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第七十一話 アマデウス二世


 アドアステラ帝国第二十代皇帝アマデウス。その名を持つ皇帝としては二人目にあたり、ゆえにアマデウス二世と称される。


 以前にも少し述べたが、俺は子供の頃、父の代理で出席した宴席で皇帝に声をかけられたことがある。緊張してカチコチに身体を強張らせる俺に対し、いかめしい顔に不器用な笑みを浮かべ、大きな手で頭を撫でてくれた。あのとき、たしか一言ひとこと二言ふたこと言葉を交わしたはずなのだが、記憶はすでにおぼろである。


 当時、すでに皇帝は五十歳を超えていたので、今は六十歳を超えて、ひょっとしたら七十歳に近いかもしれない。


 おそらく、紫苑しおん皇子がアマデウス二世の最後の子となるだろう。老いてから授かった末の子ということで、皇帝もよけいに紫苑しおん皇子を可愛がっているものと思われる。足取り軽く皇子の部屋を訪れたのがその証だった。


 たまさかその場に居合わせた俺にとっては予期せぬ再会である。まあ再会と言っても、皇帝はこちらのことなど覚えていないだろうが、ともかく俺は十年ぶりに皇帝の顔を見た。


 ――最初に脳裏をよぎったのは「小さい」という言葉だった。


 記憶の中の皇帝は見上げるほどに大きかった。しかし、今の皇帝は俺よりも小さいくらいである。頭をなでてくれた大きな手も、しわだらけになってしぼんでいる。


 十年の間に俺は成長し、皇帝は老いた――言ってしまえば、ただそれだけのことなのだが、何故だか胸に詰まるものがあった。


 と、我が子の部屋に見知らぬ人間が立っていることに気づいた皇帝が、怪訝そうな顔でジード男爵を見た。



「男爵、その者は何者だ? 皇宮では見かけぬ顔だが」


「は。咲耶さくや様の使者としてカナリア王国から参った者でございます」


「なに、咲耶さくやの?」



 深みのある皇帝の声に頓狂とんきょうな響きが加わる。そして、切れ長の目がすっとこちらに向けられた。


 右の目に威厳を、左の目に明哲めいてつを宿した眼差しは、大国アドアステラの主にふさわしい品格と迫力を備えている。


 俺は帝国式の敬礼をして、眼前の人物に敬意を表する。頭を垂れる前、ほんの一瞬だが、俺を見た皇帝が驚いたように目を見開いた気がした。



「――む。咲耶さくやの使者なら、何故()のもとに連れて来ぬ? あのおてんば娘め、せっかく付けてやった帝国軍を国境から引き返させおって。指揮をとっていたユーディス将軍が慌てふためいておったわ」



 どういう料簡りょうけんか問いたださねばならん、と鼻息荒く言う皇帝の声は、しかし、どこか楽しげである。娘のとった行動を面白がっているらしい。


 ここで紫苑しおん皇子が口をひらいた。



「陛下、申し訳ございません。僕が姉様の話を聞きたくて、男爵に無理を言って使者のかたをここに連れてきてもらったのです」


「ぬ、紫苑しおんよ。おおやけの席ならともかく、このような場では父と呼んでほしいのだがな」


「あ、申し訳ございません、父上」


「うむうむ、それでよい」



 満足そうにうなずいた皇帝は、頭を垂れたままの俺に顔を上げるよう促す。


 そして、今度はジード男爵ではなく俺に直接問いを向けてきた。



「さて、改めて問うが、そなた、何者だ? 咲耶さくやの使者とのことだが、咲耶さくやの近習にそなたのような男がいた記憶はない。カナリアで雇い入れた者かとも思うたが、あの咲耶さくやが皇宮への使者にあえて新参者を任じる理由がわからぬ」


「陛下、それにつきましては――」



 ジード男爵が進み出て、筒に入った皇女の親書を手渡そうとする。


 だが、皇帝は軽く右手を振って男爵を制した。



「男爵、余はこの者に問うておる」



 別段、皇帝は叱声しっせいを発したわけではない。だが、ジード男爵は雷にでも打たれたようにびくりと身体を震わせると、背筋を伸ばして直立不動の体勢をとった。


 そんな男爵に目もくれず、皇帝は言葉を続ける。



「皇宮では見たことがない。咲耶さくやの近習でも見たことがない。だが、そなたの顔はどこか余の記憶に触れてくる。名乗るがよい、若者よ」



 皇帝の視線がひたと俺の面上に据えられる。


 その途端、ずしり、と両肩に鉛でも乗せられたような重圧が加わった。


 戦意ではない。敵意とも違う。けいだの魔法だのとも関係ない。


 俺が生まれるずっと以前から、一国の頂点に立ち続けてきた人物が持つ品格。人としての重みとでもいうべきものが全身にのしかかってきたのだ。


 位負くらいまけ、とはこういうことを言うのだろう。このとき、俺は確かに皇帝に圧倒されていた。


 ――圧倒されながら、感心していた。なるほど、こういう強さもあるのだな、と。


 この感覚は父に対してさえ抱いたことはない。そう思いながら、俺は皇帝の問いに応じた。



そらと申します、陛下。今は勘当されているため、家名を名乗ることは許されておりませんが――以前は御剣みつるぎそらと名乗っておりました」



 宴の席でお目にかかったこともあります、と続けようとしたが、まあ御剣の名を出せば察してもらえるだろう。そう思って言葉を止め、皇帝の様子をうかがう。


 廃嫡された御剣家の嫡子が、皇女の使者として皇宮にやってきたのだ。皇帝は「いったいどういうことだ」といぶかしみ、険しい表情を浮かべているに違いない。そう思った。


 だが、俺の視線の先で、皇帝は思いのほか穏やかな顔をしていた。まるで俺の口から出る言葉を予測していたかのように。


 相手の反応の意味を測りかねていると、別方向から驚きの声があがった。紫苑しおん皇子の声である。



「え……御剣? え、でも、え、なんで姉様が……ええええ!?」


紫苑しおんや。皇族たる者がそのように驚きをあらわにするものではない。いかなる感情も胸の奥に注意深くおしとどめ、常に沈着を保つ。それが皇族のあるべき姿ぞ」


「は、はい、父上! 申し訳ございません!」


「うむ、精進せよ」



 皇子にうなずいてみせた皇帝は、かたわらのジード男爵に声をかけた。



「さて、男爵よ。咲耶さくやからの書状があろう。出すがよい」


「は、陛下! こちらです!」



 そう言って男爵から書状を受け取った皇帝は、封を破ってこの場で目を通しはじめる。


 どうやら書状はかなりの長文だったようで、皇帝が読み終えるまでけっこうな時間がかかった。


 やがて書状から顔をあげた皇帝は、俺を見て重々しく言った。



「余から鬼門をくぐる許しを得たい、か。空よ、そなたはあの門の先に何が封じられているのか、知っておるのか?」



 問われた俺は戸惑った。あまりにも答えが瞭然としていたからだ。元とはいえ御剣家の人間に向ける問いではない。


 俺は一瞬答えをためらったが、あえて頓智とんちを働かせる場面でもないだろうと思い、率直に答えた。



「鬼神が封じられている、と心得ております」



 こちらの返答を聞いた皇帝はすっと目を細め、何か考える素振りをみせた。


 ややあって、皇帝はきびすをかえして部屋の扉に向かう。


 突然の行動に室内の人間が戸惑う中、皇帝は顔だけを俺に向けて言った。


 ――ついてまいれ、空。


 

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