第百二話 終戦
「ハッハハハハ! どこへいくつもりだよ、幻想種!!」
その声はまるで雷鳴のようにティティスの森に、そしてその場で戦っているゴズたちの耳に響き渡った。
とっさに上空を振り仰いだゴズが目にしたのは、喜悦の笑みを浮かべながら黒刀を構える御剣空の姿。
勁で脚力を強化して飛びあがったのか、それとも空中に足場を築いて宙を駆けたのか。いずれにせよ、ヒュドラの直上に姿を現した空は、刺突の構えから猛然と切っ先を突き出した。
「幻想一刀流――鑽!」
それはゴズたちもよく知る幻想一刀流の基本技のひとつ。同じ基本技の颯が「飛ぶ斬撃」ならば、鑽は「飛ぶ刺突」である。
熟練の使い手が放てば、相手の身体に槍で突いたような風穴をあけることも可能だが、威力そのものは初歩の域を出ない。すくなくとも竜種相手に使うような技ではなかった。
クリムトなどは「何をやっているんだ」といわんばかりに舌打ちしたが、ゴズは空の判断に理解を示した。
空は正式に幻想一刀流を学んでおらず、扱えるのは初歩の技だけだ。その初歩の技さえ我流の域を出ない。心装を会得し、強大な勁を手にしようとも、それを活かす技がないのである。
相手が人間であれば強大な勁技がなくても問題はない。首を切る、あるいは心臓を突くのに大技など必要ないからだ。実際、ゴズもクリムトも空相手に不覚をとった。
しかし、ヒュドラのような巨大な魔獣を相手にするときは話がかわってくる。ただ斬る、ただ突くだけでは大きなダメージが与えられず、どうしても勁を十全に活かした大技が必要になる。
その大技がないとなれば、あとは時間をかけて敵の体力をそぎ落としていくしかない。
空もそう考えて、颯や鑽、あるいは焔といった基本技を使い、時間をかけてヒュドラを追い詰めていったのだろう。三日三晩続いた戦闘の意味も、ヒュドラの首が三本しか残っていない理由もこれで説明がつく――ゴズがそう考えたときだった。
風が吹いた。
髪を残らずかきあげるような、すさまじい突風だった。明らかに自然の風ではなく、上空から強大な力で圧迫された空気が、逃げ道を求めてゴズたちに向かって吹きつけてきたのだと思われた。
直後、ヒュドラの巨体に穴があく。空が放った勁技は、巨大な錐のようにヒュドラの背に突き刺さり、鋭く、深く、捻れながら鱗を、皮膚を、肉を抉りぬいていった。
「キシャアアァァアアア!?」
三本の首から同時に咆哮があがる。ゴズたちに攻撃されたときとは比較にならない音量と切迫感は、もはや悲鳴そのものだった。
それをきいた空が高らかに哄笑する。
「ハッハァ! どうした、反撃しないのか!?」
さらに一度。続けて二度。止まらぬ三度。
空中で、地上で、空は続けざまにヒュドラめがけて鑽を放つ。ゴズたちには目もくれず、苦悶にのたうつ幻想種の身体を容赦なく穿っていく。
ヒュドラはといえば、こちらもゴズたちには目もくれず、かといって空に反撃しようともせず、のたうちつつも南へ――先刻までと同じ方角に進もうとしていた。
それがイシュカを目指してのことではなく、追っ手から逃げるための行動だったことを、ゴズはようやく悟った。ゴズだけでなく、クリムトも、クライアも悟った。
この幻想種は御剣空から逃げようとしていたのである。
「ち、空のやつ!」
クリムトは舌打ちしつつヒュドラから距離をとった。同じ戦場で戦っているクリムトらにまったく斟酌せず、遠慮のない攻撃を繰り返す空をにらみつけるが、当の空はその視線にまったく気づいていない。あるいは、気づいていながら無視している。
一方、姉のクライアは空の態度ではなく、勁に注意を引かれていた。
「勁の量も、質も、先日戦ったときとはまるで別人ですね……」
遠くから見ているだけでわかる。空の身体を轟々と力強い勁が巡っており、それはアドアステラ帝国を縦断する大河――常河の流れを思い起こさせた。
四日近く幻想種と戦っている以上、いつ勁が尽きておかしくないはずなのに、今の空は少しもそれを感じさせない。今しがた戦い始めたといっても違和感がないその姿は、はっきりと異様だった。
異様といえば、今の鑽もそうである。
クライアの目から見れば、空の勁技は精妙さのかけらもない粗いもの。しかし、込められた勁の量と質が尋常ではなく、槍にたとえられる初歩の勁技が大砲のごとき威力を発揮している。
クライアも似たようなことはできるが、間違いなく空ほどの威力は出せないだろう。そもそも真似しようとも思わない。
もともと、颯や鑽といった初歩の基本技は「1」の勁をつぎこんで「1」の威力を引き出す技術なのである。言葉をかえれば、初歩の技に「10」の勁をつぎこんでも威力は「1」のまま。強引に「2」の威力を引き出すこともできないわけではないが、それはつまり「8」の勁を無駄に消費することを意味する。
そんな非効率的なことをするくらいなら、より上位の技をつかって「10」の勁から「10」の威力を引き出せばいいのである。
ところが、空はその非効率的な戦い方を大規模に実行している。たとえていうなら、初歩の技に「100」の勁をつぎこんで、むりやり「10」の威力を引き出しているようなものだった。
あまりに粗く、無駄が多い力技。だが、その力技を連発できる勁量は、はっきりとクライアをしのいでいる。レベル『51』であるクライア・ベルヒをしのいでいる。
なぜだか、背筋が震えた。
「司馬!」
みずからを襲った怖気を払うように、クライアは声を出してゴズの指示を仰いだ。このまま様子を見るのか、それとも戦いに加わるのか、その判断を求めたのである。
クリムトも姉にならってゴズに目を向けている。
これに対し、ゴズは声に出して二人に、そして空におのれの決断を知らせた。
「――空殿! 我ら三名、これより助太刀いたす!!」
ゴズにしても今の空の姿に思うところはあるが、今はその疑問を解くより眼前の幻想種討伐が優先すると考えたのである。
だが、空はこの声に応じなかった。
ちらと三人の方に視線を向けたように思われたが、それも一瞬のことで、次の瞬間にはヒュドラに切りかかっていた。
これまでのように、なぶるように遠距離から勁技を放つのではなく、接近した上での直接攻撃。素早くヒュドラに肉薄した空は、すくいあげるように下から上へ、黒刀を一閃させた。
勁すら使わぬただの斬撃。それだけで――
「ギィィィィイイイイイイィィィィ!?」
ヒュドラの首の一つが宙を飛んだ。
空の攻撃はとまらず、続けざまに三度、幻想種の悲痛な咆哮が鳴り響く。
八本の首と八本の尾、そのすべてを断ち切られ、ヒュドラは血みどろの肉塊と成り果てる。
ゴズが助太刀を申し出てから一分たらずの出来事だった。