた鬼人族でさえ長期の単独行動は耐えがたい」と述べた。蛇の呪いが渦巻く鬼界では、鬼神の加護を受けた鬼人族でさえ自由に動けない、と言ったわけである。
鬼神と蛇を同一の存在と考えているのなら、この論法はありえない。この地を呪っているのは鬼神以外の存在である、とアズマたちが考えているのは間違いないだろう。
一つの謎に二つの答えが用意されているのなら、どちらかは間違っていることになる。
正しいのは御剣家なのか、鬼人族なのか。現時点では答えを出しようがないが、俺の中の真偽の秤は鬼人族にかたむいていた。別段、深い考えがあってのことではない。御剣家を信じる理由も根拠もないだけである。
そして、鬼人族が正しいと仮定すると、当然のように「蛇とは何ぞや」という疑問が湧きあがってくる。
おそらくこれは三百年前の真相に関わってくる内容だ。そう直感した俺はつとめてさりげなくドーガに声をかけた。
「蛇、か。鬼人族はアレをそう呼んでいるんだな」
正面から蛇について問えば、こちらの無知をさらすことになる。そのため、少し小細工を弄したのだが、幸いドーガには気づかれなかったようだ。中山の王弟は重々しい声音で応じた。
「いかにも。かつて我らの始祖が身命を賭して戦った幻想種の王。彼の蛇は今なお世界を洗い浄めんとして、東の地でとぐろを巻いておる。わしは人間を好かぬが、三百年前に蛇を封じた光神教の聖女には敬意を払っておるのだ」
ドーガはそう言うと、何でもないことのようにその聖女の名を口にした。
実際、ドーガにとっては何ということもない話だったのだろう。だが、伝えられた聖女の名は俺にとって無視できない響きを帯びていた。
すなわち、ドーガはこう言ったのである。
――蛇を封じた聖女の名はソフィア
――ソフィア・アズライト