第四十一話 黄金帝国
「はじめまして、竜殺し様。わたしはカティアと申します」
それがイリアの幼馴染の第一声だった。
場所は最上階の客室。以前、イリアと二人で泊まった部屋である。その部屋で、俺たちはカティアと名乗った少女から事情を聞いた。
遠目で見たときは気づかなかったが、カティアは明らかに憔悴していた。濃い化粧でごまかしているものの、目はおちくぼみ、頬はこけ、話す声もかすれている。
動きやすさを優先してか、茶色の髪を頭の後ろで団子状にまとめているが、その結い方もおざなりで、年頃の少女らしからぬ姿が痛々しい。
「ごらんのとおり、法の神に仕える者です。小さい頃はイリアさんと同じメルテ村で暮らしていました」
カティアがちらとイリアに目を向けると、『隼の剣』の神官戦士はカティアの言葉を肯定するようにこくりとうなずく。
胸の印章から察していたが、カティアは元Aランクパーティ『銀星』のメンバーだった。この街で獣の王の情報を集めていたイリアと再会し、イリアの口から俺のことを伝え聞いたのだという。
いずれ竜殺しが再びベルカを訪れると知ったカティアは、定期的にイリアのもとに通って俺が来るのを待っていた。それが今日につながったわけである。
問題はカティアが俺に会いたがった理由だが、まあ、これは訊ねるまでもない。竜殺しであれば砂漠の魔物も恐れるに足らない。カティアが考えたであろうことは容易に想像できる。
実際、次にカティアの口から出た言葉は俺の予想どおりのものだった。
「竜殺し様、どうか『銀星』の仲間たちの捜索にご協力ください! 未踏破区域はカタラン砂漠の最奥部で、過去に獣の王が目撃されたこともあります。あなた様の目的にも沿うことだと思います!」
そういって必死の面持ちで頭を下げるカティア。
聞けば、カティアを奴隷の身分から解放したのは『銀星』のリーダーだったそうで、この少女はリーダーに深い恩義を感じているらしい。憔悴ぶりから察するに、恩義以上の感情も抱いているのかもしれない。
『銀星』のリーダーたちが消息を絶ったのは何か月も前だと聞く。公的に死亡扱いされるだけの時間が経過してなお、カティアはかつての仲間のために奔走しているわけだ。
幼少時から奴隷に落ちた境遇といい、眼前の少女を取り巻く状況は同情に価した。その子の必死の願いを前にして「タダ働きはごめんだ」と言えるほど冷酷にはなれない。向こうの言うとおり、どうせ獣の王を捜しに砂漠に行くのだ。そのついでと思えば大した手間でもない。
イリアとラーズの幼馴染ということは、当然セーラ司祭とも知己だろう。その意味でも協力を拒むつもりはなかった。
――というようなことを手短に述べると、カティアはパァッと顔を明るくして「ありがとうございます!」と何度も頭を下げてきた。
そのカティアに対し、俺は「ただし」と付け加える。
「さすがにいつまでも、というわけにはいかないから、それは承知しておいてほしい」
たとえば、未踏破区域の外で獣の王が見つかった場合、俺はそこで獣の王を倒してイシュカに戻る。獣の王を倒した後もベルカに残って『銀星』の捜索をすることはできない。
獣の王の角をノア教皇に渡してから、ベルカにとってかえして捜索を続行するつもりもなかった。行方不明になったのが昨日今日というならともかく、何か月も経った状況では長期の捜索に意義を見出せない。
カティアには悪いが『銀星』のメンバーはおそらく死んでいる。死体も砂に埋もれたか、魔物に食われたか、いずれにせよ、発見するのは難しいだろう。
身も蓋もなくいってしまえば、俺が協力するのは『銀星』を捜すためではなく、眼前の少女の気持ちをなだめるためだった。このままだと、カティアはあるかなしかの希望にすがって走り続け、ついには力つきて倒れてしまうと思えたから。
……そうなったらそうなったで、カティアにとっては本望なのかもしれないが。
目に涙をにじませるカティアに気づかれないよう、小さくため息を吐く。居丈高にからんできた『砂漠の鷹』とは違った意味で、『銀星』もまた厄介事の種になりそうだった。
「あの、カティアのこと、ありがとう……ございました」
カティアが去った室内で、イリアがぎこちない敬語と共に頭を下げる。
そんなイリアを見て、俺はかすかに目を細めた。ルナマリアやミロスラフと違い、イリアはまだイシュカ冒険者ギルドに所属する第六級冒険者のまま、『隼の剣』のメンバーのままだ。
俺は先のベルカ滞在時、イリアに魂喰いをおこなった後、イリアをベルカに置いて鬼ヶ島に向かった。長期にわたって俺と離れていたイリアがどういう態度をとるのか、少しばかり気になっていたのは事実である。実のところ、イリアがベルカから姿を消している可能性も考慮していた。
だが、イリアはこうしてベルカに残っている。
――ふむ、どうやら問題はなさそうだな。まあ、ヒュドラの死毒に冒されたイリアにしてみれば、解毒薬を手に入れるためにも俺から離れることはできないわけで、従う以外の選択肢を選ぶことはできなかったのだろうけれど。
そういった内心を押し隠して、俺はイリアに応じた。
「別にかまわないさ。あの子にも言ったが、優先するのは獣の王の方だからな。しかし、村での幼馴染という話だったが、どうやって再会したんだ? 法の神殿でばったり顔を合わせでもしたか?」
「ばったりというか……獣の王の情報を集めている人がいると聞いて、向こうから私に会いに来たのよ。そのときに互いに気づいたわ」
「そうか。ラーズにはもう知らせたのか?」
何の気なしにした質問だったが、これを聞いたイリアは唇を噛んでうつむいた。
「いいえ、カティアに止められたわ。もうメルテ村に帰るつもりはない、だから自分のことを知らせるのはやめてくれって」
それを聞いた俺は腕を組んだ。奴隷から解放されたのなら、いつでも故郷に帰ることはできたはずだ。事情があってベルカを離れられなかったにしても、家族に無事を知らせることは難しくない。
そのどちらもしなかったということは、自分を売った家族の顔なんて見たくない、村にも未練はない、ということなのだろう。当然、それはイリアやラーズも例外ではないわけで……どうやらイリアとカティアの再会はあまり感動的なものにはならなかったようである。
シールは奴隷になった後も家族に仕送りを欠かしていなかったが――これはシールが自分の意思で家族のために身を売ったからだろう。カティアの状況がそれとはまったく違ったものだったことは想像に難くない。
そして、そういう形で幼馴染を失ったイリアとラーズが、より強く冒険者の道を志したのだとすれば、カティアの存在は俺にもすくなからぬ影響を与えていることになる。
そのカティアと今日ベルカで出会った。妙な縁もあったものだ、と思う。
そんなことを内心で考えつつ、俺は話題を変えた。辛そうな顔をしているイリアに気をつかった――わけではなく、今後のために確認しておかなければならないことがあったからである。
「ところで、身体の具合はどうだ? こうして見るかぎり、特に異常はないみたいだが、俺と別れた後で毒の再発はあったのか?」
毒とはもちろんヒュドラの毒のこと。イリアはメルテ村で水棲馬と戦い、この魔物経由で幻想種の死毒に冒されて顔の半分が崩れるに至った。俺の血を用いた解毒薬を飲むことで症状は大きく改善したものの、再発の恐れは消えていない。
鬼ヶ島で鬼神を倒したことで俺のレベルはさらに上がっている。必然的に血精の効果も以前より増している。俺が不在の間に毒の症状が再発していたのなら、そちらを用いる必要が出てくる。そう思って問いを向けたのだが、イリアの答えは「まったく問題なし」というものだった。
「むしろ、毒に冒される前より身体の調子は良いくらい」
「それはけっこう。これならお前を斬る必要はなさそうだな」
からかうように言うと、イリアは何と答えたものか迷うようにきゅっと唇を引き結んだ。俺は以前、死毒による無痛の死を恐れるイリアに対し、手遅れになったら一思いに殺してやる、と宣言したことがある。それをこの場でなぞったのだ。
俺なりに当時のイリアの心情を汲んでのことだったが、セーラ司祭やチビたちにはとうてい聞かせられない言葉である。ラーズあたりに聞かれたら、また決闘騒ぎになりかねない。
ただ、あのときのイリアは明らかにほっとした顔をしていたし、ここにいるイリアも怒りを見せることはなかった。
そんなイリアに隣に座るよう指図する。イリアはわずかに目をふせたものの、何も言わずに俺の指示に従った。
ちなみに、スズメとルナマリアは少し離れた別室に移っている。さすがに二人部屋に四人で泊まるわけにはいかないので、もう一部屋とったのだ。
今、この部屋にいるのは俺とイリアの二人だけ。となれば、することは一つに決まっていた。
◆◆◆
ベルカに来てから三日後、俺は一人、クラウ・ソラスに乗ってカタラン砂漠の空を飛んでいた。
当初はへたに目立つとまずいと思い、近くの山中に隠していたクラウ・ソラスだが、到着早々『砂漠の鷹』や『銀星』と関わり合ってしまった今、目立たないように縮こまったところで意味はない。むしろ、はっきりと自分の存在を誇示するべきだった。竜殺しここにありと喧伝してやれば、『砂漠の鷹』も手を出しにくくなるだろう。
その俺の考えに賛同してくれたのは、ベルカにおける法神教の最高責任者サイララ枢機卿である。枢機卿は俺に全面的な協力を約束し、クラウ・ソラスが自由にベルカ市街に出入りする許可までとってくれた。
はじめ、俺は向こうの厚意をノア教皇の紹介状によるものだと思っていたが、よくよく聞いてみると、『銀星』が行方不明になった一件はサイララ枢機卿も胸を痛めていたとのこと。カティアのことも気にかけていたそうで、仮に俺が教皇の紹介状を持っておらずとも協力は惜しまなかっただろう、とは枢機卿当人の弁である。
『アロウはよく礼節をわきまえた男でな。ベルカの住民にとって冒険者といえば荒くれ者と相場は決まっているが、アロウとその仲間たちは例外じゃった』
はじめて顔を合わせたとき、サイララ枢機卿は沈痛な面持ちで俺にそう言った。ここで名前の出たアロウというのは『銀星』のリーダーである。異名は白騎士。
なんでもアロウは身寄りをなくした者や、奴隷として虐待されていた者たちを引き取って面倒をみていたそうで、法の神殿をはじめとした各神殿とも協力関係にあったらしい。カティアもその中の一人だったそうだ。
主君を持たない冒険者でありながら「騎士」の異名を取っていたあたり、いかに彼の謹直な人柄が人々に慕われていたかがわかる。
付け加えておくと、名前の響きから女性だと思っていたサイララ枢機卿は五十歳を超えた威厳のある男性でした。
砂漠の空を飛びながら、俺は老いた枢機卿の言葉を思い出す。
『アロウたちが行方不明になったとき、わしは法の神殿をあげて捜索をおこなったのだが……アロウたちが向かった場所は未踏破区域の中でも最も奥まったところでな。魔物も多く出没し、近くにオアシスもない。手練の冒険者でも行って帰ってくるだけで精一杯で、腰を据えての捜索などとうてい望めないところであった……』
それを聞いたとき、俺は思ったものである。なんでまた『銀星』はそんな危険なところに向かったのか、と。
もちろん危険を冒すから冒険者なわけだが、当然、そこには危険を冒すに足りる理由がなければならない。
魔物が多く出没し、オアシスもなく、手練の冒険者でも行って帰ってくるだけで命がけ。そんなところに仲間を引き連れて向かったアロウの目的は何だったのか。
カティアには向けられなかった問いを、俺はサイララ枢機卿に向けた。
これに対し、枢機卿は一瞬だけ何かをこらえるように目をつむってから、一つの言葉を口にした。
黄金帝国。
それは伝説にのみ名を留める砂漠の理想郷。『銀星』は――いや、白騎士アロウはその伝説を求めてカタラン砂漠に足を踏み入れていたのである。何回も、何十回も、ことによったら何百回も。
そして伝説に通じる何らかの手がかりを得て、危険を覚悟で未踏破区域に踏み込み――そして、帰ってこなかった。
「砂漠に消えた白騎士、か。さて、いったい何があったのやら」
そんなことをつぶやきながら、俺はクラウ・ソラスの首をベルカに向けた。試験飛行はこれくらいで十分。今日のうちにベルカに戻り、明日、スズメたちを連れてあらためて砂の魔境に挑むつもりだった。