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第十五話 伏兵


 少し時をさかのぼる。



 イサギと御剣ラグナの戦いは一進一退のまま、時を追うごとに激しさを増していた。


 剣の腕だけを見ればイサギに軍配ぐんばいが上がっただろう。ラグナは若くして第三旗四位に座る英才であるが、イサギはそのラグナが生まれる以前から戦場に身を置いていた大剛の戦士。戦士としての格はイサギの方が一回り上だった。


 くわえて、イサギの心装である夸父こほはきわめて強力だった。日照りに苦しむ民のために太陽を落とそうとした巨人。その破壊力は崋山軍随一であり、主君であるギエンからは「力、山を抜く」と評されていた。ここでいう山とは五山のことで、ようするにイサギの武勇は他の一山を陥落せしめるほどだ、と激賞されたのである。


 このイサギと、ラグナはほぼ対等に渡り合うことができた。これはラグナの底力もさることながら、心装の相性に助けられた面も大きい。


 ラグナの心装、黄金の両手剣の名はハルパー。神、怪物、そして巨人に対して極めて強い効力を発揮する破魔の武器。


 抜刀と同時に大きく刃が湾曲し、あたかも鎌のごとき形状となるハルパーの威力に、イサギは慎重な戦いを強いられた。しゆう配下の巨人という由来を持つ夸父こほにとって、ハルパーは天敵そのものだったのである。


 そして、そのハルパーと同様、あるいはそれ以上にイサギに警戒を強いたのが、ラグナの後ろに控えている双剣の女旗士(きし)――アヤカ・アズライトの存在だった。


 戦いはイサギとラグナの一騎打ちの形で推移しており、アヤカをはじめとした他の旗士きしが手出しをしてくることはなかった。これは旗士きしたちが一対一の戦いを重んじたためであるが、へたに手を出すと味方同士で心装や勁技けいぎが衝突してしまう、という理由も大きい。同士討ちを避けたのである。


 アヤカもまた、イサギとラグナの戦いに直接介入してくることはなかった。だが、イサギが機を見てラグナに躍りかかろうとする都度、アヤカはイサギの視界に入ってきた。絶妙な間合いを保ち、ラグナが不利におちいれば即座に助太刀しようとたぎるような戦意を向けてくる。


 このため、イサギはいくつかの好機を見逃さざるをえなかった。無理押ししてラグナをしとめても、次の瞬間に自分がアヤカに斬り殺されてしまっては意味がない。イサギにしてみれば、ずっと一対二で戦っているようなものだった。


 先に門前で旗士きしを始末したときは、島中の人間を殺しつくすこともできると吼えたイサギであるが、自分が人間に手こずっている事実を率直に認めた。


 これを計算違いの一とすれば、二もある。


 城外で魔物を誘導する役割をしていた十六槍の同輩が次々に討ち取られているのだ。同族の気配の消失を、イサギははっきりと感じ取っていた。これにともない、かき集めた魔物も驚くほど短時間で掃滅されている。


 規格外の実力者が、少なくとも三人いる。イサギが全力を出しても太刀打ちできないであろう猛者が三人。彼らが戻ってくれば一人ではいかんともしがたいだろう。


 御剣の嫡子などに時間を割いている場合ではない、とイサギは考えた。


 今回の中山軍の目的は敵――御剣家の戦力を洗い出すことであり、このままでは肝心要の御剣当主の能力を探ることができなくなってしまう。


 三人の猛者の能力は、見分役であるカガリがしっかりと見極めてくれたはず。その意味では、先に散った崋山の同輩はしっかりと己の役目を果たしている。後はイサギが全力で暴れまわり、今代の剣聖の力を白日の下にさらけ出すことができれば作戦目標は達成される。


 そう考えたイサギは攻撃の手を止め、のみならず心装を納めた。それを見てラグナが怪訝そうに右の眉をあげる。



「事やぶれたりと悟ったか、鬼人」


「そのようなわけがあるまい。ただし、貴様らの力量がこちらの予想を超えていたことは認めよう。さすがは御剣、性根はともかく剣の腕だけは大したものよ。我らからかすめ取った技を、よくぞここまで磨きあげた」


「負け惜しみにしても芸がない。それとも、それは辞世のつもりか?」


「クカカカ! 盗人の末裔がぬかしおる。まあ、辞世という言葉はあながち間違いでもないがな」



 言うや、イサギは顔の前で両手を合わせる。このとき、イサギが見ていたのは眼前のラグナではなく、故郷 崋山の風景だった。


 今日にいたる出来事がイサギの頭の中で次々に再生されていく。


 鬼人族はつのという独自の器官で鬼神蚩尤(しゆう)とつながっている。


 鬼人族が発現する心装はなんらかの形で蚩尤しゆうと結びついており、蚩尤しゆうに近い心装ほど強力なものとなる。別の表現を用いれば、強力な心装の使い手はそれだけ蚩尤しゆうの加護を得ていることになる。


 蕎麦そばすらろくに実らぬ鬼門内部で、わずかな土地をめぐって同族同士で争っていた鬼人族にとって、強いということはそれだけで特別なことだった。


 蚩尤しゆうの加護を得た強力な心装使いは周囲から現人神あらひとがみのごとく祭り上げられる。そういった鬼人が衆を率いて築きあげた国が、中山であり、崋山であり、また他の五山だった。


 五山による争覇戦は中山の勝利によって幕をおろし、かつて崋山十六槍の筆頭だったイサギは中山軍の先鋒として鬼ヶ島の土を踏んだ。


 生き残った崋山軍の精鋭をもって御剣家を急襲し、その抗戦ぶりを観察して次の一手である中山軍の大攻勢に役立てる。つまり、イサギたちは中山軍の被害を少なくするための捨て駒だ。


 おそらく中山側の目論見としては、先の勝利によって大量に抱え込んだ崋山の軍民の数を少しでも減らして糧食を節約する、つまりは口減らしの目的もあるだろうとイサギは考えている。


 一度は降伏を受けいれておきながら何と卑劣な――とは思わない。崋山とて何度もやってきたことだ。降伏した敵より味方を重んじるのは当然のことで、むしろ今回の作戦に投じる兵を強制ではなく志願で集めた中山軍を「甘い」と感じたほどだった。


 だが、その甘さがイサギたち崋山兵の圭角けいかくをそぎ落としたことも事実である。それを計算にいれての志願制だとしたら、中山王アズマはずいぶんと曲者だ。あるいは三兄ハクロあたりの入れ知恵かもしれないが、いずれにせよ、今後その才が向けられるのは崋山ではなく人間である。それを思えば、中山の狡猾さは頼もしくさえあった。


 崋山が加わった中山統一王朝の未来は明るい。イサギとしては何も思い残すことはない、という心境である。



 ――だから、神を降ろすことにした。



 鬼人族が鬼神の力を引き出そうとすれば、その方法は二つ。心装を極めるか、鬼神の依代よりしろになるか、である。前者が戦士の領域であるとすれば、後者は神官の領域。人間でいうところの神格降臨コール・ゴッドにあたる。


 本来の神格降臨コール・ゴッドは教皇レベルの器がなければ行使できない奇跡であるが、つのによって鬼神と結びついている鬼人族にそのかせはない。


 むろん、そんじょそこらの鬼人にえられる業ではなく、並の鬼人なら一秒ともたずに肉体と魂が砕け散る。心装に習熟したイサギでも、現界を維持できる時間はごくわずかだろう。発揮できる力も、鬼神本来の力の十分の一にも達するまい。


 だが、それでもイサギの全力を上回ることはるかなのだ。


 鬼神はその強大すぎる鬼気ゆえに周囲の生物、地形を歪ませるので、鬼門内部において鬼神を降ろすことは禁じ手とされているが、こちら側ではその枷はない。むしろ、この地で鬼神を降ろせば、それだけで裏切り者たちに痛手を与えることができる。


 イサギはなんらためらうことなく祝詞のりとを唱えていく。イサギの身体を中心として吹き荒れる異様な鬼気が、ラグナの、アヤカの、その他の旗士きしの接近を阻み、祝詞のりとの完成を助けた。



 ――神よ 見ずや灰雲の空 白骨を収める者なき不毛の地

 ――天はかげあめ腐り 若鬼はもだえ老鬼泣く

 ――願わくば啾々(しゅうしゅう)たる鬼哭きこくに終止符を



「人間ども。三百年前の裏切りの報い、その身でしっかと受け止めよ――――『神よ、我が身を捧げます』」


 

 最後の祝詞のりとつむがれた瞬間、イサギが発するけいが爆発的に膨れあがった。急激すぎる力の膨張に耐えかねたように空間が音をたててきしみ、地面が激しく揺れる。


 変化したのは勁量けいりょうだけではない。イサギの肉体も激しい変化にさらされていた。


 大柄な体躯が脈動しながら膨れあがっていく。腕も、脚も、首も、胴も、みるみるうちに倍以上に太くなっていく。


 あまりに急激な変化についていけなかったのか、あちこちで皮膚が裂け、肉がはじけ、骨が砕けるが、イサギを襲う変化が止まることはなかった。


 顔も変化している。皮膚は鉄のごとき硬さと色を持ち、目は真っ赤に濡れて吊りあがり、口は大きく裂けて牙がのぞく。


 もはやそこに鬼人であった頃の面影はなく、一個の巨大な鬼が人の世に屹立きつりつしていた。


 と、鬼の口がバカリと大きくひらく。その直後、鬼ヶ島の天地を震わせる咆哮がほとばしった。


 それは呪うような、怒るような響きを帯びていた。


 それは祝うような、笑うような響きを帯びていた。


 それは大いなる蚩尤しゆうの再誕の産声うぶごえだった。




◆◆◆




 同時刻。


 鬼ヶ島中に響き渡った咆哮は、御剣邸の内と外を結ぶ隧道すいどうにも響き渡っていた。


 避難の途中だった当主 式部しきぶの妻妾、侍女、幼い子供たちの口から一斉に悲鳴があがる。


 鬼神の咆哮は竜の咆哮(ドラゴンロア)と同種の効果を持つ。訓練を積んだ旗士きしならばともかく、非戦闘員である女子供にあらがうすべはない。


 妻妾の中で唯一抵抗することができたのはセシル・シーマ――かつて青林せいりん八旗はっき旗士きしだったゴズの妹だけである。


 騒ぎ立つ女子供をなだめたのはモーガン・スカイシープという名の老旗士(きし)だった。かつては名門スカイシープ家の当主として家中で重きを置かれていたが、ギルモア・ベルヒの台頭によって勢力を失った過去を持つ。


 式部はこのモーガンに命じて戦えない者たちを邸宅の外に逃がそうとした。閑職にまわされていたモーガンにこの役目を命じたのは、先代の側近だったモーガンは非常時の抜け道である隧道すいどうの構造をよく把握していたからである。


 当主じきじきの命令を受けたモーガンは、大切な主君の家族をあずけられたことに感奮かんぷんする。孫であるシドニー、そして九門淑夜(しゅくや)の弟であるさい、この二人を従えたモーガンが鼻息も荒く歩を進めていた矢先、咆哮が隧道すいどうを震わせた。


 モーガンは眉間にしわを寄せる。けいの厚み、重みからして、咆哮の主は間違いなく幻想種。鬼門内部ならともかく、柊都しゅうとのただなかに幻想種が出現するなど前代未聞といってよい。何事が起きているのか、モーガンならずとも気になるところであった。


 とはいえ、今の自分の任務は主君の一族を無事に避難させることである。幻想種は邸宅を守る第一旗に任せればよい。モーガンは軽くかぶりを振って、頭から雑念を払い落とした。



「おじいさま、今のは――」


「し。シドニーや、奥方やお子たちが不安がる。その先は口にするでない。さいもよいな?」


「はい、かしこまりました」


「承知ですよ、老師」



 モーガンの言葉にシドニーとさいが小さくうなずく。


 スカイシープ家と九門家はいずれも初代から続く鬼ヶ島の名門であり、当主同士の仲も悪くない。シドニーとさいが同期ということもあり、モーガンは昔からさいに目をかけていた。そして、さいさいでモーガンに敬意を払っていたのである――さいなりに、ではあったが。


 この三人と少し離れた場所で、御剣エマがセシルに問いを投げかけていた。



「――セシル、今のはいったい何だったのでしょう?」



 妻妾の中でいち早く立ち直ったエマであるが、その声はまだかすかに震えている。


 この問いに対し、セシルは小さくかぶりを振ってわからないと告げた。


 むろん嘘である。


 セシルは心装を会得しており、鬼門に足を踏み入れたこともある。そのため、今の咆哮の主もおおよそ察しがついていた。しかし、ここでへたに事実を伝えれば、エマはともかく他の妻妾が騒いでしまうと考えたのである。今はとにかく避難することが優先だった。


 そんなセシルの考えを、エマは相手の態度から汲み取った。自分の胸に手を置き、ゆっくりと深呼吸する。自分が騒げばセシルが難儀し、セシルが難儀すればこの場にいる皆が迷惑する。そう己に言い聞かせて、咆哮で乱れた心を落ち着かせる。



「すみません、せん無いことをたずねました。先を急ぎましょう」



 そう言ったエマは、ここでセシルの子であるイブキに目を向けた。多くの子供が親の手に引かれるか、背負われている中、イブキは先刻からずっと自分の足で歩いている。


 咆哮が轟いた際も悲鳴ひとつあげなかった。四歳児らしからぬ自制心であるが、無理をしているのは間違いない。自分が背負おうかとエマは思ったのだが、母であるセシルはそっと首を振って我が子のしたいようにさせた。


 セシルは敵があらわれたとき、旗士きしとして戦わなければならない。今、皆のためにイブキができるのは母の邪魔をしないこと――幼いながらにそのことを理解し、懸命に実践する我が子を見て、セシルは優しく目を細めた。


 その後、一行は旗士きしたちに守られながら再び隧道すいどうを進んだ。


 緊急時のためにつくられた隧道すいどうはとうてい歩きやすいとは言えない。しかも、先ほどから強い振動が絶え間なく通路を揺らしており、いつ天井が落ちてくるとも知れない。


 隧道すいどうの先に光が見えたとき、一行の間から安堵の声があがったのは自然なことだったろう。


 だが、隧道すいどうから出た一行を出迎えたのは、安堵の声を一瞬で凍りつかせる冷たい笑い声だった。



「フフフフフフ! 巣を揺らされてノコノコ這い出てきましたか、神の意にさからう鼠賊そぞくたち。この私が神になりかわって懲罰の鞭を与えてあげます」



 そううそぶいて空中からにじみ出るように姿を現したのは、白色の法衣をまとった鬼人オウケンだった。




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