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第七十二話 許可


 皇帝アマデウス二世に従ってアドアステラの皇宮を歩いていく。


 俺は皇宮の内部構造を知らないが、しばらく前から通路の壁に窓がなくなっていることから、皇帝は建物の内へ内へと進んでいるものと思われる。


 侍女や廷臣の姿も見当たらない。最後に姿を見かけたのは近衛騎士らしき二人組で、皇帝の後ろに続く俺を見て警戒と驚きの入り混じった視線を向けてきた。


 皇帝が右手を一振りすると二人組は警戒を解いたが、驚きの方は残ったままだったように思う。ひょっとすると、このあたりは皇族以外立ち入り禁止の区画だったりするのかもしれない。


 そんな風にあれこれ考えている間にも、皇帝の歩みは止まらない。先ほどの部屋で、俺は眼前の人物の老いを強く感じたが、こうして見ると背筋は伸び、歩調も安定していて、実に矍鑠かくしゃくたるものだ。


 間もなく皇帝は階段を下りはじめたが、その足取りも危なげがない。俺が手を貸す必要はまったくなさそうである。


 階段はゆるやかに螺旋らせんを描きながら、利用者を下へ下へと誘っていた。吹き抜け状になっている中央部分を覗き込んでも、陰々(いんいん)たる闇が広がるばかりで底はまったく見通せない。


 一瞬、前を歩く皇帝が、獲物を地底に引きずり込もうとする妖魔に見えてぞくりとした。


 もちろん、それはただの気のせい――というか気の迷いだったわけだが、この地下の空気は俺の心をうそ寒くする何かがある。


 以前、どこかでこれと似た感覚をおぼえたことがあった。それほど昔の話ではない。あれはたしか……



そら



 記憶を探っていると、不意に皇帝に名前を呼ばれてハッと我に返る。気がつけば階段は終わっていた。


 闇に慣れてきた目に眼前の情景がゆっくりと映し出されていく。


 そうして、俺は自分が立っている場所が巨大な地下空間であることを知った。ティティスの森で拠点にしている蠅の王の巣、あそこと同じくらいの広さがありそうである。


 そして、その巨大な地下空間の中央には、まるで地面が口をあけているかのような大穴が存在した。


 それを見た瞬間、ぞくりと背筋が震える。同時に、俺は今しがたの疑問の答えにたどりついた。


 そうだ、階段を下り始めてからずっと感じているこの悪寒は、ティティスの最深部で龍穴を発見したときに似ているのだ。ティティスの龍穴に比べれば、こちらの穴はずっと小さく、噴き出る力もわずかだが――それでも両者は同質のものだと感じる。


 そんな俺の着想を肯定するように、皇帝はおごそかに告げた。



「これが龍穴だ。ティティスの森で幻想種を討ったそなたは、すでに知っておろうがな」



 その言葉にうなずくか否か、一瞬だけ迷った。ティティスの最深部で見つけた龍穴について、俺はごく限られた者たちにしか伝えていない。その中に咲耶さくや皇女は含まれておらず、当然、咲耶さくや皇女経由で皇帝が知ることもできない。


 皇帝の言葉はある種の引っかけではないか、と俺は疑ったのである。


 だが、こうして眼前に龍穴が存在する以上、皇帝が龍穴について深い知識を有していることは想像に難くない。それこそ、カタラン砂漠で遭遇したラスカリスという例もあることだ。


 あの不死の王が真実を語ったと判断するのはまだ時期尚早だが、少なくとも、俺より事情に通じているのは間違いない。そして、法神教とも関係が深いアドアステラ帝国の皇帝が、ラスカリスに等しい知識を保有していたとしても何の不思議もない。


 今、皇帝は俺に何かを――おそらくは鬼門に関わる秘事を打ち明けようとしている。それなのにこちらが偽りや虚言で応じれば、向こうが気を変えてしまい、貴重な情報を聞き逃してしまうかもしれない。


 また、もっと単純に、ここで皇帝の機嫌を損ねてしまえば鬼門をくぐる許しを得られない、という事情もあった。


 それゆえ、俺は向こうの言葉を肯定する。



「は。たしかにティティスの最深部でこれと似た大穴を見つけましてございます、陛下」


「うむ。龍穴とは龍脈を流れる原初の力の噴出点だ。我らが踏みしめる大地そのものの力と言いかえてもよい。人の身では力の総量を測ることすらできぬ」



 まさしく無限よな。


 そう言って皇帝は乾いた笑い声を放った後、じっと俺を見つめた。



「その無限に等しき力をもって幻想種は生まれ来るのだ、空よ。我ら人間を狩るために」


「人間を狩る、でございますか?」


「そうだ。そなたも幻想種と対峙したときに感じたのではないか? 世に幻想種と呼ばれるモノは例外なく人間への激しい敵意を抱えておる。その敵意を人間のみに向けるのか、あるいは人間以外の種族にも向けるのか、そこは個体によって差が出るが――人間に対する敵意だけはすべての個体に共通している。あれらは人間を狩る天災なのだ」



 その言葉に、俺は内心で考える。


 これまで俺が対峙してきた幻想種は、ティティスの森のヒュドラ、鬼ヶ島の鬼神、カタラン砂漠のベヒモス。そして、俺の同源存在アニマであるソウルイーターもこれに含まれる。


 ヒュドラに関しては、皇帝の言うとおり、まさに天災という感じだった。


 鬼神やベヒモスはヒュドラとは毛色が異なっていたが、それでも人間に対して敵意を持っていたのは間違いないように思う。この三体に関しては、人間を狩る天災という表現は決して大げさではなかった。


 ――だが、ソウルイーターから人間への敵意を感じたことはない。俺の同源存在アニマ殿はしばしば「あれを喰わせろ」的な意思表示をするが、それは明確に「敵」に対してのみだ。もっと言えば「俺の敵」に対してのみである。人間を狩る天災という表現はあてはまらない。


 その事実が意味するものについて考える俺の耳に、皇帝の言葉が流れ込んでくる。



「龍穴より生まれ来る幻想種が、なぜ人間への敵意を抱えているのか? それは大地そのものに人間への敵意が内包されているからである――そう唱える者たちがいる。人間は空に轟く雷に神を見る生き物だ。幻想種を生み出す大地に、その者たちは神を見た。そして、幻想種を神の使いと崇め、時には討伐を妨害することまでした。それもあって、当初は異端者として排斥されておったのだが……ある時期を境に、この教えは急速に広がり始める」



 その時期とは旧時代のことである、と皇帝は言う。


 いつかも述べたが、旧時代とは人間と鬼人が戦った三百年前の大戦以前の時代を指す。そして、旧時代の記録はほとんど残っていない。大戦によって多くの記録、文献が散逸さんいつしてしまったからである。


 ただ、さすがは大国アドアステラというべきか、この皇宮にはかなりの量の旧時代の文献が存在するらしい。



「現存する旧時代の文献を調べると、幻想種に言及している記録が多く見受けられる。どうやらかつての大陸では、今とは比較にならない数の幻想種が出現していたようであるな」


「その状況が、異端の教えを人々に受け入れさせる素地となったわけでございますね」


「そのとおり。正しき神を信じる者は幻想種に襲われない――その言葉に多くの者が救いを求めて集まった。やがて、その者たちは幻想種を崇め、討伐を妨害するだけでなく、幻想種の真似事まで始めおった」


「真似事、でございますか?」


「彼らの神に帰依きえせぬ者たちを、自分たちの手で狩り始めたのだよ」



 世界中の人間が真の神に従ったならば、神の怒りは解け、幻想種が現れることもなくなる。ひいては人間世界の平和と安定も達せられるだろう。


 これまで異端として排斥されていた恨みを晴らす、という意味もあったかもしれない。ただ、当時の権力者の多くが、幻想種に目もくれず、権力争い、領土争いを続けていたのも確かだったようである。


 その事実が彼らの蜂起に力を与えた。


 自分たちの戦いを浄世じょうせい――世界をきよめるための聖戦と位置づけて、彼らは既存の社会、既存の権力に戦いを挑んだのだという。



 ――光神教の名を掲げて。



 皇帝の口からその名が出たとき、俺は反射的に眉をひそめた。



「……教皇聖下から、法神教の前身となった組織だとうかがいました。三百年前、彼らの中の一派が鬼人族に味方した、とも」


「ほう。そなたが教皇と接触したことは咲耶さくやの書状に記されていたが、はや秘事を明かされていたか」



 皇帝が右の眉をくいっと上げる。驚いたような、納得したような、あるいは警戒したような、不思議な表情だった。


 ややあって、皇帝は気を取り直したようにうなずく。



「教皇の言うとおりだ。光神教は鬼人族とも大きな関わりを持っておる。そして、それはそなたの故郷に鬼門が誕生した理由とも結びついておる。鬼門の秘密が解き明かされたとき、人の世は大きく揺れることになろう。空よ、その事態を防ぐことも御剣家に課せられた役割なのだ」



 鬼門の内よりずるものを封じるのが御剣家の役割ならば、外より鬼門に入らんとするものを阻むことも御剣家の役割である。皇帝はそう述べた。


 それを聞いた俺は、先ほどの皇帝の問いを思い出して、内心でひそかにうなずく。


 鬼門は、ただ鬼神が封じられた場所というだけではない。そこには今の世界を大きく揺るがす秘密が隠されている。皇帝は俺がそれを知った上で鬼門に入ろうとしているのかを確認したかったのだろう。


 そして、俺がそのことを知らないと判断したから、こうして龍穴を前に裏面を語ってくれている。


 どうして過去に一度会っただけの俺に、そこまでしてくれるのかは分からない。たしかに権力者にとって心装を振るう俺の力は魅力的だろうが、望めば剣聖さえ動かせる皇帝が俺におもねる必要はないだろう。


 そんな俺の内心に気づいているのか否か、皇帝は確かな思いやりを感じさせる声音で、俺に最後の確認をとってきた。



「空よ。一度ひとたび鬼門をくぐれば、望むと望まざるとにかかわらず、そなたはの地にうずまく三百年の怨讐おんしゅうと直面することになろう。そうなれば、もはや後戻りはできぬ。そなたばかりではなく、そなたの周囲の者たちも巻き込まれるやもしれぬ。それを知って、なお鬼門をくぐることを望むか? そなたは三百年前の真相なぞ何の興味も持っておらぬ、と余は見ておるのだがな」



 その皇帝の言葉に俺は無言でうなずいた。たしかに俺は三百年前の出来事に興味などない。


 ただ、ノア教皇やラスカリスのことを考えれば、このまま無知でいることは危険である、とは思っている。


 それに、俺の目的ははじめから明確だ。行方知れずとなった弟を助けたいという姉の願いに応え、鬼門の向こうに跋扈ばっこする強大な魔物と戦って力をつける。


 光神教だの怨讐だのについては、実際に目の前に立ちはだかってから考えればよい。


 なにより、帝都まで連れてきたクライアに対し「やっぱりクリムトを助けるのやめます」なんて言えるはずがないではないか。カッコ悪いにもほどがあるわ!



 ――そういった自分の考えを、なるべくオブラートに包んで皇帝に伝えていく。もし皇帝が、そんな浅薄せんぱくな覚悟で鬼門をくぐるなど許さぬ! と言い出したら、また別の手段を考えよう。そう思った。


 しかし、皇帝は俺の言葉に最後まで耳を傾けてくれた。そして、聞き終えた後、その顔に怒気はなかった。失望もない。そこにあったのは、やはり、と言いたげな納得を示す表情。


 その反応の意味を測りかねて戸惑う俺に対し、皇帝はおごそかに告げた。


 よかろう、そなたに鬼門を通る許しを与える、と。



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