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第二十一話 再会



「ひぃ……はぁ……ひぃ……!」



 鬼人オウケンはわき目もふらずに木々の合間を駆けていた。鬼神と空が戦っている隙に逃げ出したのである。


 ひどい有様だった。


 空の斬撃を浴びた右腕は肩から下がなくなっている。傷口からあふれ出る血によって光神教の白衣は暗赤色に染まり、地面にはいびつな赤い線が引かれている。


 おのれの逃走路を示す明白な証拠を、オウケンは放置せざるをえなかった。左手一本では止血もままならず、回復魔法を唱える余力もない。垂れ落ちた血に土をかけている暇はさらにない。


 そんなことをしていれば、たちまち追っ手に――あの人間に追いつかれてしまう!



「はぁ……はぁ……な、なんだというのです……なんだというのですか、あの者は……!」



 オウケンの最大の切り札である風魔法をそよ風か何かのように斬り散らし、強靭なめぐし子の身体を紙のように斬り裂いた。


 のみならず、鬼人の身体を依代よりしろとして降臨した鬼神と真っ向から戦い、一歩たりとも退かなかった。


 降臨した鬼神の強さは依代よりしろの器に比例する。その意味ではイサギを依代よりしろとしてあらわれた鬼神は本来の強さに届いていない。


 崋山十六槍の筆頭であったイサギは鬼人族の中でも図抜けた力を持っていたが、それでもしょせんは人である。神をれるには人の器は小さすぎるのだ。


 だが。だが、たとえ本来の力には届かないにせよ、鬼神は鬼神。一介の旗士きしが手向かいできるような存在では断じてない。そのはずなのに。


 オウケンの脳裏に先刻の光景がよみがえる。嵐のごとき鬼神の攻撃を真っ向から受けとめ、弾き返し、ついには致命的な斬撃を浴びせていた空の姿。


 オウケンは結果を見ずにあの場から逃げ出したが、鬼神の気配はすでになく、島を覆わんばかりだった鬼気も掻き消えたとなれば、勝敗の行方はおのずと明らかだった。



「あれほどの使い手、無名のはずがありません……! この私をたばかるとは……やはり、やはり人間は信用ならぬ……ッ!」



 うめくように言葉を重ねながら、オウケンは足を動かし続ける。一刻も早く中山に立ち帰り、この忌々しい島で起きた事を光神教の上層部に報告しなければならぬ。


 だが、鬼門をくぐるために必要な姿隠しの神器は右腕と共に失われている。共にこの地に来たイサギたち同胞は御剣の手勢に討たれ、泰山の部下も全滅した。今のオウケンには鬼門をくぐるすべがない。それどころか、このままでは自分の命さえ保持できない。


 オウケンは震える声で自身に回復魔法をかけたが、何度聖句を唱えようと、流れ落ちる血はいっかな止まる気配を見せない。これだけ血が流れれば、そのぶん体は軽くなっているはずなのに、足は鉛のように重くなるばかりだった。



「ぐ……が……ごぶぁ!」



 のどの奥から急激にせりあがってきた吐き気に耐えられずに口をひらく。すると、驚くほど大量の血が胸奥からあふれ出し、たまらずオウケンは膝をついた。


 打ち続く吐血は、たちまち地面に血だまりをつくっていく。


 口から、鼻から血を流しながら、オウケンは何とか立ちあがろうともがくが、一度ひとたび膝をついたことで何かが途切れてしまったのだろう、身体は錆びついたように動かなかった。


 先ほどから視界が渦を巻いている。次の瞬間、きりで頭蓋を刺し貫かれたような激痛に襲われ、オウケンはたまらず地面に倒れ込んだ。


 びしゃり、と赤い液体が周囲にはねる。自らが吐いた血反吐ちへどにまみれたオウケンが、屈辱と恐怖に歯噛みしたときだった。



「――手ひどくやられたな、オウケン」



 静かな声が頭上から降ってくる。はや追っ手が来たのかと、おびえながら何とか顔だけを動かしたオウケンの視界に声の主が映る。

 

 そこにいたのは、ざんばら髪の若き鬼人カガリ。


 そうとわかった瞬間、苦しげに歪んでいたオウケンの顔が歓喜に輝いた。



「カ、カガリ様……おお、よくぞ、よくぞ助けに来てくださった……!」


「助けに? 何を勘違いしている」


「……カガリ、様?」



 常日頃、闊達かったつで陽気なカガリの、らしからぬ低い声。それは遠雷の轟きにも似た不吉さでオウケンの鼓膜を震わせた。


 不穏の気配がカガリの痩身そうしんを覆っている。我しらず、オウケンはごくりと唾をのみこんだ。



「俺はこの戦いの見分けんぶん役だ。キフの死も、イサギの最期も、オウケン、お前の行動も見ていた」


「…………そ、れは」


「ハクロにいから、お前には特に注意しておくように、とも言われていたしな。おかげで色々おもしろいことが聞けた。大いなる蚩尤しゆうの加護を呪いとして忌む者もいる、だったか? 鬼人が鬼人たるゆえんを自ら投げ捨てるとは酔狂なことだ」



 それを聞いたオウケンの顔がひきつった。そらとの戦いの最中、首筋に刃を突きつけられたオウケンが思わず漏らしてしまった本音。カガリはそれを正確に聞き取っていたのである。



「あれを、見て、おられたのですか……!」


「何故助けなかった、とは問うなよ。見分役の任務は戦いを見届けること、そして、得られた情報を巨細こさいなく持ち帰ることだ。万一のことがないよう、俺はアズマにいから戦いを禁じられている。お前も承知していたはずだ」



 カガリは小さく嘆息した。



「そもそも助ける気もなかったけどな。女子供をいたぶって愉しそうに笑う奴は、いっそ敵に討たれてくれた方が清々するってもんだ」


「……カ、カガリ様」


「まあ、こうして見るかぎり卑劣の報いは十分に受けたようだし、問題がそれだけなら中山に連れ帰ってやってもよかった。だが――」



 ここではじめて、カガリの顔に苛立ちが浮かびあがる。


 声にも同種の感情がにじみ出ていた。

 


「あのとき、お前は言っていたな。父親のような死に方をするのはまっぴらだ、だからこそ光神教に身を投じて蚩尤しゆうの呪いを断ち切ろうとした、と。あれはどういう意味だ?」


「ど、どうといって……」


「光神教に帰依しようと鬼人は鬼人だ、蚩尤しゆうとのつながりは断ち切れん。だが、お前の言葉が正しいとすれば、光神教が――人間が、蚩尤しゆうと鬼人の結びつきを断つすべを持っていることになる。断じて聞き捨てならない」



 あるいは、光神教の真の目的は蚩尤しゆう滅殺めっさつなのだろうか、とカガリは思う。もし神殺しが成就すれば、加護であれ、呪いであれ、断ち切れる道理だ。


 いずれにせよ、光神教が腹に一物を抱えていることは明白である。


 オウケンの言動には不審な点が多いが、その不審の源には光神教がいる。それはもうカガリにとって確信だった。


 カガリの勁烈けいれつな視線がオウケンを射抜く。オウケンが顔を伏せたのは、視線の鋭さに気圧されたためか、それとも表情を読まれないためか。



「オウケン。お前の忠誠が中山王家ではなく光神教に捧げられていることはアズマにいも気づいていた。それでもアズマにいはお前と泰山王家に敬意を表し、泰山公に封じて厚遇してやったはずだ。その恩に報いることもせず、光神教の意を汲んで蠢動し、大いなる蚩尤しゆうに牙をいて鬼人族に仇をなそうというなら、それは獅子身中の虫に他ならん。そんなお前を、中山の王弟たる俺が助けると思うのか?」


「カガリ様、ご、誤解でございます……どうか、話を聞いていただきたい……!」


「すべて正直に話すというなら聞いてやらないでもないが――残念、時間切れだな」


「…………え?」



 カガリが軽く肩をすくめ、オウケンが困惑した声をあげる。


 その瞬間、ザッ、と力強く地面を踏みしめる音が響いた。カガリにとっては正面から。オウケンにとっては背後から。


 おそるおそる振り返ったオウケンの視線の先には、つい先刻まで戦っていた黒髪黒目の黒刀使い――空が立っていた。


 ヒ、と短い悲鳴をあげるオウケン。


 空はといえば、そんなオウケンには一瞥いちべつもあたえず、かすかに眉根を寄せてカガリを見据えている。

 

 ほどなくして、その口がゆっくりとひらいた。



「妙なところで会う――いや、別に妙でもないのかな。それで、次の相手はお前ということでいいのか、カガリ?」


「いいや、こちらにそのつもりはないさ、空」



 何時間かぶりに再会を果たした相手に、カガリはにやりと笑いかける。



「正直なところ、あんたとはぜひとも戦ってみたいんだが、アズマにいから戦うなと厳命されてるもんでね」


「そっちの事情は知らないが、まあ、戦わずに済むならそれでいいさ――だが、そいつは殺すぞ」



 そう言って空はギロリとオウケンを睨みつける。オウケンはしりもちをついたまま、血泥にまみれて後ずさる。


 カガリは軽く両手をあげて応じた。



「あんたとオウケンの戦いは見ていたよ。敗者の生殺与奪の権利は勝者の手に握られる。それは人間も鬼人もかわらない」


「カガリ様!」



 オウケンの口から悲鳴があがる。


 かつては五山の一つを支配していた泰山王家の正嫡せいちゃくは、哀れな声でカガリにすがりついた。



「どうか、どうかお慈悲を……お助けいただければ、私が知っていることはすべてお話しいたしますゆえ……!」


「言ったろう、オウケン。見分役は生還してはじめて任務を果たすことができる。お前を助けるために危険を冒すことはできない」



 すがりつこうとするオウケンの手を、カガリはきっぱりと振り払う。


 光神教はまがりなりにも三百年、鬼門の中で存続し続けてきた組織だ。オウケンのように、命をもって迫られれば簡単に口を割るような人間に枢機すうきを明かしているとは思えない。そんな脇の甘い組織なら、もっと早くに馬脚をあらわしているだろう。


 その意味で、カガリはオウケンの抱える情報に重きを置いていなかった。光神教が何かを――おそらくは鬼神にまつわる何かを企んでいる。それがわかっただけで成果としては十分すぎる。この先を探るのは三兄のハクロに任せておけばよい。


 ――まあ、ハクロにいのことだから、おおよそのところはもう掴んでいるんだろうけどさ。


 カガリの姿がかすむように消えていく。


 中山の王弟がこの場から離れようとしていることに気づいたオウケンは、再び口をひらいて慈悲を乞おうとした。


 だが、その口が完全にひらくより早く、そらの黒刀が一閃する。


 ――びしゃり、と土の上で血がはじけた。少しの間をおいて、角ごと真っ二つに両断された鬼人の身体がどうと地面に倒れ込む。


 それがオウケンの最期だった。 

 


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