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第五十九話 神獣殺し


 ベヒモスの体内に入り込んでからどれだけの時間が経ったのか。


 放った勁技けいぎの数はとうに二桁ふたけたを超えている。だが、これだけ体内をかきまわされても、なおベヒモスは動きを止めない。


 さすがは幻想種というべきだろう。並の旗士きしならけいが尽きてもおかしくないところだ。


 勁が尽きれば身体を守る防壁シールドも消える。そうなれば、ベヒモスの体内を流れる胃液に溶かされ、養分として吸収される結末が待っている。過去、俺のようにベヒモスを討たんとして体内にもぐりこみ、そうやって果てた者たちも多かったと思われる。


 しかし、俺の勁の源は竜の心臓(ドラゴンハート)。勁が切れる心配はない。


 余力は十分。二桁の勁技けいぎで足りないなら三桁さんけた勁技けいぎを浴びせてやる――そんなことを考えたとき、()()は来た。


 魂の流入。ベヒモスを斬っている間もそれなりの魂は喰えていたが、今度のそれはまったくけた違いだった。


 怒涛どとうのごとく流れ込んでくるそれが、ベヒモスの死を告げるものであることは明々白々。


 流入する魂はケール河の水のように尽きることがなく、俺の全身を隅々まで満たしていく。そのあまりの快さに自然と恍惚こうこつの笑みが浮かんだ。


 びくり、と身体が震える。レベルアップだ。


 一度、二度、三度……まだ止まらない、まだ終わらない。鬼ヶ島で鬼神を討ってからなかなか上がらなかったレベルが面白いように上がっていく。


 最初の砲撃を除けば苦戦らしい苦戦をしていないので、ちょっと上がりすぎのような気もするが、おそらくベヒモスは俺の何十倍、ことによったら何百倍も生きてきた。幻想種にレベルがあるのかは知らないが、それだけの歳月、砂漠の覇者として君臨してきた存在を俺は討ち取ったのだ。


 そう考えればこのレベルアップも不当ではあるまい。それに、細かい理屈はともかく、たまにはこういう幸運があっても罰はあたらないだろう。なにせ、レベルに関しては散々苦労してきたからな!




 その後、ベヒモスの魂を米一粒(ひとつぶ)分も余さず喰いきった俺は、レベルアップの余韻が去るのを待って外に出た。


 勁技けいぎでベヒモスの身体を中からぶちぬいたのだが、レベルアップの影響は技の威力にも如実に反映されており、面白いようにすぱすぱ斬ることができた。それに、ベヒモスが死んだことで肉もかなり変質し、斬れやすくなったように思う。これも脱出が容易になった理由のひとつだろう。


 思いのほかあっさりと外に出ることに成功した俺は、すぐにも魔物が襲ってくるかと思って身構えた。ところが、連中は一心不乱にベヒモスの死骸に群がっており、こちらには見向きもしない。目の前のご馳走に夢中で、俺の存在など眼中にないらしい。


 これ幸いとけいで空中に足場を築き、上空に移動する。


 そこであらためて眼下でうごめく魔物の群れを見下ろした。


 ベヒモスは死に、もはや血肉は再生しない。無限の糧を失った魔物たちは、ベヒモスの死骸を食い尽くした後、新たなエサを求めて砂漠中に散っていくことになるだろう。


 そうなる前にここで一網打尽にする。そう思って心装を振り上げたときだった。


 ――妙な音が耳朶を震わせた。


 ぱちぱちぱち、と一定の律動リズムで刻まれる音はどう聞いても拍手の音。宙に浮かぶ俺の、さらに上から拍手が降ってくる……


 反射的に空を振り仰いた俺の耳に、涼やかな声が飛び込んできた。



「見事、というしかないね。まさか人間が神獣を倒してしまうとは」



 夜空に浮かぶ巨大な月を背景に、感嘆の表情を浮かべながら手を叩く人影。


 こちらを見下ろす顔は少年のそれだ。身体も小柄で、外見だけでいえば十二、三歳というところだろう。ただし、この少年が外見どおりの存在でないことは、とがった両耳と浅黒い肌が物語っている。


 ウィステリアと同じダークエルフ。


 警戒して心装を構える俺に対し、向こうは拍手をやめて両手を左右に広げてみせた。害意はありません、というアピールのつもりだろう。


 むろん、そんなことで油断したりはしない。俺は鋭く相手を見据えながら口をひらいた。



「アンドラのエルフ、か?」


「違うよ。僕はアンドラには所属していないし、エルフでもない。かつてはともかく今は、ね」



 相手の意味深な応答に俺が眉根を寄せると、それを見た少年はくすりと微笑んだ。



「失礼。思わせぶりなことを言ってしまうのは僕の悪い癖だ。神獣殺し(ホーリースレイヤー)への敬意を込めて名乗らせてもらおう。僕の名はラスカリス。黄金帝国インペリウムの王にして夜会の主宰しゅさい者。君にはシャラモンの同志といった方がわかりやすいかもしれないね」


「……不死の王の首魁しゅかいか」



 相手の一挙手一投足に注意を向けつつ、俺は記憶を探る。


 ラスカリス。ベルカでサイララ枢機卿が言及していた聖者殺しのダークエルフだ。黄金帝国インペリウムの王というのは初耳だが、たしか夜会における席次は第一位といっていた。当然、三位のシャラモンよりも強いだろう。


 実際、ベヒモスとの戦い直後で集中力を欠いていたとはいえ、俺はラスカリスの気配をまったく察知できなかった。向こうがその気ならいくらでも奇襲できたに違いない。


 その機会をあえて見過ごしたところをみるに、シャラモンの仇討ちに来たというわけではなさそうだが、だからといって油断はできぬ。


 そんなことを考えていると、ラスカリスはさらに言葉を重ねてきた。



「君のいうとおり、僕は不死の王。命の埒外らちがいにいたった化け物だ。けど、化け物であっても他者への敬意は持ち合わせている。シャラモンを討った君に恨みがないとはいわないが、神獣と戦った後の隙を狙うような卑劣な真似はしないよ」



 その声は思いのほか真剣だった。真摯しんしといいかえてもよい。


 もちろん、その態度が偽りである可能性もあるわけだが、先制の好機を見逃してまで俺をだます意味があるとも思えない。ここで戦うつもりはない、というのは本当なのだろう。


 それならそれで、何のために俺の前に姿をあらわしたのか、という疑問が生じるわけだが、俺がその疑問を口にするより早くラスカリスの口が動く。



「君が倒した神獣は黄金帝国インペリウムが滅びた元凶のひとつだった。望むなら黄金帝国インペリウムの黄金を与えよう。それとも知識の方がいいかな? かつてこの地で何が起きたのか、それがどのようにして今につながっているのか、僕なら教えてあげることができる。それは三百年前の戦いの真相とも関わっているよ」


「ふん。思わせぶりな物言いは悪い癖、というのは本当らしいな」


「はは、今のは単純な事実の指摘さ。少しばかりもったいぶったのは否定しないけどね」



 そう言うとラスカリスは俺から視線を外し、倒れたベヒモスとそれに群がる魔物たちを見た。



「ただ、何を語るにせよ、その前にあれは片付けておかないとね。母を失った今、放っておけば大半は飢え死にするだろうけど、ここはアンドラに近すぎる」



 そう口にするや、不死の王はその強大な魔力を解き放って詠唱を開始した。


 怖気を振るうほどに滑らかで濃密な言霊ことだま。まるで聴覚を侵食するようにラスカリスの詠唱が脳内でこだまする。



 ――あなたは私を裏切った(エリ・エリ・ウルス)私もあなたを裏切ろう(エリ・ウルス)


 ――群れるもの、むさぼはね、いざいざ来たれ虫のおう


 ――散れば羽虫、集えば覇虫、天地を覆う暗闇やみの雲


 ――汝はすべてを喰らう者。満ちるを知らず、足りるを知らず、ゆえに止まるを知らぬ者


 ――沃野よくや千里を平らげて、波濤はとう万里を飲み干さん



「『止まぬ翅音はおとは飢餓の咆哮――始蝗帝しこうてい』」



 教会で歌われる讃美歌にも似た綺麗な詠唱が終わる。


 だが、あたりはしんと静まり返ったまま。一瞬、不発という言葉が脳裏をよぎる。


 むろん、そんなわけはなかった。


 視界の中で光がかげる。その原因を求めて空を見上げた俺は、遅まきながら気づいた。



 ――月が消えている。



 あれほど煌々(こうこう)と夜空を照らしていた大きな月が雲の向こうに隠れていた。


 その雲が無数の飛蝗バッタで出来ていると気づいた瞬間、背筋に強い悪寒が走る。


 かつてシャラモンが使ったという蝕魔法『始蝗帝しこうてい』。ルナマリアとミロスラフから話は聞いていた。


 だが、シャラモンが使った魔法と、いま俺の眼前で展開されている魔法では規模が違う。ティティスの森の一角を焼け野原にしたシャラモンに対し、ラスカリスのそれは深域すべてを焼き払えるのではないかとさえ思える。


 驚愕とおぞましさを禁じ得ない俺の眼前で雲が動いた。無数の飛蝗が雨のように地上めがけて降り注いでいく。その一匹一匹が大地に大穴を空けるほどの魔力をはらんだまま。



 目を射る閃光、耳をつんざく轟音。


 次の瞬間、激甚な衝撃がカタラン砂漠を震撼させる。膨れあがった爆発の余光は巨大な太陽を思わせた。




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