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第八十五話 鬼人最強


 毅然きぜんとした立ち姿は城壁のように揺るぎなく、凛然りんぜんたる武者ぶりは威風あたりを払う。


 此方こなたを見据える眼差しは烈々(れつれつ)たる威に満ちて、立ちふさがる敵を蹂躙せんとの意志が言葉によらず伝わってきた。


 無数の針で全身を刺されるような重圧プレッシャー。向き合っているだけで額に汗がにじみ出し、心装の柄を握る手に力がこもる。


 ドーガと名乗った中山の王弟は圧倒的なまでの風格を感じさせる偉丈夫だった。武神、という言葉がごく自然に脳裏に思い浮かぶ。


 以前に出会ったカガリという王弟もかなりの実力者だったが、ドーガからはあの少年以上の力が感じられる。


 気がつけば、俺は奥歯を強く噛みしめていた。相手に気圧けおされまいとする無意識の動作だが、気圧されまいとしている時点で、少なからず気圧されてしまっているのは否定できない。


 実際、俺はこの相手を強いと感じていた。もっといえば、怖いと感じていた。


 実力において劣るとは思わない。現に単純な勁量けいりょうでは俺が優っている。俺は心装を抜いており、向こうは抜いていないのだから当然といえば当然なのだが、向こうが心装を抜いたとしても互角以上にわたりあえる自信はあった。


 にもかかわらず、俺がこの相手を怖いと感じる理由は、静かすぎるほど静かなドーガのけいにある。


 俺のけいが荒れ狂う洪水だとすれば、ドーガのそれは悠々と山野を流れる大河の流れだ。


 極限まで研ぎ澄まされ、練りあげられ、磨きぬかれたゆえに、荒ぶることなく、激することなく、ただ静かにドーガの身体をめぐり続けている。ともすれば穏やかささえ感じる清流のごときけいに、ぞっとするほどの迫力を感じる。


 この感覚にはいやというほど覚えがあった。脳裏に浮かんだのは父たる剣聖の姿。


 今、目の前に立っている相手は過去に戦ったどの敵よりも強い。剣聖に匹敵するとはいわないが、それに迫る実力の持ち主であろう。


 ――そう悟った瞬間、俺は無意識のうちに口角を吊りあげていた。


 心装を会得してからこちら、俺は人と魔物とを問わず多くの敵と戦い、勝利してきた。そして、それらの勝利は同源存在アニマたるソウルイーターの力によるものだった。


 異なる表現を用いれば、勝ったのはソウルイーターであって俺ではない、とも言える。


 別段、そのことに引け目をおぼえたことはない。同源存在アニマを御することも実力の一部であり、俺はこれからもためらいなく心装を振るって敵を倒すだろう。


 ただ、懸念はあった。


 このままソウルイーターの力に頼った戦い方を続けていけば、遠くない将来、俺の成長は行き詰まってしまう、と。


 実際、すでに幻想種以外への魂喰いはほとんどレベルアップに寄与しなくなっている。必要な魂の量が膨大すぎて、どれだけ喰っても足りないのだ。ちりも積もれば山となる、との格言もあることから、今後も魂喰いは続けていくつもりだが、これまでのような成長速度は望むべくもないだろう。


 であれば、次に求めるべきはレベル以外の強さである。


 過日、人質にしたクライア相手に稽古を繰り返し、技術を練り直した理由のひとつはこれだった。クライアが去ってからは、同格の稽古相手を求めてウィステリアを助けたりもした。


 それでも懸念は一向に晴れない。


 いまだ心装を会得していないウィステリアはもちろんのこと、青林旗士であるクライアも全力の俺の相手をするには力不足だったからである。


 そのため、稽古においては心装や勁技けいぎを封じることで調整をはかったのだが――本音をいえば、常に物足りなさを感じていた。


 同源存在アニマの力はソウルイーターと同格以上。戦士としての実力は俺以上。そういう相手との戦いこそ俺が望んでやまないものだった。そういう相手としのぎを削ることで、はじめてレベルによらない実力をみがくことができるはずだった。


 ――その相手が目の前にいる。


 それは口角だって吊りあがろうというものだ。この相手に出会えただけで鬼界に来た甲斐はあったとさえ思う。クリムトの身を案じているクライアには口が裂けても言えないことだが。


 俺の表情に気がついたのだろう、視線の先でドーガが怪訝けげんそうに眉をひそめている。あるいは、俺のことを戦陣の名乗りに応じない無礼者だと思ったのかもしれない。


 ここで俺は遅まきながら相手の問いを無視している自分に気がついた。


 敵として憎まれるのは一向にかまわないが、無礼者としてさげすまれるのはよろしくない。内心で慌てつつ口をひらく。



「俺の名前はそらだ。同胞の腕輪というのはこれのことか?」



 スズメからもらったあしの腕輪に軽く触れると、ドーガは鷹揚おうようにうなずいた。



「いかにも。それは鬼人族に伝わる伝統の品。贈った相手にさち多かれと願う祈りの腕輪である」



 ドーガはそう言うと、じっと俺の顔を見る。



「門番どもの剣技を振るい、同胞の腕輪を身につけた黒髪の戦士、名前はそら。カガリから聞いてはいたが――なるほど、あれがしきりに気にかけていたのもうなずける。猛々(たけだけ)しきこと嵐のごとく、禍々(まがまが)しきこと天魔のごとし。いったいいかなる同源存在アニマを宿せば、人の身でそこまで凶猛な気を発することができるのか」



 その言葉には俺への強い警戒がにじんでいた。俺がドーガを怖いと感じたように、ドーガもまた俺に対しておそれを抱いていたのかもしれない。


 俺とドーガ、双方の視線が空中で激突し、見えない火花を散らす。


 心装を抜いた状態で陣に近づいた時点でこちらの戦意は明白である。くわえて、ドーガはカガリの報告で俺がオウケンや鬼神を斬ったことも知っているはず。


 俺は中山にとって敵以外の何者でもない。そのことを知ったドーガはすぐにも斬りかかってくるものと思われたが、中山の王弟はこの時点ではまだ動かなかった。


 その理由を、ドーガは己の口で語る。



「空よ、本来(やいば)をもって我が軍に近づいた時点で、わしらに戦う以外の選択肢はない。だが、鬼人に対して名乗ったなんじの礼と、汝の無事を願いし外の同胞に免じて、一度だけ話を聞こう。汝の目的は何か。はじめは門番どもの尖兵せんぺいかとも思うたが、こうしている今も砦に動きはない。汝には門番どもとは異なる目的がある、とわしはみておるのだが」


「たしかに俺は独自に動いている。目的は門に攻め込んできた鬼人の指揮官を捕らえることだ」


「ほう」



 ぎょろり、と巨眼をいてドーガが俺をにらみすえる。



「それはわしを捕らえるということだが、捕らえてそれで終わりではあるまい。その後はどうする」


「捕虜を足がかりにアズマという鬼人の王と会い、話を聞く。そちらに知り合いがお邪魔していないか、とな」


「つまりは人捜しが目的か。知り合いといって、只人ただびとが門を越えて鬼界に来るはずもなし。察するに、なにがしかの使命を帯びて中山領に潜入した門番がいたのであろう。その者が消息を絶ったゆえ、汝らが捜しに来た」



 いかにも力自慢の戦士然とした外見とは裏腹に、ドーガは頭の方もかなり回るようだった。別に見抜かれて困ることではないし、少し考えれば誰でも思いつくことではあるのだが、俺の話を聞くや、ほとんどノータイムで真相に到達するのは誰でもできることではないだろう。


 俺は相手の推測に否とも応とも答えず、言葉を続けた。



「以上が俺の目的だが、そういう人間を知っているか?」


「知らぬ。知っていても言うつもりはない」



 ドーガは素気なく応じる。


 その声音にはこれまでなかったものが混入しはじめていた。



「その者の使命が何であったのかは知らぬ。だが、門番どもの狙いが中山に益するものであろうはずもない。我が国に害なす鼠賊そぞくは、見つけ次第討ち果たすのみである。鼠賊そぞくを助け、逃がさんとする者もまた同じ」



 直後、ダン! とその場に大きく響き渡ったのは、ドーガが巨大な足を踏み出した音だった。


 戦意が突風となって顔に吹きつけてくる。背後でクライアとウルスラが剣を構えたのがわかった。


 俺はとっさに左手を振って、手出し無用であるとふたりに伝える。この相手とは是が非でも一対一で戦いたいと思ったからだが、同時に、ふたりにこの王弟の相手をさせるのはまずい、と感じたからでもあった。


 その俺の動きをどう見たのか、ドーガは悠然とした態度を崩さず、覇気に満ちた言葉で戦闘の開始を告げた。



「汝相手に出し惜しみは下策であろう。全力で行かせてもらうぞ――心装しんそう励起れいき!」



 えるような声と共にドーガのけいが爆発的に膨れあがる。


 息が詰まるような圧迫感。震える身体は雄敵を前にした恐怖のためか、喜びのためか、自分自身でもよくわからない。


 わからないままに強く強く心装の柄を握りしめる俺の耳に、同源存在アニマの名を呼ぶドーガの声が轟いた。



 ――善悪()べて蹂躙じゅうりんせよ、窮奇きゅうき




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