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第八話 崩壊



「――強い。クリムトたちの報告を疑っていたわけではないけれど、まさかこれほどとはね」



 そらと土蜘蛛の戦いを見ていたシドニー・スカイシープの口から感嘆の声が漏れる。


 シドニーの視線の先にいる空は心装を出していない。けいも使っていない。それどころか腰の刀さえ抜いていない。にもかかわらず、土蜘蛛を圧倒している。


 正確にいえば、空は土蜘蛛の攻撃をかわしているだけなので、圧倒という言い方はおかしいかもしれない。が、シドニーとしてはそうとしか言いようがなかった。


 なにしろ、空は仕合場の中央からほとんど動いていないのである。当初こそけいによる歩法で土蜘蛛と距離をとっていたが、時間が経つにつれて土蜘蛛の攻撃範囲から出ることもなくなった。


 今や土蜘蛛が攻撃するたび、鉤爪かぎづめが空の衣服にかするようになっている――が、それだけだ。嵐のような猛攻もそらに傷を負わせるには至らない。両者の力量はそれほどまでに隔絶かくぜつしていた。


 これはシドニーだけの考えではなかった。周囲にいる者たちもまた、シドニーと同じか、あるいは近しい考えを持っていた。



「はっは、すげえすげえ。あのからっぽ野郎が土蜘蛛相手に遊んでやがる!」



 シドニーの隣では九門くもんさいがけらけら笑いながら愉快そうに手を叩いている。いかにも軽薄そうな振る舞いだったが、その実、さい双眸そうぼうは針のように鋭くとがり、空の一挙手一投足を観察していた。


 鬼ヶ島における土蜘蛛の別名は『新米殺し』。試しの儀を乗り越え、青林八旗に加わったばかりの若者が、山林で頭上から奇襲を受けて頭を噛み砕かれる、あるいは鋭い鉤爪かぎづめで身体を引き裂かれることはめずらしくない。


 他にも、口から吐き出す毒液を食らって骨まで溶かされる者、糸で動きを封じられて巣にひきずりこまれ、そのまま食料にされる者など、土蜘蛛相手の死因は多岐たきにわたる。


 新米扱いを卒業する条件の一つに土蜘蛛の単身撃破を挙げる旗士もいるほどだ。


 中堅以上の旗士でも土蜘蛛に不覚をとる者はいる。知恵を持つこの魔物は時に群れをつくり、獲物を罠にかけることもある。心装使いを相手にする土蜘蛛の中には、傷ついた旗士を盾にして相手の動きを封じようとする個体さえ存在するのだ。


 空はそういう魔物を心装もけいも抜きであしらっている。これを見てなお空の力を理解できない者は、それだけで青林旗士の資格なしと判断されるに違いない。


 そう考えたさいは、隣にいたクリムトの肩をばしばしと強く叩いた。



「疑って悪かったな、クリムト。ありゃあ本物だわ――竜種を倒したかどうかはともかくとして、な」



 素直に詫びるだけでは終わらせないあたりがさいらしいといえばさいらしい。


 そんなことを思いながら、クリムトはふんと鼻から息をはきだした。



「……別にどうでもいいさ。お前がそらのやつをどう思おうと、俺の知ったことじゃない」


「そりゃそうだ。ま、これで俺以外にも、司馬やお前たち姉弟の報告を見直す奴が増えるんじゃないか? そうなればクライアの謹慎きんしんもじきに解けるだろ」



 さいの口から謹慎の一語が出た瞬間、クリムトは反射的に顔をこわばらせた。


 空の帰郷に先立ち、クライア・ベルヒは人質という立場から解放されて鬼ヶ島に戻ってきた。だが、その帰還を喜びと安堵をもって迎えた者はごく少数であり、大多数の旗士がクライアに冷眼を向けた。


 中でも家名に泥を塗られたギルモアの怒りはすさまじく、一時は当主に向かって処刑を願い出たほどである。


 結局、これはゴズや淑夜しゅくや、それにクライアの直属の上官である第六旗の旗将きしょう、副将がとりなしたために沙汰止さたやみとなったが、さすがに無罪放免とはならず、即日謹慎(きんしん)処分が下された。


 さいはそれについて言及したわけだが、実のところ、謹慎というのは表向きの処分で、ベルヒ家内部ではより重い処分が下されている。


 クライアはベルヒ本邸の地下牢につながれているのである。クリムトでさえ話をすることはおろか顔を見ることも許されていない。養父ギルモアへ何度も願い出たが、願い出た回数だけ却下された。


 クリムトとしては気が気ではなかった。これまでベルヒ家によって不要と判断された子供たちがどんな目に遭わされてきたのか、それを知るだけに不安がつのる。


 今のクライアはれっきとした旗士であり、黄金世代の一人として広く名を知られている。いかに養父が厳格で、失敗に対して容赦のない性格であるとはいえ、まさかクライアを虐待するような真似はすまい――クリムトは自分にそう言い聞かせているのだが、それでも胸中から不安が去ることはなかった。


 そんな状態だったから、クリムトは空と土蜘蛛の戦いにまったく関心を払っていない。


 仕合場ではようやく刀を抜いた空が、襲いかかる土蜘蛛の脚を一本、二本と切り飛ばし、ついには刀の切っ先で紅い眼窩がんかを貫いたところだった。


 鍔元つばもとまで刀身を押し込まれた土蜘蛛が狂乱したように暴れまわる。しかも、ただ暴れるだけではない。身体から噴きだした瘴気しょうきが土蜘蛛を包み込み、泥と呪詛をこね合わせたような異形に変形していく。


 それは死を悟った土蜘蛛が最後の抵抗を決意した姿だった。魔物ならざる野の動物さえ、己を射た猟師には死の寸前まで抵抗し続ける。知性を持つ土蜘蛛が従容しょうようと死を受け容れるわけがない。


 この状態の土蜘蛛は活動可能時間がきわめて短い反面、あらゆる能力が格段に上昇する。新米殺しの名を冠する所以ゆえんである。


 ――だが、それを見てもクリムトの表情に変化はなかった。


 繰り返すが、クリムトは空と土蜘蛛の戦いにまったく関心を払っていない。


 もし誰かにそれについて問われたら、面倒くさそうにこう答えていただろう。


 どうして勝敗のわかりきった戦いに関心を払わなければいけないんだ、と。


 そんなクリムトだから、自分から少し離れたところに同期のラグナとアヤカがいることも気づいていなかった。当然、二人がどんな顔で空の戦いを見ているのかも気づいていない。


 ましてや、自身の知覚範囲のはるか外からこの場の様子をうかがいみている者がいることなど気づくはずもなかった。




◆◆◆




 同時刻


 柊都しゅうとを囲む高大な城壁のさらに上、見張り台の尖塔せんとうの屋根に腰かけた人影が、あちゃあ、と額に手をあてて天をあおいだ。


 もしそらがこの場にいれば、その人影が柊都しゅうとで短い言葉をかわした少年だと気づいたに違いない。



「さっさと島を出ろって言ったのに、なんでよりによってそこにいるんだよ。あいつも門番の一人だったのか? いや、でもあの飾りは新しかった。飾りに込める意味まで知ってたんだから、同胞から奪ったってことはないと思うんだが――」



 首をひねりつつ、ぶつぶつとつぶやく少年。


 と、不意にその背後に大柄な人影が現れた。熊と見まがう巨大な影がいぶかしげな声を発する。



「いかがなされた、カガリ殿。もうじき刻限だというのに、このようなところにお一人で」


「なに、少しばかり門番どもの様子を探っていたのさ、イサギ」



 イサギと呼ばれた巨漢はつられるように門番――御剣家の邸宅がある方角に目を向ける。柊都しゅうとの中央に位置する邸宅は、尖塔の上から見ると握りこぶしほどの大きさしかない。ましてや、その中でうごめく人間どもなど、それこそありや米粒とかわらない。


 イサギは大きく息を吐き出した。



「この場所から彼奴きゃつらの様子を探れるとは。カガリ殿がいれば中山軍は物見いらずですな――と、失敬。我が軍は、と申し上げるべきでした」


「はは、別に中山軍と呼んだってかまわないさ。先の戦からまだ二月ふたつきたらず。崋山の将兵が心の整理をつけるまで時間がかかるのは承知している」



 そう言った後、カガリは苦々しげにチッと舌を鳴らした後、言葉を続けた。



「……おまけに、死ねと言わんばかりの今回の作戦だ。捨て駒扱いした上に忠誠心を求めるほど厚顔にはなれん」


「お心遣い感謝いたす。されど、お気になさいますな。それがしをはじめ、此度の戦に参じた崋山の者は志願したつわものでござる。本来は先の戦で死んでいたはずの身が、こうして裏切り者どもに一矢報いる機会を与えていただけた。カガリ殿にも、アズマ王にも、感謝こそすれ恨みはござらぬ」



 そこまで言ったイサギが、不意に顔をしかめたのは、自分とカガリ以外の第三者がやってきた気配に気づいたからであった。



「もっとも、崋山をたばかっていた光神教には言いたいことがあるがな、オウケン」


「――これは心外な」



 ゆらり、と蜃気楼しんきろうのごとくその場に現れたのは、白色を基調とした法衣をまとった人物だった。



「光神教が崋山をたばかっていたなどと、言いがかりというものではありませぬか、イサギ殿」



 額に角を生やした姿はカガリやイサギと同じ。ただ、オウケンの肌は白く、手足は細い。武人でないことは一目瞭然だった。


 このオウケンに対し、イサギの態度は厳しい。



「言いがかりとはよくいった。ならば申すが、この護符はなんぞ!」



 そういってイサギは己の腕にはめられた黄金色の腕輪を指し示す。



の目鷹の目で見張る裏切り者どもに、まったく気づかれることなく門に侵入できる道具。こんな道具があるなど、十六槍の一人であるわしですら聞いたことがない。光神教はなぜにこの道具を崋山に秘していた? これさえあれば、我らの手で門を奪うこともできたであろうに……!」



 拳を震わせながらイサギが責めると、オウケンは相手の興奮をなだめるように二度、三度と手を上下させた。



「イサギ殿、まず誤解を解いておきまする。その護符を一月や二月で作り出せる魔道具だとお考えならば、それは心得違いと申すもの。それは神器じんぎでござる。高徳の神官がその身に神を降ろしてつくりだす大いなる奇跡の産物。それを用いる資格があるのは五山を統一した英雄のみ。もしも崋山が中山を破っていれば、我ら光神教は喜んで崋山に神器を進呈したでありましょう」


「統一すらできぬ者に光神教は用はないと、そういうことか」


「その解釈は穿うがち過ぎである、と申し上げましょう。私が申し上げたいのは、神器とは安易に世に出してはならぬものであるということです」



 オウケンの言葉に、イサギは苛立たしげに舌打ちするが、状況をわきまえてか、それ以上の難詰なんきつは避けた。


 オウケンはオウケンでイサギの怒気を恐れるように肩を縮めているが、その実、表情はまったく変わっていなかった。


 カガリはそんな二人の様子を黙って観察している。


 光神教は、かつて人間が鬼人を裏切ったおり、ただひとつ鬼人たちに味方した人間組織である。彼らは神の名のもとに鬼人族に味方し、多くの鬼人を救い出したと言われている。


 鬼神を信奉しんぽうする鬼人族の中にあって、三百年にわたって存続し続けてきた宗教組織。鬼人が光神教に入信しても鬼神の加護が失われることはなく、五山に属する鬼人族の中にも光神教の信者は少なくない。


 五山統一を果たした中山四兄弟の中にも光神教の信徒はいる。カガリのすぐ上の兄、三兄ハクロがそれだ。それもただの信徒ではなく、司教として教団の枢機すうき参画さんかくする高位の信徒だった。


 今しがたイサギたちが述べたとおり、今回カガリたちが柊都しゅうとに潜入することができたのは光神教のおかげであるが、この柊都しゅうと潜入そのものが光神教――三兄ハクロの発案なのである。



 ――ハクロにいの作戦は、後味が悪いものばかりだから苦手だ。



 内心、カガリはそんなことを考えている。ただ、どれだけ後味が悪くとも、後になって振り返ってみると必要なことだった、という例が多々あるのも事実。


 きっと今回の作戦もそういうものなのだろう、とカガリは納得していた。



「さて、それじゃあそろそろ始めるか。イサギ、オウケン、準備はいいな?」


「むろんでござる」


「確実な戦果を約束いたしましょう」


「よし。それなら俺の合図と同時に作戦開始だ。二人とも、配置につけ!」



 イサギとオウケンの二人は、それぞれに応諾の返事をした後でかすむようにその場から姿を消す。


 カガリは二人の気配が消えるのを待って、ひょいと自然な動作で尖塔の屋根から飛び降りた。


 カガリが腰掛けていたのは、高大な城壁よりもなお高い見張り台である。地面までの距離は十メートルや二十メートルではきかない。


 このときのカガリを目撃した者がいたとしたら、すわ身投げかと慌てふためいたことだろう。


 むろん、カガリにそんな意図はない。数十メートルの落下――というより墜落を終えたカガリは、いとも簡単に地面の上に降り立った。本来なら人としての原形を留めぬ惨状を呈して当然のところを、事もなげに着地する。


 そうして、カガリは手近の城壁に右の手のひらを押し当てた。そして、うたうように口をひらく。



「――成住じょうじゅう壊空えくう。天地万物、めっせぬものはなく」



 築かれてより三百年、ただの一度も破られたことのない柊都しゅうとの象徴にして防御のかなめ



「ゆえに、我が拳に砕けぬものもなし。五山ござん九黎きゅうれいの長、大いなる蚩尤しゆうよ。我ら中山の戦ぶり、とくと御照覧ごしょうらんあれ」



 百の破城槌はじょうついをもってしても貫けぬほどに分厚く、千の魔法をもってしても削れぬほどに強靭きょうじんで、その守りは帝都の黄金城壁すら上回るとうたわれた金剛の守り。


 それが。



四劫しこうの三――『かい』!」



 カガリの強烈なけいを浴びて、ビシリ、と音をたててひび割れた。


 ひび割れは少しずつ、しかし確実に城壁を侵食していく。それは無数の蛇が這うにも似て、見る者の心に怖気をもたらす。


 蛇は数を増すに連れて勢いを増していく。今や亀裂の走る速度は人が走る速度に等しく、たちまち城壁の最上部に達した。


 異変に気づいたらしい旗士たちの声が聞こえてくるが、カガリは気にしなかった。どうして気にする必要があるだろう。


 今になって気づいたところで、もう手遅れなのだから。



「さあはじめようか、人間たち。三百年前の再戦だ」



 そう言って、カガリは左の拳を壁面に打ち込む。


 その瞬間、大いなる絶技は完成し、柊都しゅうとの城壁が音をたてて崩れはじめた。



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