第二十八話 イシュカへ
冒険都市イシュカの北側には豪壮な邸宅が立ち並ぶ高級住宅街がある。政庁の役人やら交易の豪商やらギルドのマスターやら、適当に石を投げれば都市の大物に当たると言われている一画だ。最近ではそれら大物の中に竜殺しも含まれるようになったのだから、我ながら出世したものである。
そんなことを考えながら街並みを歩いていると、隣から弾んだ声が聞こえてきた。
「ソラさんのお家、楽しみです!」
その声はクラウディア・ドラグノート公爵令嬢のものだった。王太子と共に教皇の介添え役を命じられたクラウディアがここにいるのは、南の聖王国からやってくる教皇をこの街で出迎えるためである。もちろん国王の許可を得た上での行動だった。
一方、王太子は王宮に残って出迎えの準備をしている。
おそらく当初の国王の狙いは、介添え役を名目に息子とクラウディアを一緒に行動させ、二人の仲を修復することだったのだろう。そしていずれは再度の婚約を、と考えていたところ、クラウディアが俺を連れてきて将来的に一緒に暮らすつもりである、と明言した。
婚約を破棄した相手が新たな婚約者を連れてきた――国王はそう判断したはずだ。これを壊すような真似をすれば、王家とドラグノート公爵家の間隙は無視できないものとなる。
こうなると、息子とクラウディアを一緒に行動させるのはまずい。国王はそう考えて二人に別行動をとらせたものと思われる――まあ、クラウディアがそういう風に話を誘導したとも言えるのだけど。
王太子を喝破したときにも思ったが、やっぱりクラウディアは公爵家の一族なのだな。いざという時の硬軟おりまぜた言動は実に骨太で迫力がある。
今のように柔らかい女の子の表情をしているときは年相応にあどけないだけに、余計にそう感じるのかもしれない。このまま年を重ねていけば、いずれ美貌と聡明を兼ね備えた王国屈指の美姫が誕生するだろう。王太子殿下は逃がした魚の大きさに歯噛みすることになりそうだった。
もちろん、そんな未来図を口に出したりはしない。俺はしかつめらしく表情をととのえ、クラウディアに応じた。
「念のために申し上げておきますが、公爵邸と比べたらずっと小さいですからね。あまり期待には沿えないと思いますよ」
「ふふ、ボクが楽しみにしているのは、ソラさんが普段どんなお家で暮らしているかを見ることです。大きさや外観がどうあれ、がっかりなんてしませんよ。それに――」
「それに?」
問い返すと、クラウディアは人差し指をおとがいにあてて言った。
「王都のお家は大きすぎて、好きな人と暮らすには向かないと思っています」
それはなにげない一言だった。クラウディアの表情も格別かわっていない。
ただ、どこか目の前の少女の深奥から発された感があって、俺はなんと答えたものか考えあぐねた。適当に答えたり、流したりしてはいけない、という気がしたのだ。
クラウディアはといえば、くすりと微笑んだままこちらを見つめている。
そのまま俺たちはしばらく無言のまま歩き続けた。これがイシュカの大通りなら露店やら商店やらの客引きでうるさいくらいなのだが、はじめに説明したようにここらは高級住宅街。そういった喧噪は遠く、沈黙の帳はおりたままだ。
決して気まずいわけではない。ただ、なんとなく気恥ずかしい。そんな沈黙。
ややあって視界の中に自邸が見えてきたとき、俺は無意識のうちに息を吐きだしていた。
我が家の門前に立ったとき、胸に懐かしさは湧かなかった。
当然といえば当然だろう。なにせ俺が鬼ヶ島に滞在したのは実質的に一日だけ。行きは過去を振り返りながら時間をかけたが、帰りは鬼神を喰った喜びそのままに足取り軽く駆け抜けた。王都でもドラグノート邸で一泊しただけで、イシュカの手前まではクラウディアの翼獣に乗ってきたのである。
つまり今回の鬼ヶ島行きは、起こった出来事の密度はさておき、経過した日時だけを見れば、ちょっと遠出してきました、という程度のもの。懐かしさなど感じようがない。
なので、俺はさっさと鍵をあけて外門をくぐった。ここの鍵をあけておくと、クラウ・ソラス目当ての見物人が勝手に中に入ってしまうので常時施錠しているのだ。ちなみに、クラン『血煙の剣』に用がある人は、外門に置いてある呼び鈴――振ると音が鳴るタイプ――を鳴らしてもらえば中から人が出てくることになっている。
ただし、当然ながら家に人がいないときはその限りではない。敷地内に入った俺は、人の気配の感じられない建物を見て口をひらいた。
「留守か? めずらしいな」
イリアはベルカで獣の王の情報収集をさせているから当然としても、スズメ、シール、ルナマリア、ミロスラフ、それにセーラ司祭とチビたち三人がそろって不在というのはめずらしい。
もし今、クランに依頼人が訪ねてきたらどうするのかと思ったが、冷静に考えてみれば「依頼人に無駄足を踏ませないためにも、いつも誰かしら家にいること」などという決まりはつくっていなかった。これでは俺に何かを言う資格はない。
それに、竜殺しの名声を得た上はクラン活動に血道をあげる必要もない。用事があるのならそちらを優先してもらって一向にかまわなかった。
ただ、俺が留守の間に何か重大事件が起きた可能性もあるので、いちおう邸内の様子を確認しておこう――そんな風に考えて邸内に入ろうとした時だった。
「ああー! ソラ兄だー!」
「ソラ兄だー!」
「ソラ兄なのー!」
後ろからえらく聞き覚えのある三重奏が聞こえてきて、ばたばたと足音が近づいてくる。
振り返った視界に映ったのは案の定アイン、ツヴァイ、ドーラの三人で、その後ろには穏やかな微笑をたたえたセーラ司祭が続いている。手に買い物袋をさげているところを見ると、食料品の買い出しにでも行っていたのだろう。
先の騒乱以降、イシュカは治安も物流もだいぶ混乱していたが、子供連れの女性が買い物のために出歩けるくらいにはなっているようである。冒険者ギルドがそのための一翼を担ったのだとすれば、エルガートやリデルを見逃した甲斐があったというものだ。
「お帰りなさい、ソラさん。ご無事のようで何よりです」
「ただいま戻りました、セーラ司祭。留守中、何か問題はありませんでしたか?」
「私どもについては何も問題ありませんでした。不自由なく過ごさせていただいて感謝しております」
セーラ司祭はそう言って深々と頭を下げた後、やや口調を速めて続けた。司祭がことさら「私どもについては」と前置きしたことを聞いて、俺が眉根を寄せたことに気づいたためだろう。
「他の皆さんもお元気ですよ。ただ、今はティティスの森に向かわれているので、問題がなかったかと問われると……」
素直にうなずくこともできかねる。困ったように頬に手をあてたセーラ司祭はそう言った。
それを聞いて、俺の眉間のしわはますます深まった。言うまでもないが、今のティティスの森は危険な状態である。俺がイシュカを離れていた短い期間に、ヒュドラの毒の影響が消えたとも思えず、魔獣たちは今なお荒れ狂っているだろう。
何を好きこのんでこの時期にティティスに足を踏み入れたのか。
よくよく聞いてみると、その答えはクランに持ち込まれた討伐依頼にあった。魔獣暴走はおさまったものの、今なお小規模な魔物、魔獣の群れが森から出てくることはあるそうで、兵士や冒険者が監視と掃討をおこなっているらしい。
そして『血煙の剣』にもその依頼は持ち込まれた。当初はルナマリアとミロスラフが向かう予定だったが、シールとスズメがぜひ自分たちも、と主張したのだという。自分たちもクランの役に立ちたいのだ、と。
ここに二人がいないということは、ルナマリアたちは二人の主張を容れたのだろう。
――むう、俺がその場にいれば確実に反対したんだがな……ルナマリアとミロスラフが認めたということは、少なくとも足手まといにはならない、と判断したのか。
考えてみれば、俺はシールたちの実力をよく知らない。二人が頑張っているのは知っているが、彼女たちと一緒に戦ったことはなく、そもそも行動を共にすることもまれだ。その意味ではルナマリアたちの方が判断役としては適任といえる。
我知らず、ほう、と息を吐きだしていた。
イシュカ政庁に強制的に徴用された、とかいうならともかく、自分たちの意思で向かった者たちを力ずくで連れ戻すことはできない。俺はスズメやシールの保護者ではない。たとえ善意から出たものだとしても、二人の行動を掣肘する権利など持っていないのだ。
もちろん、クランマスターとして二人の力量が不足していると確信したならその限りではないが……そうではないことは前述したとおりである。
ここは彼女らを信頼してどっしりと腰をおろし、帰ってきた四人を盛大に出迎えてやるのがクランマスターの器量というものだろう。うん、そうしよう。
――――さて、そうと決まればクラウディアとセーラ司祭たちを引き合わせないとな。
もちろん、厩舎にいるクラウ・ソラスに挨拶をするのも忘れてはいけない。しばらく留守にしていたから寂しがっているだろう。ご機嫌とりというわけではないが、久しぶりにひとっ飛びするか。
とはいえ、無目的に飛び回るのも味気ない。ここはひとつ、クラウ・ソラスの好物であるジライアオオクスの実を取りに行くとしよう。
他意はない。あくまでジライアオオクスの実を取るためにティティスに向かうだけである。




