第八十一話 中山の四兄弟(四)
ハクロの懸念を聞いたドーガは腕を組んで大きくうなる。
「崋山と門番か。ありえぬ、と言いたいところだが――捨て鉢になった者は何をするかわからぬ。中山憎しのあまり、彼奴らと手を組むこともないとは言えぬな」
「でもハクロ兄、門番たちがどうやって崋山と接触するんだ? あいつらがそこまで俺たちの事情に通じているとは思えないぞ」
このカガリの疑問に、ハクロは淡々と応じる。
「私たちの身近に鬼界の事情に通じた人間たちがいるでしょう、カガリ。私は彼らが崋山と門番の仲立ちをした可能性を考えています」
「――ハクロ兄は光神教を疑っているのか?」
驚いたようにカガリが目をみはる。
カガリ自身、先の戦いで光神教徒であったオウケンの言動を目の当たりにして、光神教に対する疑念を深めてはいた。
だが、人間に対するオウケンの憎悪は本物であり、門番との戦いにも手心は加えていなかったと断言できる。光神教が門番と通じているのなら、オウケンに対して殺傷を控えるよう指示が出ているのではないか、とカガリは思うのだ。
そのことを指摘すると、ハクロは落ち着いた面持ちで応じた。
「もっともな疑問です。ですが、カガリ。オウケンは死ぬ間際に叫んだのでしょう? 『あれほどの使い手、無名のはずがない。この私を謀るとはやはり人間は信用ならぬ』と」
「ああ、たしかに言っていたけど、あれは空のやつに致命傷を負わされた後だったからなあ。正気の言かどうかもあやしいぞ」
「たとえ正気ではなかったにせよ、何の下地もなしに出てくる言葉ではありません。光神教の老人たちか、それとも現地で接触した者かは知りませんが、誰かがオウケンに彼の地の情報を伝えたのは間違いないでしょう」
前者であれば、光神教は独自に門の外の情報を入手できる手づるがあるということだ。後者であってもそれはかわらない。光神教に通じ、光神教徒であるオウケンにひそかに情報を渡す人間が門番の中にいるのである。そうでなければオウケンの言は成り立たない。
この事実は、光神教と門番が通謀しているのではないか、というハクロの疑いを肯定するものだった。
それを聞いたカガリはむむっとうなる。
「ハクロ兄はいちおう光神教の司教なんだから、何か知らないのか?」
ハクロは門に侵入できる光神教の神器の存在を知りながら、兄弟にも隠していたという前科がある。
それを思ってたずねるカガリに対し、ハクロは肩をすくめて応じた。
「たしかに私は司教として教団の枢機に参画していますが、それも中山領内にかぎってのこと。彼らにとって本当に重要なところには触れさせてもらえません。実際、本殿に行けば、いまだに案内役という名の監視がついてくるくらいです」
今でこそ優れた武人として一目も二目も置かれているハクロだが、幼少時は身体が弱く、成人(十三歳)してからもアズマやドーガのように戦場に立つことはできなかった。料理をおぼえたのは、戦えない自分が兄弟たちのためにできることは何なのか、と懸命に考えてのことである。
光神教に入信したのもこれに重なる。自分が教団内部で地位を得ることができれば、光神教の影響力を中山のために使うことができる。光神教の教義には何の関心もなかった。
そんなハクロにとって、先の戦いでカガリが持ち帰った情報はとうてい座視できるものではなかった。
もとより光神教が清浄無垢な宗教団体だ、などとは思っていない。カガリに対し、オウケンの動向に注意せよと伝えたのはそのあらわれである。
ただ、光神教の抱えている闇はハクロの予想よりもはるかに巨大であるようだ。事によったら、門番たちと戦う前に光神教の秘部を暴いておくべきかもしれぬ。
ハクロが内心でそんなことを考えていると、それまで黙って弟たちの話を聞いていたアズマが、ここで口をひらいた。
「光神教を信奉している者は兵と民とを問わず数が多い。探るにしても慎重におこなう必要があるだろう。ハクロ、ひとりで無理をしてはならんぞ」
「御意にございます、長兄」
「かなうならば、今は人間との戦いに集中したいのだがな。物事はなかなか思うように運ばぬ。ところで、カガリよ」
不意に兄に名を呼ばれたカガリは怪訝そうに応じた。
「なんだい、アズマ兄?」
「今しがた、そなたが口にした空という人間。そなたの話によれば鬼人族に伝わる腕輪を身につけていたとのことだが、彼は崋山なり光神教なりとつながりがあると思うか?」
鬼人族の腕輪を持ちながら裏切り者の剣技を使い、オウケンを斬り、不完全なりとはいえイサギが降ろした鬼神を葬った人間。カガリは報告の中で要注意人物として五人の人間をあげていたが、その中でもっとも得体の知れない存在が空だった。
光神教徒であるオウケンを斬り、さらには崋山の将であるイサギをも斬っている以上、直接的なつながりがあるとは思えない。ただ、今のように錯綜した事態を解き明かすためには、一番疑わしい人物から当たっていくのが常道であろう、とアズマは考えたのである。
実際に対峙したカガリの意見を聞くことで、新たに見えてくるものもあるかもしれない、という思いもあった。
この兄の問いかけに対し、カガリはあっさりと応じる。
「いやあ、ないと思うぞ、アズマ兄。オウケンやイサギを斬ったこともそうだけど、それ以前にあいつはそういう面倒くさいことはしないと思う。俺の勘だけどな」
「ふむ。それでは逆に、その者を我らの側に引き込むことはできると思うか?」
その言葉に反応したのはカガリひとりではなかった。兄者、長兄、アズマ兄、という三種の呼びかけが同時になされ、アズマの耳朶を揺さぶる。
三人の弟たちは素早く目くばせをかわしあい、ややあって三人の疑問を代表する形でドーガが口をひらいた。
「兄者、今のお言葉はいかなる意図があってのことでございましょうや。空なる者がどれほどの強者であれ、人間には違いありませぬ。人間を味方につけるような真似をすれば、臣民の不満はたちまち沖天に達してしまいましょう」
「わかっている、ドーガ。だが、先ほどのハクロの話ではないが、中山としても門の外の情報を手に入れる手づるがあるなら確保しておきたい。外の同胞の様子を知ることができるなら尚更だ。そうは思わないか」
「それはたしかに、あって困るものではありませぬが……」
めずらしく何かを言いよどむドーガをみて、アズマは相手の懸念を払拭するように笑った。
「案ぜずとも、今の時点で人間と和を講ずるような真似はせぬよ、ドーガ。ハクロとカガリも聞いてくれ。門は取り返す。これは我ら中山にとって大前提だ。この前提を違えるような真似は決してせぬ」
そのアズマの言葉に三人の弟たちは力強くうなずいた。
覇気に満ちた弟たちの顔を満足そうに見やったアズマは、ここでわずかに語調を緩める。
「だが、門を取り返してそれで終わりではない。そこからが始まりなのだ。鬼人族が鬼界に幽閉されて三百年。その間、人間たちは豊かな外の世界で繁栄し、おおいに数を増やしていよう。そのすべてを殺し尽くすまで戦うつもりは、私にはない。私が望むのは中山と鬼人族の繁栄であって、人間の血肉をすすり続けることではないからだ」
この言葉にも弟たちはうなずいた。ただ、多少うなずく速さにばらつきがあったのは、それぞれに思うところがあったからであろう。
アズマの言葉はさらに続く。
「むろん、門を奪われた人間たちは躍起になって反撃してくるだろう。こちらが戦いを望まずとも、否応なしに戦いは続いていくに違いない。この連鎖を止めるためには、どこかで人間と話し合わねばならぬ。刃ではなく言葉で向き合わねばならぬ。そのための手づるを今から用意しておくことは、悪いことではないと私は考えている」
「……アズマ兄は空のやつにその役割を期待しているのか?」
「期待。そうだな、期待している。門番の技を振るいながら、鬼人族とも友誼を持つ。そんな人間がそうそういるとも思えぬゆえ」
物柔らかでありながら、深みを感じさせる兄の声。その声に打たれたように、弟たちは一斉に頭を垂れた。
人間に対する感情はそれぞれに異なるが、それは兄への敬意を上回るものではない。中山はこれまでアズマの言葉に沿って歩んできた。そして、それはこれからもかわらない。期せずして、三人は同じ思いを胸に刻んだのである。
その後も四兄弟の話し合いは続いた。
その結果、大興山には先ほどの決定どおりカガリが向かうことになり、門には引き続きドーガが当たることになった。アズマは西都に腰を据えつつ、いざとなったら大興山と門、双方の後詰として動けるよう準備を整えておく。そして、ハクロは光神教の本殿におもむいて教団にさぐりを入れることになった。
それらのことが決定すると、ドーガは巨体を動かして兄に向き直る。
「それでは兄者、それがしは一足先に陣へ戻らせていただきます。門番たちは砦を守るばかりで打って出る気配はありませなんだが、それがいつまでも続くとはかぎりませぬゆえ」
「そうだな。とんぼ返りさせることになって申し訳ないが、門のおさえをよろしく頼む」
「安んじてお任せあれ」
兄に一礼したドーガは、視線をふたりの弟に向けた。
「ハクロ、カガリ、ふたりとも身体をいとい、務めに励めよ」
「かしこまりました、次兄」
「すぐに大興山の残党を片付けて戻るから、それまで頼んだぜ、ドーガ兄」
弟たちの返事にうなずきを返すと、ドーガは立ち上がってアズマの執務室を後にする。
かくて四兄弟はそれぞれの役割を帯びて動き出したのである。