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幕間 皇家の父子


 アドアステラ帝国皇帝アマデウス二世は、無人の謁見の間でひとり玉座に腰かけていた。


 別段、これから謁見の予定があるわけではない。これは考え事をするときの皇帝のくせであり、護衛の近衛騎士は扉の向こうで待機させている。


 玉座で片肘をつく皇帝の脳裏には、先刻帝都を離れた黒髪の青年の姿が映し出されていた。



「過去も真実も興味はない、すべては己の目的のため、か」



 くく、と老いた皇帝ののどが楽しげに震える。



式部しきぶよ、そらは間違いなくそなたの子だぞ。言葉は違えど、歩まんとしている道は同じだ。もっとも、徹頭てっとう徹尾てつび己にしか関心のないそなたと違い、空は他者への情を残しておるようだが……」



 そう言って、皇帝はどこか遠くを見る目つきをした。



「これは母親の――静耶しずやの影響であるのかな。あれは心根の優しい娘であった。式部の厳しさと静耶しずやの優しさを等しく身の内に宿しているのだとしたら、空は正しく二親ふたおやの血を引いておることになる」



 皇帝はそう独りごちると、目を閉じて玉座に背をあずけた。そして、意識を過去に遡上そじょうさせようとする。


 しかし、次の瞬間、皇帝の物思いは破られた。謁見の間の扉が音高くひらかれたからである。


 カツ、カツと鉄靴の音を響かせ、大股で玉座に歩み寄ってきたのは、顔中に覇気をみなぎらせた壮年の男性だった。


 切れ長の双眸からのぞく瞳は青く、弓なりの眉は女性がうらやむほどに端正で、高く通った鼻梁びりょうは名工の手になる彫刻を思わせる。背は高く、四肢は伸びやかで、歩く姿には一分の隙もない。口元に浮かぶ笑みには強い自負がにじみ出ており、あたかも己こそがこの皇宮の主であると信じているかのようだった。


 皇帝は眉根を寄せて、近づいてくる人物に言葉を向ける。



「何用か、リシャール」


「用がなくては子が父に会うこともできぬのですか、父君? それはあまりに寂しいおっしゃりようでございましょう」



 皇太子リシャールは端正な眉目をくもらせ、いかにも寂しげに訴えたが、皇帝は我が子の態度を鼻であしらった。



「そなたは文も武も不足なく備えた自慢の子であるが、惜しいかな、芝居の才には欠けておる」



 それを聞いたリシャールはつるりと顔を撫でて寂しげな表情を引っ込めると、快活な笑い声を発した。



「はは、さすがにわざとらしかったですかな。ま、父を想う孝子の役割は紫苑しおんひとりで事足りましょう。私は紫苑しおんに出来ぬことを引き受ける所存です」


「言わでものこと。我が子の中で皇太子の任にえるのはそなたしかおらぬ」



 そこまで言った皇帝は、はじめて声に皮肉の色を込めた。



「パラディース、カーネリアス、アズライト、それに御剣。我が国を代表する貴族たちもことごとくそなたを支持しておるではないか。次期皇帝としてのそなたの地位は盤石ばんじゃくと言ってよい。そなた自身、彼らと親しく交わっておろう。不安をおぼえる必要なぞあるまいが」


「父君のお言葉はまことに正しく、また道理に沿ったものであると存じます。次の帝位は皇太子のもの。これは子供でもわかる理屈なのですが、残念ながら、世の中には正理に背を向ける愚か者もけっこう多いのですよ。私の地位が盤石なればこそ、それがひっくり返ったときに得られる利益は大きいはずだ、などと考える者どもがね」



 リシャールはここですっと目を細め、玉座の父に意味ありげな視線を送る。



彼奴きゃつらが妄動する余地をなくすためにも、父君におかれては私の地位を今より一歩進めていただければ、と思わぬでもありません」


「余に退位しろ、と申すか?」


「まさか! 私は父君の子であると同時に臣下でもあります。臣下の身で帝位を云々(うんぬん)するような不敬はいたしませぬ。ですが、父君も近年、帝国の内外でささやかれている不穏な噂はご存知でしょう? このまま何も手立てを打たずにいると、噂は真であり、父君は紫苑しおんの成人を待って帝位の継承順位を改めるつもりである、などと邪推する者があらわれるやもしれません。もし、そやつらが紫苑しおんの人の好さにつけこんで事をたくらめば――」



 噂が噂でなくなってしまう。


 そう口にするリシャールの声音はひどく淡々としていた。



「血のつながった兄弟で血を流し合うなど、あまりに酸鼻さんぴ。そのような事態を避けるためにも、父君に善処を願いたいのです。たとえば、紫苑しおんを臣籍に降下させれば、愚か者どもが妄動する余地もなくなりましょう」



 臣籍に降下する、とは皇族としての身分を降り、臣下の列に加わることを指す。


 皇族ではなくなるわけだから、当然、帝位の継承権は失われる。そして、一度臣籍に降ったものが再び皇族に戻ることはできない。


 アドアステラ帝国では、帝位継承で混乱が生じないように臣籍降下という手法がとられることは珍しくなかった。たとえば、三名門のひとつであるパラディース公爵家は、二代皇帝の兄が臣籍に降り、パラディース領を授けられて誕生した家門である。


 アマデウス二世は自分自身が帝位継承で苦労した経験から、皇太子であるリシャールの地位の保全には細心の注意を払ってきた。実際、リシャールと年の近い弟たちは早い段階で臣籍に降ろされている。


 ――そのアマデウス二世が、紫苑しおん皇子に対しては何の手立ても打とうとしない。


 その事実が皇家不和の噂を助長している面は否定できなかった。今しがたリシャールが述べた『邪推する者があらわれるやもしれません』という言葉は、リシャール自身の思いでもあるのだろう。


 これに対し、皇帝は黙然として答えなかった。


 アマデウス二世の本心を述べれば、リシャールを廃嫡する意思はない。紫苑しおんを臣籍に降ろすという選択肢も考慮に入れてはいた。


 だが、いまだ決断に至らないのは、皇帝がリシャールの武断主義を危険視しているからに他ならない。大陸の覇者たらんとするあまり、血を流し過ぎるのだ。


 アマデウス二世自身、若いころは領土と権力を貪欲に求め、その苛烈さを周辺諸国から恐れられていた。それゆえ、リシャールのやり方を非難することは天につばするようなものなのだが――それを踏まえても、今のリシャールに帝国を預けることができるか、と問われれば首を横に振らざるを得ない。


 今はまだアマデウス二世が上に立っているため、リシャールの行動を掣肘せいちゅうすることができる。リシャールも父の言葉に耳をかたむける姿勢を見せている。


 だが、一度ひとたび帝位を継げば、リシャールは父の掣肘など歯牙にもかけなくなるだろう。父を半ば幽閉状態におき、リシャール自身は皇帝として万機を掌握するに違いない。


 なぜ断言できるかと言えば、かつてのアマデウス二世も父帝に対してそうしたからである。


 自分自身に関することは、まあよい、と皇帝は考えている。自らの行いが自らに返ってくるだけのこと、因果応報というものだ。


 ただ、リシャールの敵意が紫苑しおんに向けられることは危惧していた。紫苑しおんを臣籍に降下させることで、リシャールの敵意がなくなるという保証もない。


 それに、紫苑しおんを皇族から降ろすことは異なる場所で争いの火種になる恐れがあった。


 具体的に言えば、紫苑しおんを支持する東部貴族と、三名門を筆頭とする中央貴族の対立が激化してしまう。


 勢力面では中央貴族が圧倒しているとはいえ、小さな争いの火が帝国全土を燃やす燎原りょうげんの大火になる可能性は否定できない。穿うがった見方をすれば、リシャールや、リシャールを支持する中央貴族が東部の権勢を握るため、紫苑しおんをだしに東部貴族を煽って反乱に追い込む可能性さえある。


 皇帝としては、自分の在位中にそれらの問題を片付けてしまいたかった。それゆえ、老身をおして玉座に座り続けている。


 ただ、それも長くは続くまい、という確信がある。これから先、皇帝が老いを重ねるにしたがって、リシャールは早く帝位を譲るよう圧迫してくるに違いないからだ。


 これもまた、アマデウス二世が父帝に対しておこなったことである。


 ――良く似た父子、と言えば皮肉が利きすぎであろうな。


 肘をついた皇帝は、息子に気づかれないように小さくため息を吐いた。


 謁見の間が静寂に包まれる。その静寂を破ったのは、またしてもリシャールだった。



「ところで、父君。妙な者を皇宮に招き入れたとうかがいました」



 けろりとした顔でリシャールが話題を変える。リシャールにしても、今の段階で父と決定的に対立するつもりはなかったのだろう。


 もっとも、これはこれで皇宮における父の行動を把握しているぞ、という圧力とも受け取れるのだが。


 老い先短い皇帝と、壮年の皇太子を比べ、忠誠心の比重を後者に傾けている廷臣は少なくない。


 別段、皇帝はそういった者たちのことを不忠者と罵るつもりはない。むろん、面白くはないが、将来のことを考えたとき、忠誠のはかりが若い皇太子の側に傾くのは当然だと思っている。


 皇帝は我が子の言葉にそっけなく応じた。 



「妙な者、とは奥歯に物が挟まった言い方であるな。その者が咲耶さくやの使者であることも、御剣の嫡子であったことも、すでに知っておろうに」


「はは、さすがは父君、お見通しでいらっしゃいますね」



 リシャールはにこやかに一笑した後、すっと目を細めた。



「ただ、さすがにその者と父君が何を話していたかは存じておりませぬ。御剣空。才なくして鬼ヶ島を追われたと聞いておりましたが、先ごろカナリアの地で竜殺しを成し遂げたとか。真偽のほどは定かではありませぬが、あの咲耶さくやが使者に抜擢ばってきしたということは、竜殺しの一件、事実なのでしょうな。紫苑しおんの護衛でも務めさせるおつもりで?」


「否とよ。そらは我が国に仕えるつもりはあるまい。仕えよとも言えぬ。なにせ、空にとって帝国は婚約者である公爵家の娘(クラウディア)を呪った仇なのだから」



 皇帝はじろりとリシャールを睨む。


 カナリア王国への謀略を主導していたリシャールは昂然と顔をあげて父帝の視線を受けとめた。



「父君、それについては先日報告いたしたとおりです。たしかに私はベルヒを通じて御剣を動かしました。ですが、それは公爵の娘に呪いをかけるためではなく、咲耶さくやの婚儀に反対するの地の貴族どもを排除させるためだったのです。娘に呪いをかけたのは実行にあたった術士の独断。私や御剣の意図したことではありませぬ」


「そなたはその独断とやらを知った上で放置していたように思えるのだがな」


「それは穿うがち過ぎである、と申し上げましょう。ただ、あえて言わせていただきます。仮に父君のお言葉が正しかったとして――何か問題がございましょうか?」



 そう言うと、リシャールは皮肉げに笑った。



無辜むこの民を害したわけではありませぬ。父君とて国益のためにいとけなき者の血で手を汚したことはおありでしょう?」


「……む」


「ま、一連の出来事がこちらの不始末であるのはたしかです。それゆえ、咲耶さくやの婚儀を名目としてカナリア王国には多大な援助を約束し、カナリア側もそれをりょうとしたはず。くだんの公爵家もカナリア王の意に従った、と報告を受けております。それを今になって蒸し返すのは、両国のためにならぬと愚考いたしますが――」



 リシャールはそこでいったん言葉を切ると、低い声で父帝に問いを向けた。



そらとやらは、この道理が通じぬ愚物なのですかな?」


「それも否だ。空は呪いについて一言も口にしなかった。余の方から問いかけ、聞き出したのだ」



 いかなる理由があれ、アドアステラ帝国が動いた以上、その責任をとるのは皇帝の務めである。


 皇帝はリシャールの関与には言及せず、公爵令嬢にほどこした呪いについて、己の責任を認めた上で空の考えをたずねた。


 空自身がその件に触れない以上、やぶをつついて蛇を出す結果になるやも知れぬ、とは考えた。だがそれ以上に、これは空という人間の器量をはかる得難い機会である、という思いが強かったのである。


 この皇帝の問いに対して、空は淡々と応じた。




 ――帝国の策動に関して、むろん思うところはある。慈仁坊じじんぼうの行動が独断だったことは公爵家の人たちから聞いているが、だからといって大本の命令を下した者に責任がないとは思わない。


 ――ただ、それを責める資格があるのは、事態の最後に出て来て少し剣を振るっただけの自分ではなく、長きにわたって呪いに苦しめられてきたクラウディア本人であり、また、クラウディアを懸命に支えてきたドラグノート公、アストリッドらの家族である。


 ――だが、三人は帝国を非難しようとしない。それをすれば、帝国との融和を望む国王との乖離がますます広がってしまうことが分かっているからである。カナリア王家と、筆頭貴族たるドラグノート公爵家の対立は、たやすく国を割ってしまう。彼らはそれを避けたのだ。


 ――ドラグノート公爵家の人たちは、カナリア王国を代表する貴族として、自身の痛み、自身の恨みよりも王国の平和を優先した。クラウディアを自邸に迎えた自分は、今や公爵家の一員と見なされている。その自分が己の怒りにまかせて帝国を責めるような真似をすれば、三人の意志を踏みにじることになる。


 ――だから、自分は帝国に対して何を言うつもりもない。再びクラウディアに、あるいは公爵家の人たちに手を出しでもしないかぎりは……




 最後の言葉を述べているときの空の目を思い出し、皇帝はかすかに背を震わせる。


 別段、空は皇帝を威圧したわけではないだろう。ただ静かに事実を述べていたにすぎない。そのことは皇帝も理解している。


 ただ、古びた井戸をのぞくようなくらい眼差しは、千言万語を費やすよりもはるかに明確に空の内心を物語っていた。


 あの時、あの場にリシャールを呼んでおかなかったのは失敗だったかもしれぬ。なおもリシャールと言葉を交わしながら、皇帝は小さからざる後悔を感じていた……






アドアステラ帝国に関する話はこれにて終了。

次話からは鬼ヶ島経由で鬼門編です。


ただ、ちょっと色々立て込んでおりまして、次回更新は12月以降になります。

お待たせして申し訳ありませんが、ご了承くださいませ。

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