第四十九話 乖離(かいり)
あらためて言うまでもないが、法神教が司るものは法である。そして、俺とウィステリアは歓楽街で大立ち回りを演じて負傷者を出し、法を犯した身だ。昨夜の一件が表ざたになれば、責任を追及されるのは火を見るより明らかだった。
あれは同源存在がやったことであり、ウィステリアの本意ではない――そんな釈明が法神教やベルカの官憲に通じるはずもなく、ウィステリアは捕らえられてしまうだろう。俺自身、ウィステリアの危険性を感じていながらすぐに取り押さえようとせず、被害を拡大させた責任がある。
まあ俺に関していえば、対処こそ遅かったものの、ベルカを守ったのは事実なので罪にとわれることはないだろう。
だが、多くの負傷者を出し、都市に被害を与えたウィステリアの罪状は重くならざるをえない。刑場で首をはねられるか、それとも長期の牢獄行きか、いずれにせよ、宿主を喰い殺した魔神が顕現する結末は避けられない。
その結末を避けるべく、ベルカに戻った俺はその足でサイララ枢機卿に会いに行った。もちろん昨夜の一件を説明するためである。
知らぬふりを決め込むこともできたのだが、それをすると法神教なりベルカ政庁なりがウィステリアを指名手配する可能性が高い。俺に身柄をあずけてくれたウィステリアに、これから先、ずっと人目をはばかる生活をさせるわけにもいかない。身柄をあずかったのなら、相手が背負った罪も一緒に引き受けるのが筋というものだ。
そのためには面識のないベルカの役人よりもサイララ枢機卿の方が説きやすい。
成算もあった。
『ノア・カーネリアスの名において、この恩には必ず報いることをこの場で誓わせていただきます』
過日、ティティスの森で不死の王を倒したとき、ノア教皇が俺に言った言葉である。この教皇の誓約を引き合いに出せば、ウィステリアが極刑に処されることはないだろうと踏んだのである。ただ、十全の自信はなかったので、ウィステリアとルナマリアの二人は神殿の外で待っていてもらうことにした。
――結論からいうと、俺の要求は通った。しかし、そこに至る過程は俺の予想よりもはるかに険悪な様相を帯びることになる。
サイララ枢機卿は朝早くの訪問をこころよく受け入れてくれたが、その顔が穏やかだったのは俺が話をするまでだった。話が進むうちに枢機卿の表情はみるみる険しくなっていき、話が終わるころには針のように鋭い眼光が俺を見据えていた。
ややあって発された枢機卿の言葉は、表情にならうように低く重い。
「ティティスの戦いについては聖下からの書状に記されておった。書状の中で聖下は、そなたから要望があれば出来るかぎりかなえるように、とおっしゃっておいでだった。アロウやカティアのこともあり、わし自身もそのつもりでおったよ。その上で言わせてもらう。神に背きしダークエルフを囲うなど、正気の言とは思えぬぞ」
俺は相手の声に込められた拒絶の強さに驚きを禁じ得なかった。
たしかに報告の中でルナマリアから聞いたダークエルフの伝説には言及した。悪魔の祝福と世界の呪いを二つながらその身に受けた一族だ、と。
しかし、ダークエルフは同族のルナマリアさえ憎しみを感じないおとぎ話の存在だ。どうして人間であるサイララ枢機卿が、これほどまでに拒絶をあらわにするのか。
俺は戸惑いつつ言葉を返した。
「姿形が言い伝えのダークエルフに似ている、というだけです。それに、エルフのおとぎ話に登場する悪役と似ているからといって、罪に問うことはできますまい」
昨夜の件を罪に問われるのは当然のこと。だが、真実か否かもわからない過去の悪業で罪を加算されるようなら、これには抗弁しなければならない。
そんな俺の言葉に対し、枢機卿は重たげに首を左右に振った。
「過去の悪業などではないし、エルフのおとぎ話でもない。ダークエルフは存在し、今なお神に背いて世界に災いを振りまいておる。そなたとも無関係ではないのだぞ」
「……ぬ?」
相手の言葉に目を瞬かせる。今の物言いからして、ウィステリア以外のダークエルフと俺が関係しているということのようだが……心当たりはまるでない。当然といえば当然のことで、一度でも褐色のエルフを見たら忘れるはずがないのである。
俺は眉根を寄せて枢機卿に問い返した。
「それはどういう意味でしょうか?」
「神に背き、命の理に背いて、永遠をむさぼる魔物ども。そなたがティティスで戦った不死の王のことじゃ」
そう言われた瞬間、脳裏にシャラモンの姿が思い浮かぶ。
俺の反応を見て、枢機卿はおもむろに言葉を続けた。
「彼奴らの首魁こそ、まさにダークエルフよ。夜会第一位ラスカリス。これまで何人の聖職者が彼奴の手にかかって果てたことか。繰り返す。ダークエルフは伝説の存在ではない。法神の使徒たるわしらにとっては不倶戴天の敵である」
枢機卿はそういって、鋭い眼差しを俺に向けてくる。
「シャラモンに聖下を襲撃させたのもラスカリスの仕業であろう。そのシャラモンを討ったおぬしのもとに、一月と経たないうちにダークエルフが現れた。とうてい偶然とは思われぬ」
竜殺しを正面から倒すことは難しい。だが、近くで寝起きしていれば、いくらでも隙をつくことはできる。風呂、着替え、用足し、食事、睡眠。無防備になる瞬間はいくらでもおとずれる。
女性であれば、それ以外の手も使えるだろう。サイララ枢機卿は深い危惧を込めて、俺にそう告げた。
「悪いことは言わぬ、ダークエルフを囲うなどやめておくことだ」
「懇切なるご忠告に感謝します、猊下」
俺が丁寧に頭を下げると、枢機卿はようやく表情を緩めた。
「では、ダークエルフの身柄を引き渡してくれるのだな」
「いえ、そのつもりはありません」
そう応じると枢機卿の両眼が目に見えて吊りあがった。射抜くような眼光は、心にやましさを抱えた者にはとうてい耐えられないだろう。
が、やましさを抱えていない身に効果はうすい。俺は相手の視線を真っ向から受け止めつつ言葉を続けた。
「今の話をうかがうに、ラスカリスとやらの悪行は個人のものであって、種族のものではありません。くわえて、猊下はウィステリアがラスカリスの配下だと疑ってらっしゃるようですが、それも推測に過ぎない。もっといえば、仮に猊下の推測が事実だとしても、私が決断をくつがえす理由にはなりません。もとより、おかしなものに憑かれていることを承知の上で手を差し伸べたのですからね」
「……ダークエルフは神に呪われた身じゃ。悪霊とやらに憑かれたのは、まさにその証左といえる。法神の使徒として、そのような者を受け入れることはできぬし、かばいだてする者も同様である」
枢機卿の目に、これまではなかった感情が混ざり始める。声もどこか寒々としたものに変じつつあった。
「聖下のお言葉があるゆえ、先夜の件についてはわしがあずかろう。だが、そなたがあくまでダークエルフをかばうというのであれば、向後はいかなる協力もできかねる。神殿からも出ていってもらう。そう心得てもらいたい」
おそらく、それはサイララ枢機卿の最後通牒だった。今後も法神教の協力を欲するのならウィステリアを引き渡せ、という。
これに対し、俺はまたしてもあっさり応じた。
「承知しました。今日までの歓待に感謝いたします、猊下」
そういって立ち上がり、踵を返して部屋を出ていく。
その背に枢機卿から声がかかることはなかった。
ただ、視線は感じていた。部屋を出るまでずっと、射抜くように鋭い視線を背に感じていた。