第六十話 虚実
ラスカリスの魔法はあたりの景色を一変させた。
魔物の群れも、ベヒモスの死骸も消し飛んで、地形さえ変化している。砂漠の真っただ中に漏斗状にひらいた大穴は、どこかアリ地獄の巣を思わせた。
先ほどの爆発はベルカからでも遠望できただろうし、しばらくは旧時代だの古代兵器だのといった話題が人口に膾炙しそうである。面倒なことに、ジョエルをはじめとしたリーロオアシスの関係者は竜殺しが現地にいたことを知っている。根掘り葉掘り事情をきかれるのは間違いないだろう。
まあ、これに関してはどうとでもなる。俺はすぐにイシュカに戻るのだ。ベルカの人々に懇切丁寧に事情を説明する時間もなければ義務もない。
それより問題なのは、俺がベルカにやってきた理由――ベヒモスの角――が先の爆発で吹き飛んでしまったこと。
黄金帝国の王だか夜会の主宰者だか知らないが、何をしてくれてるんだ、どちくしょう――というような内容を相手に伝えたところ、返ってきた反応はしごくあっさりしたものだった。
「それなら代わりになる品を進呈するよ。これなんかどうだい?」
そういってラスカリスがひょいと投げてよこしたのは、子供の拳ほどの大きさの魔法石だった。大きさとしては普通サイズ。しかし、純度は桁はずれだ。ここでいう純度は魔法石が含有している魔力という意味である。
これ、カナリア王国の――いや、アドアステラ帝国の国宝といわれても不思議ではないレベルの品だ。
そんな俺の内心を読み取ったわけでもあるまいが、次のラスカリスの言葉は俺の推測を肯定するものだった。
「賢者の石。そう呼ばれる宝珠だよ。一口に賢者の石といってもピンからキリまであるけど、それは黄金帝国産の極上品だ。ノア教皇も文句はいわないだろう」
「……ずいぶん事情に通じているみたいだな」
「たぶん君以上にね。だから、こんなことも知っている」
ラスカリスは語る。
結界魔術を長期にわたって維持する場合、触媒が必要なのは間違いない。だが、それがベヒモスの角である必要はなかった。リヴァイアサンの逆鱗でも、ジズゥの尾でも、白鯨の髭でもよい。それこそ賢者の石でも十分に触媒たりえるだろう。
どれもこれも入手困難という意味では似たり寄ったりだが、それでもベヒモスの角に限定する必要はなかったはず。
しかし、ノア教皇はあえてそれをした。何故なのか。
「それは竜殺したる君を砂漠に導き、ベヒモスを排除するためさ。聖王国の教皇の言葉となれば、たいていの人間はそれを鵜呑みにする。他に何か手はないのか、なんて考える者は少ないだろう。まして教皇は術者当人でもあるわけだしね」
君もそうだったんじゃないかな。
からかうようにそう口にしたラスカリスは、さらに言葉を続けた。
「あと、君の場合は、ベヒモスの角といわれれば、どうしたって庇護している鬼人のことを考えざるをえないから、その意味でも誘導が成功する可能性は高いね」
「よくまわる舌だな。試みに問うが、俺にベヒモスを排除させた後、聖下はどう動くんだ?」
「当然、アンドラを手中におさめようとするさ。あそこには法神教が欲しくてたまらないものがあるからね」
「法神教が欲しくてたまらないもの?」
「それが何なのか、君はすでに知っているよ。つけくわえれば、法神教はもうそれを二つ確保している。一つはアドアステラの帝都で。もう一つは聖王国の大腐海で」
世界の覇権を握る大国の都と、かつて幻想種が出現したとされる聖王国の腐った森。似ても似つかぬ二つの場所と、さらにカタラン砂漠の奥深くに存在するダークエルフの国を結びつけるもの。
それは――
「龍穴、か」
「ご名答」
ぱちぱちぱち、とラスカリスが手を叩く。
以前にもちらと述べたが、大地の気が噴き出す龍穴は繁栄の象徴だ。災いを遠ざけるともいわれており、古来、国を興した英雄たちは決まって龍穴の近くに都を置いている。
正直なところ、この話については国や王の権威を高めるためのつくり話程度にしか考えていなかった。が、俺はティティスの森の最深部で龍穴としか呼びようのない大穴を発見した。龍穴は実在するのだ。
であれば、アドアステラほどの大国の都にそれが存在したとしても驚くには値しない。
カリタスの腐海についても、かの地にヒュドラが出現したという伝説が事実なら、龍穴も存在する可能性が高い。ティティスの森に出現したヒュドラがそうであったように、カリタスのヒュドラも龍穴の魔力を糧として現界したのだろうから。
アンドラについては言わずもがな、ウィステリアが口にしていた奈落の存在がそれにあたる。
ラスカリスの言葉から龍穴の存在に思い至るのは難しいことではなかった。
もちろん、すべては推測だ。俺が自分の目で見たのはティティスの龍穴だけで、他の龍穴については伝聞や聞きかじりの知識を組み合わせただけ。
なにより、法神教と敵対するラスカリスが語る法神教の情報を鵜呑みにするのは、素直も度が過ぎるというものだ。
ただ、ベルカに来てからというもの、法神教の影の部分がちらほら見え隠れしているのも事実である。それを思えば、法神教に敵対する側の話を聞くことにも意味があるのではないか。
そんなことを考えている間にもラスカリスの話は続いていた。
「君も知ってのとおり、アドアステラ帝国はヒュドラ出現の混乱に乗じてカナリア王国への圧力を強めている。一度は立ち消えそうになった王太子と第三皇女の婚姻を強引に推し進める、という形でね。これも今の話と無関係ではないよ。この国は帝国と違って法神教を国教としていない。帝国ほどには法神教の意が通らないんだ」
「それでは法神教がティティスの龍穴を確保するのに都合が悪い、ということか。龍穴の存在に気づいたカナリア王国が、法神教にかわって自分たちで龍穴を管理しようと動く可能性もある。だから、法神教は帝国を動かしてこの国を支配させようとしている、と」
「またしてもご名答。ちなみに、動かしたのは帝国だけじゃない。カナリア王国も、だよ。今回の婚儀には帝国派以外の貴族も賛同しているだろう? それは何も、国内の苦境を乗り切るための援助欲しさだけではない、ということさ」
「もっともらしく聞こえるが、王太子の婚儀はヒュドラが出現するずっと前から動いていたぞ。後乗りした法神教が婚儀を主導できるとは思えないな」
「その疑問に対する答えはこうさ――法神教は事のはじめから関わっていた。あるいは、こう言った方がわかりやすいかな。彼らはヒュドラが出現するずっと以前から、ティティスに龍穴があることを知っていたんだよ。そして、それを手に入れるために動いていた。あの森を守っていた神無の一族を滅ぼしたのは鬼門の護人だけど、それを裏で操ったのは法神教だ」
「……それこそ何年前の話だと思ってる?」
「四十年。ふふ、君にとっては長く感じられるかもね。けれど、法神教がアドアステラ帝国を介して勢力拡大をはじめて三百年だ。それだけの時間をかけて彼らは目的に邁進している。それに比べれば、四十年なんて大した時間じゃないとは思わないかい?」
そこまで言うと、ラスカリスは宙に浮かんだまま俺から遠ざかり始めた。どうやら言いたいだけ言って消えるつもりらしい。
別段、引きとめる必要性は感じなかったので、俺はその場を動かなかった。
ただ、気になることはある。最後にそれについて訊いてみた。
「で、結局、法神教の目的は何なんだ? 龍穴を手に入れて、それで何をしようとしている?」
今や法神の教えは大陸中にあまねく広がっており、世俗の権力も手にいれている。たいていの願いを自力でかなえることのできる法神教が、龍穴を欲してまで叶えようとしている目的は何なのか。
この問いに対するラスカリスの答えは次のようなものだった。
「法とは秩序を守るもの。そして、秩序とは人の世の昏きを照らす光ならん」
「……法神の聖句か」
「そう。そして、この聖句こそ君の疑問の答えになる。これ以上のことを知りたければ、光神教、この言葉について調べてみるといい」
思わず眉根を寄せたのは、それが聞きおぼえのある言葉だったからである。
その俺の表情をどう受け取ったのか、最後にラスカリスはこう言い残して姿を消した。
「ただ、調べる際は気をつけて。僕がこれを伝えた相手は、なぜだか決まって早死にしてしまうからね」




