第五十一話 何故
「――どこでこれを?」
白騎士アロウが死の間際まで身に着けていたはずの『銀星』の認識票。それが『砂漠の鷹』の団長の手にある事実をどう解釈するべきなのか。
そんなことを考えながら、俺は当然の質問を放つ。
すると黒騎士ジョエルは軽く肩をすくめて応じた。
「先回りして言っておくと、奪ったわけでも拾ったわけでもないぞ。こいつは忘れ物だ」
「忘れ物?」
「そうだ。アロウの奴と最後に飲んだときにな。あいつ、これを忘れて帰りやがった」
予期せぬ答えに眉根を寄せる。仮にも一団の長である者が自分たちの認識票を忘れて帰る、というのが不自然に思えたし、それ以前に、対立する『銀星』と『砂漠の鷹』のリーダー同士が酒をくみかわしていた、というのもいぶかしい。
そんなこちらの疑念を予想していたのだろう、ジョエルは火酒で口を湿らせつつ、己とアロウの関係を説明した。
ジョエルは十三歳、すなわち成人してすぐにベルカの冒険者ギルドに加入した。親もなく、金もなく、学もない。そんな人間が上を目指そうと思ったら冒険者以外に道はない。少なくとも、当時のジョエルはそう考えていたそうだ。
そんなジョエルにとって、自分より三年後にギルドに加入してきたアロウの存在は目障りで仕方ないものだったという。親なし、金なしという意味では似た境遇だったが、アロウにはサイララ枢機卿――当時は枢機卿ではなかったが――から授けられた学があった。
文字も読める。礼儀も学んでいる。挙措の一つ一つに正規の作法を叩き込まれた芯があり、ジョエルのような無学の荒くれ者が多かったベルカ冒険者ギルドにおいて、アロウの存在ははっきりと異質だった。掃き溜めに鶴、という表現そのままに。
アロウに実力がなければ、すぐにもギルドから叩きだされていただろう。だが、アロウは功績の面でも瞬く間に頭角をあらわし、ベルカギルドの一角を担う存在となっていく。
「不愉快なガキだったよ、本当に。まあ、俺だってまわりからはそう思われていただろうけどな」
ジョエルはそういって残った火酒を一気にあおった。
「俺はあいつが嫌いだった。あいつも俺のやり方が気に入らないとみえて、何かと突っかかってきやがった。いろいろ張り合って、バカもやったもんさ。そうこうしているうちに『砂漠の鷹』も『銀星』も身代が大きくなって、やり合うにしても部下同士ってことが増えた。俺としちゃあアロウの澄まし顔を見ずに済んで願ったりといったところだったんだが……時には上同士で話し合わないとまずいことも出てくる」
そんなとき、ジョエルはアロウと示し合わせて場末の酒場に繰り出したという。今、こうしているように。
あのとき、そうしたように。
「アロウから連絡がきたとき、おかしいとは思ったんだがな。下で揉め事が起きてるって話は聞いてなかった。ただまあ、あいつが何の用もないのに俺を呼び出すはずがないと思って出かけたわけだ。そしたらやっこさん、何を思ったのか『久しぶりに話をしたかった』とかぬかしやがる」
寝言は寝て言いやがれと席を立ったジョエルに、アロウはにやりと笑ってドワーフ謹製の火酒を見せたそうな。
ドワーフが酒造りに優れた種族だというのは周知の事実。ジョエルがアロウを知っているように、アロウもまたジョエルのことを理解していたわけだ。話だけを聞いていると、二人はけっこう良い関係だったのではないか、という気がした。
「話の内容は、まあ昔話のたぐいだったな。あのときはああだった、このときはこうだった、そんなことばかり言っていた。いま思い出しても、隠された意図なんてまったく思い浮かばん」
そうしてドワーフの火酒を空けたアロウは、付き合ってもらった礼だといってさらにもう一本の酒瓶を差し出し、ジョエルより一足早く帰っていったらしい。
ジョエルが二本目の火酒の影に置かれた印章に気づいたときには、アロウの姿はすでにどこにもなかった。
「わざわざ追いかけてやる義理はなかった。かといって、放っておいて店主にでも見つかったら、白騎士が店にいたことがばれちまう。そうなりゃ俺のことに気づくやつも出てくるだろう。『銀星』と『砂漠の鷹』の団長が酒場で密会をしていた、なんて広まったら面倒なことになりかねん。だから俺があずかっておいてやったんだ。ドワーフ酒の礼にな」
明日にでも向こうから何か言ってくるだろうとジョエルは考えていたが、予想に反してアロウからは何も言ってこず、さっさと未踏破区域の遠征におもむいてしまったという。
――そして、アロウは帰ってこなかった。
「砂漠で冒険しているとな、予期せぬ事態なんてのはいくらでも起こる。予定より帰りが遅れて死亡扱いされるのもめずらしいことじゃない。だから、話を聞いたときは『またか』と思っただけだった。アロウと『銀星』のやつらが砂漠の魔物ごときにやられるわけがねえ」
そう口にしたときのジョエルの顔は、怒りと苛立ちに満ちていた。それが何に向けられた感情なのかを測りかねているうちにも話は続いていく。
『銀星』の行方不明をうけて、アロウと付き合いの深いサイララ枢機卿が音頭を取り、大規模な捜索がおこなわれた。これには『砂漠の鷹』も協力したそうだが、やはり『銀星』を発見することはできなかった。
その後の出来事は以前にカティアから聞いている。主力を失った『銀星』は解散を余儀なくされ、かわって『砂漠の鷹』が大きく影響力を増した。この事実から『砂漠の鷹』が『銀星』を謀殺したのではないか、という疑いを持つ者も多い。
ジョエルは、ハ、と小ばかにしたように笑った。
「たしかにアロウの奴は目障りで仕方なかった。いなくなったらどんなに清々するだろう、とも思っていたさ。特に身軽だった若い頃はな。だが、今の俺がアロウを嵌め殺すような真似をしてみろ。下にいる連中もただじゃすまねえ。そんなあほうなことができるものかよ」
ジョエルはそういって、自身に疑いの目を向ける者たちをあざけった。この分だと俺が思っている以上にジョエルが置かれた状況は厳しいのかもしれない。
それはさておき、ジョエルはアロウの死を怪しんだ。
アロウと『銀星』の主力が砂漠の魔物ごときにやられるはずがない。未踏破区域で遭難したとも考えにくい。カタラン砂漠は一瞬の油断が命とりになる魔境だが、それをいうならアロウたちは、その魔境で十数年もの長きにわたって活躍してきた熟練者中の熟練者だ。
長年『銀星』と競ってきたジョエルは、へたな味方よりも『銀星』の実力を知っている。だからこそ、余計に不審を抱いた。
だが、その不審を裏付けるようなものは何も出てこなかった。
「その印章には器械的な仕掛けも、魔法的な仕掛けもない。『砂漠の鷹』の情報網で『銀星』に恨みを持つ奴がいないかを調べもしたが、それらしい奴は浮かんでこなかった。さて、ここまでの話を聞いてお前ならどう判断するよ、竜殺し? 」
唐突に話をふられた俺は、率直に思ったことを答えた。
「自分が勘ぐり過ぎたか、と判断するんじゃないか」
行方不明直前のアロウの行動はすべて気まぐれの産物であり、『銀星』は十数年の間に幸運を使い果たして今度こそ魔物に殺された。つまり、今回の一件に裏なんてなかった。
そう考えれば、いくら調べても何も出てこないこともうなずける。
「はっは、まあそうなるよなあ」
肩をすくめたジョエルは、そのままぐいっと火酒をあおった。
いったい何杯目だ、と思いつつ、俺は言葉を続ける。
「さもなければ、敵の巨大さを認識して慎重に振る舞うか、だ」
「…………ほう?」
じろ、とジョエルが俺を見据える。睨むようなその眼差しを見返しながら、俺は自分の考えを脳裏でまとめる。
アロウの行動に意図があったのだとしたら、その意図とはジョエルに後を託すことに他ならない。自分にもしものことがあった場合は『銀星』をよろしく頼む――残した印章にはそんな意味が込められていたのではないか。
だが、この推測が当たっていた場合、一つの疑問が生じる。その疑問とは、アロウが自らに迫る危険を察知していたのなら、どうしてそれに対処しようとしなかったのか、ということだ。
ベルカで知らぬ者とてない白騎士アロウ。人望もあり、名声もあり、武力もあるアロウならば、たいていの敵は自力で対処できたはず。仮にアロウの手にあまるほどの敵だったとしても、周囲に協力を求めることくらいはできただろう。
だが、アロウはそれをしなかった。後を託したジョエルにも、敵の存在を匂わせるようなことはしなかった。それは何故か。
――敵の正体を知れば、協力した者たちの身も危うくなってしまうからだ。
別の表現を用いれば、アロウは『銀星』と『砂漠の鷹』が協力してもこの敵には太刀打ちできないと、そう判断したことになる。
ベルカにおいて、この両者を合わせたよりも大きな影響力を有する組織はごくごくかぎられる。
ここで思い出されるのが、この会話を始める前にジョエルが口にしていた言葉である。ジョエルは言っていた――法の神殿にべったりの奴にはなかなか話せない内容だ、と。
あらためて言うまでもないが、法神教の影響力は絶大だ。鷹と星、二つをあわせたとしても対抗できるものではない。
くわえていうと、この考えはもう一つの疑問の答えにもなっている。
もう一つの疑問――アロウはどうして『銀星』を託す人物としてジョエルに白羽の矢を立てたのか。
たしかに二人の間には余人の知り得ない共感があったようだが、それでも対外的に『銀星』と『砂漠の鷹』は対立していた。後を託す相手としてふさわしいとは言えないだろう。
実際に『銀星』が『砂漠の鷹』に吸収されたことで、ベルカではいくつもの問題が発生している。アロウがそのことに気づかなかったとは思えない。
俺がアロウであれば、親子二代にわたって付き合いのあるサイララ枢機卿に後を託す。
もちろん枢機卿に冒険者になってもらう、ということではない。次代を担う若手を選び、法の神殿にはその若手の後ろ盾になってもらうのだ。そうすれば、多少規模が縮小することになったとしても『銀星』は存続できたはず。
だが、アロウはそれをせず、ジョエルに後を託した。それは何故なのか。
――すべての「何故」が法神教を指し示している。そう感じられてならなかった。