閑話 セーラとイリア①
その日、俺はめずらしくセーラ司祭から頼み事をされた。
できれば明日メルテ村に連れて行ってくださいませんか、と言われたのである。もともと、セーラ司祭は俺が強引に連れて来たようなものなので、頼まれれば否とは言えなかった。
まあ、今はあの頃とだいぶ状況が違っているので、村に戻っても問題は起きないだろう。
ヒュドラを討ったことで不治毒が広がるのは止められたし、解毒薬の改良も進んでいる。ミロスラフいわく、おそらく俺の大量レベルアップのおかげとのことだが、以前の改良版でさえ三日で再発していた症状が、今ではほぼ抑えられているのだ。
これにより「血が足りない」問題は事実上解決した。イリア以外の村人に解毒薬を分ける余裕もあるのである。
ちなみに、どうして再発阻止に「ほぼ」という言葉がついているのかといえば、まだヒュドラを討ってから一月と経っていないので、一ヶ月後、二ヶ月後の長期的な再発の可能性は残されているからである。
ともあれ、そういったわけでセーラ司祭も娘に付きっきりでいる必要はなくなった。イリア以外の不治毒の罹患者を治療する余裕もできた。それゆえの帰還願いだと思われた。
まあ、クラウ・ソラスに乗ればメルテ村までは半日とかからない。クライアの一件も解決したので、多少は家を空ける余裕もある。俺にとってはお安い御用だった。
ただ一つだけ心配だったのが、司祭がこのままメルテに戻ってしまうのではないかという点である。不治毒の問題が片付きつつある今、それを言われると引き止めるすべがない。
俺はそう思ってこっそり焦ったのだが、連れて行ってほしいのは自分ひとり、という司祭の言葉に胸をなでおろした。まだしばらくは俺の屋敷に逗留してくれるようだ。俺としては、もういっそ定住してほしいくらいなのだが。
セーラ司祭に来てもらってからというもの、食事は基本的にお任せしているのだが、出される料理は屋敷の住民全員に大人気。先日来、肩を縮めながら屋敷で生活しているクライアでさえ、控えめにおかわりを要求するくらいである。
この食生活がもうしばらく継続することに、俺以外の住人たちも喜ぶに違いない。
さて、そうと決まれば移動の準備をしなければ。
それを考えると、自然と俺の心は浮き立った。なぜといって、クラウ・ソラスでメルテ村に向かうということは、当然ながらセーラ司祭と一緒に鞍に乗るわけで、密着するわけで、それが何時間と続くわけで、俺的には願ってもない好機なのである。
こっちに来るときはチビたちが騒いでそれどころじゃなかったしな!
というわけで内心ウキウキしながらセーラ司祭に承諾の返事をした俺は、すぐにもクラウ・ソラスに鞍を乗せるつもりでこう言った。
「なんなら、今から向かってもかまいませんが?」
「あ、いえ、そんなに急いでいただかなくても大丈夫です。まだ鶏肉の準備もできていませんので……」
明日の帰還が可能かを確認したかっただけなのだ、とセーラ司祭は申し訳なさそうに続ける。
俺としても別に文句はないのだが、直前の一語には首をかしげざるをえなかった。
「……鶏肉、ですか?」
「明日は夫の命日なんです。夫は鶏肉を甘辛く煮付けたものが好物でしたので、毎年墓前に供えています」
「そ、そういうことでしたか」
思わずどもってしまう。まるで俺の邪念に釘を刺すかのようなセーラ司祭の物言いだった――いや、まあ偶然だと思うけれども。
俺はごまかすようにごほんごほんと咳払いした。
「そういうことならイリアも連れて行った方がいいのでは?」
「それが、あの子は冒険者として村を発つときに夫に誓いを立てていまして、それを果たすまでは父の前に顔を見せられないと頑なに」
セーラ司祭はそういって困ったように頬に手をあてる。
誓いの内容についてセーラ司祭は語らず、俺も問わなかった。母親とはいえ、軽々に他人に聞かせることではないし、他人が訊ねていいことでもない。俺たちはそう考えたのである。
この場はそれで終わりとなったので、後で当人にちらっと訊いたところ、父と同じ第四級冒険者になるまでは墓前に参じないと決めているそうだ。
なお、セーラ司祭も冒険者時代は第四級だったらしい。「神官戦士」として。
……おっとりした性格のせいでついつい忘れそうになるが、イリアに回復魔法と格闘術を仕込んだのはセーラ司祭だったな。
俺は脳裏でセーラ司祭の姿を思い浮かべる。今のゆったりと落ち着いた司祭服が似合うのは言うまでもないが、案外イリアみたいなぴっちりした神官戦士の装備をしても似合うのかもしれない。
頭の中でイリアの服をセーラ司祭に着せ替えてみる…………ありだな。まあ胸部の大きさ的にイリアよりもかなり戦いにくそうではあるが。
などと考えていると、邪念を感知したらしいイリアにじろっと睨まれてしまった。
今までなら、この後にきつい一言が飛んできたところだが、今日のイリアからは追撃の矢が飛んでこない。これはこれで良い変化だろう。
そんなことを考えながらイリアと別れた俺は、その足でクライアの姿を求めて歩き出す。今日も今日とてお互い気持ちよく汗を流して稽古をするためだった。