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幕間 鬼ヶ島にて④



「や! や! とおー!」



 鬼ヶ島唯一の都市である柊都しゅうとの中央、剣聖とその家族が暮らす屋敷の中庭に幼い子供のかけ声が響く。


 ゴズお手製の木刀を振るっているのは四歳になる御剣イブキである。むろん、木刀といっても青林旗士が振るうような本物ではなく、刀の形を模した玩具おもちゃである。


 ゴズが甥っこの四歳の誕生日に贈った木刀は、御剣家の司馬しばが精魂こめてつくりあげた逸品であり、柄飾りから鞘の紋様にいたるまで実にきめ細かい細工がなされている。


 イブキにとっては二つとない宝物であり、夜は布団の中にまで持ち込んで一緒に寝ている。母であるセシル・シーマは、危ないから寝るときは枕元に置いておくようにと言い聞かせているのだが、イブキは頑としてうなずこうとせず、母を困らせていた。


 そのセシルであるが、汗だくになっているイブキの着替えを取りに行っているため、この場にはいない。この場にいるのはゴズとイブキ、イブキの相手をしている女旗士(きし)。そして、もうひとり――



「ふふ、ずいぶんと張り切っていますね、イブキは」



 そういってゴズに微笑みかける女性の名を御剣エマという。


 両の瞳は青玉サファイアのごとく、腰まで届く髪は金糸のごとく。容姿のうるわしさ、肢体の美しさは人間というより精霊や女神を思わせる。


 エマは剣聖 御剣式部の正妻であり、次代の御剣家当主である御剣ラグナの実の母。実家はアドアステラ帝国屈指の大貴族パラディース家。つけくわえれば、ゴズの妹セシルは式部の側妾そくしょうであり、奥向きの序列では第一夫人であるエマの下におかれている。


 ゴズにとっては二重三重の意味で頭があがらない人物だった。



「は。なんとも腕白わんぱくで困ったことでござる」


「子供は風の子。腕白なのはよいことです。ラグナも、そらも、イブキくらいの年の頃はいつまでも外を駆けまわって帰ってこず、私と静耶を困らせたものです」


「はは、確かに。お二人をさがして何度屋敷の外を走りまわったことか、数えあげればきりがありませぬなあ」



 エマとゴズはなごやかな表情で思い出話に花を咲かせる。


 もし、第三者がこの場をみれば意外の念を禁じえなかっただろう。


 エマからみれば、セシルは式部の寵愛を競う恋敵であるし、セシルの子のイブキは、まだ幼いとはいえ、長じればラグナの地位を脅かすかもしれない相手。ゴズにいたっては、妹を主君のもとに送り込んで権力を握らんとする野心家である。


 実際、エマの周囲の人間はゴズやセシルを警戒している。ゴズにしても、セシルにしても、御剣家内部の権力争いに興味はないのだが、周囲の人間は「資格がある」というだけで疑いの目を向けてくる。


 その端的な例が昨夜のギルモア・ベルヒである。ベルヒ家は今代で築き上げた権勢を次代でも維持すべく、積極的にラグナに近づいている。ゴズを蹴落とすことができれば、一に司馬の地位を奪うことができ、二に将来の権力争いの芽をむことができる。昨夜の一幕の裏にはそういう面もあった。


 しかし、である。


 周囲の熱意とは裏腹に、肝心のエマ当人はゴズにもセシルにも好意的だった。イブキにいたっては、今日のように自ら足を運んでくるほどの可愛がりようである。


 もともと、エマ・パラディースはそういう女性だった。子供の頃から蝶よ花よと育てられたせいだろう、時に他者の目に「世間知らず」と映るくらい悪意というものにうといのである。多少の悪意など意に介さないくらいふところが深いともいえる。


 エマが御剣家に嫁いできた当初、式部の第一夫人には御剣静耶しずやがいたため、大貴族の姫たる身が第二夫人であることを余儀なくされた。生まれた子も嫡子から外された。


 普通の貴族の娘であれば、静耶に強い敵愾心てきがいしんを抱き、ことによっては第一夫人の座から引きずりおろそうと画策かくさくしたであろう。


 だが、エマは静耶を引きずりおろすどころか、積極的に言葉を交わし、いつの間にか友人と呼べる間柄になっていた。


 そんなエマだから、セシルに対しても、セシルの子のイブキに対しても、もちろんゴズに対しても敵愾心てきがいしんなど抱くはずがない。


 ゴズもそれを承知しているので、エマに対しては構えることなく話をすることができるのだ。


 と、そのとき、二人の耳に快活な女旗士の声が響いた。



「はい、今日のところはここまでです、イブキ」


「えー!? ぼく、もっと戦えるよ、アヤカお姉ちゃん!」


「そうやって疲れちゃった後で魔物がおそってきたら、誰がお母様を守るの?」


「う……」


「旗士たる者、いついかなる時も戦えるように体調をととのえておくのもお仕事です」


「はい、わかりました!」


「よろしい。ほら、お母様のところにいって汗を拭いてらっしゃい。このままだと風邪をひいてしまいます」



 そういって女旗士――アヤカ・アズライトが指差した先には、イブキの着替えを手に戻ってきたセシルの姿があった。


 イブキが駆け足で母親のもとに走っていくのを見送ってから、アヤカはエマとゴズのところにやってくる。


 そのアヤカに向かって、ゴズは軽く頭をさげた。



「すまぬな、アズライト。手数をかけた」


「なんの。イブキは私にとっても可愛い弟です。この程度のこと、手数でも何でもありません、司馬」



 アヤカはそういってにこりと微笑む。


 イブキはラグナにとって異母兄弟にあたる。そのラグナの婚約者であるアヤカにしてみれば、なるほど、イブキは弟のようなものだろう。


 これが他家のことであれば、たとえめかけの子であっても当主の一族として扱われるため、アヤカのように気安く接することは許されない。伯父であるゴズとて、本来ならイブキに膝をつかねばならない立場なのである。


 だが、御剣家では正妻の子以外は一族として扱われない。御剣の姓こそ許されるが、家督の相続権はないに等しい。これは母親の側も同様で、たとえば正妻であるエマは実家のパラディース姓から御剣姓にかわっているが、イブキの母セシルは今もシーマ姓のままである。そういう意味で正妻、側妾の区別は厳格であった。


 もっとも、その分、子育てに関しては母親の意向が優先される。また、側妾や側妾の実家には月ごとに十分な手当てが支払われる上、御剣の血を自家に取り入れる利益は有形無形ふくめて計り知れない。そもそも、側妾を出す家はそういったことを承知の上で娘を送り込むので、御剣家の扱いに不満を持つ者は皆無といってよかった。


 これはまったくの余談だが、御剣家の今代当主は側妾の数が多く、また側妾に産ませた子供の数も多いため、そういった者たちに支払われる金額はけっこうな額にのぼる。司徒しととして財務をつかさどるギルモアは、これについて折に触れて主君に諫言を呈している。ギルモアはギルモアで、阿諛あゆ追従ついしょうだけが能の佞臣ねいしんというわけではないのである。


 ともあれ、そういった事情でイブキはのびのびと成長しており、これまでのところ人格にねじれやゆがみは見られない。このまままっすぐに伸びていってほしい、と周囲の大人たちは目を細めてイブキの成長を見守っていた。


 と、ここでアヤカがゴズを見て口をひらいた。


「ところで、司馬。話はかわりますが――」


「む?」


そら、元気でしたか?」



 アヤカの声音は、あたかも昨日の献立をたずねているかのように自然なもので、ゴズに向けた眼差しにも動揺や緊張の色は見てとれない。


 アヤカは青林旗士として昨日の衆議にも参加していた。当然、ゴズの報告をきいている。


 見れば、エマもまたゴズに問うような視線を向けていた。


 前述したように、空の母静耶しずやとエマは友人といえる間柄だった。静耶が息を引き取るとき、空のことをお願いしますと頼まれてもいる。


 だから、エマは亡き友の忘れ形見の様子に常に気を配り、優しく声をかけ続けた。


 そんなエマの気づかいを拒絶したのは、むしろ空の方だった。


 母の死後に第一夫人となったエマは、幼い空からみれば母の居場所を奪った人。エマの子であるラグナとの確執もあいまって、幼い空はエマに隔意かくいを示すようになる。


 エマはそんな空の態度に理解を示し、離れたところから空の成長を見守ることにした。これは空ばかりを気づかう自分の態度が、息子ラグナの言動に影響を及ぼしていることに気づいたからでもあった。


 空が御剣家から追放されたとき、病に倒れていたエマはその事実を知らず、数日後、事情を知って血相を変えたことをゴズは知っている。


 めったに式部に意見しないエマが、このときばかりは懸命に空の処分の撤回を訴えた。


 ただ、むろんというべきか、式部の判断はくつがえらず、また、島を出た後の空の行方もようとしてつかめず、エマは静耶の墓前でうなだれることになる。


 その空の行方が五年ぶりに明らかになったのだ。元婚約者であるアヤカと同じか、あるいはそれ以上に、エマは空のことを知りたがっていた。


 アヤカとエマ、二人が朝からイブキのもとにやってきたのは、空のことをきくためでもあったのだろう。


 穏やかなはずの二人の視線になぜか気圧けおされるものを感じながら、ゴズはアヤカの問いにこっくりとうなずいた。



「うむ。元気であったことは間違いない」



 なにしろ、空装を出した自分がこてんぱんに叩きのめされたのだから。


 冗談半分、本気半分のゴズの言葉をきいたアヤカは、かすかに目を細めて、そうですか、とうなずいた。



「島を追放されたのに自力で心装までたどりついた。諦めの悪いところは変わっていないみたいですね」


「まことにな。かえすがえすも悔やまれる。若が――空殿が島にいるとき、わしが心装まで導くことができていれば、何も問題は起こらなかったというに」



 ゴズの嘆きにアヤカは小さく首をかしげたが、声に出して自分の考えを口にすることはなかった。


 かわりに口を開いたのはエマである。



「御館様は静耶の命日に合わせて空を呼ぶよう仰せになったそうですが、空は招きに応じると思いますか?」


「正直なところ、わかりませぬ。以前の空殿ならば間違いなく応じたでありましょうが、今の空殿がどのように判断されるかは――」


「空は来ますよ、奥方様」



 ためらいがちに応じるゴズとは対照的に、アヤカは鮮やかに空の行動を断定する。その力強さにエマは驚いたように目をみはった。


 ゴズが怪訝そうに問いかける。



「アズライト、なにゆえそう断言できる?」


「空は他の何を捨てても、静耶様との誓いだけは捨てません。もし、空が五年の間に静耶様との誓いを捨てていたら、心装に――同源存在アニマにたどりつくことはできなかったでしょう」


「ふむ。その静耶様の命日とあらば、何をいても駆けつけるに違いない、ということか」



 ゴズは腕を組んでうなずいた。イシュカで対峙したときの空の言葉を思い出したのだ。



『島を追放されてから五年。地べたをはいずりながらここまで来た。確かに、かつて望んだ姿じゃない。母さんは失望しているかもしれないな』



 母を失望させたかもしれぬという言葉は、母の望みをおぼえていない人間には口に出せない。


 御剣家を勘当され、鬼ヶ島を追放された空は、これまで母の墓にもうでることができなかった。


 今回の式部の言葉は、その禁を一時的に解くということに他ならない。何を措いても駆けつけるだろう、というアヤカの推測は正しいように思われた。


 その後、着替えを終えたイブキとセシルがやってきたことで空に関する話題は途切れた。


 三人はイブキとセシルを交えて雑談に花を咲かせる。


 イブキは初めこそ大人たちにあわせて静かに座っていたものの、やはり遊び盛りの子供にとっては退屈だったようで、すぐにもぞもぞと身体を動かし始めた。


 目ざとくそれに気づいたアヤカが「仕方ないな」といいたげにくすりと笑う。



「イブキ、お休みもとれたでしょうし、さっきの続きをしますか?」


「あ、はい! します、したいです、アヤカお姉ちゃん!」



 ぴょんと立ち上がって手をあげるイブキを見て、周囲の大人たちが自然と笑顔になる。


 だが、次のイブキの言葉をきいた瞬間、笑顔は別の表情にとってかわられた。



「ぼく、はやく強くなって、ゴズおじちゃんをいじめたやつをやっつけてやるんです!」



 ゴズが酢でも飲んだような顔で甥を見る。母であるセシルも似たような顔でわが子を見た。


 エマはかすかな困惑をにじませて頬に手をあて、アヤカは虚をつかれたように目を瞬かせる。


 イブキは「ゴズおじちゃんをいじめたやつ」――御剣空について詳しいことは何もしらない。ゴズにしても、セシルにしても、御剣家を勘当され、鬼ヶ島から追放されたそらについて、イブキにどのように説明したらいいのか分からなかったのである。


 イブキにしてみれば、傷だらけになって帰ってきたゴズの仇をうつんだ、という義憤からの発言だった。その発言が周囲の大人たちを動揺させるとは思ってもみなかった。



「……アヤカお姉ちゃん? どうしたの?」


「っと、ごめんなさい、なんでもありません。よし、それじゃあ今日はイブキに必殺技を教えてあげましょう。私と、私のお友達が編み出した究極の秘剣です」


「きゅーきょく? それってつよいの?」


「強いですよー? なにしろ究極ですからね! その名も蛇王じゃおう炎殺えんさつけん! 禁じられた竜の力をもって妖魔鬼神を焼き払う剣です!」


「わぁ……かっこいい! 教えて、お姉ちゃん、それ教えて!」


「わかりました。それじゃあイブキ、私についてらっしゃい。修行は厳しいですが、覚悟はできてますね?」


「はい! ぼく、がんばります!」



 目をきらきらさせて返事をするイブキ。寸前までの奇妙な空気は、すでに四歳児の脳裏から消えうせている。


 知らず、大人たちの口から同時に安堵の息がこぼれた。


 


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