第八十八話 方相氏
大興山の一党に入り込んでからというもの、クリムトはこれまで知らなかった多くの情報を手に入れた。
中でも重要なのは光神教の存在である。鬼人族からも崇敬の念を寄せられる宗教組織。その構成員の多くは、三百年前の戦いで鬼人たちに味方した人間の末裔であるという。
鬼界の中に御剣家以外の人間がいることさえ、クリムトにとっては初耳だった。当然、光神教などという組織は聞いたことがない。ましてや、光神教が抱える実戦部隊の存在など知るはずもなかった。
その実戦部隊が方相氏である。
振斗の語るところによれば、方相氏はもともと魔よけ、厄払いを任とする者たちの集団であり、長きにわたって人々を魑魅魍魎から守り続けてきたのだという。
儀式として悪霊祓いや疫病退散をおこなうだけではない。方相氏の役割の中には、実際に地にはびこる魔物や妖魔を討つことも含まれる。
四ツ目の鬼面をかぶり、人の世にあだなす悪鬼を討ち払う滅鬼の士。それが方相氏。
だが、方相氏によって守られていた人々は、いつしか悪鬼だけでなく、悪鬼を討つ方相氏をも恐れるようになっていく。悪鬼も妖魔も恐ろしい。だが、その恐ろしい者たちを当たり前のように滅ぼしていく者たちは何者なのか。彼らの方が悪鬼よりもずっと恐ろしい存在なのではないか、と。
人の世を守るために鬼面をかぶって戦った者たちは、いつしか自分たちが鬼として忌み嫌われ、排斥されていった。人々のために、と懸命に戦い続けてきた方相氏にしてみれば、とうてい容認できることではなかっただろう。
時あたかも三百年前の旧時代。
浄世の理を掲げて既存の秩序、既存の権力に戦いを挑んだ光神教と、人々に裏切られて逼塞していた方相氏が結びつくのは必然であった……
そんなことを振斗が長々と語ったのは、クリムトが大興山にやってきて間もなくのころである。
クリムトにしてみれば、どれもこれも初耳のことばかりで、聞いたことの半分も理解できなかった。自分たち御剣家が、その方相氏とやらの末端であるといわれたところで寝言にしかきこえない。
そんなクリムトの態度に己に対する侮蔑を見た振斗は、自分たち方相氏が御剣家の上にいるという事実を教えてやる、といって腰の刀を抜いた――今と同じように。
ギラリと凶悪な輝きを放つ振斗の刀を見据えつつ、クリムトはあえて呆れ声を放つ。
「光神教徒同士が、こんな場所で刃を交えているところを見られたらまずいんじゃないのか?」
「ふん、これは稽古よ。礼儀をわきまえぬ小僧っこは痛い目を見ないと己の立場を理解せぬ。安心しろ、この前と同じように臓腑は貫かぬよう加減してやろう」
言うや、振斗は刺突の構えをとり、刀の切っ先をクリムトに向けた。以前に戦ったときと同じ構えであり、すでに一度、クリムトはこの技で身体をえぐられている。
顔を強張らせるクリムトを見て、振斗は心地よさそうに笑う。
「物覚えのわるい貴様でも、さすがに忘れていないようだな。方相氏に連なる者のみに伝えられる剣技 儺儺式である。本来、御剣も同じ儺儺式を使っていたのだがな、貴様らの先祖はせっかくの絶技に鬼人の剣を混ぜ合わせ、幻想一刀流などという愚にもつかない流派を立ち上げおった」
なにが滅鬼封神の剣か、と振斗は吐き捨てる。
明らかな苛立ちを見せる振斗を見て、自分の挑発が成功したことを確信したクリムトは内心でほくそえむ。
はじめて会ったときからそうなのだが、振斗からは御剣家や幻想一刀流に対する根強い反感が感じられる。それがどのような理由によるものなのかは分からないが、劣等感にも似たその反発心をつついてやれば、振斗は面白いように情報を吐き出してくれる。
これを活用しない手はない、とクリムトは考えていた。あえて反抗的な態度をとって相手の嗜虐心をあおったり、あるいは顔を強張らせて優越感をあおったり、そんな七面倒な芝居をするのも我慢できる。
そんなクリムトの内心を知る由もなく、振斗はせわしなく口を動かし続ける。
「幻想一刀流というのはな、クルト。方相氏の滅鬼の剣も、鬼人族の封神の剣も極められなかった未熟者が、易きに流れて創始した半端者の剣だ。貴様らが頼りにする心装も、儺儺式を極めた私には通じぬ。そのことは以前に身体を貫かれたおり、貴様も思い知ったであろう?」
「……」
「返す言葉もないか。どうだ、今すぐ膝をついて許しを乞えば、かつての同胞として慈悲を与えてやらぬでもないぞ、青林旗士――ぬ?」
不意に振斗が言葉をとめて周囲を見る。山塞のそこかしこで警鐘が鳴り始めたのだ。
「中山軍が来たにしては早すぎる。また魔物どもか」
振斗は、ち、と舌打ちすると構えを解き、刀を鞘におさめて踵を返した。そうして、クリムトに背を向けたまま声だけで命令を伝えてくる。
「早くヤマト様のもとに戻れ、クルト。崋山の軍勢がこの体たらくでは、あの小僧の利用価値は無きに等しいが、それでも今日まで費やした資金分くらいは働いてもらわねばならん。こんなところで犬死されては丸損だ」
「崋山の兵に聞かれたらどうするつもりだ?」
「かまわんよ。どうせ連中も同じようなことを考えているに違いないからな」
ははは、と軽薄な笑いを残して振斗は立ち去っていく。その背を見送ったクリムトは、ぺ、と地面につばを吐いた。
「情報を引き出すためとはいえ、忌々しいことだ。俺が本気でお前ごときにしてやられたと思っているのか」
たしかにクリムトは以前、振斗の剣で傷を負っている。だが、それは体内に巣食う義父の心装を、振斗の剣を借りて取りのぞくためだった。断じて、実力で後れをとったからではない。
ギルモアの心装 神虫は標的の体内にひそみ、使い手の意思によって臓腑を噛み裂くことも、あるいは爆発させることもできる。そのことをクリムトは知っていた。ギルモア自らが、養子たちに向かって見せつけたからである。
一方で、神虫には標的の思考を読む、音を聞く、視界を盗む、といった能力はない。ギルモアにわかるのは神虫の居場所だけである――そういうことになっている。
だが、あの用心深いギルモアが、自分の心装の能力をすべて明かすとは思えない。さすがに思考を読むことまではできまいが、声や音はギルモアに届いていると考えておくべきだ。勘ぐりすぎだとしても、用心に越したことはない。
可能であれば、すぐにも神虫を取り出してしまうべきだろう。鬼界に入った時点でクリムトはそのことを考えた。
しかし、神虫の能力次第では、クリムトが自分の意思で心装をほじくりだしたことはすぐギルモアに伝わってしまう。そうなればクリムトの叛意は明白だ。島に残った姉がどのような目にあわされるか分かったものではない。
だからこそ、クリムトは振斗を利用したのである。ついでに、振斗に自分を侮らせて情報源にしようという魂胆もあった。
今のところ、事態はクリムトの思惑どおりに進んでいる。
問題があるとすれば、大興山の崋山軍が今日明日に崩壊してもおかしくないほど脆弱であること。そして、クリムトの忍耐力がいつ限界を迎えるかわからないことであった。
「あいつが姿隠しの神器を持っていれば話は早かったんだがな」
できればふたつ――自分と姉の分を。それなら情報を引き出すなどという迂遠な真似をする必要はない。即座に振斗を斬り殺して神器を奪い、鬼ヶ島に取って返したのに。
そんなことを考えながら、クリムトはヤマトたちのもとに足を向けた。
恒例の書籍発売更新。
感想欄や活動報告のコメントで予約、購入の報告をしてくださった皆様、ありがとうございます。
現在、次巻執筆の佳境に入っておりまして、次話の更新は月をまたいでしまうと思います。
申し訳ありませんがご了承くださいませm(__)m