第百八話 賢者の仮説
竜殺し。
それがイシュカに戻った俺に与えられた称号だった。人の身で竜を討つのは神代の英雄に匹敵する偉業。俺は冒険者として、戦士として、およそ考えられるかぎり最高の栄誉を手にしたことになる。
ただし「単身で」という部分は削除されているので、本来の実績からいうと四分の一に減ってしまった計算になる。
どういうことかというと、今回のヒュドラ討伐は四人パーティ――俺と鬼ヶ島の三人組――によるものだと認定されたのである。
まあ、ほんの数ヶ月前まで『寄生者』として蔑まれていた人間が、ひとりで竜種を討ったと主張しても疑われるのは当然だ。このところ名をあげてはいたものの、その大半は竜騎士としてのもので、つまり藍色翼獣の力によるところが大きい。
他方、鬼ヶ島の三人組は竜の咆哮以前からスタンピード鎮圧に尽力し、衆人環視の前で人間離れした力を見せつけていた。守備隊に参加していた兵士や冒険者からの信望は絶大であり「あの三人なら竜を討伐しても不思議はない」と思われていた。
結果、ヒュドラ討伐は四人の力によるもの、という結論に落ち着いたのである。
いちおうクライアを擁護しておくと、彼女は強硬にこの結論を否定したのである。自分たちはヒュドラ退治については何もしていない、すべて俺の功績である、と。
だが、これを素直に受け取る者は少なかった。ことに冒険者ギルドは、スタンピードの最中に三人組が俺の家でスズメを襲った事実を知っている。『寄生者』としての俺を知っているギルド職員の間では「ヒュドラを討伐したクライアたちが、先の一件の謝罪として俺に功績の一部を分け与えたのではないか」とまことしやかにささやかれていた。
襲撃の件を知っているなら、俺が三人を退けたことも知っていてよさそうなものだが、リデルあたりが報告しなかったのか、あるいはリデルはきちんと報告したのに報告を受け取った側が信じなかったのか。どうあれ、俺は戦闘の結果ではなく、交渉の結果として竜殺しの栄誉を得た、と一部の人間に思われているわけだ。
こういった連中は俺のことを偽・竜殺しと呼んだ。ヒュドラ戦に参加せず、功績だけを盗み取った偽物の竜殺し。
実に腹立たしい話であるが、実のところ、この手の誤解なり悪意なりを払拭するのは簡単だった。衆人環視の前で心装を抜き、今の実力を見せつけてやればいいのである。
クライアか、エルガートあたりを一蹴してみせれば、俺を嘲笑する輩の口に氷雪魔法を打ち込むことができるだろう。
だが、俺はその手段をとるつもりはなかった。
金持ち喧嘩せずとでもいおうか、ヒュドラから得た膨大な魂に比べれば、イシュカにおける名声など金貨の前の銅貨に等しい。望めばこの先いくらでも手に入るものを、むきになって追い求めようとは思わなかった。
なにより、今の俺にはやるべきことが山ほどあって、二つ名が『竜殺し』になろうが『偽・竜殺し』になろうが知ったこっちゃない、というのが正直なところだった――もちろん、俺を偽・竜殺しと呼んで貶めてくる輩に対しては、いずれ相応の報いをくれてやるつもりではあるが。
ともあれ、イシュカに戻った俺は、名声と悪評が競い合うように高まっていく状況の中で次なる行動を開始した。
その一つが龍穴の調査および幻想種の再誕に備えた監視である。これにはティティスの森を侵すヒュドラ毒の調査も含まれる。
一日二日で再び竜種が出現するとは思えないが、可能性がゼロではない以上、備えておかねばならない。
そんなわけで、俺はクライアと共にかつての蝿の王の巣に移り住むことにした。まあ、移り住むといっても、クラウ・ソラスに乗ってイシュカと深域を往復する生活なので、一日の半分くらいはイシュカにいるのであるが。
クライアを蝿の王の巣に置くことにした理由は三つある。
ひとつは、スズメとシール、それにミロスラフの心情に配慮したため。なにしろ、クライアはほんの数日前にスズメを襲い、シールを斬ったばかり。ミロスラフに至っては、二人を守るために自爆魔法を行使して瀕死の重傷を負っている。そんな相手と一つ屋根の下で暮らせ、なんて言えるはずがなかった。
もうひとつは、単純に戦力を計算した結果である。万が一にも幻想種が再誕した場合、これとまともに戦えるのは俺を除けばクライアだけ。俺がちょくちょくイシュカに戻ることを考えると、クライアにはティティスに常駐してもらう必要があった。
最後のひとつについてだが、これは龍穴とか幻想種とかとはまったくかかわりのない、俺の私的な目的のためである。俺もクライアもイシュカでは時の人だ。どこに行こうと、どこに居ようと、常に人の目がついてくる。自宅に閉じこもっていれば人の視線は遮断できるが、そうすると今度は絶え間なく訪問客が押し寄せてくる。
その意味で、蝿の王の巣は他者を排除できる最高の環境だった。ここであればミロスラフのときと同じように、思う存分、力のかぎり、朝から晩までクライアをいたぶることができるのだ! ――まあ、いたぶるというのは冗談だけれども。いや、正確にいえば、そうなる可能性もあるからまったくの冗談というわけでもないのだが、少なくともクライアが俺の命令に従っているかぎり、そして鬼ヶ島の連中が手出しをしてこないかぎり、白い髪の同期生を虐待するつもりはなかった。
ではクライア相手に何をするのかというと、一言でいえば仕合である。真剣でやりあうので死合でも可。
俺とは違い、試しの儀を超えて正式に幻想一刀流の門下に加わったクライア・ベルヒ。その彼女と本気でやりあうことで、我流に近い自分の剣を磨きなおす。
むろん、一口に本気といっても、心装を全開にした殺し合いでは技を磨くどころではないし、いってはなんだがクライア相手ではすぐに決着がついてしまう。
だから、互いに心装を使わないで戦う、あるいは勁技を使わずに純粋に剣技だけで戦う、さらには勁による身体強化さえ使わずにまったくの生身で戦う、といった具合に条件をつけて戦った。それに慣れてくるや、今度は俺だけ心装や勁技を使わない、というハンデ戦もおこなった。
俺にしてもクライアにしても、勁を用いることで長時間の戦闘が可能であるため、熱が入ると時間を忘れてしまうことがしばしばある。今日も今日とてそれが起こってしまい、気づいたときには限界を迎えたクライアが汗まみれでひっくり返っていた。
◆◆◆
「お帰りなさいませ、マスター」
クライアを背負って巣穴に戻った俺を出迎えたのはルナマリアだった。今、巣穴にいるのは俺とクライア、そしてルナマリアの三人である。
俺がここにルナマリアを連れて来たのは、ルナマリアだけが直接クライアと戦っていないからであった。ルナマリアが戦ったのはクリムトひとり。もちろん、だからといってクライアの存在に虚心ではいられないだろうが、少なくとも他の三人よりはクライアに対する恐怖心は薄いだろう。
それに、ヒュドラの毒に侵された深域や、最深部にある龍穴について、森の妖精であり賢者でもあるルナマリアの意見をききたかった、という理由もある。
そのルナマリアであるが、クライアを背負った俺の姿を見て一瞬で状況を察したらしく、困ったように小さく首を傾けた。
クライアが俺との仕合で体力気力を使い果たして倒れるのは初めてではない。その都度、俺はルナマリアに命じてクライアの着替えや汗拭きをやらせている。ルナマリアにしてみれば、いいたいことの一つ二つあるに違いない。
もっとも、ルナマリアは俺に対して不平不満を口にすることは一切ないし、仮に「もう少し彼女の体調を考慮してあげては」などといわれてもうなずくつもりはなかった。
こう見えて、俺はけっこう執念深いのだ。三人組がやったことを水に流してやるつもりは微塵もなく、ゴズとクリムトに関しては痛めつける形で報復してやった。クライアに関してそれをしなかったのは、クライアが自分から膝をついたという理由もあるが、その他にこういう形で役に立ってもらおうという心積もりがあったからである。もうしばらく、俺の稽古相手としての役割を果たしてもらわねばなるまい。
ちなみに、俺がイシュカに戻るときはルナマリアも一緒に連れて帰るので、巣穴に残るのはクライアひとりになる。当然、逃げようと思えば逃げられるわけだが、もし逃亡を試みた場合、稽古相手以外の役割が加わることになるだろう――魂の供給役、という役割が。
ぶっちゃけ、俺としても同源存在を宿す人間の魂を喰ってみたいので、わざと逃亡しやすい環境に置いているという面は否定できなかった。
そんなことをあれこれ考えていると、クライアの世話を終えたルナマリアが近寄ってきて真剣な顔で口を開いた。
「マスター、お話があります」
「話?」
やはりクライアのことか、と思ったが、それが間違いであることは次の一言でわかった。
「先日、連れて行っていただいた龍穴のことです。鬼ヶ島にあるという鬼門に関わることでもあります」
「む」
ルナマリアのいうとおり、俺はすでに一度ルナマリアを龍穴に連れて行っている。
これにはクライアも同行しており、先日の言葉の意味――龍穴を指して鬼門と呼んだこと――も聞き出していた。
といっても、クライアの話はかなりあやふやなもので、はっきりいってしまえば、目を覚ましたクライアは自分の発言をよくおぼえていなかった。龍穴にたどり着いた段階でかなり意識が朦朧としていたらしい。
クライアがおぼえていたのは、龍穴の近くに行ったときの感覚が、鬼門をくぐるときの感覚とよく似ていたこと。おそらく、それがあの『………………これは、鬼門?』という言葉の意味だったのだろう。
試しの儀を超えられなかった俺は、鬼門をくぐるどころか近づくことさえ許されなかったので、クライアの言葉の真偽はわからない。
ただ、土地の植生や魔獣の生態に大きな変化をもたらすなど、龍穴と鬼門にはいくつかの共通点がみられる。
俺はこういったことをルナマリアに伝えた上で龍穴に連れて行った。誰よりも早く俺の同源存在に気づいたエルフの賢者ならば、俺には気づけないことも気づけるかもしれないと期待したのである。
どうやらルナマリアはその期待にこたえてくれたらしい。
「今から申し上げるのは、推論というのもはばかられる思いつきです。そのつもりでおききください」
「わかった」
「まず龍穴についてですが、あれは大地の力が湧き出る噴出点です。あそこから溢れていたのは純粋な魔力の濁流。火山の噴火か、さもなければ堤が切れた大河のようなものだとお考えください。人の手で触れていいものではありません」
「そうか。可能であれば、あれを利用して深域のヒュドラの毒を消せたら、と思ったんだが……」
俺がいうと、ルナマリアはきっぱりと首を左右に振った。
「私たちがあれに触れれば、ヒュドラの毒以上の惨禍をまきちらすことになるでしょう。あの異常な魔力は、普通の植物や動物にとってまぎれもない毒です。マスターがご覧になった最深部の光景こそ、あれが毒である何よりの証といえるでしょう」
そういうと、ルナマリアは「ここからが思いつきの部分です」と断ってから話を続けた。
「私は見たことがありませんが、鬼ヶ島にあるという鬼門が龍穴と同じ働きをしているのなら、それもまた植物にとって、動物にとって毒であると考えられます」
「ああ。鬼門ができてから、島の植生が大きくかわったという話はきいている。魔物の強さも大陸とは比較にならない。すべて鬼門の影響だ」
「だとすれば、マスター。そこで暮らす人々にもなんらかの影響が出ているのが当然だとは考えられませんか?」
ルナマリアの問いに、俺は眉をひそめた。
相手の言葉が間違っていると思ったわけではない。こんな当たり前のことにどうして気づかなかったのか、と疑問を抱いたのである。
ただ、改めて考えてみれば、その答えは明白だった。実際に島で暮らしている人々に何の影響も出ていないことを、俺をはじめとした住民たちは知っているからである。
たとえば、人が突然魔物になっただとか、角が生えた赤ん坊が生まれてきただとか、そういった異常を耳にしたことは一度もない。
鬼門の影響は人間には及ばない、という認識が確立しているからこそ、鬼ヶ島の住民は安心して日々の生活を送ることができるのである。
そんな俺の意見に対し、ルナマリアは怖いほどに鋭い眼差しで訴えてくる。
「マスター、私は鬼ヶ島の住民を四人しか知りません。そして、その四人はいずれも常人とは比較にならない力を持った方々でした。マスターの内に棲む竜……マスターたちが同源存在と呼ぶその存在は、私の目から見れば異常だと映ります。私も弓を嗜む身です。一つの流派を極めた結果としてたどり着ける領域というのは確かに存在するでしょう。ですが、マスターたちのそれはあまりにも大きすぎる。人間という種を超えた力だと、そう思ったことはありませんか?」