第七十九話 中山の四兄弟(二)
中山王アズマの風貌は、三人の弟たちと比べると平凡の域を出ない。
ドーガのように万の軍勢を威圧する風格を身に付けているわけではなく、ハクロのように衆に優れた慧敏さを印象づけてくるわけでもない。また、カガリのように、いかなる困難も物ともしない颯爽たる気概を感じさせるわけでもなかった。
むろん、平凡なだけの人物が凋落した中山を立て直せるはずがない。今年で三十歳を迎える四兄弟の長兄は間違いなく一廉の人物である。
公正な人柄を示すように眉宇は涼やかで、物腰はやわらかく、両の眼には理性的な光が宿っている。趣味を問われれば「政務」と答えるような仕事の虫であるが、身体つきはたくましく、柔弱さは感じさせない。実際、アズマは剣をとっても中山で十指に入る腕前だった。
このように文武いずれにも長じたアズマであるが、一方で、五十年ぶりに鬼界を統一した覇者としてはいささか迫力が不足していることも否めなかった。綺羅星のごとき弟たちと比べると、どうしても見劣りしてしまうのである。
中山王は武において長弟に及ばず、智において次弟に及ばず、器において三弟に及ばぬ愚兄である、などという酷評も存在する。
弟たちが聞けば激怒するに違いない陰口であるが、実のところ、中山の内部でも似たような考えを持っている者は少なくなかった。
その筆頭は、他でもないアズマ本人である。
誰よりも弟たちの才能を認め、誰よりも弟たちの功績を評価し、誰よりも弟たちの将来に期待している。それが中山王アズマという人物だった。
このアズマの在り方こそ中山王家が大を成した所以なのだが、このあたりの機微はなかなか他者には理解しづらい。
かつて中山と敵対した勢力は判で押したように兄弟の離間を画策したが、成功した例はただのひとつも存在しなかった。
「おお、戻ったか、ふたりとも!」
ドーガとカガリの姿を認めるや、アズマはそれまで政務をとっていた机から離れ、両手を広げるようにして二人を出迎えた。
ドーガほどではないにせよアズマも十分長身の部類に入る。だが、表情や仕草に武張ったところはなく、言葉の響きもやわらかい。ゆったりとした長衣を着ていることも手伝って、その姿は武人というより文官のそれだった。
しかし、前述したように長衣の下には鋭く引き締まった戦士の肉体が眠っている。
今では軍の采配をドーガに一任し、戦場に出ることも少なくなったが、ドーガが武将としての才を花ひらかせるまで中山軍を指揮していたのはアズマである。常に陣頭に立って自軍を指揮し、みずから敵軍に突っ込むこともめずらしくなかった。
また、重要な戦ともなれば、今でも王みずから前線におもむいている。先の崋山との決戦でもアズマは敵軍と矛を交えていた。
鬼界の覇者となってからも贅沢におぼれることなく、自らを厳しく律するアズマ。弟たちはそんな兄を尊敬しているが、前述したようにアズマの外見は文官のそれであり、弟たちほどアズマのことを知らない者の目にはどうしても頼りなく映ってしまう。
鬼人族は武を重んじる者が多く、彼らは自分たちが戴く王に対して、武を体現したような外見を望んだ。
具体的にいえば、それは見上げるような巨体であったり、丸太のような手足であったり、万の軍勢を畏服せしめる威厳ある容貌であったりするわけで――つまりはドーガのような人物を指す。
普通であればアズマは弟を妬み、邪魔に思うであろうし、ドーガはドーガで兄に取って代わる野心を抱くであろう。他国が兄弟の離間を画策するのは、ある意味で当然のことだった。
しかし、ドーガやカガリにしてみれば、この兄の声、兄の姿こそが何よりも「我が家に帰ってきた」という安らぎを与えてくれるのである。
四兄弟はそれぞれ五歳ずつ年齢が離れているため、ドーガから見ればアズマは五つ上、カガリにいたっては十五も年上であり、兄というより父に近いが、いずれにせよアズマに向ける忠誠に曇りはない。
この兄を害そうとする者がいれば、九族まで殺し尽くしたところで胸が痛むものではなかった。
「ただいま戻りました、兄者」
「戻ったぜ、アズマ兄」
「うむ、ふたりとも無事で何よりだ。カガリは少し背が伸びたかな」
そう言って相好をくずす兄に対し、カガリは苦笑まじりに応じる。
「アズマ兄、いくら俺が若いからって一月やそこらで目に見えるほど背が伸びたりはしないよ」
「いやいや、わからないぞ。男児三日あわざれば刮目してこれを見るべし、というではないか。ドーガもそう思わないか?」
「さようですな。カガリはまさに育ち盛りの年齢です。背も、武も、これまで以上に伸びていくことでしょう。このごろはカガリを見るたび、あの幼子がようもこれほどたくましく育ったものよと感慨深くなりまする」
「そうよな。父上がお亡くなりになったとき、カガリはまだ三歳だった。それがいまや押しも押されもせぬ中山きっての驍将に成長している。月日の流れの、なんと早いことか。まさしく光陰は流水のごとしである」
なにやらしみじみとした表情で語り合う長兄と次兄の間で、カガリは居心地悪そうに身じろぎする。
カガリはふたりの兄を心から尊敬しているのだが、ときおり妙に年寄りくさく過去を振り返る点が苦手といえば苦手だった。
そんなむずがゆい空気をかえるべく、カガリは早口で兄に疑問をぶつける。
「そんなことよりアズマ兄。ドーガ兄と俺をそろって前線から呼び戻したのは何のためなんだ? 書状には何も記してなかったし、街の様子を見るかぎり大事が起きた様子はないんだけど」
「ああ、それについてはハクロを呼んでから説明する。気を揉ませてすまないが、ふたりとも、少し――」
待っていてくれ、と口にしかけたアズマだったが、その言葉を言い終えるより早く四人目の兄弟が姿をあらわした。
「ハクロ、ただいま参りました、長兄」
そういって静かに部屋に入ってきたのは「白面の貴公子」という言葉がそのまま人の形をとったような人物だった。人の容姿に黄金比というものがあるのなら、ハクロは一分のずれもなくそれを体現しているに違いない。
人間離れした美貌からは人臭さが感じられず、男性とも女性ともつかない中性的な雰囲気を醸し出している。
王府で働く女官に絶大な人気を誇るハクロは、西都の街中でも有名人であり、ハクロを描いた姿絵は四兄弟の誰よりも早く売り切れる。何かの用事で街に出ようものなら、老若を問わず女性たちが押し寄せてたちまち人の輪ができあがるほどだった。
そんな弟の登場に、アズマは驚いたように目を瞬かせる。
「早いな、ハクロ。これから人を向かわせるところだったのだが」
「恐れ入ります。次兄とカガリのこと、長兄から書状を受け取れば全力で駆け戻ってくることは容易に推測できました。今日あたり姿を見せるものと考え、ふたりが姿を見せたら知らせるようにと、あらかじめ門衛に命じておいたのです」
「はは、あいかわらず手回しがよい。その分では茶と菓子の用意も終えているな?」
「御意」
ハクロが合図すると、心得た女官たちが入って来て卓の上に種々の飲み物と菓子を並べていく。
ここでアズマはふと心づいたようにカガリを見た。
「カガリにはきちんとした食事を用意すべきかな」
「不要と心得ます、長兄。カガリのことですから、どうせ王府に着く前に何かしら腹にいれておりましょう」
「ハクロ兄、証拠もなしに決めつけるのはいかがなものか、と俺は思うぞ」
カガリが憤然として異議を申し立てると、ハクロは鋭く目を細めて弟の顔を見た。
中山王家の三男は外見だけの人物ではない。柔弱そうに見えて戦場では負け知らずであり、過去、ハクロのことを組しやすしと侮った敵将はことごとく戦場に屍をさらしている。
また、非常に優れた才知の持ち主でもあり、ことに政務処理においては余人の追随を許さない。ハクロは中山国の事実上の宰相として国政を総攬しており、中山の強勢を維持すべく日夜勢力的に政務に取り組んでいた。
文武両道を地でいくハクロにひたと見据えられ、カガリは居心地悪そうに視線をさまよわせる。カガリはすぐ上の兄が決して嫌いではなかったが、苦手であることは否定できなかった――今回に関しては苦手うんぬん以前に、実際に買い食いをしたというやましさが、カガリに引け目を与えているだけのことだったが。
つけくわえると、ハクロの方も決してカガリを嫌っているわけではない。長兄と次兄が年の離れた弟に甘い分、おのれは厳しく接しなければ、と考えているだけである。何事も過ぎれば毒だ。それは家族間の親愛であっても変わらない。
ハクロはカガリを見据えたまま、ゆっくりと口をひらいた。
「証拠が必要なら、ほら、あなたの口元に串焼きのタレがついているではありませんか」
「え、いや、アズマ兄に会う前にちゃんと口は拭いた――あ」
しまった、という顔をするカガリに対し、ハクロは呆れたようにかぶりを振った。
「問うに落ちず、語るに落ちるとはこのことです。カガリ、そして次兄もです。戦地から戻った直後なのですから、食事をとるな、などと言うつもりはありません。ですが、中山の王弟がふたりそろって屋台飯とはなんと嘆かわしい。言ってくだされば私が腕を振るいましたのに」
実は料理の名人でもある三男の発言に、ドーガは頭をかいてすまぬすまぬと応じる。カガリはといえば、ドーガにならいつつも一言つけくわえた。
「ハクロ兄のつくった飯はうまいんだけど、できるまで時間がかかりすぎるからなあ。簡単なものでいいって言っても半刻(一時間)待たされるのはざらだもん」
「食事は活力の源。そして、活力とは充実した生活を送るための燃料です。手を抜くなど言語道断」
毅然とした態度で言い切ったハクロは、ここで話がそれかけていることに気づいたのだろう、こほんと咳払いした。
「少々話がそれました。そろそろ本題に入ることにしましょう。皆、椅子にすわってください――先ごろ起きた崋山の反乱について説明いたします」




