第三十八話 夜の話し合い
「……あの、マスター」
夜、俺に呼ばれて部屋にやってきたルナマリアは、しばしの沈黙の末、神妙な顔で口をひらいた。
「なんだ?」
「私の気のせいでなければ、マスターの肩に乗っているのは私が召喚した水の精霊ではありませんか?」
「そのとおりだな。ちなみに足元には火の精霊もいるぞ」
そういって目線で足元を指すと、影に隠れていたサラマンダーがちろっと顔をのぞかせた。それを見てルナマリアが目を丸くする。
ちなみにウンディーネは握り拳ほどの大きさの人の形をしており、サラマンダーは同じく拳大のとかげの姿をとっている。
この二体、普段は我が家のひのき風呂で清潔な湯の供給をしてくれている。ウンディーネが河水や雨水を浄化し、サラマンダーがそれを温めるわけだ。
はじめの頃は俺が風呂に入っている間もまったく姿を見せなかったのだが、ある時期を境に、ちらちらと物陰からこちらをうかがうようになった。
以前、日頃の風呂焚きの感謝を込めて、ルナマリア経由で魔法石を贈ったことがあるのだが、それが効いたのかもしれない。面白がって手招きしたら、おずおずと近づいてきたので、手のひらに乗せて頭をなでたりしていた。そうしたら、どんどんと懐いてきて――
「今では風呂の外にもついてくるようになった」
「さらっと、すごいことをおっしゃいますね……」
呆れたような、感心したような声音でルナマリアが応じる。普通、精霊は人間に姿を見せたりはしないし、ましてや召喚者以外の人間についていくことはない。召喚者の命令と関わりない場所であれば尚更だ、とはルナマリアの説明である。
「よほどマスターのそばが心地よいのでしょう」
「それは光栄、というべきなのかね」
肩のウンディーネをちょいと突いてやると、指先にひしっと抱き着いてきた。精霊とは世界に満ちる魔力の凝集体。それゆえ、魔力がたっぷり込められた魔法石は大好物だ。その意味では、体内に幻想種の魔力を抱え込んだ俺は、精霊たちにとって動く魔法石みたいな存在なのかもしれない。
その後、ルナマリアに諭された二体の精霊がしぶしぶという感じで部屋を出ていく。苦笑してそれを見送ったルナマリアが、めずらしく冗談めかした調子で言った。
「マスター、精霊魔術を習ってみますか? 今のマスターなら私よりもずっと優れた術士になれると思います」
「検討にあたいする提案だな」
相手の冗談にわりと本気で応じる。
魔力の凝集体である精霊は、魔力を用いて魔法を行使する魔術師とは相性が悪い。精霊にしてみれば、魔術師たちは自分たちを食って力に変えているようなものなので、当然といえば当然だろう。
俺もいくつかの魔術を扱うので、その意味で精霊との相性は悪いはずだが、それでも精霊魔術を修得できるなら修得したい。戦いにおいて手札が多いに越したことはないのだから。
ただまあ、それは余裕ができたらの話である。今は新しい技術の修得に時間を割いている暇はない。
俺はあらためて眼前のルナマリアを見やった。
スズメと似かよった焦燥を見せているエルフの賢者。原因もおそらくスズメと同じものだろう。今のルナマリアはゴズたちの襲撃で自らの力不足を思い知らされ、それを何とかしようと焦っている。
ルナマリアが『血煙の剣』に在籍しているのは、蠅の王との戦いで俺をおとりにした罪をつぐなうためだ。力不足の自分では贖罪を果たすことができない――ルナマリアはそう考えて焦りを感じているのだろう。
俺に役立たずの烙印を押されたら、今後どういう扱いをされるか分からない、という恐怖もあると思われる。魂の供給的な意味で。
このルナマリアの焦燥を打ち消すのは簡単だ。俺がルナマリアを役立たずだとは思っておらず、もちろん罰則のたぐいを与えるつもりもない、と言明すればいい。実際にそう言った。
ところが、これに対するルナマリアの反応は俺の予測を外すものだった。
わずかな安堵も見せず、悲しげにうつむいてしまったのである。見れば、ルナマリアの手はきつく握りしめられている。その様子は、ますます焦燥を募らせたようにしか見えなかった。
――え、何故に? 俺としては最大限の優しさを示したつもりだったのだけど。
予期せぬ反応に戸惑っていると、ルナマリアが何かを決意した面持ちで口をひらいた。
「マスター、お願いがあります」
「聞こう」
思いつめた様子のルナマリアを前に、内心で身構える俺。
ここでルナマリアはまたしても予想外の言葉を口にした。
「稽古をつけていただきたいのです」
「…………けいこ?」
思わず、きょとんと首をかしげてしまった。
けいこって稽古のこと、だよな? そう思いつつ反問する。
「確認するが、何の稽古だ?」
「剣術の稽古です。もっといえば、幻想一刀流と戦う稽古をつけていただきたいのです」
真剣な眼差しで訴えてくるルナマリア。
幻想一刀流と戦う稽古。それはつまり、いつか俺を打倒してみせるという誇り高きエルフの宣戦布告――なわけないですね、はい。
さすがに今のルナマリアを見て、そんな曲解は冗談でもできない。俺と御剣家との関係を考慮したルナマリアは、いずれ再び青林旗士が襲撃してくると予測し、そのときに先日のような無様をさらしたくない、と訴えているのだ。
今のルナマリアがどれだけ俺と稽古を重ねたところで、本気になった青林旗士相手では一合ともたないだろう。クリムトと戦ったルナマリアはそのことを理解しているはずだ。それでもなお、俺との稽古を求めてきたところにルナマリアの必死さを見ることができる。
このとき、俺は先ほどのルナマリアの反応の意味を正確に理解した。
クリムトとの戦いでルナマリアは完敗した。端的にいえば役立たずだったわけだ。ルナマリアはそれを恥じ、もっと強くなろうとがんばっていた。
そのルナマリアに対し、俺は役立たずとは思っていないと告げてしまった。実際に役立たずだった人物に、役立たずだとは思っていないと告げる――ようするに「お前には最初から何の期待もしていなかったから気にするな」と言い放ったわけだ。なんとか俺の役に立とうと歯をくいしばっている人に対して。
…………我がことながら最低である。それは思いきり拳も握りしめるだろう。
むろん、俺にルナマリアをおとしめる意図はなかった。戦力を考えれば当然の判断でもあった。
だが、だからといって弱者の心情を軽んじていい理由にはならない。それでは心装に目覚める以前の俺を軽んじていた連中と同類になってしまう。
それを思った瞬間、ぞくり、と背に悪寒が走った。かつて何よりも嫌悪していた強者の傲慢、それに侵食されている自分に気づいたからである。
「………………あぶないところだった」
「あ、あの、マスター?」
「ありがとう、ルナ。おかげで助かった――――あ、稽古の件は了解した。俺との戦いに慣れておけば、他の旗士と戦うときに役立つこともあるだろう」
「は、はい、願いを聞き届けてくださってありがとうございます!」
ルナマリアの顔に、この夜はじめて安堵と喜びが浮かびあがる。
深々と一礼したエルフの賢者は、ややあって不思議そうな顔で問いかけてきた。
「ところで『おかげで助かった』というのは何のことでしょうか?」
「気にしないでくれ。まあ、強いていうなら、ルナがいてくれてよかった、ということだ」
「は、はあ……それは、その、ありがとうございます……?」
怪訝そうにしながらも、素直に礼を言うルナマリア。
そんなルナマリアを見ながら、俺は大きく息を吐きだした。