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第十四話 双璧


 柊都しゅうとの西では崩れた城壁めがけて殺到する魔物と、これを迎え撃つ青林せいりん旗士きしとの間で激しい攻防が繰り返されていた。


 鬼門から漏れ出る魔力によって強化された鬼ヶ島の魔物の力は、大陸に棲息するしゅとは比較にならない。その魔物が雲霞うんかのごとき大群となって寄せてくるのだ、まともにぶつかればアドアステラの正規軍さえ一蹴されるに違いない。


 この猛威を真っ向から受け止めたのは、青林せいりん八旗はっきの中で最も多くの新兵を抱える第八旗である。


 多数の新兵を束ねる第八旗の旗将きしょうは慎重な人物だった。常であれば、城壁の上から魔法や勁技けいぎを飛ばして魔物の数を減らし、しかる後、心装使いを前面に押し立てて白兵戦で敵を蹴散らす戦法を選んだだろう。そうして討ち漏らしを新兵に任せれば、被害を最小限におさえることができる。


 だが、城壁が大きくこぼれた今、魔物の接近を許せば城内へ浸透される危険が大きい。青林せいりん八旗はっきが守る柊都しゅうとにおいて、民が魔物に害されることなど万に一つもあってはならない。


 それゆえ、第八旗は城壁にることなく、城外に防衛線を敷いて魔物の大群を迎え撃った。


 むろん、最前列に心装使いたる上位旗士(きし)を配し、かなうかぎり新兵への負担を減らしはしたが、敵は大群。しかも空の上、地の下からも湧き出てくる。経験の浅い新兵たちが激戦の渦に飲み込まれるまで、さして時間はかからなかった。






「心装励起――くびり殺せ、吊死女つるしめ



 ゴギュ、という音がして頸骨けいこつが折れた。


 青林せいりん八旗はっきの青い陣羽織を着た旗士きしのひとりが、口から血の泡を吹いて地面に倒れる。まだ二十歳に届かないであろう若い旗士きしだ。


 その背を泥のついた靴で踏みにじったのは額に角を生やした痩身の鬼人だった。名をキフ。イサギと同じく崋山十六槍に名を連ねていた武人である。


 キフの手には今しがた旗士きしの頸骨を砕いた黒いひもが握られており、濡れたような輝きを放っていた。



「これで十人。たかだか四半刻(三十分)でこの戦果とは、くふふ、ぬるし、ぬるし。この分では、こちら側の旗士きしの大半は心装を会得しておらぬな。くびり放題よ」



 そう言って小声でわらったキフは、周囲に跳梁ちょうりょうする魔物の陰に隠れるように移動を開始した。


 別段、魔物たちはキフを味方だと判断しているわけではない。ただ知覚できないだけだ。


 吊死女つるしめ、またの名を縊鬼いき。他者の思考を誘導して自殺に追い込む悪鬼の性質を利用し、キフはみずからを魔物の知覚外に置いているのである。


 縊鬼いきは自殺を使嗾しそうするだけでなく、ときにみずからの手で標的を絞め殺すこともある。キフの手に握られた黒紐は暗殺用の武器――暗器あんきの心装であった。


 キフは魔物の海を泳ぐように移動し、戦っている旗士きしたちの背後に忍びよっては次々に首を絞めあげていく。


 その戦いぶりは戦士ではなく暗殺者のそれであり、堂々たる戦いを重んじる鬼人族にあっては軽蔑される戦法だ。敵方だけでなく味方からも白眼視され、どれだけ武功をあげても称えられず、認められない。それどころか、卑劣な戦い方は鬼人族の誇りを汚し、鬼神の加護たる心装をおとしめるものだと非難されることもめずらしくなかった。


 そんなキフをただひとり認めてくれた人物、それが崋山王ギエンである。



『我ら鬼人の同源存在アニマはすべて鬼神とつながっておる。そして、大いなる蚩尤しゆうはあらゆる武具を開発せしつわものの神ではないか。すなわち、汝の心装もまた鬼神の一面を示すもの。何を恥じることがあろう、胸を張って歩くがよい!』



 往時、崋山の宮殿で背を丸めて歩いていたキフを呼び止めたギエンは、半ば強引にキフの悩みを聞きだした後、そういって配下の背をどやしつけた。



『兵は詭道きどうなり。卑怯だ卑劣だと騒ぐ者どもには言いたいように言わせておけ! 武勲において汝に及ばぬ者どもが妬んでいるだけのことよ。とはいえ、そのようにひねた者どもをのさばらせてしまったのは我が不徳である。汝には詫びねばならぬな。武のおくれを口で取り戻さんとするいじけた風潮に釘を刺しておかずばなるまい』



 そう言ったギエンは有言実行、即日キフを十六槍の一角に取りたてると、正道とは他者をおとしめる道具にあらず、と全軍に訓示した。  


 キフにとっては生涯忘れることのできない尊い記憶である。恩あるギエンを五山の覇者にするべく戦って、戦って、戦い抜いて――けれど、結局()たせなかった。


 望んだ未来が主君の死と共に永遠に消え去ったと知ったとき、キフはすぐに殉死じゅんしを考えた。それを思いとどまったのは、二なき主君を討ったカガリを道連れにするためである。


 だが、十六槍の同輩であるイサギからギエンの死に際の様子を聞いて考えを改めた。ギエンはカガリをはじめとした中山に後を託したのだ。そのカガリを死出の道連れにしてもギエンは喜ばない。そう考えて今度こそ殉死しようとしたキフを、イサギが止めた。


 どうせ死ぬのなら裏切り者どもに一矢報いてからにせぬか――その誘いに乗って、キフは鬼ヶ島にやってきた。生還なぞはなから望んでいない。自分たちが捨て駒扱いされていることも気にならない。ひとりでも多くの旗士きしを殺し、冥府のギエンのための供物くもつにする。それだけがキフの望みだった。



「しかし、まさか人間どもがここまでもろいとはな。この分では我が命が尽きるまでに彼奴きゃつらを殺し尽くしてしまうかもしれぬ」



 くふ、とキフはわらいながら敵陣を見渡した。キフが思考を誘導できるのは魔物ばかりではない。むしろ知能が定かならぬ魔物よりも人間の方がはるかにくみしやすい。


 だからキフは魔物にまぎれつつ第八旗の陣に近づいた。


 雑兵をひとりひとり潰してまわるより、直接敵将をくびり殺した方が戦況に寄与するのは言うまでもない。キフは次なる標的を求めて視線をさまよわせた。


 その視線が地上の敵陣を一撫ひとなでし、ついでとばかりにこぼれた城壁の上に向けられた、その瞬間。



 ――目が合った。



 城壁の高みに立ち、眼下で戦う人と魔物を傲然ごうぜんと見下ろしている人間と、目が合った。


 人形のように白く美しい顔。女性のように黒く長い髪。外見だけでいえば柔弱と形容できるその姿に、どうしてか総毛そうけ立つ。


 魔物に隠れて移動するキフを正確にとらえる視線は針のように鋭く、向けられる重圧は双肩に象を乗せられたよう。彼我ひがの距離ははるかにへだたっているはずなのに、喉元のどもとに刃を突きつけられている気がして、キフは股慄こりつした。


 まずい、とキフは直感した。寸前までの余裕をかなぐり捨てて駆け出した。


 あれはまずい。あの男はまずい。そう直感した。


 生還なぞ望んでいない。戦死など恐れていない。強敵に敗れて果てるならむしろ本望。


 しかし、蹂躪されるのは真っ平だった。虫けらのごとく踏みつぶされるのは御免だった。あれと戦えば、自分は魔物と十把じっぱ一絡ひとからげにされて殺されるだろう。あれはそういう存在だ。


 キフの直感は正しかった。キフの反応は迅速だった。


 だが、それらは結果に対していかなる影響も与えなかった。仮にキフが男の存在にもっと早く気づき、もっと早く行動していたとしても、結果は何も変わらなかっただろう。


 男が戦場に出てきた瞬間、あらゆる要素は意味を失い、ただ鏖殺おうさつという結果だけが確定する。


 男――ディアルト・ベルヒはそういう戦力だった。



「心装励起――つむげ、荒絹あらぎぬ



 ディアルトの手の中で顕現した心装、純白の刀の切っ先がほどけていく。細く、長い糸となってほどけていく。まるで心装それ自体がひとつの織物であったかのように。


 絹糸のように美しく、蜘蛛くも糸のように強靭な極細の糸は、宙に拡がるや無数に枝分かれして戦場の空を覆っていく。


 糸が戦場全域を覆うまで、かかった時間はまたたき一つ分か、あるいは二つ分か。


 無言のうちに手のひらを大きく広げたディアルトが、軽く拳を握りしめる。



 ――それだけで、戦場がぜた。



 ディアルトの視界に映るすべての魔物が縦に両断された。上下に分断された。斜めに切断された。


 瞬く間に八つ裂きにされた身体がさらに寸断される。剪断せんだんされる。裁断される。鋼鉄のように硬い鱗も、分厚い筋肉もディアルトの糸を阻むことはできない。肉も血も、皮も骨も関わりなく斬られていく。刻まれていく。身体の一部だったものがただの肉塊にくかいに変じていく。


 その肉塊にくかいすら幾重にも切り裂かれ、みるみるうちに体積を減らしていった。拳ほどの大きさだった塊が、次の瞬間には指先ほどの大きさになっている。八つ裂きなどというレベルではない。神経質なまでに徹底的に、ディアルトは魔物たちを斬り刻んだ。


 それは柊都しゅうとを襲った罪をあがなわせるためか、それとも御剣家に牙を剥いた不遜ふそんに報いを与えるためか。


 いずれにせよ、ディアルトは眼下の敵に対していっさい容赦ようしゃしなかった。


 むろん、事の元凶たる鬼人に対しても、である。



「ぐ……馬鹿な!」



 万の魔物を盾にしてディアルトから逃れようとしたキフ。しかし、盾にするはずの魔物をことごとく断殺されてしまった今、ディアルトの目を逃れるすべはない。


 目に見えないほどの細い糸が首にまきつこうとしていることに気づき、とっさに己の心装たる黒紐で首をかばう。女性の髪の強靭さを具現化させた心装は、同輩たる他の十六槍の心装でもへし折ることができる。強靭なること無比、とは亡きギエン王の言葉である。


 だから、いかに敵の心装が鋭利であっても防ぐことができる。キフはそう信じた。


 信じたまま、心装もろとも首をねられた。


 宙に飛んだキフの顔が縦に割れる。横に割れる。斜めに割れる。瞬く間に細切れにされていく。首を失った胴体も同様に、粉微塵こなみじんに砕かれて地面に散らばった。


 そんな中、唯一残ったのが鬼人の角である。ディアルトは糸を用いてキフの角を手元に引き寄せ、しげしげと眺めた。そして。



「……くずだな」



 つまらなそうに手の中で握りつぶした。粉々になった角の破片を城壁の下に投げ捨てると、懐から取り出した手ぬぐいで、汚いものをぬぐい落とすように何度も手をふく。


 この日、西の城壁に押し寄せた魔物の大群は、第一旗の旗将きしょうによって一割以下にまですり減らされ、残った魔物は第八旗によって掃滅された。


 穿うがたれた城壁を越えて柊都しゅうとに侵入した魔物の数は、ゼロ。


 八旗の人員にいくらかの被害が出たものの、柊都しゅうとを守るという目的は完璧に果たされたといってよい。


 西だけではない。同時刻、北と東においてもまったく同様の戦果が挙げられていた。



◆◆



「心装励起――お越しあれ、影の女王(スカリィ)



 青林せいりん第一旗の副将 九門くもん淑夜しゅくやの心装は槍である。穂も、柄も、石突いしづきも、墨で染めあげたような黒い槍。


 槍としての性能の高さは言うまでもなく、淑夜しゅくやの優れた槍技と合わされば旗将きしょうクラスの旗士きしであっても近づくことができない。


 また、抜刀した影の女王(スカリィ)で相手の影を突けば、突いた箇所がそのまま相手の傷になる。影の胸を貫けば、現実の心臓が貫かれるのである。


 淑夜しゅくやと戦う相手は自分の身体のみならず、影さえ気にしなければならないハンデを負う。


 くわえて、影の女王(スカリィ)の攻撃は猛毒を帯びており、瞬く間に傷口を溶かして治癒を妨げる。むろんというべきか、体内に浸潤した猛毒の威力も凄まじく、腕を突かれたならば腕を、足を突かれたならば足を、即座に切断しなければ十のうち九まで助からない。


 この凶悪ともいえる能力のため、淑夜しゅくやは滅多なことでは心装を使わなかった。それゆえ旗士きしの中には、一対一の全力戦闘であれば淑夜しゅくやの実力はディアルトを凌駕するのではないか、と推測する者も少なくない。


 この説は淑夜しゅくやの実力を高く評価すると同時に、低く見積もるものでもあった。


 「一対一であれば」という条件をつけるということは、淑夜しゅくやの能力は対人においてこそ威力を発揮するものであり、対軍においてはディアルトに及ばない、という判断が含まれているからである。


 対軍に特化したディアルトと、対人に特化した淑夜しゅくや――双璧の力関係をそのように見ていた者たちにとって、今回の襲撃は己の見識をあらためる機会となった。


 なぜといって、北壁に殺到した魔物の群れは、九門くもん淑夜しゅくやひとりによって九割がた掃滅されたからである。



「たまには暴れさせませんと、影の女王(スカリィ)に夜ごと恨み言をささやかれてしまいますからね」



 ただ一度の投擲によって数さえ知れぬ魔物の心臓を穿うがった淑夜しゅくやは涼しい顔でそう述べた。


 その足下には額から角を生やした鬼人が、顔中を驚愕に染めて絶命している。



「過日、御館様は鬼門に乱の兆しありと仰せになった。こたびの襲撃が鬼人の企みであることは明白ですが、まさかこの程度で柊都しゅうとが落ちると考えたわけではないでしょう。城壁を崩したけいの使い手も見当たりません。さて、鬼人の狙いは奈辺なへんにあるのか。鬼門を潜り抜けた手段も気になります」



 淑夜しゅくやは次々に疑問点を口に出していったが、みずからの手で疑問を解き明かす気はなかった。


 正確に言えば、その気はあったが主君に止められていた。



『そなたらは外の魔物にのみ目を向ければよい。内は気にするにおよばぬ』



 戦闘に先立って主君が下した指示は、ディアルト、淑夜しゅくや、ゴズの三者に対する命令だった。柊都しゅうとの内部で何があろうともそなたたちは手を出すな、という厳命である。


 そうである以上、淑夜しゅくやは粛々と主君の指図に従うのみである。


 西で魔物を断殺したディアルトも、東で魔物の大群を蹴散らしたゴズも、淑夜しゅくやと同じことを考えていた。


 高らかな咆哮が三人の耳を震わせたのはそのときである。柊都しゅうとの中から轟いた咆哮は、あたかも竜の咆哮(ドラゴンロア)のごとく、聞く者の心を激しく揺さぶった。


 期せずして三人の視線が同時に柊都しゅうとへと向けられる。


 膨れあがる鬼気が空高くたちのぼり、天を尖塔せんとうとなっている。すさまじい勁圧けいあつに耐えかねたように地面が音をたてて揺れている。


 まるで世界が震えているかのようなこの圧力を三人は知っていた。


 三人だけではない。鬼門内部における戦闘経験を持つ上位旗士(きし)たちは、誰もがこの気配を知っていた。そして、確信した。


 今このとき、柊都しゅうとに幻想種が降臨したことを。



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