第四話 痛撃
「案ずるより産むがやすしとはこのことだな」
大広間から退出した俺は、大いなる満足と、わずかながらの安堵を込めてつぶやいた。
実際に剣聖らと対峙するまでは、こちらが強くなった以上に向こうも強くなっていた、という最悪の事態も想定していたのである。
ゴズやクリムト、クライアらのことを考えれば、その可能性はかぎりなくゼロに近いとわかっていても、五年前の記憶が絶えず俺にその可能性をささやき続けた。
だが、実際に対峙して、その懸念は綺麗さっぱり消えうせた。しかも、御剣家最強の剣聖は五年前から何ひとつ成長していなかったというおまけつき。
これを喜ばずして、何を喜べというのだろう。
それだけではない。この状態はこれから先、何年経っても変わらないのだ。御剣式部は最強の剣聖であるゆえにあの極点から動けない。
対する俺は、いくらでも前に進める。他者の魂を喰って成長する俺には「自分より強い敵を倒さなければならない」などという枷は存在しないから。
――この事実が意味することは明白だ。
思わず、くふ、と笑いがこぼれてしまう。後方からは大広間に集まった連中のざわめきやら怒声やらが聞こえてくるが、それもたいして気にならない。
まあ、試しの儀云々はともかく、土蜘蛛とは戦ってやるさ。向こうが勝手に追加してきた条件に従う義務はないが、あらかじめ同意していた「強さを証明する」という条件は満たしておく必要がある。
その上で御剣家が俺に服従を強いてきたり、スズメに手を出してきたら、そのときは遠慮なく喰らって――いや、殺してやる。
今の時点で剣聖や双璧に腰をあげられると厄介だが、五年前に弱者と切り捨てられた身にとってはそれも栄誉というもんだ。あの三人でなければ手に負えない、と判断されたことになるからな。
「ふん。まあそれも、あの三人が俺にかかずらわっている暇があればの話だ」
そう言って、この島での出来事を思い返す。先のカナリア王国の混乱はかなりのものだったが、どうやら鬼ヶ島も鬼ヶ島で不穏の芽が生じているようだ。俺やスズメどころではない、という事態が間もなく起こると思われる。
むろん、これはただの推測――というか、根拠のない予感にすぎない。だから、警告も忠告もしない。俺が感知した予兆など、三百年もの間、鬼門を守り続けてきた御剣家にとってはきっと取るに足らないものだから。
皮肉で唇を歪めながら、俺は先にあてがわれた客間に戻った。いや、戻ろうとした。
だが、そんな俺の行く手をさえぎる人物がいた。
その人物はえらく小さかった。セーラ司祭のところにいる三人のチビガキよりも、さらに小さい。
四歳か五歳くらいだろうか。小さいながらにきちんと羽織袴を着込み、腰に木刀を佩いた姿はなかなかに凛々しい武者ぶりだ。羽織に御剣家の紋が入っているあたり、間違いなくこの家の子供だろう。
そこまではいい。御剣の屋敷の中に御剣の子供がいても何の不思議もない。
問題はその子供がえらく憤慨した様子で俺を睨んでいることである。あと、何故に羽織の上からたすきがけ? そこは羽織を脱いでから結ぶべきでは……
よくよく見れば、どうやら自分で結んだらしく、結び目がひどく頼りない。すぐにもほどけてしまいそうで、他人事ながら心配になる。
そんなことを考えていると、小さな黒髪の剣士はキッと俺を睨みながら口を開いた。
「ぼくは御剣イブキ! おまえに決闘を……決闘を、えっと、もうし……もうしこむ!」
「……あー」
唐突に自分より一回り以上年下の子供から決闘を申し込まれたとき、なんて返事すりゃいいんだ?
とりあえず腰を落として相手と目線を合わせた俺は、最初に名乗りをあげた相手の礼に応じてこちらも名乗ることにした。
「俺は空だ。それで、あー、イブキといったか、小さな剣士殿。どうして俺と決闘をしたいんだ?」
「おまえがゴズおじちゃんをいじめたやつだからだ! これは正当なかたきうちである!」
「…………へえ」
ゴズおじちゃん、ね。
単にゴズの弟子か何かかもしれないが、御剣の姓を名乗ったところを見ると――
「あと、母上にかなしい顔をさせたのもゆるせない!」
「……母上のお名前はセシル殿、か?」
こちらの問いに、少年は唇を真一文字に引き結んで大きくうなずく。
そして、鞘から木刀を引き抜くと、その切っ先を俺に突きつけて大声で叫んだ。
「いざ、じんじょーに勝負せよ!」
少年が握っている木刀は、小さいながらに実に見事な細工が施されている。そういえば、ゴズはこういう細工物が得意だったな。そんなことを思い出して、皮肉っぽく唇の端をつりあげる。
――そうでもしないと、何の他意もなく昔のように笑い出してしまいそうだった。
そんな俺の内心に気づく風もなく、少年は言葉を重ねる。
「どうした、そちらもぬけ! 刀を抜いていないものを斬るわけにはいかぬ!」
ときおり妙に堅苦しい口調になるのは、母親が読み聞かせた物語の一節をそのままなぞっているためか。いかにも物語の主人公が口にしそうな台詞だしな。
――さて、どうしよう。
目の前にいる腹違いの弟を見て、わりと本気で悩む。
本音をいえば、腹違いの弟という存在にはさして親しみを感じない。なにせ父がほうぼうの女性に手を出していたため、島を出る前でさえ俺には両手にあまる数の異母弟、異母妹がいたのだ。そして、そのほとんどとは言葉を交わすどころか、顔を合わせることさえなかった。
そんな弟妹が今さら一人二人増えたところで肉親の情なんて湧きようがない。
ただまあ「異母弟」としてではなく「ゴズの甥」「セシルの子」という目で見れば思うところはあった。二人に対して思うところは多々あるが、だからといってこの子を冷たくあしらう気にはなれない。
それに「ゴズおじちゃん」を叩きのめし、「母上」を悲しませた相手に対してこの子が憤るのは自然なことだ。俺だって、この年のときに同じ立場に立ったら、相手に決闘の一つや二つふっかけただろう。ゴズやセシルに原因があるのかも、なんて考えもせずに。
仕方ない。ここは一つ相手をしてやるか、と苦笑まじりに思ったときだった。
「かつもくせよ! これよりなんじが見るは、禁じられた竜の力!」
「……んん?」
なんだか、いつかどこかで聞いたおぼえのある台詞が耳に飛び込んできた。
俺が得体の知れない不安に戸惑っている間にも、目の前の剣士の口上は続いていく。
「妖魔鬼神をやきはらう、究極無双の剣技!」
「ちょ、待――」
「その名も、蛇王炎殺剣である!!」
「ぐふぉ!?」
的確に胸の古傷を刺し貫かれた俺は、思わず胸をおさえてうずくまってしまう。
それが自分の名乗りの効果だと思ったのか、小さな剣士は得意げに胸を張った。
「おそれいったか、悪者め!」
「げふげふ、ごほ!」
うずくまった拍子につばが変なところにはいって、なかなか咳がとまらない。
俺の顔があまりにつらそうだったせいだろう、イブキは得意そうな表情を引っ込め、心配そうに問いかけてきた。
「……あの、おじちゃん、大丈夫?」
「――ぐふ!」
ある意味、とどめの一撃をもらった俺はとうとうその場で膝をつき、がっくりとうなだれる。
まったく予期せぬ致命的一撃だった。