第十三話 選択
「……どうして、空殿がここに……?」
「アヤカからお前がここにいると聞いてな。様子を見に来た」
クライアのかすれた声に事実で応じる。
同期生の名前を聞いたクライアが目を瞬かせた。
「アヤカが……?」
「ああ。お前がずっと姿を見せないから心配していたみたいだぞ」
アヤカが俺に伝えた情報を正確に記すと『クライア』『いない』『ベルヒ家』『地下』というものになる。
別に『助けて』だの『お願い』だの『敵が攻めてきた今ならベルヒ家の警戒もゆるんでいるだろうから潜入する好機到来』だのと伝えられたわけではない。
こちらとしては無視しても文句を言われる筋合いはなかった。これがクリムトだったら気にもとめなかっただろう。
ただ、クライアに関しては無視を決め込む気にはなれなかった。経緯はどうあれ、一つ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食い、剣技を磨き合った仲だ。最後については、刀越しの魂供給役と言いかえてもいいが、とにかくこれだけ関係が重なれば情も移る。
イシュカでクライアに襲われたシールとスズメ、ミロスラフも、最終的にはクライアと言葉を交わしていたしな。クライアも思うところがあったのか、自分が襲った相手に辞を低くして接していた。
そんなことを思い出しながら、俺は両手両足を拘束されたクライアに問いを向ける。
「で、どうしてこんな重罪人みたいな扱いをされてるんだ、お前? 俺に負けた懲罰にしては、ゴズとクリムトは帯刀して出歩いていたが」
「……それは」
頑丈な鉄格子の向こうでクライアが口ごもる。
だが、すぐに隠しても仕方ないと判断したのか、ぽつりぽつりと語り出した。
それによれば、御剣家がクライアに下した処分はただの謹慎であり、今のクライアが置かれた状況はベルヒ家の当主ギルモアによる家内制裁の一環だという。
ギルモアは俺に敗れてベルヒの名に泥を塗った養子二人に激怒していたが、それでもクリムトに対してはここまで過酷な罰をくださなかった。黄金世代に名を連ねた姉弟をギルモアなりに評価していたのだろう。
だが、クライアに対してはそういった感情、計算を上回る怒りに駆られて重罰をくだした。
その理由は――
「……その、空殿と共にイシュカで生活していたときに、思ったのです。ベルヒの家よりも居心地が良い、と。それを知った当主様が恩知らずと激怒なさって……」
クライアが恥ずかしげにうつむく。
俺としては首をかしげざるをえない。
「居心地が良い? 四六時中、監視されてたようなものだっただろうに――あ、もしかして食事に関してか?」
人質という立場をわきまえ、諸事にわたって慎んでいたクライアだったが、セーラ司祭のご飯だけは我慢できなかったようで、よく遠慮がちにおかわりを求めていた。
そういう意味で居心地が良かったのかと思ったが、クライアは小さくかぶりを振る。
「空殿のお宅にお世話になる前。あの大きな洞穴にいた時からずっと、そう感じていました」
「…………どれだけこの家は住みにくいんだ、おい」
蝿の王の巣より居心地が悪い家とか、どれだけ寒々としてるんだベルヒ家。
思わずドン引きしながら言葉を続ける。
「ま、まあ、それには同情するが、お前もバカ正直に本音をいう必要はなかっただろう?」
「『嘘看破』をご存知でしょう、空殿」
その一言ですべてを察した俺は深々とため息を吐いた。なるほど、ギルモアらしいといえばこの上なくギルモアらしい。
おおよその事情を把握した俺はあらためて眼前のクライアを見る。
地べたに座らされ、後ろ手に縛られ、その手を高く吊り上げられた格好は、あたかも俺にひれ伏しているかのようだ――いや、ようだ、ではなく、それこそクライアにこの格好を強いた人間の意図に違いない。牢屋に足を運ぶたび、クライアがひれ伏して己を迎えるように、と。
白い手足に縦横に走る傷跡も痛々しい。たいていは魔法なり薬品なりで消せるだろうが、中には残ってしまう傷跡もあるのではないか。
「……心装を使えば逃げられるんじゃないのか? いや、ギルモアのことだからそちらも対策済みか」
「お察しのとおりです。無理やり使うことができないわけではありませんが……私は逃げるつもりはありません。当主様には今日まで育てていただいた御恩があります。それに、クリムトを残していくわけにはいきませんから」
「あいつなら喜んでついてくるだろ。姉がこんな目に遭ってると知って、黙っていられる奴じゃない」
俺が言うと、クライアはかすかに微笑んだ。
「そうですね。ですが、その選択の先にあるのは追っ手との戦いの日々です。御剣三百年の歴史の中で、島抜けを成功させた旗士はただのひとりも存在しません。弟をそんな道に引き込むわけにはいかないのです」
「だから逃げることはできない、と。なるほどな」
そう言って、俺はふんと鼻で息を吐いた。
アヤカの言葉に乗ってここに来たのは、クライアが望むなら逃げ出す手助けをしてもいいと考えたからだ。
クライアの義理堅い性格は知っている。うまく運べば同源存在を持つ供給役が確保できるという思惑もあった。
ただし、クライア本人にその気がないのであれば話は別だ。
スズメやクラウディアを助けたとき、彼女たちは自分の力ではどうしようもない状況に喘いでいた。それでも、頑張って何とかしようとあがいていた。だから、俺も助けたいと思ったのだ。
だが、クライアは違う。クライアには力がある。ベルヒ家に嵌められた鎖を引きちぎる力を持ちながら、これまでの恩義や弟の将来、追っ手の脅威、そういった利害を考慮し、自分の意思で今の状況を受けいれているのだ。
ならば、俺の手出しは余計なお世話というもの。
俺から見れば、クライアが選んだ道は袋小路にしか見えないが、クライアには別のものが見えているのだろうから。
「無駄足だったか。邪魔をしたな」
そういって未練もなく踵を返す。
すると、後ろから慌てたようなクライアの声が飛んできた。
「空殿!」
「なんだ?」
「あの……なぜここにいらしたのですか? アヤカから私のことを聞いたとおっしゃっていましたが、空殿には私を気遣う理由などありませんでしょう?」
「お前を帰してからというもの、俺と真っ向から戦える相手がいなくなって手持ち無沙汰でな。お前が逃げるつもりなら、手助けして恩に着せようと考えてた」
隠すこともなく内心を吐露すると、クライアは何と言っていいかわからない様子で、何度も口を開閉させた。
と、そのとき、地上から連続して大きな衝撃音が響いてきた。城壁の戦いの余波にしては、いやに近い。どこかの誰かが、この近くで連続して勁技を使用しているのかもしれない。
地下牢全体がぐらぐらと揺れて、床や壁、天井が軋む。パラパラと降ってくる土ぼこりを払った俺は、懐から小型の薬ビンを取り出した。冒険者が回復薬入れに使う縦長の丸いビンである。
そして、鉄格子の隙間からクライアめがけてそれを放る。薬ビンは狙いあやまたず、クライアの膝元まで転がっていった。
「空殿、これは……?」
「『血煙の剣』特製の回復薬だ。体力、魔力の回復はもとより、毒や呪いのたぐいにもよく効くぞ。島から逃げる気はないといったが、ここで土に埋もれて死にたいわけでもないんだろ? いざとなったら心装と一緒に使え」
クライアは先ほど心装について「無理やり使うことができないわけではない」と言っていた。おおかたギルモアが呪いをかけるなり、楔を打ち込むなりして、制限をかけているのだろう。
地下が崩落すれば、クライアは心装を出して拘束を解かねばならない。だが、そこでギルモアの仕掛けが発動してしまえば逃げることができなくなる。
俺が放った薬ビンはそのときのためのものだ。これを飲めば、ギルモアの小細工の影響を最小限にすることができる。なにしろ竜の血をたっぷり含んだ逸品だ。崩落を突っ切って地上に出る程度のことはできるはずだった。
「そ……」
「別にそのままギルモアに渡してもかまわないぞ。じゃあ達者でな、クライア・ベルヒ」
何事か言いかけたクライアの台詞をさえぎり、さっさとこの場をあとにする。
その背にクライアの声が追いかけてくることはなかった。
追いかけてきたのは、二つの紅い視線だけだった。
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