第六十四話 対面
俺と咲耶皇女との対面は速やかに実現した。王都のドラグノート邸に出向いて皇女の招きを受けると伝えたら、その日のうちに王宮に連れていかれたのである。
いくら向こうから招かれたとはいえ、何日かは待たされると思っていたから驚いた。
ドラグノート公に聞いたところ、なんでも皇女の方から指示があったそうである。俺がやってきたらすぐに知らせるように、と。
ここまで来ると、皇女がただの興味で俺を招いたという線は完全に消えた――そんなことを考えながらドラグノート公と共に王宮の廊下を歩く。
そうして案内されたのは、つい先ごろクラウディアと共に国王、王太子の二人と会ったあの部屋だった。付け加えれば、皇女はすでに部屋の中で俺を待っており、その隣には教皇の介添え役として王宮に詰めているクラウディアの姿もあった。
これはドラグノート公も聞いていなかったらしく、公爵の顔にかすかな驚きが浮かぶ。それを見た皇女は羽毛の扇で口元を隠しつつ、ころころと笑った。
「御令嬢をさしおいて婚約者殿と会うわけにもいきませんでしょう、パスカル殿」
ドラグノート公の名前を呼んだ皇女は、次いで俺に視線を向けて柔らかく微笑む。
「はじめまして、竜殺し殿。わたくしが咲耶です。こちらの招きに速やかに応じてくださったこと、心より嬉しく思います」
穏やかな第三皇女の言葉は俺にとって意外なものだった。
先日、クラウディアから聞いた話によれば、アザール王太子は帝国で顔を合わせた咲耶姫の権高な態度が気に入らず、それもあってクラウディアとよりを戻そうと考えたという。
俺の頭の中にはその話が残っており、咲耶姫に対しては、こう、吊り目がちで勝気な皇女の像ができあがっていた。
ドラグノート公からカナリア王宮における皇女の振る舞いを聞き、その印象は多少弱まってはいたものの、それでも最初の印象は消えていなかった。
ところが、実際に対面した第三皇女は穏やかで礼儀正しく、いかにも淑やかな姫君というたたずまいである。容姿にも言動にも圭角を感じさせるところはない。
内心で首をかしげつつ、俺も貴人に対する礼をとる。
「お初にお目にかかります、皇女殿下」
顔に皇女の視線を感じつつ、丁寧に頭を下げる。一瞬、俺を見る皇女の眼差しに鋭い光がよぎったような気がしたが、俺がそれを確かめるより早く皇女が言葉を続けた。
「さあ、竜殺し殿も、パスカル殿もこちらへいらしてください。こちらからお話をしたくもあり、そちらのお話を聞きたくもあり。時が限られている以上、寸秒も無駄にはできませんからね」
こうして俺はドラグノート公やクラウディアと共に皇女と歓談することになった。
もっとも、歓談といっても、俺は皇女の話相手をつとめるような話術や教養の持ち合わせはない。なので、もっぱら聞き手にまわってばかりだった。
話を進めたのは主に皇女であり、絶えず笑みを浮かべつつ、俺、ドラグノート公、クラウディアの三人を相手にたくみに話をまわす。
話の内容はあたりさわりのないもので、たとえば帝国の内情だとか、俺の仕官だとか、今後のカナリア王国についてだとか、そういった際どい話題はいっさい出てこなかった。
かといって、何も考えず無邪気に世間話に興じているわけでもない。どうも俺の見た感じ、皇女は俺たち三人の関係をそろりそろりと探っている風である。
先ごろ、俺とクラウディアはそろって王宮に参上し、国王や王太子の面前でイチャイチャした。あの場には他の家臣はいなかったが、クラウディアが王宮でずっと俺の手を握っていたこともあり、ドラグノート公爵の娘と竜殺しの関係が宮廷雀の話題にのぼったことは疑いない。
皇女はこれについて詳しい情報を得たかったのだと思われる。
俺とクラウディアの関係はすでに衆目に明らかになっているが、俺が公爵家に婿入りするのか、それともクラウディアが公爵家を出て俺の家に入るのかは重要だ。ドラグノート公には男児がいないこともあり、このあたりは次代のドラグノート公爵位にも関わってくる。
それは同時に、俺とドラグノート公の親疎を推し量る意味も含まれていた。将来のカナリア王妃として、筆頭貴族と竜殺しの結びつきに無関心ではいられまい。
今後の関係が敵味方どちらに分かれるにせよ、情報は多いに越したことはない。皇女の話ぶりからはそういった意図が感じられた。
ふむ、と俺は内心でうなずく。
眼前の皇女様がただ淑やかなだけの姫君でないことは明白だが、頭が回ることは間違いない。礼儀もわきまえている。この場にクラウディアを呼んだのは要らぬ誤解を避けるためだろうから、人心に配慮することも知っている。
それらをまとめていえば、話し合いができる相手、ということである。
なんとなくだが、ドラグノート公が皇女に好意的な理由が理解できた気がした。
今後、たとえば皇女が王国の主権を欲して公爵の敵に回ったとしても、利と理を示せば政敵の言い分にも耳を傾けてくれるだろう。
アザール王太子にこういった感覚を抱くことはできない。あの王太子は、敵は敵、味方は味方と区別し、敵の言い分には耳を貸すこともしないと思われる。
公爵にしてみれば、クラウディアの一件で王家との間に溝ができたことは自覚せざるをえないところだ。今後、王太子が即位して国王の座につけば、その溝はますます大きく、深くなっていく。
そう考えて淡い憂愁をおぼえていたところ、思いもかけず話のわかる姫君が王太子の妃として現れた。それは好意的にもなるだろう。
帝国はクラウディアの排除を目論んだ相手でもあるわけだが、十四、五歳の姫が主体的に陰謀に関わっていたとは考えにくい。慈仁坊が動いたのが一年以上前だったことを考えれば、さらに可能性は減じるだろう。
こうなると、この皇女がはじめに王太子に示した権高な態度とやらが気になるところだ。具体的に何を言ったのかは知らないが、初対面の相手、それも生涯を供にする伴侶に対し、何の理由もなくきつく当たるような人ではないだろう。
皇女があえて王太子に最悪の第一印象を与えたのだとすれば、その理由は王太子の器量を試すためか、あるいは王太子が自分に対して情を抱かないようにするためか――そんな風にあれこれ考えていると、部屋の扉がノックされた。入ってきたのは廷臣のひとりで、国王が皇女を呼んでいるという。
それを聞いた皇女は残念そうに小さく息を吐くと、俺に視線を向けた。
「ここまでのようですね。せっかく足を運んでくれた竜殺し殿には申し訳ないですが」
「殿下のご尊顔を拝することができただけでも光栄というものです。どうか私のことはお気になさいませんよう」
慣れない美辞麗句を苦心してひねり出していると、皇女は可笑しそうに口元を扇で隠しながら言葉を続ける。
「そのように無理してかしこまらずとも結構ですよ。わずかな非礼に目くじらを立てるほど狭量ではないつもりです」
「は、その、恐縮であります」
「竜殺し殿とはこれから良き関係を築いていきたいと思っています。かなうならば、こたびの婚儀にも参列していただきたいところですが、ご都合はいかがでしょう?」
皇女当人を前にして、無理ですね、などと言えるはずもなく、俺は諾の返事をする。まあ、どのみちクラウディアとの関係をおおやけにした以上、参列するつもりではあったから問題ない。
ティティスの森で同源存在との同調を進めているウィステリアのこともあり、あまり王都に長逗留するわけにはいかないが、このところウィステリアはパズズとあるていど渡り合うことができている。
具体的にいえば、同調まではいかずとも、パズズに身体を乗っ取られることはなくなった。龍穴近くで活性化したパズズを相手にそれができるのだ。蠅の王の巣でじっとしている分には特に問題ないだろう。
俺の応諾の返事を聞いた皇女は満足そうに微笑むと、最後にこう言い添えた。
「竜殺し――いえ、ソラ殿も何かお困りの際は、遠慮なくわたくしを頼ってください。かなうかぎりお力になりましょう」
「お言葉、ありがたく頂戴いたします。窮した折には殿下のお情けにすがらせていただきましょう」
そういって頭を下げる。
もちろん、それは礼儀上の返答に過ぎなかった。今の俺はたいていのことは自力でなんとかできるし、そうでなくとも王侯貴族に借りをつくろうとは思わない。これは皇女の人柄とはまったく別の話だ――このとき、俺は確かにそう考えていた。
まさか、それから三日と経たないうちに皇女の力に頼ることになろうとは思いもせずに。