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第一話 帰郷



 アドアステラ帝国を東西に貫く『法の街道』を東へ、東へと進んでいく。


 帝国の、ひいては大陸の大動脈ともいえる街道は今日も多くの人で賑わい、馬車もひっきりなしに行き交っている。わざわざ徒歩で向かわずとも、いずれかの馬車に乗せてもらうことはできただろう。


 だが、俺はあえて自分の足で歩いて鬼ヶ島に向かっていた。五年前、同じ街道を西へ、西へと進んだ過去の足跡を確かめながら。


 そうして気づいたのは、思いのほか記憶があいまいだということだった。


 鬼ヶ島を追放された俺は確かにこの街道を通ってカナリア王国に入ったはずなのだが、不思議なくらい周囲の光景に見覚えがない。


 これは道々の街や村についても同様で、どこそこの宿に泊まっただの、どこそこの食事はうまかっただの、どこそこの景色は綺麗だっただの、そういった記憶がまるでない。


 ――考えてみれば当たり前だった。


 五年前の俺はかれたように前だけを見ていた。未練などないと後ろを振り返らず、この先に望んだ未来があるはずと脇目わきめもふらず、ただただ歩き続けた。


 周囲の景色に目をくれる余裕などなかった。道々の食べ物に舌鼓したづつみを打つ路銀などなかった。そんな状態で心に残る思い出が生まれるはずもない。


 おぼえているのは、えるような焦燥感だけ。


 周囲から笑い声が聞こえてくるたび、自分が笑われているように思えて肩をちぢめていた少年の姿を幻視する。


 かなうことなら少年に伝えてやりたかった。これから始まる五年の月日はお前の心身を極限まですり減らす。望んだ未来は存在しない。たくさんのことを間違える。


 それでも、足を止めなければ得られるものはある――そのことを伝えてやりたかった。



「まあ、別に伝えてもらわないでも今ここにいるわけだけどな」



 自分の中の感傷をそんな言葉で笑い飛ばす。


 ふと気づいて自分の左手首を見ると、そこには細かな細工がほどこされた腕輪ブレスレットがあった。イシュカをつ際にスズメたちから贈られたもので、なんでも鬼人族に伝わる無病息災のお守りなのだとか。


 これもまた、足を止めなかったからこそ得られたものの一つだろう。


 俺はあらためて目の前の地面に足を踏み出す。五年前、逃げるように、追われるように足早に進んだ街道を、一歩一歩、足裏の地面を確かめるようにゆっくりと進んでいく。


 北の海に浮かぶ故郷まで、もうあとわずかだった。



◆◆◆



 鬼ヶ島の全景は羽を広げたちょうに似ている。


 島の東部と西部を形成する陸地はほぼ対をなしており、その二つが重なり合う中央部に鬼ヶ島唯一の都市である柊都しゅうとが存在する。


 その柊都しゅうとの南にある港が、島唯一の外界との接点だった。まあ、港といっても漁船や客船が寄航することはなく、一日に二回、島と大陸を結ぶ連絡船が行き来するだけの場所なので、人気ひとけも活気もないに等しい。


 ちなみにこの連絡船には常に青林旗士の護衛がつく。鬼ヶ島を取り巻く北の海は一年を通して荒れており、異常発達した海棲かいせいの魔物が多数出没するため、青林旗士クラスの戦力がないと往来にさえ支障をきたしてしまうのである。


 むろん、旗士きしといっても乗船するのは平旗士どまりであり、八旗の上席レベルがこのような端役を務めることはまずありえない。ありえない、はずなのだが――



「お待ちしておりましたぞ、そら殿」



 重々しく、そのくせ内にはちきれんばかりの喜びを満たした声で俺に告げたのはゴズ・シーマだった。


 どうしてここに、という問いは無意味だろう。なにせ俺が持っている乗船券は御剣家が用意したものであるからして。


 鬼ヶ島に渡るには事前の審査が必要であり、券さえ買えば誰でも船に乗れるというものではない。その券は日にちが指定されており、おまけに前述したとおり連絡船は一日に二度、朝と昼の便があるだけだ。


 五年ぶりに母の墓に詣でる俺が後発の便に乗るわけもなく、俺が姿を現す時間はたなごころを指すようにゴズに見抜かれていたわけである。


 ――まあ、クラウ・ソラスに乗るなり、けい全開で海を渡るなり、向こうの意表をつく手段はあったのだが、別にそこまでする必要もないだろう。いるかどうかもわからない出迎えを避けるために労力を割くのはあほらしい。



「わざわざのお出迎え痛み入る、シーマ殿」



 言葉は丁寧に、態度は丁重に。


 別に喧嘩を売りに来たわけではないのだ。イシュカで再会したときと異なり、今すぐ斬りかかる理由があるわけでもない。


 俺は目を細め、見上げるようにしてじっとゴズの顔を見据えた。すると、巨漢の旗士きしの口から戸惑ったような声が発される。



「……何かそれがしの顔についておりますかな?」


「いえ、そんなことはありません。それで、私は島に向かってもよろしいのですか? それとも何か支障が生じましたか?」


「いや、支障などありませぬぞ。それがしが御館様の御前まで先導を務めさせていただきまする」


「承知いたしました。よろしくお願いいたします」



 そういって帝国作法にのっとってゴズに一礼する。


 御剣家はれっきとしたアドアステラ帝国の大貴族であり、一方の俺は無位無官の庶民である。勘当が解かれたわけではないのだから御剣家とも無関係。敬語を使い、礼儀を尽くすのは当然のことだった。


 そんな俺を見て、ゴズは思わずという感じで苦笑をこぼす。



「すでに空殿は青林旗士三名を退け、御館様に正面から要求を突きつけられたのです。いまさら外面そとづらを取りつくろう必要はありますまい」


「無礼な要求を突きつけた私に、御剣家の当主殿は寛大さをもって応じてくださいました。であれば、こちらも礼儀をもって応じるのが筋というものでございましょう」



 俺はそう言って、あくまで態度を変えなかった。もっといえば変える必要がなかった。別に眼前の相手と、昔のように親しく語り合いたいわけではないのだ。向こうが嬉しそうにしている理由を推測するつもりもない。


 赤の他人が何を考えていようと知ったことではないし、赤の他人に丁寧に接するのはごく一般的な礼節の範疇はんちゅうだろう。


 ただ、強いて他に理由を挙げれば用心の意味があった。


 こうして俺を招いておいて、礼を失した振る舞いがあったという理由で無礼打ちにする意図が向こうにないとはかぎらない。


 当主やゴズはともかく、ベルヒ家あたりはそういった小細工も平然とやってくるだろう。なにせ、こちらは向こうの養子二人を、実力的にも、名声的にも叩きつぶしているからな。恨まれていて当然だ。


 そうそう、養子といえば、クライアは俺の帰郷に先立って鬼ヶ島に帰している。四旗の誘いにも乗らず、俺がベルカに行っている間はティティスの森で幻想種の発生に備え、結局最後まで俺に付け込む隙を与えなかった。これでは帰さざるをえない。


 後半では普通にスズメやシール、それにミロスラフとも話をしていたし、解放するときには深々と頭を下げられた。最後、どこか物悲しそうな顔をしていたのは、もうセーラ司祭のご飯が食べられなくなるからだと思われる。


 そんなことを考えながら、俺は連絡船に乗り込み、島へと向かった。


 海の魔物が襲ってこなかったのは、ゴズが船首で絶えずけいを放って威嚇いかくしていたおかげだろう。


 そうして何事もなく波止場に降り立った俺を待っていたのは、かつて姉と慕っていた相手――セシル・シーマだった。



「お久しぶりです、そら……様」



 俺の名前のあたりで一瞬言いよどんだのは、俺の反応を気にしてのことだろう。というのも、以前の俺はセシルから「若様」だの「空様」だのと呼ばれるのが嫌でたまらず、本当の姉のように「空」と呼び捨てで呼んでほしい、としつこく主張していたからだ。


 今おもえば無茶な願いである。家臣の身で嫡子の俺を呼び捨てにできるはずもない。だが、優しいセシルは俺と二人きりのときは望みどおり「そら」と呼んでくれたものだった。


 当時のことを思い出しながら、俺は恐縮したように頭を垂れる。



「お出迎え痛み入ります、シーマ殿。ですが、当主殿の寵愛を受けている御方が、私ごときに様付けなさる必要はございません。そのような振る舞いをさせては私が罪を問われることになりましょう。どうかおやめください」



 そう言ってから顔をあげ、困惑したように口を閉ざしているセシルをじっと見つめる。


 五年前は動きやすいように結い上げていた髪を、今ではまっすぐに下ろしている。また、同じく五年前は旗士きしらしいすらっとした体格だったものが、今では女性らしく丸みを帯びた体格にかわっている。


 旗士きしから妻になった者の変化だと、そう思えた。


 それを確認した俺はセシルから視線を切ると、御剣邸へと向かうべくを進めようとする。


 きびすを返した俺の背にゴズの声がはじけた。



「空殿、できますれば今すこし妹と言葉を交わしてやっていただけまいか。御館様の決定が下されてより一月ひとつき、妹は今日の日を楽しみに待っていたのでござる」


「シーマ殿」



 俺は首だけ動かし、肩越しに兄妹を見る。


 あえて二人の名を呼ばなかったのは、兄と妹を区別して呼ぶのも億劫おっくうだという意思を言外に示すためだった。



「私は久闊きゅうかつじょしに来たわけではありません。そもそも、私を呼びつけたのはあなたがたの当主殿でしょう。ここで私たちが言葉を重ねれば、それだけ当主殿をお待たせすることになる。それは家臣たる身の望むことではないと愚考しますが、如何いかん



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