終話
「なるほどね。こうきたか」
御剣家から届いた書状を一読した俺は小さく肩をすくめた。
スズメのことを任せてほしければ鬼ヶ島まで出向いて実力を証明せよ――簡単にいえば、話くらいはきいてやるからこちらまで出向け、ということである。
相手は俺を見限った父親だ。いかに人質をとったとはいえ、こちらの提案を頭からはねつけ、問答無用で襲ってくる可能性もあった。それを思えば、島への呼び出しというのは比較的マシな結果といえるだろう。
もっとも、実力を証明する方法も条件も記していないあたり、向こうに都合が良い条件なのは確かである。これでは、せっかく鬼ヶ島まで足を運んだのに無理難題を言い渡されて「やはり鬼人はこちらで処断する」という結果になることも十分にありえた。
人質にしたクライアの扱いにも言及していない。簡単に、はいわかりました、と返信できる内容ではなかった。
ただ、俺の頭の中に断るという選択肢はない。父が指示してきた日付が母の命日だったからである。
御剣家を勘当され、鬼ヶ島を追放された俺は、今日まで一度も島に足を踏み入れていない。勘当も追放も当主による処罰である。その処罰が撤回もされていないのに島に戻れば、待っているのは更なる厳罰だ。
母親の命日だからといって特別扱いを許してくれる相手ではない。だから、これまではイシュカで命日を迎えていた。
その父が明確に扉を開いたのである。意図はどうあれ、乗る以外の選択はありえなかった。
当然のように罠の可能性も考えた。たとえば、俺を鬼ヶ島に呼び出している間にイシュカに残ったスズメを狙うとか。
だが、罠というのは警戒する相手に仕掛けるものだ。あの父が俺のことを警戒するなど、それこそ天地がひっくり返ってもありえない。
なにより、父がどうしてもスズメを討たずにはおかぬと決めたのなら、一時的に鬼門の守りを緩めても青林旗士を派遣してくるだろう。わざわざ母の命日にあわせて一ヶ月も間を空けたりはしない。ゆえにこの推測は外れている。
他の可能性としては、そう、俺を島におびき出して斬る、というものがある。
イシュカにいる俺を殺そうと思えば、どうしても鬼門の守りから人員を割かねばならなくなる。しかし、俺を鬼ヶ島に招きよせれば鬼門の守備を減らさずに俺を討つことができる。
ただ呼びつけただけでは俺が警戒して出て来ないと判断し、母の命日に事寄せておびき出そうとしている――うん、いかにもありそうである。
さて、これについての対策だが、正直なところ「それならそれで一向にかまわない」というのが本音だった。
この推測が当たっていた場合、父の狙いは鬼人から俺に移っている。それは俺にとって歓迎すべきことだった。俺が早急に確保したいのはスズメの安全であって、俺の安全ではない。
向こうの狙いが俺ならば対処は簡単だ。ヒュドラを喰った今、一対一ならそうそう後れを取ることはないし、仮に父たちが多対一でかかってくるならそれもけっこう。それは連中が俺の強さを認めたということに他ならないからだ。
弱者は不要と吐き捨てて俺を見限った連中が、一対一ではとうていかなわないと判断して集団で襲ってくる――やばい、想像するだけでにやけてしまう。そうなったらあまりの愉しさに笑いが止まらなくなるかもしれない。死因、まさかの笑い死に。洒落にならないとはこのことである。
俺はくつくつと喉を震わせ、しばらくの間、愉悦の余韻を楽しんだ。
「さて、いつまでも笑っていても仕方ない。ま、あと一ヶ月あるわけだし、鬼ヶ島に関しては少し様子を見るか。書状で深読みさせておいて、裏でクライア救出に動いているかもしれないしな」
こちらも慌てる必要はなかった。クライアはティティスの深域に置いているので、居場所を突き止めることは難しい。
それに、今のイシュカに用もなく訪れる者などそうそういない。怪しい者を探し出すのはたいして難しいことではないだろう。
――いや、いっそクライアをイシュカに移して、そういった連中と接触させるのもいいかもしれない。
クライアが許可なくイシュカを離れれば、それは俺との約定を破ったということ。遠慮なく喰うことができるというものだ。鬼ヶ島に出向く以上、レベルを上げておくに越したことはないからな!
その意味でいえば、そろそろイリアに対する態度も決めておくべきだろう。あれも貴重な供給役候補だ。
そして、イリアとの関係を決めるということは、セーラ司祭とどういう関係を築くかを決めるということでもあった。
あの司祭様を本気で口説くとすれば娘に手は出せない。当たり前だが。
まったく、やることが山積みで困る。それに、厄介な話はまだあって――
「ドラグノート公の話も急いで手を打っておかないとな」
カナリア王国筆頭貴族の名前を出して、表情を引き締める。
ドラグノート公が伝えてきた用件は二つあり、その一つは公爵の次女クラウディアのことだった。
クラウディアを俺の家であずかる、という話が出たのは王都で慈仁坊を斬ったときのこと。もうずいぶんと昔のことのように思える。
この話はスタンピードの発生と共に延期になり、ヒュドラの出現によって正式に立ち消えとなった。さすがに今のイシュカに愛する娘を送ろうとする親はいない。公爵の手紙には丁重な謝罪の言葉が並べられていた。
これについていえば、俺の機嫌を損ねるかもしれないという公爵の懸念は無用である。俺としても、鬼ヶ島とのゴタゴタに公爵家を巻き込む気はなかったので、公爵からの手紙はわたりに船だったからだ。
それに、ヒュドラを喰って『竜殺し』となった今、公爵家の影響力を利用して冒険者ギルドを牽制する必要もなくなった。その意味でもクラウディアの件は問題なかった。
問題だったのは、手紙に記されたもう一つの用件である。
あらためていうまでもないが、今回の一連の出来事は王都ホルスにも伝わっており、貴族廷臣は事態の重大さと厄介さに青ざめているらしい。
公爵はそういった者たちを叱咤激励しつつ、事態の収拾に努めているそうだ。そして、数ある厄介事の中で公爵が最も重視したのは、ティティスの森とケール河を汚染しつつある毒の対処だった。
ヒュドラ本体が倒れたことで毒の拡大は防がれたが、残った毒の影響だけでも、カナリア王国を崩壊させるには十分すぎる。
この事態に対し、ドラグノート公は国外に解決手段を求めた。カナリア王国の南方に位置する聖王国。この国の南には、神代のヒュドラの死体が原因とされる広大な腐海が広がっているという。
これについては、俺も以前のバジリスク退治の折にきいたことがあったが、ともあれ、ドラグノート公は聖王国が腐海の拡大をふせぐ方法を知っていると考え、協力を要請する使者を派遣したそうだ。
この使者に対し、聖王国の教皇――聖王国では教皇が最高権力者らしい――はこころよく応じてくれたという。
教皇の話によると、聖王国が有する手段というのは大規模な結界魔術とのこと。
むろん、ただの人間がつくった結界では不治、不浄の顕現たるヒュドラの毒はおさえきれない。
必要なのは触媒である。
解毒の道具として古来から珍重されるのは犀角――動物の犀の角――であるが、普通の犀の角では触媒として不足をきたす。求められるのは犀角の効能を数十倍、数百倍にも高めた伝説級の獣の角。
すなわち、獣の王の角である。
獣の王といえば、一都市に匹敵する体躯を持つ超巨大モンスター。その大きさゆえに棲息できる場所はごくごく限られる。カナリア領内にかぎっていえば、ティティスの森やスキム山と並ぶ魔獣生息地――カタラン砂漠だけに可能性があった。
むろん、可能性があるというだけで絶対に棲息しているとは断言できないし、仮に棲息していたとしても、討伐するのは困難をきわめるだろう。
大量の兵、大量の物資、大量の輸送手段。それらをそろえるだけでも大変なのに、向かう先はいまだ総面積さえ測れていない人跡未踏の巨大砂漠である。最悪、すべての兵、すべての物資を一朝にして失うかもしれない。
「……ただでさえヒュドラだ何だで混乱している状況で、そんな大遠征はできないわな」
そうなると獣の王の角のかわりとなる品が求められるのだが、もちろんそんなものが簡単に見つかるはずがない――といいたいのだが、実のところ、俺にはひとつ心当たりがあった。
今、俺の家には額に強力な魔力媒体を生やした女の子が生活しているのである。それも二本。
鬼人の角が獣の王の角の代わりになるかはわからないが、駄目で元々、試してみようと考える者が現れないともかぎらない。
スズメの人権はカナリア国王じきじきに認められたもので、理不尽な要求に応じる義務などないが、事態が事態だけに暴走する者が出てくるかもしれない。
自分たちも手を尽くすが、そちらも身の回りに気をつけてほしい、というのがドラグノート公の言葉だった。
「暴走する奴は俺が叩っ斬ってやればすむことだが、本人にどう伝えるか……」
伝えれば、あの優しい少女が妙な自責の念をおぼえてしまうかもしれない。自分さえ我慢すれば、他の人たちが助かる――そんな風に考えて自分の角を折らないともかぎらないのだ。
それはなんとしても避けたい。いっそ俺がクラウ・ソラスに乗って獣の王を討ちにいってもいいのだが、今の状況でイシュカを長期間留守にするのははなはだまずい。それは子供でもわかる。
「俺が三人いればなあ。ひとりはクライアについて、ひとりはスズメについて、ひとりは獣の王を討ちにいく。これで全部解決するんだが」
らちもないことを口にしつつ、俺はぼりぼりと頭をかいた。
まあ、繰り言をいっていても仕方ない。今はできることから一つずつやっていこう。
まずは家にいる者たちの意識調査だな。とくにクライアに殺されかけた面々に、彼女と同じ屋根の下で暮らせるかどうか確かめておかないと。
俺は大きく伸びをしてから、勢いをつけて椅子から立ち上がった。
そして、両の頬をぱちりと叩く。ふと心づいて窓の外を見ると、雲ひとつない晴れ間が広がっている。その事実に、何故だか少しほっとした。