第十六話 泰山公
「何者じゃ!?」
突如姿をあらわした鬼人に向けて、モーガン・スカイシープが誰何の声をあげる。
これに対し、鬼人オウケンは胸の前で両手をあわせ、わざとらしい恭しさで一礼した。
「オウケンと申します。大いなる神になりかわり、あなた方に懲罰の鞭を浴びせる者。お見知りおきください、穴倉から這い出てきたドブネズミのみなさん」
「……その角、鬼人か。いかにして鬼門の守りをくぐりぬけた?」
「フフ、これから黄泉路へ旅立つ者がそれを知って何の意味があるのです?」
オウケンが答えた瞬間、シドニー・スカイシープと九門祭――黄金世代の二人がモーガンをかばうように前に進み出る。
二人はすぐにでも鬼人に斬りかかる素振りを見せたが、モーガンはそんな二人をおさえて問いを重ねた。どうしても看過できない疑問があったからである。
「答えるつもりはないか。だが、これだけは答えてもらうぞ。うぬは何故ここにいる? 隧道の存在を知らないかぎり、ここで待ち伏せることは不可能なはずじゃ!」
モーガンはちらとあたりを見回した。
隧道の出口は御剣邸から離れた法神の神殿に続いている。もう少し正確にいえば、神殿の敷地内にある林の中に続いている。
法神、大地母神、戦神、その他、世に神の教えは多けれど、基本的にこれらの神殿は世俗の戦いに介入しない。世俗の勢力も神殿に手を出さないのが不文律になっている。
仮に御剣家に敵対する勢力が鬼ヶ島に攻め込んできたとしても、神殿を荒らすような真似はまずしない。だからこそ、御剣家は緊急時の通路を法神の神殿につなげていた。
このあたりは神殿によって人の出入りが制限されているため、柊都の住民はもちろん、神殿で働く者たちさえ滅多に足を踏み入れない。御剣邸とも距離があるため、偶然に敵と出くわす可能性はゼロに等しい。
――そのはずなのに、法衣をまとった鬼人は一行を待ち受けていた。モーガンとしては決して座視できない疑問だった。
この詰問に対し、オウケンはおかしくてたまらないといった様子で含み笑いをする。
「自分で答えを言っているではありませんか。隧道の存在を知らぬかぎり、ここで待ち伏せることは不可能だ、と。そうであるならば、私がここにいるのは隧道の存在を知っていたから。子供でもわかる理屈です」
「だから、どうやって秘事を突きとめたのかと問うておる!」
「訊き出したからですよ、知っている者にね」
そう言うと、オウケンは懐から小さな球状の物体をいくつか取り出した。こぶりの団子ほどの大きさの白い物体には糸のような赤い筋が走り、何とも知れぬ大きな黒点が浮かび上がっている。
その正体に真っ先に気づいた祭が、唾でも吐きそうな顔をした。
次いでシドニーとモーガンもそれの正体に気づく。祖父と孫はほとんど同時に顔色をかえた。
「うぬ、それは……!」
「ええ、この神殿に仕えていた人間の眼球ですよ。神に仕える身でありながら、一つ二つ目を抜かれた程度で秘事を明かすとは軟弱にもほどがあります。同じ神の使徒であっても所詮は人間、信義の薄さは三百年前とかわりませんか」
そう言ってオウケンはあんぐりと口をあけ、手にしていた眼球を口の中に放り込んだ。
放り込んだのは持っていた分だけではない。白い法衣の袂から転がり出てきた眼球の数は、軽く十を超えていた。
オウケンがそれらを咀嚼するつど、鬼人の口から血と粘液があふれ出て唇をぬめぬめと濡らす。それを見て、荒事に慣れていない妻妾や子供たちの口から甲高い悲鳴があがった。
モーガンが憤怒で顔を染めて一歩踏み出す。
「武器を持たぬ神職を手にかけおったか、理非を知らぬ者めが! このモーガン・スカイシープがじきじきに天誅を下してくれる!」
「人間ごときが天を称するなどおこがましい。それこそ理非曲直を知らぬ者の所業でしょう」
「もはや問答は無用! 心装れ――」
怒りに震えるモーガンが心装を顕現させようとしたとき、後方からけたたましい悲鳴があがった。
慌てて振り返れば、年若い妾のひとりがふわりと宙に浮かび上がっている。それが当人の意にそわない動きであることは、恐怖に歪んだ女性の顔を見れば一目瞭然だった。
と、宙吊りになった女性の背後から滲み出るように白衣の男が姿をあらわす。それは先刻のオウケンとまったく同じ出現の仕方であり、身にまとっている法衣もまたオウケンと同じものだった。
モーガンが悔しげに口をひらく。
「もう一人、兵を伏せておったか!」
「もう一人? フフ、まがりなりにも敵の本拠地に乗り込もうというのです。できるかぎりの人数をそろえるのは当然だと思いませんか?」
オウケンがそう言うや、さらに別の場所から悲鳴があがった。一歳にも満たない赤子が母親の手から引き剥がされ、宙に浮いている。半狂乱になった母親が必死に手を伸ばすが、赤子はたちまちその手が届かない高さまで吊り上げられた。
その背後にあらわれたのは、やはり法衣をまとった鬼人の姿。
さらに別の場所でもう一人の妾が、やはり宙吊りにされて悲鳴をあげている。
正面に一人、背後に三人。あわせて四人の鬼人を確認したモーガンが低声でうめく。
「……ばかな。どこにこれだけの数が潜んでおった? 気配なぞ露感じなかったというに」
「私たちが身に着けている腕輪は姿形のみならず、身の内より湧き出でる勁すら掻き消す神器なれば、あなたが気づけなかったのも当然のこと。ついでに言えば、これは『いかにして鬼門をくぐりぬけることができたのか』という先刻の問いの答えでもあります」
さて、とオウケンはわざとらしくかしこまった態度でモーガンを見た。
「どうしました、もはや問答は無用なのでしょう? 遠慮なく心装を出して斬りかかってきてください。滅鬼封神の掟のためなら、女子供を見殺しにしても敵を斬る。フフ、実に見事な覚悟だといえましょう」
相手の言わんとすることを察したモーガンがギリッと奥歯を噛む。
「人質か。見下げ果てた奴輩め!」
「人質? まさか、その白髪首を差し出せば女子供は許してやる――などと私が言うとでも思っているのですか?」
「……なんじゃと?」
怪訝そうに眉根を寄せるモーガンに対し、オウケンは唇を三日月の形にして嗤った。
「フフフフ! 私たちの狙いははじめから御剣の女子供。女は孕む前に殺す。子供は長ずる前に殺す。そうして五十年も経てば、御剣は死に損ないの群れになりはてる。正面から戦う必要なぞどこにもありません」
「……外道めが。しょせん鬼人は害獣に過ぎぬようじゃな」
「くふ、外道ですか。外道、外道。ええ、ええ、確かに外道です。いかにも外道です。まったくもって正論ですが、それならば鬼人たる私はこう言い返しましょう」
――お前が言うな、人間。
「なにしろ、この戦法は他ならぬ人間が――御剣の始祖が考案したものなのですからね! 鬼人の戦士からはひたすら逃げまわり、一方で女子供を殺して、種としての鬼人族の命脈を絶つ外道の極み! あなたたち人間は、そうやって我ら鬼人族を根絶やしにせんとしたのですよ!」
「ふざけるでない! 初代様がそのような卑劣な振る舞いをなさるものか!」
「とぼけているのですか? それとも本当に失伝しているのですか? いずれにせよ、我ら鬼人族は忘れていません。人間は薄汚い裏切り者、言うをはばかる卑怯者。そうして我らの土地を奪い、技をかすめとり、のうのうと三百年の時を重ねた末に生まれたあなたたちが、我らを外道とそしることの何と滑稽なことか!」
オウケンはそう言うと白い法衣を脱ぎ捨てた。法衣の下からあらわれた身体はか細かったが、それは鍛錬を厭うたゆえの細さではなく、限界まで己の身体を苛めたゆえの細さだった。
「真実を見ず、見ようともせぬ者たちに眼は不要。せめて我が餌として役立ててあげましょう! 心装励起――刳り貫け、羅刹鳥!!」
抜刀の文言が発されるや、裸身をさらしていた鬼人の上半身に急激な変化が起きた。
羽毛が生えはじめたのだ。鳥のものとおぼしき黒い羽毛はみるみるうちにオウケンの身体を覆っていく。顔や腕にいたっては骨格さえ変化し、顔には嘴が、腕には翼が、指には鋭利な鉤爪が生えてきた。
瞬く間に半獣半鬼の姿と化したオウケンを見て、モーガンが警戒するようにつぶやく。
「……変異型の心装か」
「変異とは、いかにも物を知らぬ人間らしい言い様ですね。心装の力をおのが肉体で顕す者は、それだけ同源存在との繋がりが深いのですよ。すなわち、この姿は誰よりも蚩尤の加護篤きことの証。鬼人族では私のような者を指して『愛し子』と呼びます」
武器という形ではなく、肉体変異という形で同源存在の力を引き出す者は往々にして強大な力を発揮する。鬼人族は己を依代にして鬼神を降ろすことで強大な力を発揮することができるが、愛し子はそれに迫る力を行使できるのだ。
端的な例として、五山の支配者たちはほぼ例外なく肉体で同源存在を顕現させる。
「我が名はオウケン。かつて五山の一角を占めた泰山王の子にして、中山王陛下より泰山公に任じられし者! 人間たちよ、我が鳳翼の羽ばたきに戦きなさい!」
吼えるように叫んだオウケンが両腕を一振りするや、自然ならざる風が竜巻のごとく渦を巻いてモーガンに襲いかかる。
それが開戦の合図となった。
\みなさま、良いお年を/
本年中はお世話になりました。来年もよろしくお願いします<(_ _)>
なお、きりよく主人公が活躍したところで今年の更新を締めようと思ってたけどできませんでした。
さーせん<(_ _)>
なんとか明日の夜には更新できるようがんばりまっす!