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第九十六話 アズマとの出会い


 ――なんだ?


 何の前触れもなく視界が闇に閉ざされ、あたりが静寂に包まれる。とっさにあげようとした疑問の声さえ眼前の闇に呑み込まれた。


 俺は周囲に警戒の視線を向けるが、やはり何も見えない。聞こえない。ソウルイーターを握っている手の感触さえ失われている。


 かつて遭遇したことのない異変であり、感じたことのない異常。こんなものが自然現象であるはずはない。何かの術式か、勁技けいぎか、いずれにせよ人為的なものに違いない。そう判断した俺はけいを湧かせて相手の技を払おうとした。


 だが、それもできない。俺は眉根を寄せて――いや、寄せようとして、その感覚さえ感じられないことにかすかな畏れを抱きつつ、異変の正体を探ろうとした。


 寸前まで戦っていたドーガの奥の手、以前ゴズが使っていた空装のたぐいかとも思ったが、こんな技を使えるならもっと早くに出しているだろう。なにより、これがドーガの仕業だとしたら、こんな悠長にあれこれ考えている時間があるわけはない。俺はとっくの昔に身体を砕き割られて、死んでいなければおかしいのだ。


 必然的に、これはドーガの仕業ではない、ということになる。


 実は俺はすでに死んでいて、今いるのは死後の世界である。そんな可能性もなきにしもあらずだ。これなら何も見えず、聞こえず、触れず、喋れない説明もつく。


 ただ、それは違うという確信が胸の中にあった。五感のすべては失われたが、それでも自分が生きているという感覚はしっかり残っている。むしろ、余計なものがそぎ落とされた分、いつもより鮮明に己を感じることができた。


 ――虚空こくうに浮かぶ漆黒の竜が、不満そうに唸り声をあげている。


 不満の源はせっかくの戦いを強制的に中断されたことだ。同時に、あの程度の敵を――空装を出してもいない敵を圧倒することができなかった己への不満でもある。


 こんなことでは駄目だ。こんなことではいけない。


 もっと戦わなければ。もっと喰わなければ。そうしなければ、自分はいつまでたってもあの白峰の頂きに足をかけることができない……!


 焦燥と渇望が混ざり合った思考は同源存在ソウルイーターのものではない。それは俺の、御剣空の思考だ。


 それを自覚した途端、胸の奥から激しい戦意が湧きおこる。


 こんなところでグズグズしている暇はない。これが術式であれ、勁技けいぎであれ、やられっぱなしでいいはずがない。


 剣聖ならば、きっとこの程度は歯牙にもかけずに斬り破る。そもそもこんな技にとらわれることさえなかったに違いない。


 それに比べたら、己のなんと未熟なことか。頂きへの道はいまだに遠い。


 その認識は、しかし、湧き立った戦意に水を差すことはなかった。むしろ、より戦意をより激しく燃え立たせるまきとなった。


 この程度の苦境を自力で切り抜けることができない人間が、どうして剣聖と対峙できるものか。その決意に促されるまま、俺が全力でけいを展開しようとしたときだった。



「…………っ!?」



 不意に視界がまばゆく輝き、周囲が色彩を取り戻していく。気がつけば、草ひとつ生えていない荒野があたり一面に広がっていた。


 何かが爆発したように地面がえぐれている箇所がそこかしこに見て取れる。どうやら相当に危険な魔獣が棲息している地帯らしい。少しぼやけた意識でそう考えたとき、いきなり膝ががくりと折れた。


 慌てて踏ん張ろうとしたが、まったくといっていいほど足に力が入らない。とっさに手をつこうとしたが、こちらもまったく動かない。結果、俺はそのまま顔から地面に落ち、砂礫されきの荒野と接吻せっぷんする羽目になった。


 不幸中の幸いというべきか、その痛みと衝撃ではっきりと意識が覚醒した俺は、自分がドーガと戦っていたことを思い出し、すぐに立ち上がろうとする。


 だが、やはり身体に力が入らなかった。手も、足も、指の一本すら己の意思どおりに動いてくれない。まずいと思って声を出そうとしたが、口からもれたのは少量の空気とよだれだけだった。どうやら長時間にわたって身体を酷使したツケが、一気にまわってきたらしい。


 それを自覚した途端、反動が襲ってくる。そのすさまじい激痛を強いてたとえるなら、全身の肉という肉、臓腑という臓腑を雑巾のようにきつくしぼられたようだった。口がまともに動けば大声をあげていたに違いない。それくらい激しい痛みだった。



「……! …………ッ!」



 大声で苦痛をまぎらわすこともできず、身体を動かして痛みを散らすこともできない。


 これではドーガどころか一兵卒が相手でも太刀打ちできないと考え、ひそかに焦っていると、強い響きで俺の名を呼ぶ声が聞こえてきた。



そら殿! ご無事ですか!?」



 ザッと土を蹴る音がして、高速歩法を使ったクライア・ベルヒが俺のすぐ近くにあらわれる。


 無事ですか、という問いに答えることはできなかったが、クライアは俺の顔を見て事態の急を悟ったらしい。厳しい顔つきで懐に手を差し込むと、いざという時のために渡しておいた『血煙ちけむりの剣』の回復薬ポーションを取り出す。


 そして回復薬ポーションを一息で口に含んだクライアは、ためらう色も見せずに倒れている俺に顔を寄せると、そのまま唇を重ねてきた。


 ――熱を帯びているのに、どこかひんやりとした感触が唇を覆う。わずかに遅れて、口内を生暖かい液体が満たしていった。


 回復薬ポーション自体はこれまで何度も飲んだことがあるが、いま飲んでいる回復薬ポーションは以前のものより不思議と甘く感じられる。


 ただ、俺は口に力が入らないため、うまく回復薬ポーション嚥下えんかすることができなかった。そのため、唇の端から回復薬ポーションがあふれてしまいそうになる。


 それを察したクライアは、より強く唇を押しつけることで回復薬ポーションがこぼれるのを防ぐと、右手を俺の頭に、左手を俺の背中にそれぞれ回し、上半身を持ち上げて俺が回復薬ポーションを嚥下しやすい姿勢をとる。


 そして、その姿勢のまま、少しずつ、ゆっくりと回復薬ポーションを喉の奥に流し込んできた。


 『血煙ちけむりの剣』の回復薬ポーションが強力なのは、俺が提供した竜の血を混ぜているからである。したがって、俺自身にはあまり効果は出ないのだが、それでも元になった回復薬ポーション分は確実に効く。


 俺が全部の回復薬ポーションを飲んだと判断したクライアが唇を離す。俺はといえば、ようやく動かせるようになった口でクライアに礼を述べた。



「ふう……助かった、礼をいう」



 普段であれば直前の行為について触れるところだが、今はそんなことをしている暇はない。


 俺は今なお動きが鈍い手足を叱咤しながら、何とか起き上がろうとする。クライアはそんな俺にすぐさま手を貸し、心配そうにたずねてきた。



「大丈夫、なのですか?」


「あまり大丈夫ではないが、いつまでも寝っ転がっているわけにはいかないからな」



 そういって俺が視線を向けた先にはドーガが立っていた。そして、そのドーガを支えるようにして長身の鬼人が立っている。俺にとっては初めて見る顔だった。


 長衣越しに見て取れるたくましい身体つきといい、悠揚迫らぬ態度といい、見る者に只者ただものではないと感じさせる風格の持ち主である。


 どうやらドーガもドーガで俺に負けず劣らず消耗しているようで、新たに現れた鬼人の肩を借りている。すぐに襲いかかってこなかったところを見ても、その消耗は見せかけではないだろう。


 ただ、新たに現れた鬼人は当然ながら無傷であるし、他にも武将らしき数人の鬼人の姿も見て取れた。


 今のところはウルスラが鬼人たちを牽制してくれているが、あの長衣の鬼人が号令をかければ、鬼人たちは一斉に躍りかかってくるに違いない。ウルスラとクライアは最悪でも逃げることくらいはできるだろうが、俺はそれさえ難しい。まさかクライアに俺を背負いながら戦えとは言えない。


 ここは退くか。


 俺はそう考えたが、へたに退けば、かえって敵の攻撃を誘発してしまうかもしれない。その恐れが決断をためらわせた。


 今、膠着こうちゃく状態を維持することができているのは、鬼人の側も俺たちを警戒しているからだ。砦からの増援が来るかもしれない、とも考えているだろう。


 鬼人たちは俺と御剣家の関係を知らないから、そういう誤解も成り立つのである。ここで退いてしまえば、それが誤解であることを鬼人に教えることになりかねない。



「空、どうする? なんなら僕ひとりでかき回してくるけど」



 俺とクライアの前に立っていたウルスラが、緊張した風もなくそんな声を投げかけてくる。蹴散らしてくる、といわないのは彼我の戦力差を考慮した結果だろう。


 逆にいえば、ウルスラは単身で敵に斬りこみ、かき回して、俺とクライアが退く時間を稼ぐことは十分に可能だ、と判断したことになる。


 俺がそれに答えようとしたとき、鬼人たちが動いた。先に述べた長衣の鬼人が武器も持たずに進み出てくる。


 それを見たクライアが短く、だが、鋭く、警告を発した。



そら殿、お気をつけください。先の状態異常をもたらしたのはあの鬼人です」



 ドーガとの戦闘に夢中でそのことに気づかなかった俺は、戦闘にのめり込み過ぎたことを反省しつつ、わずかに右の眉をあげた。


 今の言葉を聞くかぎり、クライアも俺と同じ異常に襲われたらしい。



「お前も食らったのか。だとしたら、どうして俺たちはまだ生きて――ああ、対象を選べないのか」



 あの鬼人が意図的に敵の五感を奪えるのなら、俺たちはとっくに斬られているはずだ。それをしなかったということは、鬼人の技は無差別に周囲を巻き込むタイプなのだろう。


 ようするに鬼人たちもさっきの状態異常にかかっていたのだ。おそらくは技を使った当人も例外ではあるまい。もし当人が動けたなら、やはり俺たちは斬られていなければおかしいからである。


 そう考えると、さっきの五感剥奪は攻撃のための手段ではなく、強制的に引き分けに持ち込む手段なのだろう。長衣の鬼人は俺とドーガの戦いを止め、仕切り直しをしたかったのだと思われる。


 いったい何のために。そんな疑問と興味を込めて俺が見つめる先で、長衣の鬼人はゆっくりと口をひらいた。



「私の名はアズマ、中山の国王を務める者だ。そら殿、少しそなたと話をしたい」



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