第八十話 中山の四兄弟(三)
――中山に降伏した崋山兵の一部が、亡きギエン王の遺児を旗頭として反旗をひるがえした。
ハクロからそのことを聞いたドーガは、怪訝そうに首をかしげた。
「今遺児といったか? ギエン王の男児は先の戦で残らず討ち死にしたはずだが」
ドーガ自身、崋山の太子であったギエン王の長男と、勇将として知られていた次男を戦場で討ち取っている。男児といっても、いずれもドーガより十以上も年長の武人だったのだが、それはさておき、崋山王家の男たちはことごとく中山軍の手にかかって戦場で果てたはずだった。
このドーガの問いに、ハクロはゆっくりとかぶりを振った。
「私も次兄と同じように考えていたのですが、ひとりだけ生きのびていた者がおりました。ヤマトという八歳の童子で、若年ゆえに戦には加わらず、わが軍が西都を制圧する寸前に姉に連れられて都外に逃げだしたようです」
この姉の名をランといいます、とハクロは付け加えた。
ランとヤマトの生母は身分が低く、ヤマトは王位の継承権を与えられていなかった。そのためハクロの諜報網からも漏れていたのである。
おそらくギエンは、わざわざ幼児に継承権を与えることで兄弟間のいさかいが起こることをきらったのだろう。前述したようにギエンには壮年の息子たちが幾人もおり、幼いヤマトが王位を継ぐ可能性はかぎりなくゼロに近かった。あえて継承権を与える必要はない、とギエンが考えたとしても不思議はない。
だが、先の戦で崋山王家の男児がすべて倒れたことで状況は一変した。いまやヤマトこそ崋山王家の正統の血を引く、たった一人の男児となったのである。
「その男児のもとに、中山に不満を抱く崋山の残党があつまっております。場所は大興山」
『大興山?』
ドーガとカガリの口から同時に驚きの声があがる。
大興山は西都から遠く離れた辺境の山の名であり、獰猛な魔物が多く生息することで知られている。地形は険しく、周辺には絶えず瘴気を吐き出す腐った土地が広がっていて、とうてい人の住める場所ではない。当然のように、近くに街や村は存在しなかった。
どうしてそんな辺鄙なところで兵を挙げたのか、というふたりの驚きは当然のものだったろう。
なお、どうしてドーガたちがそんな遠方の山の名前を知っているのかといえば、大興山が有名な古戦場だからである。
かつて、大興山では鬼人と人間――門を守る番人たちとの間で、激しい戦いが繰り広げられた。
門番たちは基本的に門を守って動かないが、鬼人族が抗争から統一へ、さらには鬼界からの解放を願って外に出ようとするとき、鬼界内部に侵攻してくることがある。五十年前にもそうした戦いが起こり、大興山はその舞台となった土地だった。
崋山を併呑した中山が、間をおかずにすぐさま門の攻略にとりかかった理由のひとつは、中山の鬼界統一を察知した門番の侵攻を未然に封じ込むためである。
――崋山の残党たちは過去の故事にあやかって彼の地で蜂起したのだろうか。
ドーガはそう考えたが、すぐにこれを否定した。大興山の戦いは鬼人側が惨敗しており、吉凶を占えば間違いなく凶が出る。魔物は多く、人は住めず、西都からは遠く離れていて、おまけに縁起も悪いときては、兵を挙げる場所としては最悪としかいいようがない。
強いて利点をあげるとすれば、あまりにも辺鄙すぎて、中山側が兵を差し向ける価値がない点だろう。
敵は中山軍の主力が出払っている隙を見計らって勇ましく蜂起し、西都の奪還を目論んでいる――そう考えていたドーガは拍子抜けしたように、右手でぞりぞりと顎ひげをこすった。
「それは反乱と呼ぶには値せぬな。我らに従うことはできず、さりとて崋山を再興する道も見いだせず、捨て鉢になったとしか思えぬ。放っておけば勝手に立ち枯れるのではないか?」
「次兄のおっしゃりたいことはわかります。ですが、我らはこれより門の外に打って出なければなりません。腹背の敵は可能なかぎり排除しておくべきでしょう。小蛇が化して竜となる例もございますれば」
「む」
ハクロの言葉にドーガはうなる。
かつて崋山王ギエンは四兄弟の父を殺し、一度は中山を滅ぼした。だがその後、残った兄弟をあなどったことで最後には滅亡の憂き目を見ている。
自分たちがその覆轍を踏むことはない、とハクロは主張しているのである。そして、ドーガは弟の主張を正確に理解した。
「なるほど、童子といえど容赦するべきではない、か。しかし――」
ドーガは言葉を切ってカガリを見やる。
先に述べたように中山軍はヤマトを除く崋山王家の男児をことごとく斬ったが、それはあくまで戦場でのこと。戦いが終わってからは崋山王家の血を一滴たりとも流していない。
ギエンの妻妾や女児は今も王府の一画で丁重に保護されている。これはアズマの寛大な性格によるものだったが、同時に、カガリの懇請によるところも大きかった。崋山王家の血は絶やすべし、と主張する者たちに対し、カガリは自身の戦功にかえてでも、と彼女らの助命を願ったのである。
カガリは崋山王家に恨みはあっても恩はない。それでも彼女らの助命を願ったのは、ギエンを討ち取った際に自らが口にした「降伏した者に手は出さない。それが中山の軍規だ」という言葉に従ったまでである。
その意味では、降伏を拒んで逃げ出したヤマトやランを討ったところで何の問題もないのであるが――カガリの脳裏に、敗北を悟って自らの角をへしおった崋山王の姿がよみがえる。
将来、災いの種になるかもしれないというだけの理由で、あの王の子供たちを、それも年端もいかない子供たちを殺すのは、カガリとしてはすっきりしなかった。
別段、生かしておいてもかまわないではないか、と思う。成長したヤマトたちが反旗をひるがえしたのなら、そのときにあらためて叩きつぶしてやればいい。もし、それで中山が滅びるのなら、中山の命運はそれまでだったということである。
それがカガリの本音であるが、一方で、自分の考えが中山を支える王弟としては無責任きわまりないものであることも自覚していた。
カガリは意を決して口をひらく。
「ハクロ兄、大興山には俺が行く」
「そう言うと思っていました。念のために言っておきますが、今回は先の戦のように情けをかけることはできませんよ。一度目は中山の寛大さを示すという意義がありましたが、二度目の情けは侮りを生むだけです」
中山では反乱を起こしても許される――そんな評判が流布すれば、門番たちとの戦いどころではなくなってしまう。
中山は寛大であるが、それは無制限のものではない。寛大さに付けこむような真似をした者は、精強無比な中山軍によって蹂躙される。このことを鬼界全土に知らしめるためにも、今回の反乱は徹底的に叩いておかねばならない。たとえ、取るに足らない八歳の童子が相手であろうとも、だ。
ある意味、大興山の崋山軍はこれ以上ないタイミングで蜂起してくれたのである。
中山はこれから本格的な門の攻略に取り掛かる。ドーガとカガリだけでなく、ハクロとアズマも西都を離れなければならなくなるだろう。
表向きは中山に従っていながら、その隙をうかがっている面従腹背の徒は必ずいる。大興山の者たちはそんな輩を掣肘する格好の見せしめとなってくれるはずだった。
カガリは兄の意を汲み取って硬い表情でうなずく。
と、そんな弟の強張りをほぐすように、中山の三男は澄ました顔で続けた。
「そう、徹底的にです。反乱の徒を叩き潰し、崋山の王旗を泥で染め上げ、首謀者を骨まで焼き尽くしなさい。亡骸が残らぬほど徹底的にやるのです」
「……亡骸が残らぬほど? 敵の首級はいらないのか、ハクロ兄?」
「不要です。ひとつひとつ晒す手間も惜しい。それに、八歳の童子や女子の首を晒せば、無用の残虐を、と中山を怨む声もあがってしまうでしょうからね」
何事も程というものをわきまえないといけません、とハクロが言うと、それまで黙っていたドーガがここでバチンと膝を叩いた。
「うむ、今の言葉で確信したぞ、ハクロ。こたび、わしとカガリを西都から出して門に差し向けたのは、不満を抱いている崋山の旧臣をあぶりだすためだな?」
ドーガとカガリは中山きっての武人であり、一騎当千の戦力だ。そのふたりが門番たちとの戦いにおもむいた。連中と対峙すれば、たとえ後方で乱が起きてもすぐには引き返してこられない。
腹に一物を抱えている者たちにしてみれば、アズマを討って中山を覆す絶好の機会が到来した、と見えたに違いない。もっといえば、そう使嗾して不満分子を煽り立てた者がいたのではないか。
そのドーガの問いかけにハクロは悪戯っぽく微笑んだ。
「さすが次兄。ご明察です」
平然と応じる弟を見て、ドーガはぼりぼりと頭をかく。
「兄者をおとりにしたわけだな。当然、ハクロの独断というわけではありますまい、兄者?」
今度は兄の方をうかがうと、やはりこちらも落ち着いた面持ちで首を縦に振る。
「うむ。私も承知のことだ。ふたりには黙っていてすまなかった」
「いえ、敵を謀るにはまず味方からと申します。兄者が謝られる必要はございませぬ。ですが、敵が西都から遠く離れた大興山で蜂起した理由はなんでありましょうや?」
これではわざわざ西都の守りを手薄にした意味がない。中山の思惑を読んで罠を警戒したにしては、蜂起した場所が不可解である。大興山で反乱が起きたところで中山はまったく痛痒を感じない。それはいつもと変わらない街の光景が証明していた。
このドーガの疑問に対し、ハクロは事実と推測を交えて事態を整理した。
おそらく、反乱を起こした者たちも、はじめは西都を奪ってアズマの首を取るつもりだったのだろう。だが、呼応する者が思った以上に少なく、辺境に走らざるをえなくなったのであろう、と。
ハクロとしても拍子抜けだったが、降伏した崋山の旧臣のほとんどが反乱に与さなかったというのは、それだけ中山の統治が認められている証である。彼らは今後も中山に叛くことはないだろう。それを確認できたことはひとつの収穫であった。
後は兵を挙げた者たちを血祭にあげるだけ。
ハクロはそう考え、みずから兵を率いて向かうつもりだった。むろん、相手が女児だろうと八歳だろうと容赦するつもりはない。
かつて中山は崋山に滅ぼされた。その恨みを、四兄弟の中で最も重く抱え込んでいるのはおそらくハクロである。
ただ、ハクロが何も知らせずにヤマトらを殺せば、崋山王家の助命を願ったカガリとの間にしこりが残ってしまうだろう。清濁を併せ呑めるアズマに対し、カガリは少年らしい潔癖さを性情に残している。
ハクロとしても弟と対立するような事態は避けたかったので、アズマと相談の上でカガリを西都に召還し、事の次第を説明した。
予想どおり自ら討伐を願い出たカガリに対し、生かして逃がす、という選択肢を暗々裏に与えたのは、カガリの性格ではヤマトらを殺すことはできないとわかっていたからである。
そんな弟を甘いとは思うが、逃げたヤマトたちの脅威度を勘案すれば、十分に許容できる甘さである。ハクロはそう判断したのだ。
ではもうひとりのドーガを同時に呼び戻したのは何のためなのか。ハクロは本題ともいうべきその内容を説明しはじめた。
「崋山の残党が反乱に至った事情は説明したとおりです。連中には深慮も遠謀もなく、百鬼長(百人の兵を束ねる指揮官)をひとりふたり向かわせればたやすく蹴散らすことができるでしょう。本来、中山の王族が動く相手ではないのです」
だが、ハクロは反乱者たちについて一つだけ気になることがあった。なぜ、彼らは兵を挙げる場所として大興山を選んだのか。
捨て鉢になった、というドーガの意見はおそらく正しい。だが、捨て鉢になった者たちが偶然に大興山を選んだ、という点がハクロには気に入らぬ。
大興山はかつて鬼人と人間が戦った土地。
すなわち、人間が知っている土地なのである。人間の手が届く土地なのである。
崋山の残党の後ろに人間――門番たちがいる。その可能性を兄弟で共有しておく必要がある、とハクロは考え、カガリだけでなくドーガも前線から呼び戻したのだった。