第六十三話 皇女の招き
アドアステラの咲耶姫から王宮に招かれたとき、最初に俺の頭に浮かんだ言葉は「勘弁してくれ」だった。
結界魔術の触媒を手に入れて、ようやくヒュドラの一件に終止符が打てたと思った矢先に新たな厄介事が舞い込んできた気分である。
いやまあ、ドラグノート公を介した招待は礼儀にのっとったものであり、その意味では厄介事と決めつけるのは早計かもしれない。
ただ、相手は今カナリア中の注目を一身に集める第三皇女。王太子妃にして将来のカナリア王妃であり、身分の上下を問わず皇女に会いたいと望む者は山ほどいるに違いない。
そんな状況でわざわざ皇女の方から俺を招いたのだ。何かある、と考えるのは当然のことであろう。
ドラグノート公の書状によれば、皇女は帝国の威を振りかざすことなく真摯な態度で人々に接しており、宮中で好意的に迎えられているという。今回の招待も「可能であれば是非」という形になっているため、断れないことはないが……
「さすがにそれはまずいよなあ」
ぼりぼりと頭をかく。
先だってクラウディアと共に国王や王太子と顔を合わせたことで、俺は間違いなくドラグノート公爵家の一員だと思われている。皇女もそう考えたからこそ、ドラグノート公を介して招待してきたのだろう。
ここで俺が招きを断れば、皇女はもちろんドラグノート公の顔も潰すことになる。へたをすればクラウディアまで巻き込んで大問題になりかねない――そう考えて、俺は皇女の招待を受けることを決めた。
そして、これから会う皇女のことを調べることにした。なにせ俺が咲耶姫について知っていることといえば、帝国の第三皇女であることくらいだったから。
幸いというべきか、当然というべきか、婚儀を間近に控えたカナリア王国で皇女の情報を集めるのは簡単だった。それこそイシュカの表通りを歩いているだけで噂が耳に飛び込んでくるレベルである。
ただ、俺に関していえば、わざわざ表通りを歩かずとも情報を聞くことは可能だった。情報源はミロスラフである。どうやら商会を経営している父親経由で婚儀に関わる情報を仕入れていたらしく、現在のアドアステラ帝国の皇室情報まで教えてくれた。
「遅かれ早かれ、帝国が竜殺したる盟主に接触してくるのはわかっておりましたから」
だから俺たちがベルカに行っている間に調べておいたのだ、とはミロスラフの言である。なんともかゆいところに手が届く配慮だ。わざわざ嫌っている父親を介して精度の高い情報を仕入れてくれた点もありがたい。
以前から命じていた解毒薬や回復薬の改良も順調に成果を出しているし、これは近いうちにミロスラフの働きに報いる必要があるかもしれない。そんなことを考えつつ、俺はミロスラフが集めた皇女の情報に目を通した。
皇女の咲耶という名前は俺の母の名前――静耶――と似通った響きがある。容姿も黒髪黒目だそうなので、これも母と共通している。
ただ、どちらも大陸東部ではめずらしくないものなので、二人の間に血縁関係があるとか、そういうことはないと思う。母は市井の出であり、咲耶姫の母親は東部の有力諸侯の娘だそうなので、そちらの意味でもつながりはないだろう。
――母に関して述べる際に「思う」とか「だろう」という言葉が付くのは、俺自身、母の出自を詳しく知らないからである。母は昔のことをほとんど語らない人で、幼い俺が訊ねると決まって哀しそうな、寂しそうな顔をした。訊いてはいけないことなのだ、と幼心に感じたことをおぼえている。
俺が知っているのは母が大陸東部の生まれであることだけ。それとて帝国領の東側なのか、あるいは帝国に与していない極東地域のことなのかも分からない。
父はもちろん知っているだろうが、当時の俺が父に話しかけられるはずもなく――と、いけないいけない。いま考えるべきは母の出自ではなく咲耶姫のことだった。
今しがた述べたように、咲耶姫はアドアステラの皇帝と、東部貴族の娘の間に生まれた皇女である。この母親は寵姫として今もアドアステラ皇宮で健在であり、皇帝との間に一男一女をもうけている。
一女はむろん咲耶姫。一男は今年十歳になる紫苑皇子。皇帝はかなりの高齢なので、おそらく紫苑皇子が最後の男子となるだろう。
で、皇帝は寵姫の産んだ末っ子が可愛くて仕方ないらしく、壮年のリシャール皇太子との間にときおり無音の軋みが走っているという。
リシャール皇太子は若かりし頃の父帝にまさる苛烈さで知られている。一方、父帝の方は年を経るに従って融和政策にも意を用いるようになっており、この点でも父子の間はうまくいっていないらしい。
してみると、今回の婚儀は皇帝の意思が強く働いているのかもしれない。皇太子ならば婚儀などせず、直接に兵を送ってカナリア王国に侵攻してくるだろう。
深読みすれば、咲耶姫がカナリア王宮で辞を低くして人心を集めているのは、いざ帝国で内乱が発生したとき、カナリア兵を動かして父や弟を助けようと考えてのことかもしれない。カナリアの兵力もさることながら、帝国領の広大さを考えたとき、竜騎士団の機動力は大いに活用できる。
その竜騎士団の先頭に竜殺しがいれば戦力的にも申し分ない――あれ、皇女の狙いが早くもわかってしまったかも?
「さすがに考えすぎかね。ま、行ってみればわかることか」
俺は軽く肩をすくめ、今後の予定について考えた。
ドラグノート公に承諾の返事をおくって、そこから面会の日にちを調整して改めて王都に出向き――となるといろいろ面倒だ。いつ別の面倒事が生じるかもしれず、皇女との対面は早めに済ませておくに越したことはない。
ここは俺が直接承諾の返事をもって王都に向かうべきだろう。話が来るや、即座に駆け付けたということで皇女の印象も良くなるに違いない。別段、皇女に媚びるつもりはないのだが、へたに目をつけられて公爵家に迷惑をかけるわけにはいかないからな。
そして、王都に行く目的はもう一つある。
「今度はミロスラフもついてきてくれ。サウザール商会に寄りたい」
侍女のごとくそばに控えていたミロスラフに声をかけると、赤毛の魔術師は驚いたように目をみはった。
「喜んでお供しますが……父の商会に何の用がおありなのでしょう? わざわざ盟主が足を運ばずとも、わたくしが出向いて用件を伝えることもできますわ」
「なに、『血煙の剣』のマスターとして、一度くらいは顔を合わせておいた方が良いと思っただけだ。ご息女にはいつも世話になっている、とな」
それを聞いたミロスラフは、なんと答えてよいか分からない様子で口をつぐんだ。俺が冗談でいっているのか、本気でいっているのか、判断しかねたのだろう。
ちなみに正解は「本気」の方である。
もともと、サウザールの会長からはミロスラフ経由で「一度会いたい」と伝えられていた。たしか、スキム山から戻ってきたミロスラフが正式に『血煙の剣』に加入した頃だったと思う。
ただ、そのときは会わなかった。ミロスラフいわく、ドラグノート公らとつながる俺の人脈を欲してのこと、とのことだったので会う必要を認めなかったのだ。本音をいえば今も会いたいとは思っていない。
ただ、今回のようにミロスラフがサウザール商会の力を借りて役に立ってくれたことは、これまでにも何度かあった。なので、ここらで返礼のひとつもしておこうと考えた次第である。
父親を嫌っているミロスラフは、俺の話を聞いても眉根を寄せたままだった。
ややあって、薄紅色の唇がゆっくりとひらく。
「……盟主。以前にも申し上げましたが、父が欲しているのは盟主の人脈です。貴族に取り入るための手づる、と言い換えることもできますでしょう」
サウザール商会は王都で三指に入る大商会ということになっているが、その内実はミロスラフの父が一代で築き上げた新興勢力、いわゆる成り上がりである。そのため、貴族、特に伯爵以上の上級貴族にはなかなか相手にしてもらえないらしい。
それもあって、他の二つの商会とは資産の上でかなり差があるとのことだった。
「おそらく父は盟主に対してドラグノート公との縁つなぎを求めてくるでしょう。ですが、公爵家にはすでに信任する商会がおります。いかに盟主の頼みといえど、他の商会を受け入れることはないと思います。最悪の場合、盟主とドラグノート公の不和の原因となりかねませんわ」
だから父とは会わない方がよい、とミロスラフはいう。
熱心ともいえる面持ちでこちらを翻意させようとするミロスラフに対し、俺はこともなげに応じた。
「公爵家の内情に立ち入るような真似はしないさ。たしか、サウザール商会の本業は服屋だったろう? 今後、俺が王宮に出入りする際の礼服をつくってもらえば、宣伝の助けくらいにはなるんじゃないか。俺で不足ならクラウディア様に頼んでもいい」
クラウディアに関しては俺の婚約者という扱いだから、衣装をそろえても不自然ではあるまい。公爵家のお抱え商会も文句は言わないだろう。
今度の婚儀に間に合わせるのはさすがに難しいだろうが、将来的に王宮に出入りするたびに俺やクラウディアがサウザール商会製の礼服を身にまとえば、これまでの返礼としては十分なはずだ――たぶん。
そういうと、ミロスラフは困惑顔のまま応じた。
「今をときめく竜殺しとドラグノートの御令嬢がそろってサウザール商会の服を卸す――宣伝としてこれ以上のものはないでしょう。父は欣喜雀躍することと思いますが……本当によろしいのですか?」
「ああ。王宮に行くたびに公爵家から礼服を借りるわけにもいかないしな」
今後のことを考えれば礼服のたぐいはどうあっても必要になる。それを注文する先がサウザール商会であってはいけない理由はない。これでミロスラフは今後も商会の援助を引き出しやすくなるだろうし、そう考えればむしろサウザール商会に頼まない理由がない。
ついでにミロスラフと共に王都をめぐり、これまでの働きに報いる褒賞を渡せば一石二鳥というものである。新しい魔法の杖なり、高性能のローブなりが王都に売っていればよいのだけど。
恐縮したように肩を縮めるミロスラフを見ながら、俺はそんなことを考えていた。