第二話 邂逅
柊都はどこかイシュカに似ている。
御剣邸へと続く道を歩きながら、俺はふとそんなことを思った。
柊都もイシュカも城壁に囲まれた城塞都市だから、都市としての雰囲気が似通っているのは当然だが、それだけではない。
城壁一つを隔てた外界には狂猛な魔物が闊歩しているというのに、道を歩く住民の顔におびえの影がまったくない。誰もがしっかりと足を踏みしめて歩いている。その光景こそが似ているのである。
都市を守る兵への絶対的な信頼と、彼らを支えているのは自分たちなのだという誇り。その二つが柊都の住民に落ち着きと安らぎを与えている。
かつて、アドアステラの建国帝は「道とは民をして上と意を同じくせしむるものなり」と述べたという。大雑把に訳せば「支配する者とされる者の一体感は大事です」となるわけだが、その意味で柊都の一体感は大陸でも屈指のものだろう。
イシュカのそれは幻想種と魔獣暴走によって大きく損なわれてしまったが、柊都のそれは五年前よりさらに強固になっているように見える。五年前は当たり前に映っていた光景も、今見ればなかなかに興味深かった。
「御剣の治世に揺るぎなし、か。大したもんだ」
皮肉っぽく笑う。きっと嫡子が追放されたことなど御剣家にとって、そして柊都の住民にとって些事も些事、どうでもいいことだったに違いない。
ゴズかセシルが隣にいれば何か言葉が返ってきただろうが、二人は俺から離れて歩いているので、俺の皮肉は誰の耳にも届かずに宙に溶けた。
ゴズたちを遠ざけたのは、これみよがしに青林八旗の陣羽織を羽織っているゴズや、見るからに上物の着物を着ているセシルがそばにいると、無用の注目を集めてしまうからである。
御剣家の司馬にして第一旗三位のゴズと、当主の側妾であるセシル。このシーマ家の兄妹は当然のように柊都では有名人だ。その二人と一緒に歩いている、あのガラの悪い青年は何者ぞ、などと詮索されるのはごめんこうむる。
東方建築の家々が立ち並ぶ街並みを眺めながら、ゆっくりと歩を進めていく。生まれてから十三年の時を過ごした故郷だ、さすがに『法の街道』のときのように「ほとんど記憶に残っていない」なんてことはない。
視界に映るそこここに記憶の残滓を感じる。あそこの角を曲がった先には甘味屋があって、よくセシルやアヤカと一緒に通っていたな、なんてことも思い出した。
すべての用事を済ませたら立ち寄って団子の一つもパクつこうか。そうすれば、カタラン砂漠のように乾き切ったこの心にも懐かしさが湧いてくるかもしれない。
――そんなことを考えていると、今まさに視線を向けていた角の向こうから一つの人影があらわれた。
灰色のざんばら髪に赤銅色の肌をした少年。ターバンのように頭に幾重にも布を巻きつけている。どうやら俺が思い浮かべていた甘味屋に立ち寄ってきたばかりのようで、両手に十本の団子の串を握っていた。
さすがに買いすぎでは、と思ったが、少年は豪快に団子を頬張り、見る見るうちに胃袋に放り込んでいく。俺とすれ違う頃には十本分の団子は綺麗に串だけになっていた。
指についた餡子やら黒蜜やらをなめる少年の動作は、行儀という意味では落第点だったが、不思議と野卑な印象は受けなかった。年頃の少年らしい野性味と活力が伝わってきて、自然と頬がほころんでしまう。
年齢は俺より一つ二つ下といったところか。顔や腕からのぞく傷跡を見るに、おそらく青林旗士の一人だろう。それもかなりの使い手だ。
――それはつまり、これから戦うかもしれない相手ということ。
すっと目を細めて少年を見据える。ゴズとセシルにも向けた、相手の力量を量る観の目。
と、いきなり少年の目がぐいっと俺に向けられた。それまで物珍しげに周囲を見回していた眼差しがぴたりと俺に据えられる。射るような眼差し、とはこれを言うのだろう。戦意が突風となって吹きつけてきたような、そんな錯覚さえおぼえた。
「喧嘩を売るつもりなら買うぜ?」
少年はどこか楽しげにそう言った。こちらを見る目に怒気はなく、ただ純粋に強い相手との戦いを望む闘志だけが燃え立っている。
そんな少年に対し、俺は素直に自分の非を認めて頭を下げた。
「いや、そのつもりはない。非礼をお詫びする」
こちらが素直に謝罪をしたことが意外だったのか、少年は拍子抜けしたような顔をした。どことなく残念そうでもある。
「なんだ、ようやくまともな相手が出てきたと思ったのに。まあ、やる気がないなら仕方ない。誰彼かまわず観るような真似は控えなよ」
「忠告、肝に銘じよう。申し訳ない」
「詫びはもう受け取ってる。二つはいらない。それじゃあな――って、んん!?」
ひらひらと手を振りながらすれ違おうとした少年の口から、不意に妙な声が漏れた。何やら眉間にしわを寄せながら、じっと俺を――正確には俺の左手首にある腕輪を見つめている。
「……なあ、あんた。それ、その腕輪、どこで手に入れたんだ?」
「これか? 旅に出るときに友人から贈られたものだ」
「友人、友人ね。ちなみに、その友人は腕輪のご利益について何か言ってたかい?」
「たしか、無病息災を祈るものだと言っていたが」
それがどうかしたか、と首をかしげると、少年は何やら難問に挑む学者のような顔で腕を組み、じっと俺を見据えていた。先ほど、俺に向けていた視線よりもさらに鋭く、深い。それこそ俺より数段上の観の眼差しだった。
「あんた、名前は何て言うんだ? 俺はカガリだ」
「空だ」
「そうか。なら空、その友人、大切にしてやってくれよ。それと、旅に出るときに贈られたってことは、あんた、この島の人間じゃないんだよな?」
「――ああ、俺はこの島の人間じゃない」
「それなら、できるだけ早くこの島を出た方がいいぜ。厄介事に巻き込まれたくなければな」
そう言うと少年――カガリは素早く踵を返し、足早に遠ざかっていった。南へ、俺がやってきた港の方角へと。
俺は少しの間その背を見送っていたが、やがてこちらも踵を返して歩き出す。北へ、かつて我が家と呼んだ場所に向かって。
◆◆◆
予期していた妨害はなかった。
御剣邸に到着した俺は門前で阻まれることなく邸内に入り、シーマ兄妹の案内で客室のひとつに通された。これから俺の到着を当主に知らせ、それから大広間で謁見が行われる。時間が来るまでこの部屋で待っていてほしい、とのことだった。
そのあたりの段取りに口を出す気はなかったので、俺はゴズたちに言われるがままにうなずいたが、ただ一つ、先に母の墓を詣でることを拒絶されたことだけは気に入らなかった。
ゴズの言によれば、謁見はすぐにおこなわれるから――つまり父に俺を待たせるつもりはないから、再会が終わった後でゆっくりと静耶様にご報告を、ということらしい。
どうもかつての傅役は、父と顔を合わせれば、俺が過去のわだかまりを水に流して再び御剣の旗の下で戦う気になる、と信じているらしい。あるいは、単純にそうあれかしと願っているだけかもしれないが、いずれにせよ、鬱陶しいことこの上ない。
いっそ制止など無視してさっさと母の墓に行き、五年間の報告をして、その後に団子を食ってから島を出てしまおうか、と思わないでもなかった。
ただ、それではわざわざ鬼ヶ島に出向いた目的の一つしか果たせない。
今回、俺が鬼ヶ島にやってきた目的は三つある。一つ目は母の墓に詣でること、二つ目は鬼人に向けられる御剣家の敵意を打ち消すこと、そして三つ目は――島に到着してから俺がゴズやセシル、そしてあのカガリという少年にやったことだ。
つまり、観ることである。
五年前の俺にとって、周囲の人間はすべてが頂の見えない高峰のようなものだった。あまりに高すぎるゆえに、誰も彼もが同じに見える。同期生も、平の旗士も、上位の旗士も、双璧も、剣聖さえもが同じに見えた。
自分より強いということはわかる。だが、どれだけ強いのか、正確に量ることができない。だから、父を畏怖する気持ちと、ラグナを畏怖する気持ちに差はなかった。俺にとってはどちらも絶対的な強者だったから。
先にカナリア王国でゴズとクリムト、クライアらと戦ったことで、今の自分のおおよその強さは把握している。第一旗三位、それも空装を励起したゴズを打ち倒した俺は、間違いなく鬼ヶ島でも屈指の強さ。
だが、その事実をもってしても、心に刻まれた畏れを完全に払拭することはできなかった。どれだけ強くなろうとも、ゴズたちを退けたという事実があっても、それでも、鬼ヶ島の人間にはかなわないのではないかと囁きかける声がするのだ。
それはきっと、五年前の心の残滓。
自分の心に深く、深く根を下ろした劣等感が。自分は何者にもなれないという底なしの諦観が。
――弱者は不要と断じられた、あの呪いが。
自分自身を信じる気持ちに蓋をする。
この呪いは、きっと直接対峙することでしか祓えない。だから、こうしてやってきたのだ。今の自分の目ですべてを観るために。
「――空殿。御館様がお呼びでございます。お着替えの上、大広間までお越しくだされ」
襖の外から聞こえてきたゴズの声に応じて、俺はゆっくりと立ち上がった。