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第六十五話 鬼門への使者


盟主マスター、今日はわざわざご足労いただき、ありがとうございました」



 王都にあるサウザール商会本店。その一室でミロスラフが頭を下げる。


 皇女との対面が思いのほか早く終わったので、俺は王宮を出たその足でサウザール商会に向かったのである。そして、あらかじめイシュカで計画していたとおり、ミロスラフの父である商会長に礼服を仕立てたい旨を伝えた。


 なお、王宮でクラウディアにも話を通しておいたので、竜殺しとドラグノート公爵令嬢の二人分、ということになる。


 これを聞いた商会長は夢かとばかりに歓喜し、下にも置かないもてなしをしてくれた――具体的にいうと、目の前に高い酒が並んで、左右に綺麗なお姉さんたちが座った。


 なんとも即物的な歓待に苦笑しつつ、適当に商会長と言葉を交わす。


 そうしてわかったのは、ミロスラフの父がほぼ想像通りの人物であるということだった。「欲深な商人」の一言で全体像を説明できそうである。実際、商会長の口から出る話題は、金銭か、権力か、女色にまつわるものが大半で、ある意味わかりやすい人だった。


 もっとも、向こうは徒手空拳の身から王都で三指に入る大商会を築き上げた商人だ。そう見せかけているだけ、という可能性もあるだろう。


 ただ、あらかじめミロスラフから聞いた話を踏まえても、俺の印象と実像が大きく乖離かいりすることはなさそうだ、とも思う。


 宴は長々と続き、結局、その日はサウザールの本邸に泊まることになった。是非ともそうしてほしい、と商会長に強く勧められたのだ。俺を懐に抱え込んだ商会長がどういう行動をとるかに興味があったので、俺はその勧めを容れた。


 ミロスラフが冒頭の台詞を口にしたのは、俺を客室に案内した直後のことである。


 それに対し、俺はひらひらと手を振って応じた。



「俺が自分で足を運んだんだ。気にする必要はないさ」


「それでも、わたくしの家に関わることで盟主マスターのお手をわずらわせてしまったことは事実ですから」



 そういってミロスラフは深々と頭を下げる。その動きに応じて、特徴的な赤毛がさらりと揺れた。


 そんなミロスラフを見て、わずかに目を細める。最近はこの慇懃いんぎんな態度にも慣れてきたが、それでも眼前の魔術師がかつて俺に向けていた態度を忘れたわけではない。


 いつも厭わしげに俺を睨みつけていた過去のミロスラフを脳裏に描きつつ、俺はミロスラフに隣に座るよう指示をする。


 右手でソファをぽんぽんと叩くと、ミロスラフは頬をほんのりと赤く染めながら指示に従った。赤くなっているのは、魂をむさぼられるか、性をむさぼられるか、いずれにせよ俺がそういう行動に出ると思ってのことだろう。


 実際、普段であればそのまま乱暴に抱き寄せて事に及んだに違いない。


 ただ、今回サウザール商会にやってきたのは、これまでのミロスラフの働きに報いようと思ってのことだ。強引な行為はなるべく慎まねばなるまい。


 そんなことを考えながら、俺は口をひらいた。



「俺が王宮に行っている間、父親から何か訊かれたか?」


「は、はい。盟主マスターとの関係について、しつこいほどに……」


「具体的には?」


「その……盟主マスターは今後、間違いなく爵位を与えられて貴族に列せられるでしょう。そうなると、クラウディア様の他にもうひとり妻をめとることになります。父はわたくしがその第二夫人の座におさまることができるのかをひどく気にしていました。そのために必要とあらばいくらでも援助する、とも申しておりましたわ」


「なるほどね」



 娘が竜殺しの正妻となれば、それだけでサウザールの名は大きく喧伝けんでんされる。同時に、ドラグノート公爵家ともつながりができるわけで、商会長としては是が非でもミロスラフを夫人の席に押し込みたいに違いない。


 俺は皮肉っぽく笑いながら問いかける。



「で、どう返事をしたんだ?」


「できるかぎり、そうなるように努めます、と……もちろん、父から援助を引き出すための口実ですわ!」



 慌てて言い添えたのは俺が機嫌を損じると思ってのことだろう。


 そんなミロスラフを見て、俺は意地悪く口を歪めた。



「口実、か。相手が誰であっても妾や情婦になるつもりはない、と以前に聞いた気がするんだが、本当に口実なのか?」



 心装を会得して間もなく、ミロスラフを蠅の王の巣に引きずり込んだときのことを思い出しながら問いかける。


 すると、ミロスラフは窮したように口をつぐんでうつむいた。


 ――この反応を見ると、そういう望みがまったくない、というわけでもないのだろう。


 意外だ、とは思わない。今日までのミロスラフの意地らしいほどの献身ぶりが、俺に対する恐怖や贖罪しょくざいの念のみで構成されている、と考えるのはさすがに間抜けが過ぎる。


 ただ、それはまっとうな好意やら愛情やらではない。これまでの俺とミロスラフの関わりの中で生じた感情がねじくれて、好意や愛情に似た姿をとっただけ。


 そう思ったから、俺は向こうの感情に応えることも、拒むこともしなかった。たとえ錯覚の産物であろうと、ミロスラフが俺に尽くす姿勢をみせているのは歓迎すべきことだったから、利用できるだけ利用する。外道な考えであるが、ミロスラフ相手なら心も痛まない――少なくとも、当初はそう考えていたのである。


 そんな俺の思惑に気づいているのかいないのか、ミロスラフは俺のために懸命に働きつづけた。我が身をかえりみない解毒薬の改良や、シールとスズメを守るための自爆魔法の行使など、今やその献身ぶりは蠅の王の一件のつぐないとしては十分すぎる域に達している。


 このところ、ミロスラフを相手にした夜伽や魂喰いは控えているのだが、その理由はこれだった。もっといえば、今回ミロスラフの働きに報いようと思い立った理由も同じである。


 さすがにこうまで真摯に尽くされると、なけなしの良心がうずいてしまうのだ。


 ヒュドラに鬼神、ベヒモスと立て続けに幻想種を喰ったことにより、夜の魂喰いの比重は軽くなっている。ルナマリアもそうだが、そろそろ蠅の王から続く関係を清算するべきなのかもしれない。


 そんなことを考えながら、ミロスラフに向かって口をひらく。



「話は変わるが、何か欲しいものはないか?」



 それを聞いたミロスラフは、うつむいていた顔をあげ、戸惑ったように目を瞬かせた。



「欲しいもの、ですか?」


「このところお前はよくやってくれてるからな。新しい杖なりローブなりを贈ろうと思っていたんだが、どうせならお前が欲しい物の方が良いと思ってな」


「それは、その……ありがとうございます。盟主マスターに働きを認めていただけて光栄ですわ」



 顔から戸惑いを消さぬままに応じたミロスラフは、恐縮したように肩を縮める。



「ただ、欲しいものと申しましても……すでに過分なほどに給金をいただいております。この上を望むのは欲深のそしりをまぬがれないでしょう。なにより、わたくしは盟主マスターのために働けるだけで、十分に満たされております」



 明らかに遠慮している様子のミロスラフを見て、これは当初の予定どおり杖なりローブなりに決まりそうだな、と内心で思う。


 と、ここで不意にミロスラフがぐっと顔をあげて俺を見つめてきた。どこか必死ささえ感じられる面持ちで言葉を続ける。



「それでも我がままを言わせていただけるのなら、今宵、盟主マスターのお時間をいただけないでしょうか。その、盟主マスターがベルカより戻られてから、おそばに侍る機会がありませんでしたので……!」



 顔中を朱に染めるミロスラフを見て、俺は無言でミロスラフを抱き寄せる。


 抵抗する素振りもなく、ぽすんと俺の腕の中におさまった魔術師の口から感極まったような声があがった。


 この分だと寝所に呼ばれないことをかなり気に病んでいたのだろう。前述したようにミロスラフを呼ばなかったのは俺なりに気をつかった結果なのだが、見事に逆効果だったわけだ。


 そのことを悟った俺は、ミロスラフの視界の外で小さく苦笑する。他者は知らず、俺とミロスラフの関係においては、妙に気をつかったりせずに自儘じままに振る舞った方が良い結果が出る。そのことを理解したからであった。


 ――その夜、商会長からの「贈りもの」が部屋に届かなかった理由はわざわざ語るまでもないだろう。



◆◆◆



 空とミロスラフがサウザール邸で言葉を交わしていた時刻、イシュカの邸宅ではシールがヤマネコの耳をピンと立て、警戒するように外の様子をうかがっていた。


 それまでシールの話相手を務めていたスズメが不思議そうに首をかしげる。



「あの、シールさん、どうかしたんですか?」


「……スズメちゃん。今、門から呼び鈴の音が聞こえてこなかった?」


「そ、そうですか? 私は気づきませんでしたけど……」



 スズメはそう言って、シールにならって耳をそばだてる。だが、やはり何も聞こえてこない。


 すでに日はとっぷりと暮れており、こんな時間に呼び鈴を鳴らせば非常識のそしりをまぬがれない。それでも呼び鈴を鳴らすとしたら、よほどの急用があった場合だ。ただ、その場合は一度や二度鳴らしただけで止めたりせず、屋敷の人間が出てくるまで呼び鈴を鳴らし続けるだろう。


 シールの耳の良さを考えれば、気のせいという可能性は低い。同時に、たちの悪い悪戯とも考えにくい。ここが竜殺しの邸宅であることは広く知れ渡っており、わざわざ夜分に悪戯を仕掛ける者がいるとは思えないからである。


 ソラとミロスラフは王都に、イリアはベルカに、ルナマリアとウィステリアはティティスの森に、それぞれ出向いている。今、この家にいるのはシールとスズメを除けば、セーラ司祭と三人の子供たちだけだ。


 ソラから「留守を頼む」と言われていたシールは、念のために門の様子を見てくることにした。ソラたちに比べればまだまだ未熟とはいえ、そこらの物取りに不覚をとるような鍛え方はしていない。


 そう思って気合を入れるシールの後ろにはスズメの姿がある。スズメもまた、先の鬼ヶ島勢の襲撃以降、魔法に体術にと修練に励んでいる。シールの足を引っ張るつもりはなかった。



「これで猫が悪戯していただけ、とかだったら拍子抜けだね」


「後でソラさんたちに笑われちゃいますね。でも、何もないならその方が良いと思います」



 そんな会話を交わしながら二人は邸宅を出る。そして、広い中庭を通って外門へ向かった。


 はじめ、警戒しながらゆっくり歩いていた二人は、門のところで倒れている人影を見つけるや、一気に駆け足になった。


 その人物は髪も服も泥にまみれ、浮浪者同然の姿をしていたが、それを見ても二人の足は止まらない。


 どれだけ泥にまみれていようとも、特徴的な白い髪はみまがいようがない。矢絣やがすりの着物も、緋袴ひばかまもだ。


 それは間違いなくクライア・ベルヒだった。


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