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第七十五話 ベルヒの饗応


 そこは風流な庭園だった。


 あかと緑がいりまじる秋の庭木が視界をいろどり、池に流れこむ水の音が耳をくすぐる。


 降りそそぐ陽射ひざしはかすかな冷気をともなって澄みわたり、陽光を反射した池の水面みなもはきらきらと宝石のような輝きを放っていた。


 カコン、と鹿威ししおどしの音が耳朶を打つ。


 風がたわむれるように落ち葉を巻き上げ、そのうちの何枚かが開け放たれたふすまから室内に舞い込んでくる。


 俺は畳の上に落ちたモミジの葉っぱを手に取り、茎の部分を持ってクルクルと回転させながら、部屋の主に視線を向けた。


 視線の先では茶筅ちゃせん――茶碗の中で抹茶を混ぜる道具――を手にした長身の男性が静かに茶をてている。


 第一旗の旗将きしょうディアルト・ベルヒその人だ。


 抜けるように白い肌と艶やかな黒髪。眉目は涼やかで容姿に冴えがあり、全身から卓越した剣士の風格がただよっている。


 鬼ヶ島を守る青林八旗には、その名のとおり八人の旗将きしょうが存在するが、中でも第一旗のディアルトは別格の武力と権限を有している。有事には当主になりかわって八旗の指揮をとるディアルトは、事実上、当主に次ぐ御剣家のナンバーツーといってよい。


 今、俺とクライアは、そのディアルトから饗応きょうおうを受けている真っ最中だった。



 ――いったい何がどうしてこうなったのだろう。



 俺は内心で首をかしげる。


 いや、どうしてもこうしても、鬼ヶ島行きの連絡船に乗ったら、出迎え役としてディアルトが来ていただけの話なんだけど。


 船で鬼ヶ島に向かっている間、ディアルトは船首に立って四方にけいを放ち、海の魔物の襲撃から船を守ってくれた。前回来たときはゴズがやったことを、今回はディアルトがやってくれたわけだ。


 ゴズのときにも言ったが、連絡船の護衛は平旗士の役割であり、上位旗士が出張ってくる必要はない。今の俺は皇帝の勅使のようなものなので、その意味で皇家に対する配慮を示したのかもしれないが、それでも御剣家のナンバーツーが供回りも連れずに出てくるのは不自然きわまりない。


 何かしらの意図があってのこと、と考えるのが当然だった。


 問題はその意図が一向につかめないことである。てっきりギルモアあたりが失態を糊塗ことするために我が子を差し向けてきたと思ったのだが、ディアルトは剣を抜くどころか敵意のての字も示さない。


 鬼門をくぐるために来た、と伝えたときも「承知した」と言葉すくなにうなずいただけであり、それ以外の反応を見せなかった。


 その後、鬼ヶ島に上陸した俺たちは、ディアルトに導かれるままにベルヒの屋敷に足を運んだのだが、ここでも動きなし。


 一つだけ、案内先が御剣家ではなくベルヒ家になった理由は説明された。ディアルトいわく、剣聖をはじめとした御剣家の主要な面々はいま残らず外に出払っているらしい。


 先の鬼人の襲撃で破壊された城壁の修理、柊都しゅうとに近づく魔物の掃討、そして鬼門に攻撃をしかけてくる鬼人族に対する備え。現在、御剣家は猫の手も借りたいほどの人手不足であり、そのためにディアルトが当主になりかわって饗応に当たることになったそうな。


 ――正直なところ、この説明については怪しいものだと思っている。もっとはっきり言えば、嘘つけこのやろう、と内心で毒づいている。あの父が屋敷を空けて事態の収拾に奔走しているとか、想像もできんわ。


 そうは思ったものの、俺はことさら向こうの嘘をあばきたてようとはしなかった。俺の目的は鬼門の向こうにいるクリムト(と幻想種に匹敵する魔物たち)だ。父やらラグナやらに会うことなく鬼門をくぐれるなら、それに越したことはないのである。


 ただまあ、いかに皇帝の許しを得たとはいえ、御剣家が簡単に部外者を通すはずがないとは思っていた。島抜けをしたクライアのこともある。襲撃という形をとるか、クライアの罪をあげつらってこちらに言うことを聞かせるという形をとるかはわからないが、いずれにせよ、どこかの段階で御剣家が仕掛けてくる、と俺は踏んでいた


 ところが、ベルヒ家へ向かう道中も、邸宅に着いてからも、こうして座敷に案内されてからも、刺客が襲ってくる気配はつゆ感じない。罪人であるはずのクライアをとがめる様子もない。


 饗応きょうおう役のディアルトは、口数こそ少ないものの、非の打ちどころのない態度で接してくる。


 いっそ斬りかかって来てくれた方が楽なのに、とこっそり思う。


 クライアの心情を考えれば、こちらから仕掛けることはできないが、向こうから仕掛けてきたなら話は別だ。本音をいえば、連絡船でディアルトを見たときは双璧を喰う好機到来と考えて舌なめずりしていた。


 以前、母の墓参りでこの島にやってきたときは、剣聖はもちろん双璧にも届いているとは思えなかったが、あれから鬼神を喰い、ベヒモスを喰って俺のレベルは格段に上昇している。今の俺に双璧に対する懸念けねんはない。


 ディアルトが襲ってくれば、正面からそれを撃退してやるつもりだった。認印指輪シグネットを持った人間に刃を向けたことは、御剣家やベルヒ家にとって巨大な失点となる。襲撃の事実を皇帝に伝えないかわりにクライアの罪をなかったことにする、という政治的取引も可能だろう。


 そんな風に考えていたのに、ふたを開けてみれば、こうして庭園の見える一室でディアルトに茶をててもらっている。首をかしげるしかないではないか、こんなの。


 この場にはクライアもいるのだが、先ほどから俺の隣で身体をカチコチにして石像のようにかたまったままだ。連絡船で兄の姿を見たときからずっとこんな感じである。


 ディアルトもディアルトで、妹のことをまったく意に介していないように見えた。


 と、それまで小気味よく響いていた茶筅ちゃせんの音が止まり、ディアルトが無言で茶碗を差し出してくる。


 俺はかしこまってその茶碗を受け取った。思惑はどうあれ、向こうが礼儀正しく振舞っている間は、こちらも相応の態度を示さねばなるまい。ちなみに、茶の作法については子供のころに習っている。とっくに忘れたと思っていたが、実際に席にのぞんでみると案外おぼえているものだ。


 鮮やかな緑色の液体から、馥郁ふくいくとした香りがただよってくる。


 そのとき、ふとクライアから聞いたギルモアの心装「神虫」のことが脳裏をよぎった。鋼のごときあごを持った八本足の虫。神虫は伸縮自在であり、ギルモアはこれを小型化させて他人の体内に仕込む手を好むという。


 この茶の中に神虫が仕込まれていても気づくことは難しいだろう――そう思いつつ、俺は茶碗の中身を飲み干した。


 警戒はしない。クライアの話によれば、牢に入れられる際に仕込まれた神虫は、脱獄するときに飲んだ『血煙ちけむりの剣』の回復薬ポーションによって綺麗に消化されてしまったという。このことから、神虫の耐久力はかなり低いと推測できる。


 俺の血をちょこっと含んだ回復薬ポーションで消え去る程度の代物が、俺の体内に入り込めるはずがない。当然、普通の毒だって効きはしない。毒殺を警戒する必要なぞないのである。


 ためらいなく茶を飲んだ俺を見て、ディアルトはわずかに目を細めたが、口に出して何かを言うことはなかった。


 その後、クライアにも茶をてたディアルトは、妹が全身をふるふると震わせながら茶を飲み干すのを見届けると、おもむろに口をひらいた。



「現在、鬼門の内部は鬼人族の活動が激しく、はなはだ危険な状況になっている。貴公がそれを承知の上でなお鬼門をくぐることを望むのであれば、御剣家はこれを阻むものではない。ご随意ずいいになされよ」



 拍子抜けするほどあっさりとこちらの望みが通る。


 ただ、むろんと言うべきか、ディアルトの言葉はそれだけでは終わらなかった。



「ただし、貴公が鬼門をくぐった先で、御剣家に不利益をもたらす意思があるのであれば、そのかぎりではない。陛下は貴公が鬼門を通ることをお許しになったのであって、貴公が御剣家に害をなすことをお許しになったわけではないからだ」



 ディアルトが鋭い眼差しでこちらを見据えてくる。なにもかもを見通すような透徹とうてつとした眼差しは、剣士というより裁判官や審問官を思わせる。


 俺は真っ向からディアルトの視線を受けとめると、唇の端を吊りあげて言った。 



「そのような意思はありません」



 少なくとも今のところは、などと本音を付け足す必要はないだろう。


 こちらの言葉にディアルトは無造作にうなずいた。



「陛下の信頼を預けられた者の言葉だ、信じよう。しかし、鬼門の事情にうとい貴公の行動が、意図せず御剣家に不利益をもたらすことも考えられる。そのようなことが起こらぬよう、御剣家は人をくことにした。これは陛下の信を得た貴公に対する格別の配慮でもある。そう心得ていただきたい」



 俺に青林旗士をつける、とディアルトはいう。認印指輪を持っている俺に対する厚意なのだから断るな、と。


 俺は肩をすくめた。監視役か暗殺役か、はたまたそれ以外の意図があるのかはわからないが、いずれにせよ、断ったところで同行者が追跡者に変わるだけのことだろう。



「承知した。貴家のご厚意に感謝いたす」



 ここで向こうの言葉をはねのけて「では鬼門を通すわけにはいかぬ」などと前言を翻されても面倒だ。


 クライアのためにも、クリムトを見つけるまでは大人しくしてやろう。まあ同行者の人選次第ではそうも言っていられないが……まさかラグナやアヤカではあるまいなと思いつつ、俺はディアルトに同行者の名を問おうとした。


 しかし、ディアルトは俺が口をひらくより早く立ち上がり、静かに言う。



「同行させる者とは後刻ごこく引き合わせよう。それまでは我が家でゆるりと過ごし、旅の疲れを癒されるがよい」



 言い終えると、ディアルトはこちらの返答を待たずに部屋を後にする。


 その背に問いを投げかけても答えは返ってこないと判断した俺は、去り行く双璧の背を黙って見送った。



◆◆



 ディアルトの姿が消えてからたっぷり一分が経過したところで、それまでピンと背筋を伸ばして正座していたクライアが、へなへなと体勢を崩して畳に両手をついた。


 兄がもう戻ってこないと判断して緊張の糸が切れたらしい。どれだけ気を張っていたんだ、と思いながらクライアに声をかける。



「大丈夫か?」


「は、はい、なんとか……」



 か細い声で返答したクライアは、気を取り直したようにくいっとあごをあげると、真剣さと不安さがいりまじった眼差しで俺を見た。



「あの、孟様もうさまは私のことに何も触れませんでしたが、どういうことでしょうか?」


「今のところは様子見ということだろうな」



 俺が皇帝に頼んでクライアを無罪にした、という可能性があるかぎり、御剣家は安易にクライアをとがめることができない。それをすれば、御剣家が皇帝の下した裁定に異を唱えたことになってしまうからだ。


 必然的に「クライアを無罪にしてやるから御剣家の指示に従え」と俺に強いることもできない。


 実際のところ、皇帝は島抜けの罪に何の言及もしていないので、クライア・ベルヒは今も公的に罪人のままなのだが、それを知っているのは俺ひとり。帝都に照会すればすぐにもわかることだが、鬼門をくぐるまでこのハッタリがバレなければそれでいい。クライアを素顔のまま連れてきた理由のひとつは、御剣家にこの疑いを与えるためだった。


 そのあたりのことをクライアに説明してもよいのだが、ここはベルヒの屋敷だ。誰が物陰で聞き耳をたてているか知れたものではない。今のところ俺の感覚に触れてくるものはないが、こちらの情報を不用意に明かすべきではないだろう。


 俺が軽く目くばせすると、クライアも遅まきながら盗み聞きの可能性に気づいたらしい。ハッとした顔で口をつぐみ、申し訳なさそうに頭を下げた。



「失礼いたします」



 ややあって、そんな声と共にベルヒ家の家人が姿を見せ、俺たちを離れに案内してくれた。


 クライアによれば、この離れは賓客ひんきゃくを泊めるために使われているらしい。たしかに室内の調度は立派で、掃除も行き届いていた。周囲の庭も、先ほどの庭園と変わらないみやびたたずまいを見せている。


 ベルヒの家人は、御用があればお呼びくださいませ、と丁寧に頭を下げて退室していった。テーブルの上には飲み物や茶菓子の用意がととのっている。その後に出された食事も実に豪勢なものだった。食事後に勧められた風呂はさすがに断ったが、念の入ったもてなしぶりに思わず苦笑がもれる。


 あのベルヒ家が俺のためにあれこれ動いているところを見るのは、なかなかに新鮮な体験だった。



「俺を懐柔かいじゅうしようとしているのか、それとも、そう見せかけて油断を誘っているだけなのか」



 普通に考えれば後者なのだが、俺の油断を誘うために旗将ディアルトが動いた、という点がいぶかしい。御剣家が本気で俺とクライアを始末するつもりなら、こんな迂遠うえんな手段はとらずに正面から襲ってくるに違いない。


 では前者なのかと問われれば、これもこれでしっくりこない。これまでの行きがかりを考えても、俺が御剣家なりベルヒ家なりと友好関係を築くことはありえない。そんなことは向こうだって承知しているだろうに。


 ――む? もしかして、そのためのクライアなのか?


 先の人質の一件で俺とクライアにつながりができたことに目をつけた何者かが、それを利用して俺を取り込もうと画策している可能性に目を向ける。


 実際、島抜けをしたクライアを受け入れた上、クリムトを助けてほしいという願いにこたえるべく東奔西走している俺は、傍から見ればクライアに惚れているとしか思えないだろう。


 俺とクライアが結ばれれば、必然的にベルヒ家ともつながりができる。この推測が当たっていた場合、夜になったら俺とクライアの布団がぴったり隙間なく並べられるかもしれない。


 ちらとクライアを見ると、ちょうど向こうもこちらを見ていたらしく、ばっちりと目が合った。



そら殿、なにか御用でしょうか?」


「あ、いや――」



 なんでもない、と返答しようとしたとき、ふすまの向こうから家人の声がかかる。


 その内容は、間もなくディアルトが黄金世代のひとりであるウルスラを伴ってやってくる、というものだった。



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