第三十七話 昼の話し合い
俺は鬼ヶ島でみずからの力を証明し、スズメの扱いを一任された。今後、スズメが御剣家の刺客に襲われることはない。
そのことをスズメに告げるのは当然だった。問題があるとすれば、それ以外についてである。
泰山公を名乗るオウケンが口にした鬼人および鬼神に関する知識をスズメに話すのか、話さないのか。話すにしてもどこまで話すのか。
これまでも折に触れて考えてはいた。だが、いまだに結論は出ていない。こうしてスズメと並んでベンチに腰を下ろした今になっても、まだ。
俺が迷っている理由の一つは、手に入れた知識の信憑性に疑問があることだった。なにせ、この話を聞いたとき、俺はオウケンの首筋に刃を突きつけていたからな。オウケンがでたらめを話した可能性は否定できない。
仮にオウケンが真実を語っていたとしても、それをスズメに話すことに意味があるのか、という疑問もある。鬼神がどうの、蚩尤がどうのといった知識は、平和に暮らしていく分には何の役にも立つまい。最悪の場合、知識を得たことで鬼神との同調が深まって――なんてことも起こりえる。
本音をいえば、俺はスズメにこれらのことを伝えたくなかった。繰り返すが、イシュカの街で普通に生活していく分には必要のない知識である。波乱万丈とか鬼神降臨とか、そういった言葉はスズメには似合わない。これからも穏やかで平和な生活を送ってほしい、と心底思う。
ただ、その気持ちが俺の押しつけであることも自覚していた。
鬼人が人間の世界で生活している時点ですでに波乱を含んでいる。俺がいつでも、いつまでも傍にいてやれるわけでもない。
そもそも、スズメが俺の庇護を望んでいるのかも定かではないのだ。俺との関わりがなければ、ゴズたちに襲われることもなかっただろうしな。
なので、まずはスズメが抱えているらしい悩みを聞いたあと、そのあたりの話もそろりとしていこう、と俺は考えていた。
「さて、スズメさんや」
「は、はい、なんでしょうか!?」
声をかけると、スズメはぴんと背筋を伸ばし、力みかえった態度で応じてきた。
ベンチに座った時点でなにやら緊張している様子だったので、それをほぐそうと思っておどけた声をかけてみたのだが――うん、まったく効果がありませんでした。というか、なんでそんなカチコチに身体をかたくしているんだ。
不思議に思ってやんわりと訊ねてみたところ、スズメは恐縮したように肩を縮めてしまう。俺は重ねて訊ねることはせず、スズメが話す気になるのを待った。
小さな口がひらいたのは、ゆっくり二十ほど数えてからのことである。
「……その、いつまで経ってもソラさんたちのお世話になってばかりで心苦しい、です」
それを聞いた俺は、おもわずむむっと眉根を寄せてしまう。世話になってばかりってことはないと思うが。家のこととか、クランのこととか、よく手伝ってくれてるし――そう思ったが、ここでも慌てて言葉をはさむことはせず、スズメの言葉が終わるのを待つ。
根気よく耳をかたむけているうちに、スズメの心をとらえているモノがおぼろげに浮かび上がってきた。
一言でいってしまえば、それは恐れ。
自分がいることで周囲の人に迷惑がかかってしまう、怪我をさせてしまう、もしかしたら死なせてしまうかもしれない。ひいてはそれを理由としてこの場所を追い出されてしまうかもしれない――そういう恐れだった。
これまでもスズメはこの手の悩みを抱えがちであったが、イシュカでの生活になじんでいくにつれて悩みを見せることはなくなっていった。鬼人であっても人の世で暮らすことはできる、という事実の積み重ねが不安を消していったのだろう。
優しくしてくれるシールやルナマリア、それに魔法を教えてくれるミロスラフの存在も大きかったと思われる。スズメ自身、少しでもみんなの役に立とうと努力をおこたらなかった。それが自信につながっていたのだとも思う。
そのスズメが再び悩みに囚われてしまった原因は――考えるまでもないな。この前のゴズたちの襲撃しかない。
脳裏に件の三人の姿を思い浮かべた俺は、舌打ちがこぼれるのをこらえなければならなかった。
鬼人の命を狙ってあらわれた襲撃者。自分をかばって倒れていくシールたち。あのときの出来事がスズメの気持ちに影を落としたことは疑いない。
それがわかっていたから、事が終わった後、俺はスズメに何度も気にしないように声をかけていたのだが――どうやら、こちらもあまり効果がなかったようである。
考えてみれば当然かもしれない。自分のせいで身近な人たちが襲われたのだ。悪いのは襲撃者だとしても、原因が自分である事実は動かない。俺がスズメの立場だったとしても気にせずにはいられないだろう。優しく真面目なスズメであれば尚のことだ。
あの頃は龍穴やらクライアやら獣の王やらでてんてこ舞いだった。決してスズメをないがしろにしていたつもりはないが――今おもえば、もっと親身になって話を聞いてあげるべきだった。反省しよう。
不幸中の幸いは、ここまでのスズメの行動が「迷惑をかけているからもっと役に立たなくては」という、ある意味で前向きなものになっていることである。ベルカへの同行を熱望しているのはそのあらわれだ。「迷惑をかけてしまうからイシュカを出て行こう」というものにならなくてよかった。
ただ、それとてこの場の決断次第でどう転ぶかわからない。
……うん、やっぱりスズメはベルカに連れていくしかないだろう。単なる同行者ではない。きちんとしたクランの一員、クランの戦力としてだ。ここで形だけベルカに連れて行っても効果はないどころか、かえって逆効果になりかねないからな。
俺にとってスズメは損得勘定を抜きにした善行の象徴だ。そのスズメを戦力とみなすことは忸怩たる思いを禁じ得ないが、当人が望むのなら是非もない。
――そのことを告げると、スズメは思いもかけないことを聞いた、と言わんばかりにきょとんとした顔をした。一拍の間をおき、俺の言葉の意味を理解したスズメがぱあっと明るい笑みを浮かべる。
花咲くような笑みは議論の余地なく可愛かった。
「あ、ありがとうございます!」
「もちろん、連れていく以上はびしばし厳しくいくからな。付いてこられないと判断したときはイシュカに帰ってもらうこともありえるぞ」
「はい、がんばります!」
連れていくとなったら甘い顔ばかり見せるわけにはいかない。俺はことさら鹿爪らしい顔で釘をさしたが、スズメはやる気満々という感じで、胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、ひたむきに俺の顔を見上げてくる。
うん、やっぱり可愛い。
そんなことを考えつつ、俺はスズメに対して鬼ヶ島での出来事を語ってきかせた。先刻までは伝えるべきか否か悩んでいたが、今のスズメを見れば俺が迷う必要などなかったと思える。
真剣な顔で耳をかたむけていたスズメがハッと表情を変えたのは、話が鬼神のことに及んだときだった。怪訝に思って様子をうかがうと、スズメはためらいがちに夢の話を教えてくれた。
ときどき、血のように赤い目をした人が夢の中に出てくるのだ、と。
はじめの頃は目が覚めるたびに記憶から抜け落ちていたそうだが、最近になって――具体的にいうと、俺が鬼ヶ島に向かったあたりから、はっきりと記憶に残るようになったらしい。
「ただの夢で片づけるにはあまりに現実感があって、気になっていました」
「ふむ、それはたしかに……」
気になるな、とスズメに同意してうなずく。
スズメは鬼人族。そして、鬼人族は角によって鬼神 蚩尤とつながっているという。
脳裏によみがえるのは、鬼ヶ島で俺に斬られた鬼神が言い残した「……ミツケタ」という言葉。あの言葉の意味はいまだにわかっていないし、そもそも俺の聞き違いである可能性もあるのだが、もし本当に鬼神が俺に向けて「見つけた」という言葉を発したのだとしたら――鬼神が俺に近しいスズメという器に目をつけた可能性がある。
この鬼神の注目と、スズメの「役に立ちたい」という気持ちが重なり合ったとき、何が起こるのか。起きてしまうのか。
同源存在との同調。
もちろん、可能性としては低いだろう。いくら鬼人が鬼神とつながっているとはいえ、そうそう心装に目覚めることはあるまい。そんなに簡単に心装を会得できるなら、鬼人族が大陸から駆逐されることはなかったはずだ。
この推測に間違いはない。間違いはないが、現実にスズメが鬼神とおぼしき存在の夢を見ている以上、無視することもできない。
ベルカではスズメから目を離さないようにしよう。そう思いつつ、俺は自分の推測をスズメに告げた。
正直なところ、同調についてはあまり話したくなかったが、ここまで明かしておきながら肝心の部分だけ黙っているわけにもいかない。それはスズメに対して不誠実だし、なにより危険だ。
話を聞いたスズメは驚いたように目を見開く。そこには夢の赤目に対する不安が確かに感じられたが、同時に、自分が置かれた状況をしっかりと受けとめる意志の強さも感じられた。
それを見て、ふと思う。
きっとルナマリアやミロスラフも、スズメのこの目を見て、戦いの場に連れて行くことを肯ったのだろう、と。