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第六十九話 帝都へ


「しっかりつかまっていろよ」


「は、はい……!」



 クライアが呼びかけに応じるや、そらは手綱をひいて藍色インディゴ翼獣ワイバーンを宙高く浮上させる。


 みるみる遠ざかっていく地上の風景。クラウ・ソラスという名の翼獣ワイバーンに乗るのは初めてではなかったが、一度や二度乗ったところで慣れるものでもない。けいによる空中歩行とはまた違った浮遊感に、クライアの背がぞくりと震えた。


 イシュカの上空に舞い上がったクラウ・ソラスは、そのまま東に向かって飛行をはじめる。目指すはアドアステラ帝都イニシウム。すでに国境を越えて帝都まで向かう許可はとっている、とは空の言である。


 のみならず、皇帝と謁見する段取りまでついているという。クライアが空の家に転がり込んでから、まだ四日と経っていない。王都から戻ってきた空にそのことを告げられたとき、クライアはあまりの手際の良さに驚くほかなかった。


 驚くといえば、空がクライアに同行を許したことにも驚きを禁じえずにいる。


 むろん、同行をいとっているわけではない。地面に頭をこすりつけてでも鬼門に連れて行ってもらうつもりだった。


 ただ、クライアの身体はまだ完調にはほど遠く、戦闘行動はおろか日常生活にも支障をきたしている有様で、これではとうてい鬼門に踏み込むことはできない。これはイシュカに着くまでの無理がたたった結果だった。


 これでは空と同行したところで足手まといにしかならないだろう。以前に空からもらった回復薬ポーションをもう一度使わせてもらえれば、一時的に全力戦闘をおこなうことはできると思われるが、これに関してはクライアを治療してくれたセーラ司祭から厳重な注意を受けていた。もう一度同じことをすれば、今は一時的なものである身体の不調が恒久的なものになりかねない、と。


 当然、このことは空にも伝えられているはずである。だから、クライアは空が同行を許してくれるとは思っていなかった。クライアが空の立場でも、わざわざ足手まといを連れていこうとは思わない。


 それなのに、空はごく当たり前のようにクライアを同行者に選んでくれた。おそるおそる真意を問うクライアに対し、黒髪の青年は肩をすくめてこう返したものである。



「帝都から戻ってくるまで安静にしていろ、と言ったところでどうせ無理だろ? 俺の帰りが少しでも遅れれば、待ちきれずに独りで鬼ヶ島に向かうのが目に見えているからな。見えないところで勝手な行動をとられるよりは、目の届くところに置いておいた方が安全だ」



 それだけのことだ、との言葉にクライアはぐうの音も出なかった。


 鞍上でそのことを思い出している間にも、クラウ・ソラスは風を切ってカナリアの大空を飛翔している。鞍から落ちないよう空の背に抱き着きつつ、クライアが視線を地上に向けると、カナリア王国の大地が目に飛び込んできた。


 絵巻物のように次々とうつりかわっていく景色に、知らず口から嘆声がこぼれる。クライアはつい先ごろ、悲壮な覚悟であの土の上を駆けていたのだ。まさか数日後、こうしてワイバーンに乗って上空から帝都を目指すことになろうとは想像もしていなかった。


 はたしてこのまま無事に帝都に着くことができるのか。帝都に着けたとして、みかどに会って鬼門に入る許しを得ることができるのか。帝の許しを得たとして、御剣家が素直に鬼門を通してくれるのか。鬼門を通れたとして、そこからクリムトを探し出すことができるのか。


 考えればきりがない。考えても仕方ない。


 いくら自分にそう言い聞かせても、不安は尽きることなく湧いてくる。クライアは視線を地上の景色から引きはがし、眼前の空に向ける。そして、目を閉じて空の背中に顔を埋めた。


 そうすると、あれほど胸を騒がせていた不安が嘘のように消えていく。


 クライアは空の身体に回した手に、少しだけ力を込めた。



◆◆◆



そら殿」


「なんだ?」



 何度目かの休憩のおり、クライアが話しかけてきたのでそれに応じる。


 こちらを見るクライアの顔にはまだ憔悴しょうすいの跡が残っていたが、土気色だった顔色はだいぶマシになってきている。声音も落ち着いており、眼差しにも焦りの色はない。


 完調にはほど遠いが、回復に向かっていることは間違いないだろう。正直なところ、衰弱から抜けきっていないクライアを同行させたのは間違いではなかったか、と心中で悩んでいたのだが、こうして見るかぎり良い方向に作用しているようで、密かに胸をなでおろす。


 クライアはそんな俺の様子を見て少し不思議そうな顔をしたが、それについては特に言及せずに言葉を続けた。



「皇女殿下の計らいで皇帝陛下に謁見する段取りはついている、とのことでしたが……このままですと、私たちは皇女殿下の使者より先に帝都に着いてしまうのではありませんか?」


「ああ、そのことか」



 クライアの心配の内容を悟って小さくうなずく。


 おそらくクライアは、咲耶さくや皇女が早馬なり何なりで俺たちのことを父帝に伝えようとしている、と考えているのだろう。


 言うまでもないが、空を飛ぶ藍色インディゴ翼獣ワイバーンと、地上を駆ける早馬では前者の方が圧倒的に早い。俺たちが皇女の使者より先に帝都に着いてしまえば、事情を知らない皇帝は会ってくれない。当然、鬼門をくぐる許しも得られない。クライアはそれを案じているわけだ。


 俺はかぶりを振ってクライアの不安を払ってやった。



「心配するな。何故といって、皇女の使者は他ならぬ俺だからな。ほら、これが親書」



 懐から厳重な封がほどこされた筒を取り出す。もちろん筒の中には皇女から皇帝にあてた書状が入っている。


 普通、こういうのは信頼する家臣に託すものなのだが、ワイバーンに優る移動手段がない以上、俺に親書を託すのが最も効率的である、と咲耶さくや皇女は判断したわけである。


 ちなみに、これを持って直接皇宮に行くわけではない。この筒は皇族しか使えないもので、ある種の身分証明にもなるそうだが、それだけで謁見の間に直行できるほど皇帝の位は軽くない。


 咲耶さくや皇女の母親や弟は皇宮の中で暮らしているので、そこを手づるとすることも不可能。


 なので、まずは皇女と親しい貴族をたずね、そこから皇帝に書状を届けてもらう、というのが皇女が考えた手立てであった。



「なんでも弟皇子の傅役もりやくを務めている貴族らしいな。その貴族にあてた紹介状も書いてもらった」



 そう言うと、クライアは驚いたように目を丸くする。



「至れり尽くせりですね。皇女殿下はよほど空殿を信用なさったとみえます」


「さて、それはどうかね」


「と、言いますと?」


「皇女殿下いわく、俺は恨みも恩も決して忘れない人、らしいからな」



 先日、別れ際に言われた台詞である。俺に関する情報を集め、実際に接した上で皇女が導いた俺の性格分析だ。


 俺としてはそこまで執念深くもなければ義理堅くもないつもりだが、それはさておき、皇女は今のうちに俺に売れるだけ恩を売っておくつもりらしい。


 交換条件を提示してくれれば、それを果たすことで貸し借りの収支をチャラにできるんだけどな、とため息を吐く。


 今回皇女から受けた多大な恩を、今後いかにして返していくのか。これもなかなかに頭が痛い問題だった。


 そんなことをつらつら考えていると、事の発端となった人物が肩をちぢめて頭を下げる。



「申し訳ありません、私が空殿を頼ったばかりに……」



 まったくだ、この借りはお前自身で返してもらおうか――そう言ってクライアを抱き寄せる選択肢が脳裏に浮かんだが、さすがにここでは自重した。おそらく、俺が求めればクライアは拒むまい。だが、弟を助けるために骨身をけずっている姉に対し、色めいた要求を突きつける気にはなれない。


 ここは咲耶さくや皇女にならって、クライアにたっぷり恩を売っておこう。義理堅いクライアのことだから、無事にクリムトを見つけることができれば、自分の意思で行動に移ることだろう。


 そう思って、つとめてサワヤカな声音で「気にするな」と伝えると、クライアが感謝と申し訳なさの入り混じった眼差しで俺を見つめてきた。


 その視線はとても近い。


 ……別段、クライアが急に顔を寄せてきたわけではない。話の初めからずっとクライアは俺のすぐ横に座っているのである。


 具体的には互いの服を通して相手の体温を感じられるくらいの距離。ほとんど密着状態である。


 念のために言っておくと、俺がそうしろと命じたわけではない。クライアが自分の意思でしているのだ。


 付け加えれば、ここまでの休憩時もずっとそうだった。クラウ・ソラスに乗って飛んでいるときも、ずいぶん強い力で後ろから抱き着いてくる。


 クライアの真意は不明だが――まあ、美少女と密着しても嫌な気はしないので、向こうのやりたいようにやらせておこう。色々あったから、単純に心細いだけかもしれないしな。


 そんな俺の内心を読んだわけでもあるまいが、こちらを見ていたクライアの唇がふっとほころぶ。


 なお結論から言うと、クライアの距離感は帝都に到着するまでずっと変わらなかった。



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