第四十八話 堕ちた妖精
――あなたの目的は何ですか?
ウィステリアはそう言って、自分を助けた理由をたずねてきた。
この問いに対し、俺は迷うことなく応じる。
「そちらが悪霊と呼んでいるモノ、それに興味がある」
「興味、ですか?」
「ああ、興味だ。だから、話を聞くために生かしておいた。目的は何かと問われれば、それが目的だ」
それを聞いたウィステリアはかすかに眉根を寄せ、問いを重ねた。
「危険だ、とは思わなかったのですか?」
「どれだけ強かろうと、使い手に統御されていない同源存在を恐れる理由はないな」
「……アニマ。先ほどもその言葉を口にされていましたね」
「ああ。おそらく、そちらのいう悪霊と同じモノだと考えている」
ウィステリアは真剣な表情でこちらの言葉に耳をかたむけている。魔神の面影が消えたその顔は、思わず見とれてしまうくらい綺麗だった。
妖精族の端正な顔立ちもさることながら、凛とした立ち姿を美しいと感じる。それでいて胸や腰の肉付きは豊かなものだから――さっきちょっと見えた――俺は邪念を湧かさないように注意しなければならなかった。
さすがにこの状況で胸やら腰やらに視線を這わせるわけにはいかない。
その努力が実ったのかどうか、次にウィステリアが口をひらいたとき、その表情に嫌悪の色は浮かんでいなかった。
「統御されていないアニマを恐れる理由はない、と言いましたね。そして、アニマと悪霊は同じモノだと考えている、とも。ということは、悪霊を統御することもできるのですか?」
「おそらくできる。もちろん、使い手の努力次第ではあるけどな」
「……努力、ですか。悪霊に憑かれて以来、私はありとあらゆる努力をして悪霊を祓おうと努めました。それこそ命がけで、です。それでもかなわなかったことを、ソラ、あなたはかなえることができるのですか?」
そういうウィステリアの声は重かった。
知らず、そんな声を発してしまうくらい、ウィステリアは懸命に己の内に巣食う魔神と戦い続けてきたのだろう。それでも魔神を祓うことはできず、ついには見知らぬ異郷で果てる寸前まで追いつめられた。
面識もない俺が努力次第で何とかなる、などと宣っても信じられないのは無理もない。
ただ、これに関しては努力の方向性が問題だと俺は考えている。
同源存在とは心の中、魂の奥に棲むもう一人の自分。いかなるごまかしも欺瞞もきかない裸の本性。
あの魔神は奈落から這い出てきた悪霊などではなく、ウィステリアの半身に他ならない。憑りつかれたわけではないのだから、祓うこともできないわけだ。
悪霊を祓おうとしたウィステリアの努力が実らなかったのは、ある意味、当然のことだった。
そういったことを、俺は時間をかけてウィステリアに説明していった。途中、俺自身の体験や鬼ヶ島のことも伝えておく。
ウィステリアにしてみれば、簡単に「はいそうですか」とうなずける内容ではなかったと思うが、なにせ俺には悪霊を叩きのめした実績がある。どれだけ疑わしく思っても、ウィステリアは耳をかたむけざるをえない。
説得力を強めるために、あらためて心装を抜くこともした。
その甲斐あってというべきだろう、最終的にウィステリアはこちらの説明を受け容れてくれた。もっとも、あの魔神が自分の本性であるという点に関してはなかなかに認めがたい様子だったが、これは当然のことであろう。
話を聞き終えたウィステリアが、うめくように口をひらいた。
「アニマ――同源存在との同調を果たし、もう一人の自分を武具として顕現させる。それが幻想一刀流の奥義、心装。ソラの言うように悪霊が同源存在なのだとしたら、私はあの魔神と同調しなければならない、ということになります」
「ああ。そうしなければあの魔神を統御することはできないと思う」
「悪霊と同調……ですか」
銀髪のエルフは今にも頭を抱えてしまいそうだった。まあ、これまで諸悪の根源だと思っていたモノと同調しろ、と言われれば無理もない。
ただ、俺はとにかくなんでもいいから同調しろ、と言っているわけではなかった。
同調とは使い手の在り方を同源存在と重ね合わせること。これに間違いはない。
問題は一口に同源存在といっても性格は様々である、という点だった。中には宿主を喰い殺し、さらには周囲の人々に襲いかかるような凶悪な同源存在も存在するかもしれない。
そういう同源存在に対しては、使い手が歩み寄るばかりでなく、向こうを歩み寄らせることも必要になる。そうしなければ、同源存在の凶暴性はそのまま使い手の凶暴性として具現してしまう。
これは言うまでもなく困難なことだった。心装が強力なのは同源存在の力が強大であるからだ。その強大な同源存在を自分に従わせることの難しさは言をまたない。
とくにウィステリアの同源存在は、はっきりと使い手に敵対の意思を示している。これを従わせることは並大抵のことではないだろう。普通なら、ウィステリアが同源存在を従わせる前に、同源存在がウィステリアをのっとっておしまいだ。それこそ昨夜のように。
そこで俺の出番である。
簡単にいえば、魔神がウィステリアをのっとろうとするたび、俺が痛めつけて魔神の力を奪ってやればよい。そうすれば、魔神は力を回復するためにウィステリアの中に逃げ込む。これを繰り返せば、ウィステリアは時間制限なしに魔神に挑むことができるわけだ。
俺はそうウィステリアに提案した。
もし、ウィステリアの魂がそれに耐えられなくなったときは、俺が魔神もろともウィステリアを殺す。そのことも付けくわえた。
以前、ヒュドラの死毒に冒されたイリアとの会話を思い出して言ってみたのだが、どうもこれがウィステリアの琴線に触れたらしく、銀髪のエルフは目をうるませながら深々と頭を下げた。
こうして、ウィステリアは俺と行動を共にすることになったのである。
◆◆◆
その後、俺はウィステリアを山中に残して一度ベルカに戻り、ルナマリアだけを連れて戻ってきた。
ルナマリアを選んだのはウィステリアと同族であることと、ウィステリアに関して賢者の意見を聞きたかったからである。あともう一つ、ウィステリアと最もスタイルが似通っているのがルナマリアだった、という理由もあった。
ようするに、ウィステリアが着る当座の服として、ルナマリアの替えの衣服を持ってこさせたのである。まさかローブだけをまとってベルカに戻るわけにもいかないからな。昨夜の一件は間違いなく騒ぎになっているだろうし。
ちなみにルナマリアであるが、俺がこっそり神殿に戻ったときには、いつでも出立できるように準備をととのえて待っていた――俺の部屋で。
昨夜の騒動と俺の不在を結びつけ、俺が面倒事をたずさえて戻ってくることを予測していたらしい。荷物の中には替えのチュニックも入っており、それを知った俺は、ルナマリアが先見(未来視)の能力に目覚めた可能性を真剣に考慮したものである。
……まあ、スズメとイリアも一緒にいたので、未来視などなくても俺の行動を予測することは簡単だったのだろうけど。
ともあれ、俺はルナマリアと共にウィステリアの元に向かった。その途中、褐色の肌と銀色の髪を持つエルフに関する伝説も教えてもらった。
いわく、神代の昔、悪魔に魂を売ることで強大な力を得たエルフの一族がいたという。同族を裏切り、世界に牙を剥いた反逆者たち。
悪魔の祝福と世界の呪いを二つながらその身に受けた一族は、力を得ることと引き換えに白い肌と黄金の髪を失ってしまう。
エルフたちはかつての同胞を憎しみと嫌悪を込めて堕ちた妖精――ダークエルフと呼び、激しく干戈を交えた。
大陸の形が変わるほどの激戦のはて、ダークエルフは悪魔と共に滅び去り、世界から完全に姿を消した……そんな伝説だった。
ルナマリアはこれを故郷の長老から教えてもらったという。
ちなみに「世界から完全に姿を消した」という説明どおり、ルナマリアはもちろん、ルナマリアの親や祖父の世代でさえダークエルフをじかに見たことはないそうだ。長寿のエルフにとってもダークエルフはおとぎ話の中の存在なのだろう。
実際、はじめてウィステリアと顔を合わせたルナマリアは、肌の色の異なる同胞に対して敵意を見せなかった。むしろ悪霊のことを知って興味をかきたてられた様子である。
かつて、ルナマリアは同源存在と龍穴の関係性について推測を述べたことがある。同源存在は幻想一刀流を極めることで宿るのではなく、龍穴によって変異した人間に宿るのではないか、という推測だ。
ウィステリアの語る悪霊と奈落の存在は、このルナマリアの説を補強する傍証となりえる。それがルナマリアを興奮させているのだと思われた。
一方のウィステリアであるが、こちらもルナマリアと同様、肌や髪の色が異なる同胞に驚きはしても、敵意を向けることはなかった。
ウィステリアは自分のことを普通のエルフと認識しており、これはアンドラにいるエルフたちも同様であるという。もちろん堕ちたなどという呼称を用いてもいない。聞けば、つい先日まで砂漠の外にアンドラ以外の国があることさえ知らなかったというから、外の同胞に対して敵意を向ける土壌が存在しなかったといえる。
ウィステリアはルナマリアの問いに丁寧に応じつつ、興味を持った事柄に関しては自分から問う積極性も見せた。
この二人の話を精査して書物にまとめれば、大陸史に黄金の文字で記される一大著作を記すことができるかもしれない。
それでなくともアンドラの存在は黄金帝国の謎に迫るものだ。これを発表すれば、冒険者としての俺の名声はますます高まるに違いない。
まあ、そんなことをするつもりはないけれども。
ウィステリアの話から推測するに、アンドラは完全に外界と接触を断っている。人間が訪れたところで門前払いされるだけだろう。最悪、力ずくで追い払われてしまう。
俺の目的はベヒモスの角であって、黄金帝国の発見でもなければ、人間とダークエルフの友好でもない。
発見にともなう責任を背負えない、もしくは背負うつもりがないのであれば、発見をなかったことにするのも一つの見識であろう。
そんなことを考えながら、俺は二人と共にベルカに戻った。
――同族ではなく、異種族の中にこそダークエルフを憎む者たちがいることを、このときの俺は知る由もなかった。