第百四話 止まらぬ笑い
身体が熱い。まるで燃えているように。
今なお湧き出る勁は海の水のように尽きることがなく、全身の隅々まで行き渡っている。
酔いにも似た全能感が心と身体を包み込む。
今の俺ならば誰が相手でも勝てるだろう。竜でも、鬼神でも、剣聖でも――そんな確信が胸中を満たす。
気がつけば、俺は大声で笑っていた。
「ハハハハハハハハハハ!!」
たまらない。たまらない。たまらない。
頭のどこかで、冷静な自分が「慢心するな」と諌めている。心のどこかで、慎重な自分が「油断するな」と戒めている。
だが、その声に従おうとは思わなかった。それはもう、かけらも思わなかった。
大地が悲鳴をあげるほどの力を。大気が吼え猛るほどの力を。望めば、神さえ殺せそうな力を手にしたとき、どうして慢心せずにいられるだろう。
油断? おおいにけっこうじゃないか。だって、俺が油断の一つもしてやらなくては、目の前で呆然としているクリムトに勝ち目がなくなってしまう。
ちょうどいいハンデというやつだ!
「ハッハハハハ! クリムト、いつまでのんきに突っ立ってるつもりだ!?」
そういうや、俺は心装を真一文字に振るった。間合いの外なのでクリムトの身体には届かないし、颯で斬撃を飛ばしたわけでもない。文字どおりの意味で軽く振っただけだ。
それだけで勁が風を巻いて迸り、クリムトの身体を突き飛ばした。
「――くッ!?」
我に返ったクリムトが顔を歪めて後ろに飛ぶ。その姿は隙だらけで、追撃しようと思えばいくらでも追撃できたが、俺はあえてそうしなかった。油断と慢心の一環である。
慌てて体勢を立て直すクリムトの姿を、薄笑いを浮かべながら見やる。そんな俺の姿を見て、クリムトがうめくような声をもらした。
「………………空、お前」
「どうした? 顔色が悪いぞ、クリムト。お望みどおり、お前が知らない事実を――俺たちの実力差を教えてやったつもりだったんだが、わかりにくかったか?」
あからさまに嘲弄してやると、クリムトが、ギリ、と奥歯をかみ締めるのがわかった。
今の一刀、俺は踏み込んで斬りつけることも、颯で間合いの外から斬りかかることもできた。
俺の勁に圧されて自失していたクリムトは、そのどちらもかわすことができなかっただろう。
手加減された――それを自覚したゆえのクリムトの表情だった。
そんな相手に対し、俺は言の刃で追撃をしかける。
「きちんとこちらの意図が伝わっているようで何よりだ。で、何かいいたいことはあるか? クリムトだけじゃない。クライアも、ゴズも、いいたいことがあれば聞いてやるぞ」
そういってクリムト以外の二人を一瞥すると、ただでさえ白い顔を蒼白にしたクライアが震える声で応じた。
「……空殿、あなたは――あなたの同源存在はいったい何なのですか? 単身で幻想種を屠ったのです、レベルが上がるのはわかります。ですが、これほどの勁量、これほどの勁圧を放つのは八卦、いえ、四象レベルの同源存在でも不可能なはず…………!」
「八卦や四象では不可能なら、両儀か太極レベルなんじゃないのか? ま、詳しくは明日以降、自分の身体で確かめろ」
「……? それはどういう――」
クライアが不思議そうな顔をしたが、俺はそちらにかまわず視線をゴズに向けた。
さすがというべきか、ゴズはすでにこちらの力を読み取っているようで、数珠丸の力を使おうとはしていない。
数珠丸の力は心装能力の無効化であり、先の戦いではソウルイーターの力を封じ込まれた。
だが、今のソウルイーターに数珠丸の力は通じない。縛ることなど出来はしない。ゴズもそれがわかっているから抜刀しない。
畢竟、空装を用いるしかないゴズに、俺はけらけらと軽薄に笑いかけた。
「さあゴズ、はやく空装を出せ。ベルヒの二人も空装を出せるなら出しておけよ。出せないなら、心装を限界まで高めろ。スタンピードをおさえてくれた礼に、はじめの一分は攻撃しないでおいてやる。お前たちがいなければ、ここまでの力は得られなかった。これからの一分は俺からの感謝の気持ちだ」
「……空殿、それは幻想種の力を奪った、という意味でござるか? イシュカでそれがしの力を奪ったように」
「なんだ、今さら情報収集か? ああ、そのとおりだ。お前たちがティティスの魔物を押しとどめていた三日間で、俺は思う存分ヒュドラを喰らうことができた。この力はその結果だよ」
どうもありがとう、と丁寧に礼を述べる。むろん嫌味であるが、半分くらいは本心だった。
俺は再生を繰り返すヒュドラを倒すため、再生が不可能になるまで魂を喰い続けた。首を切っても、胴に風穴をあけても倒れない竜種を倒すためには他に方法がなかった。
そして、そのために三日三晩という時間が必要だったのである。
それだけの時間、ヒュドラとの戦闘に集中することができたのは間違いなくゴズたちのおかげだ。
礼の一つや二つ、情報の三つや四つ、惜しむものではない。むしろ、俺がどうやってヒュドラを倒したのか、心装の能力を含めた詳細を鬼ヶ島に伝えてもらった方がこれから先いろいろとやりやすくなる。
もう、実力を隠す段階は終わった。
「もう一度いう。はやく空装を出せ、ゴズ・シーマ。本気のお前を叩き潰して、俺はお前を超えていく。もう二度と、俺を憐れむことは許さない」
◆◆
「幻想一刀流 火狩!」
先陣を切ったのはクリムトだった。猛火が渦を巻き、凄まじい勢いで迫ってくる。
クリムトの心装 倶利伽羅は炎の神剣であり、当然のように火系統の技と相性がいい。クリムトが放った勁技はヒュドラ相手にも十分通用する威力を秘めていた。
もっとも、前述したように数珠丸による能力無効化は働いていないので、すべての勁技は俺にとってエサも同然。俺は右手一本で魂喰いを構え、正面からクリムトの攻撃を受け止めた。
すると、今度は横合いからクライアの気合の声がほとばしる。
「幻想一刀流 辻斬!」
放たれるのは轟然たる風の刃、それも複数同時だった。クリムトの心装が炎と相性がいいように、クライアの心装 倶娑那伎は風の技と相性がよく、威力は強烈だった。直撃すればヒュドラの首も吹っ飛ぶだろう。
仕掛けるタイミングも完璧だった。俺がクリムトの攻撃を受けている間ならば自分の技が無効化されることはないと踏んで、自分の勁技の発動をわざと遅らせたのだ。
いや、もしかしたらクリムトの方も、姉にこの一撃を打たせるために初手で派手な技を使ったのかもしれない。このあたりの連携の巧みさは姉弟ならではのものだろう。
――まあ、だからどうした、という話なのだが。
「カァ!!」
心装で受けられないなら別のもので受ければいい。俺は勁砲を放ってクライアが放った風を散らしにかかる。
今の俺が放つ勁砲は、字面どおり大砲の弾に等しい。俺の放った勁と接触した辻斬の刃は、数瞬の間、こちらの勁圧に抵抗するように空間をきしませたが、それも長続きすることはなかった。
四散する風刃を見て、ベルヒの姉弟が表情を歪める。それを見た俺は二人に嘲笑を浴びせようとして、三人目の姿が見えないことに気がついた。そんな俺の頭上から重々しい声が響く。
「幻想一刀流奥伝――」
顔をあげれば、そこには牛頭の神 牛王を思わせる甲冑姿が浮かんでいた。すでに空装を展開し終えたゴズは、手に持った偃月刀を高々と振りかざし――
「震の型 神鳴!!」
猛然と振り下ろした。
目を射るは雷光のごとき輝き、身体を貫くは落雷のごとき衝撃。回避を許さぬ圧力と速度をもって神速の雷刃が迫り来る。
勁砲を放つ余裕はなかった。それ以前に、たとえ撃っても無意味だっただろう。クライアのときとは逆に、こちらが押し負けるのは目に見えていた。
だから俺は、空いていた左手を頭上にかざし――
「ぐ……ッ!!」
ゴズが放った光の斬撃を真っ向から受け止めた。
いかに勁の守りがあるとはいえ、防ぎきれるものではない。血しぶきがはじけ飛び、親指とひとさし指の間に刃がめりこんでいく。
肉が裂ける、骨が砕ける、神経が切られる、激痛が全身を駆け巡る。偃月刀の刃はたちまちこちらの手首まで達した。切り落とされるよりマシとはいえ、これではもう左手は使い物にならないだろう。
正直なところ、今の俺だったら大抵の攻撃は勁だけで跳ね返せると思っていたのだが、本気を出したゴズにかかっては思い上がりに過ぎなかったようだ。
その事実を認識した俺は、こらえ切れずに哄笑を発した。
「ハッハハハハ!! すごいな、ゴズ! 今のはなんだ? 奥伝? 震の型? 見たこともない一撃だ! すばらしい一撃だ! これがお前の本気か!? あのゴズが……島でいつも俺を憐れみの目で見ていたあのゴズが、本気で俺と戦っているわけだ! 本気で俺に斬りかかってきたわけだ! ハハハハハ、アッハハハハハッ!!」
狂ったように笑いながら、俺は心装の力を発動させた。切り落とされた腕さえ復元する魂喰いの力をもってすれば、裂けた肉や砕けた骨、切れた神経を治すなどたやすいこと。
刃がめり込んだままの復元はめちゃくちゃ痛かったが、その痛みすら今の俺にとっては心地いい。笑いがどうしても止まらない。
あのゴズが俺に本気を見せた事実が嬉しくてたまらなかった。
その本気の一撃が、腕の一本も落とせないという事実がおかしくてたまらなかった。
あらためて実感する。俺はゴズ・シーマを超えたのだ、と。
――正直なところ、自分でもここまでゴズに対して屈折した感情を抱いているとは思っていなかった。
たしかに善意からの憐れみには辟易していたが、それも傅役として俺を大事にしてくれているからこそ、と理解しているつもりだった。
実際、イシュカで戦ったときはここまで感情の箍が外れることはなかったし――いや、そうか。あのときはなんだかんだ言いつつ、まだゴズの方が強かったからな。魂喰いとの同調を深めた後半は反撃に転じることができたが、直後にヒュドラが出現したせいで戦いを中断せざるをえず、ゴズを上回ったという実感は得られなかった。
今、俺はようやくその実感を得るに至った。ヒュドラとの戦いを経て、はっきりと自分がゴズの上にいると確信したことで、たまりにたまった過去の欝念が沸騰しているのだろう。
俺は刃がめりこんだままの左手で、ゴズの偃月刀をがしりと握り締めた。
それまで無言で俺の狂態を見ていたゴズの牛頭の兜が小さく揺れる。武器を手元に引き戻そうとしたようだったが、偃月刀はぴくりとも動かない。
「ぬ……」
ゴズがうめく。俺は喜悦の表情を浮かべながら、さらに偃月刀を持つ手に力をこめた。
ギリギリと。ミシミシと。何かがきしむ音がする。
「若……あなたは……」
「くく。その声、兜の下では冷や汗でも流していそうだな。じかにその顔を見るのが、今から愉しみだ」
さらに力をこめる、こめる、こめる、こめ続ける。すると――
パキ……ン、と。水晶を砕いたような、小さくも鋭い音がその場に鳴り響く。
ゴズの偃月刀に亀裂が走った音だった。
「ばかな……!」
「アッハハハハハ! 脆い、脆いなあ、ゴズ! 幻葬領域とやらはこの程度か? 幻想一刀流の神髄とやらはこの程度か!? 俺の驕りを打ち払うといった、あのしたり顔はどこに置いてきた!?」
いうや、俺は勁を左手に集中させ、これまで以上の力で一気に偃月刀の刃を砕き割った。
そして、左手が解放されるや、素早く身体を回転させて、おそらくは兜の下で唖然としているだろうゴズの腹に槍のような中段蹴りを見舞う。
勁で強化された一撃を受け、甲冑に包まれたゴズの巨体が宙を舞った。
俺は唇の端を吊りあげて笑う。攻撃を控えると約束した一分は、とうの昔に過ぎ去っていた。
【Tips】太極、両儀、四象、八卦
同源存在の格を示す位階。身もふたもない書き方をすれば、太極がS、両儀がAAA、四象がAA、八卦がAである。八卦が青林八旗の隊長クラスであり、四象に至れば剣聖になるのも夢ではない。なお、御剣家三百年の歴史で太極に至った(と認定された)のは初代剣聖を含めて三人しかおらず、そのうち一人は今代当主である。




