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第四十四話 悪しき風



 けたたましい悲鳴が夜闇を裂いて響き渡る。


 悲鳴をあげたのは野次馬に集まった者たちであり、彼ら彼女らの視線は素顔をあらわした黒衣の女性に向けられていた。


 俺も同じ人物に視線を向ける。


 耳の形からして、おそらく森の妖精(エルフ)だろう。おそらく、と付けたのは褐色の肌と銀の髪を持つエルフを初めて見たからである。ルナマリアもそうだが、俺の知るエルフはみな白い肌と金の髪の持ち主だった。


 砂漠で日焼けしたわけでもないだろうから、ルナマリアとは系統の異なるエルフ種なのかもしれない。


 別段、おかしな話ではない。人間だって肌や髪の色は様々なのだ。エルフがそうであっても何の不思議もない。


 問題なのは――人々に悲鳴をあげさせた原因はエルフの容姿にあった。


 右の半面は妖精の血を色濃く感じさせる繊細せんさいな美貌。


 対して、左の半面は――



「ば、化け物め!」



 直前にエルフのフードを斬り飛ばした『砂漠の鷹』のひとりがののしり声をあげる。それはおそらく、この場にいる者たちの気持ちを最も端的にあらわした言葉だった。


 エルフの半面は獅子ししのそれだった。それも強いていえば獅子に似ているというだけで、たとえば野生の獅子から感じられる勇壮さや力強さは欠片かけらも感じられない。ひどく歪んだ容姿は醜悪の一語に尽きる。


 エルフの面貌めんぼうが秀麗であるだけに、よけいに醜悪さが際立っている感があった。



「――ッ」



 剣を握っていない左手で自分の顔を覆う女エルフ。その唇は何かをこらえるように真一文字に引き結ばれている。


 と、その行動を隙と見なしたのか、今しがた化け物と声をあげた男がエルフに斬りかかっていく。


 この攻撃に対し、エルフは腰の長剣を抜き放ち、相手の斬撃を音高く弾き返した。


 だが、手で顔を覆いながらの防御はいかにも窮屈で、実際、反撃に移ることもできずに相手に体勢の立て直しを許している。


 そうしている間にも他の『砂漠の鷹』のメンバーが周囲を取りかこんでいくが、エルフはなおも顔から手を離さない。


 どうやらあのエルフにとって、素顔をさらすことは敵にかこまれる以上に忌むべきことであるらしい。


 むろんというべきか、そんな姿勢で数にまさる相手とまともに戦えるはずはなく、四方から斬りつけられて、たちまち防戦一方に追いやられていく。


 鷹の一団の切っ先がエルフをとらえる都度、血しぶきが夜闇に飛び散った。腕から、背から、幾筋も血がしたたり落ちて衣服を汚していく。切り裂かれた痛みからか、エルフの顔からは滝のような汗が流れ落ち、呼吸もひどく荒い。ここからでもぜえはあという息遣いが聞こえてきそうなほどである。


 これまではエルフに味方していた周囲の野次馬も、あの異形を目の当たりにしたことで宗旨しゅうし替えをしたらしく、一部からは『砂漠の鷹』への声援も飛んでいる。


 ――それらの光景を俺は黙然と見やっていた。『砂漠の鷹』にくみするつもりはなく、かといって敵意を向けてきたエルフを助ける気にもならない。


 さっさと立ち去りたいところだが、先ほどからあたり一帯に異様な気配がふくれあがっており、それが俺の足をこの場に留めていた。


 気配の源はいうまでもなくあのエルフ。たとえるなら暴発する寸前の魔法石を思わせる。『砂漠の鷹』にせよ、野次馬連中にせよ、早く逃げればいいのにと思うが、わざわざ警告する義理もないので放っておく。夜の歓楽街で刃傷にんじょう沙汰ざたの野次馬にくわわっている時点で、何が起きても自己責任だろう。


 そうこうしているうちに、また悲鳴まじりのどよめきが起きた。見れば、エルフの服の袖が切り裂かれ、そこから獣毛に覆われた皮膚がのぞいている。どうやらエルフの異形は顔だけでなく身体にも及んでいるらしい。



「魔物め、何を企んでこの街に入り込んできたかは知らぬが、我ら『砂漠の鷹』に見つかったことが運のつきと知るがよい!」



 言いざま振るわれた男の剣は的確にエルフをとらえ、肩口からばっさりと斬り下げる。傷口からあふれ出た血が激しく地面を叩き、斬られたエルフは大きく身体をよろめかせた。


 そこに背後から別の男が斬りかかり、再び背中を大きく断ち割った。噴水のような音を立てて血がほとばしり、濃密な血の臭いがあたりに立ち込める。


 周囲から悲鳴と歓声が同時に湧きおこった。間違いなく致命傷だと誰もが思ったことだろう。実際、エルフの琥珀こはく色の瞳はみるみる光を失っていった。


 だが――その瞳が意思のないガラス玉になり果てる寸前、エルフの双眸そうぼうを赤い輝きが満たす。鮮血を思わせる、濡れた赤色。それが瞳を覆ったと思った瞬間、エルフの口からすさまじい咆哮が轟いた。



「ゴオオオオオォォォアアアアアアアアアアアアッッ!!」



 耳をつんざく咆哮は、同時に、人間の精神を握りつぶす魔術の叫喚きょうかんだった。たとえるならば、ヒュドラが放った竜の咆哮(ドラゴンロア)に近い。もちろん幻想種のそれほど強力ではないが、それでも何の備えもない者たちが耐えられるものではなかった。


 至近で浴びせられれば、なおのこと。



「があああああ!?」


「ひぎぃ!!」


「ぐ、お、あ……」



 『砂漠の鷹』の面々が両耳をおさえて地面をのたうちまわっている。手のひらから血を流している者もおり、どうやら鼓膜を破られたらしい。


 周囲をとりかこんでいた野次馬もただでは済まなかった。ある者は膝をついてうめき声をあげ、ある者は『砂漠の鷹』と同じように地面をのたうち、ある者は泣きながらってこの場を離れようとしている。



「ヒイイイイ! ヒヒイイイイイイッ!!」



 そういった者たちに追い打ちをかけるように、エルフは再び叫喚きょうかんを張りあげる。


 ――いや、これは叫喚というより哄笑だろうか。


 そう思ってみれば、獅子の半面はいかにもたのしそうにニタリニタリと顔をゆがめている。一方、妖精の方の半面もゆがんでいたが、それは笑うというより苦痛にもだえる者の表情に見えた。


 と、俺の視線の先でエルフの顔に変化が起こった。


 獅子の顔が広がっていく。あご先からゆっくりと、しかし確実に、妖精の顔を上書きして獅子のそれに塗り変えていく。


 それはどこか時計の短針に似ていた。六時を指していた針が、七時、八時と時を刻んでいくように獅子の領域が広がっていく。このまま針が進んで十二時を指したとき、エルフの顔は獅子のそれになり果てるだろう。


 そうなったとき、何がこの世に解き放たれるのか。



「まあ、ろくなものじゃないのは確かだな」



 がしがしと頭をかきながら言う。俺の視線の先ではエルフが――いや、かつてエルフだった何かが全貌をあらわそうとしていた。


 ちぎれ飛んだローブの下からあらわれたのは、獅子の頭と獅子の腕。脚には猛禽もうきんを思わせる羽と爪が備わり、背中にはこれも猛禽もうきんを思わせる四枚の羽が広がっている。臀部からは二種類の尾が伸びて、たわむれるように絡まり合っていた。


 見たことのない魔物である。


 だが、聞いたことはあった。イリアが集めたベルカの情報の中にこれと似た魔物の話が含まれていたのだ。


 正確に言えば魔物ではなく魔神であり、さらにいえば現実よりも伝説に属する話である。



 いわく、それは砂漠を駆ける悪しき風。


 獅子の顔と腕を持ち、わしの脚と羽を持ち、さそりへびの尾を持つ熱砂の王。


 熱病と蝗害こうがいをつかさどるその魔神の名は――



「風の王パズズ、だったか?」



 なかば独り言だったそのつぶやきを、どうやら魔神は耳ざとく聞き取ったらしい。


 俺の言葉を肯定するように、ニィ、と不気味に笑う。


 その顔は、すでに四分の三が獅子に変じていた。 



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