第四十二話 砂漠の伝説
黄金帝国について俺が知っていることは少ない。
以前にベルカに訪れたときに聞いたのは、砂漠の真ん中には結界に守られた黄金帝国が存在する、という噂だった。もう一つ、砂漠を越えた先には水と緑と魔力があふれる理想郷が存在するという噂もあり、これも黄金帝国の情報に含めるべきかもしれない。
当初は魔境にありがちな伝説だと思ったから、さして興味を持たなかった。
しかし、ベルカ屈指の冒険者が生涯をかけて追い求めた謎だと知った今、この砂漠の伝説に対する関心は否応なしに高まっている。
もっと簡単にいえば、俺はワクワクしていた。上に「野良」の一字がつくとはいえ、これでも冒険者の端くれである。謎だの伝説だのに対する興味は人並みに持っている。
必死に『銀星』の行方を捜しているカティアにしてみれば不謹慎な興味だろう。それがわかっていたから、顔に出すことは慎んだ。ただ、リーダーであるアロウが黄金帝国を捜していた以上、その情報が『銀星』の捜索に役立つ可能性はある。
というわけで、俺がカタラン砂漠で試験飛行をしている間、スズメたちにはそちらの資料をあたってもらった。ちなみにこれはスズメの文字の勉強も兼ねている。
俺自身、サイララ枢機卿から話を聞きもした。
その結果、浮かび上がってきたのは旧時代――人間と鬼人が戦った三百年前よりもさらに旧い時代――に存在した巨大帝国の姿である。
いわく、黄金帝国とは旧時代において世界中の富をかき集めた超大国のことであり、その都は黄金と白銀で覆われ、夜でも灯火が絶えることはなかったという。
帝国の繁栄は千年の長きにわたって続き、人々は美食と快楽に耽った。その一方で道徳と倫理は遠ざけられ、多くの享楽的な催しが開催されて人々はそれに熱中した。
国が、そして人が退嬰と頽廃に覆われていく有様を嘆いた神は幾度も自省を求めたが、悪徳に耽る者たちに神の声は届かず、結果、黄金帝国は天から降り注ぐ光の雨によって滅び去る。建物は星火によって崩れ落ち、住民は硫黄に焼かれて悶え死に、国土は千年たっても草ひとつ生えない不毛の地となり果てた…………
――とまあ、これが新たに知った黄金帝国の伝説だった。言うまでもないが、最後の不毛の地というのはカタラン砂漠のことである。
旧時代の資料は三百年前の鬼人との大戦でほとんど失われており、この伝説が事実に基づくものかどうかは確認しようがない。
まあ、俺の感覚からいえば、旧時代の話を持ち出すのは詐欺師か夢想家のたぐいである。
俺にこの伝説を教えてくれたのはサイララ枢機卿なのだが、最後の方の神様云々のあたりに神殿らしい説教臭さが感じられて、これも俺が与太話と判断した理由の一つだった。黄金帝国を滅ぼした神が戦神だか法神だか、あるいは大地母神だか知らないが、一国を砂漠に変える力があるならさっさと鬼門を壊してほしいもんである。
もちろん面と向かってそんなことを言ったわけではない。表情にも出さなかったと思う。しかし、さすがはベルカにおける法神教の最高責任者というべきか、枢機卿は俺の内心を正確に洞察したようだった。
「信じられぬ、と言いたげじゃな」
「……正直に申し上げれば、そうです」
ごまかしても仕方ないと思って素直に認める。さすがにこれは叱責の一つもされるか、と思って身構えていると、枢機卿は苦笑を浮かべるでもなく言葉を続けた。
「そう思うのも仕方ないことではある。しかし、アロウはこの伝説を信じておった。少なくとも、まったくのでたらめではない、とな。アロウだけではなく、アロウの父も――そして、わしもそう信じておる」
「アロウ殿のことはうかがいましたが、その父上もですか? それに、猊下も、とは」
「かつてはわしも冒険者として砂漠に挑んだ身なのじゃよ。アロウの父と共に」
枢機卿は昔日に思いを馳せるように目を細めた。
そして言う。
「カタラン砂漠には旧時代の痕跡がたしかに残っている。そして、それ以上の何かがあるのだ」
「それ以上の何か、ですか」
「うむ。これは実際に砂漠に踏み込んだ者でないと実感しにくいのだが……砂漠の奥に踏み込むにつれて感じるのじゃよ。ここには確かに何かがある、人の身では及びもつかない何かが、とな」
高位の冒険者ほどその磁力に囚われる。枢機卿はそう言った。
アロウの父親はその典型であり、家族もかえりみずに砂漠に挑み続けた。仲間であったサイララ枢機卿の諫めもきかず、ついには枢機卿と袂をわかって冒険を続け、とうとう帰らぬ人になってしまったのだという。
ふむ、と俺は内心で腕を組んだ。
白騎士アロウがカタラン砂漠にこだわった理由の一つは父の存在だったのだろう。それはさておき、俺は枢機卿の言葉の意味を考えた。
砂漠の奥に踏み込むにつれて確かに何かを感じた――その言葉を俺の経験にあてはめてみる。
すると、脳裏にティティスの森が浮かびあがった。正確にいえば、ティティスの最深部にあった龍穴が浮かびあがってきた。
あのとき、俺はヒュドラを追って最深部に踏み込みながら、ここには何かがあると感じていた。枢機卿が感じたのも似たような感覚だったのかもしれない。
カタラン砂漠に龍穴があるとすれば、獣の王が幻想種である可能性も出てくるわけで、なかなかに興味深い。ただ、ティティスの龍穴からは多量の魔力があふれ出て、恐ろしいほどに濃密な森が生まれていた。一方、こちらは草ひとつ生えない砂漠が広がっている。
この差異は何によってもたらされたものなのか――俺はそこまで考えた後、小さくかぶりを振って思考を打ち切った。
いけないいけない、仮定に仮定を重ねて結論を出してもろくなことにならない。先走りかけていた心の手綱を引き締める。
本当に砂漠の奥に龍穴があるのなら、何かしら感じ取ることができるだろう。推論を立てるのはそれからでも遅くないはずだった。
◆◆◆
当初、ベルカにおける俺たちの拠点は以前に宿泊していた宿屋だった。
だが、今では宿を引き払って法の神殿に居を移している。これは竜殺しの存在をおおやけにすれば、身分の貴賤を問わず訪問客が押し寄せてくるだろう、と予測してのことだった。
実際、先日来、その手の訪問客や招待状などが引きも切らずに押し寄せている。さすが法神教というべきか、大半は枢機卿が遮断してくれるのがありがたい。
ちなみに『砂漠の鷹』からも書状が届いていた。内容をおおざっぱにまとめると「ぜひ是非一度会いたい。話の内容によっては獣の王および『銀星』の捜索に助力することもやぶさかではない」という感じ。
さすがにこの文面を鵜呑みにする気はないが、どうやら『砂漠の鷹』も問答無用で俺と敵対する気はないらしい。
それとカティア以外の『銀星』の生き残りとも少しだけ話をした。なんでも若いメンバーを中心に『銀星』の再興を考えているようで、竜殺しが後ろ盾になってくれるとは望外の幸運だ、と喜ばれた。
どうやらカティアへの協力=『銀星』への協力、と早合点したらしい。そちらに力を貸すつもりはないと言下に拒絶したら、ぐちぐちと文句を言われたが、うん、知ったこっちゃないです。
やるべきことが山積している今、余計な仕事を増やすつもりはない。
というわけで、俺は「やるべきこと」の一つを片付けるべく、試験飛行から戻ってきた日の夜、ルナマリアと共に訓練場へ向かった。普段は神官戦士たちが利用している場所だが、すでに日は暮れているので他に利用者の姿はない。
どうしてルナマリアを連れてきたのかといえば、先日話のあった「幻想一刀流と戦う稽古」をつけるためである。
明日は砂漠に向かうので本格的な稽古は無理だが、空いている時間は有効利用するべきだろう。それに、俺がきちんと約束をおぼえていることを示す意味もあった。
そんなわけで神殿から木刀を借り、ルナマリアと向かい合うこと半刻(一時間)。俺の前には汗まみれで荒い息を吐くエルフと鬼人と人間がへたりこんでいた――二人ほど増えているのは途中参加の要望があったからである。
「さて、それじゃあ明日のこともあるし、今日のところはこの辺にしておくか」
「…………あ、ありがとう、ございましたぁ……」
エルフの賢者の口から、かつて聞いたことのない力の抜けた声が発される。今のルナマリアは稽古用の脚衣姿で、膝に手をあててかろうじて立っている。ぜえはあと息をきらし、よく見れば足も小刻みに震えていた。
――いかん、ちょっとやりすぎたかな? いちおう外傷はないと思うが、木刀の先で小突いたり、足を払って地面を這わせたりしたから、あざの一つや二つ出来ていてもおかしくない。
もっと手加減することもできたのだが、それだと稽古にならない。クリムトと戦った経験を持つルナマリアだからこそ、ある程度本腰を入れる必要があったのだ。
まあ、こうして見るかぎり、ルナマリアは疲れ果ててこそいるものの、稽古自体に文句はないようなのでよしとしよう。
そう考えた俺は、続いてスズメに視線を向けた。
こちらもルナマリアと同じく稽古用の脚衣姿で、ひぃひぃと息をきらせている姿もかわらない。ただ、ルナマリアよりも衣服の汚れが少ないのは――はい、俺が手加減したせいです。
そんな内心をおくびにも出さず、俺は感心したようにスズメに話しかけた。
「スズメはずいぶんと動けるようになっていたな。魔法の勉強や体力づくりをしていたことは知っていたけど、体術の訓練もしていたのか?」
「…………ふぁ、ふぁい……あの、シールさん、と、一緒に……セ、セーラさんに、基礎を、教えて、いただいて……」
「そ、そうか。なるほどな」
息をきらしながら語るスズメを見て、あわててうなずく。質問するにしても、向こうが呼吸をととのえるまで待つべきだった。
最後の一人のイリアであるが、こちらはもう立つこともできずに片膝をついている。ぷるぷると身体が震えているのは、稽古の最後の方で放った俺の拳が実に良い感じで鳩尾に入ったせいだろう。
スズメとルナマリアを同時に相手取っている最中、隙ありといわんばかりに全力の空中回し蹴りを放ってきたので、カウンターを叩き込んでやったのである。
と、ようやく痛みが落ち着いてきたのか、イリアがゆっくりと口をひらいた。
「あなたの使っている武術――勁技といったかしら。それは流派の人間以外には使えないものなの?」
「いや、勁ってのは要するに個人の魔力のことだからな。オドは誰しもが持っているものだ。使おうと思えば幻想一刀流と関わりのない人間でも使えると思うぞ」
上位の勁技ともなると、膨大な量の魔力を必要とするので、心装に至っていない者に発動させることは不可能だろう。しかし、初歩の勁技であればそのかぎりではない。
そう応じると、イリアの眼差しに強い光がきらめいた。
「あなたに教えを乞うて勁技を身に着けることができれば、もう少しまともな稽古ができる。そう思っていい?」
「さてね。勁技にかぎらず、付け焼刃の武術の効果なんて知れたものだと思うぞ」
俺はそういって肩をすくめた。
イリアが言わんとしていること、そして他の二人が控えめながら求めていることは察している。だが、それにうなずくつもりはなかった。
なにせこちとら、ついこの間までほぼ我流で勁技を使っていた身だ。クライアとの稽古で知識も技術も磨き直したが、他者に教えを垂れるレベルには達していない。
そもそも、幻想一刀流の勁技が十分な力を発揮するためには同源存在の発現が不可欠である。仮にイリアやルナマリアが勁技を修めたところで、際立った実力の向上は見込めないだろう。
唯一、鬼人であるスズメにはその可能性があるが――幻想一刀流は門外不出の武術であり、勁技はその基本のひとつ。鬼人が幻想一刀流を修めたと知ったら、鬼ヶ島がどう動くかは火を見るより明らかである。
いずれ敵対するにしても、こちらから口実を与えてやる必要はないだろう。
――いつか、スズメ自身が本気でそれを望む日が来たら、また話は違うけれども。
疲れ果てている三人組を見やりながら、俺はそんなことを考えていた。