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第百話 三日三晩



 イシュカの街は静まり返っていた。あるいは、おびすくんでいた。


 普段は大勢の人手でにぎわう大通りは閑散として猫の子一匹見当たらない。ティティスの方角から吹きつける風は砂塵をともなって荒れ狂い、建物が悲鳴をあげるようにきしんでいる。持ち主のいない子供の玩具おもちゃが、暴風に翻弄されてカラカラと地面を転がっていた。


 住む者のいなくなった廃墟のごとき光景。


 むろん、イシュカの住人がことごとく死に絶えたわけではない。また、一人残らず街から避難したわけでもない。多数の住人が南方に避難したのは事実だが、今なおイシュカに留まっている者も多い。


 だが、今のさびれた街の様子から、その事実を汲み取ることはきわめて困難だったろう。多くの人々は貝のごとく建物に閉じこもり、ひたすら嵐が通り過ぎるのを待っているようだった。



 最初の竜の咆哮(ドラゴンロア)が轟き渡ってからすでに三日が経過している。



 咆哮によって恐慌におちいっていた者たちの多くは正気を取り戻し、一時は壊乱状態だったスタンピード防衛線も強力な援軍によって持ち直した。もっといえば、この時点でティティスからあふれでた魔獣の大半は討ちとられており、ことスタンピードに関していえば、事態ははっきりと終息に向かっていた。


 にもかかわらず、イシュカの街が廃墟のごとく静まり返っているのは何故なのか。その理由はほどなく発生した地響きによるものだった。



 ――ズ……ン、ズゥ……ン、ズズゥゥ……ン



 突きあげるように三度、跳ねるように地面が揺れて、イシュカ中の建物が大きくきしむ。イシュカを守る長大な城壁さえ耐えかねたようにぐらぐらと揺れた。


 地響きは一度ではおさまらなかった。やや間を置いて一度、少し間をおいて二度――それでもとまらず、次は五度。


 地震と呼ぶにはあまりに異常な規模と頻度。常であれば、人々はおおいに怪しみ、また騒ぎたてただろう。


 しかし今、イシュカの住民の多くは諦観をもってこの異常を受け入れていた。この異常がはじまったのは最初の竜の咆哮(ドラゴンロア)の少し後――つまりもう発生から三日が経過していることになる。


 その間、地響きは昼夜の別なく繰り返された。三日間、絶えることなく続く地震が自然現象でないことは子供でも理解できる。


 止まない地響きは咆哮の主(ドラゴン)がまだ生きていることの証。であれば、戦うすべを持たない者たちがとれる対応など、諦めるか、逃げ出すかの二つくらいしかない。逃げ出せる者はとうに逃げ出している。イシュカが諦観の色に染まったのは必然だった。


 そんな状況だったから、政庁や冒険者ギルドがスタンピードの終息を伝えても歓声があがることはなかった。打ち続く地響きは「まだ何も終わっていない」という竜の嘲弄に等しく、住民たちは眠れぬ日々を余儀なくされた。


 物流は止まり、商店は開かず、備蓄を食い潰せば次には飢えが待っている。それ以前に竜が直接襲いかかってくれば、人間など虫けらのごとく潰される。先の見えない不安、緩慢に迫り来る死の恐怖。地響きゆえに夜も寝られず、寝られたとしてもすぐに叩き起こされる。


 衰弱の一途をたどる住民たちはただ祈るしかなかった。冒険都市イシュカの誇る精鋭が、一刻も早く事の元凶を撃破してくれることを。




 ――そのころ、都市戦力の一角を担う冒険者ギルドでは、受付嬢リデルがギルドマスターであるエルガートに向かって一つの報告をおこなっていた。



「マスター、防衛線のパルフェから連絡がありました。くだんの三名が防衛線を離れてティティスの森に向かったとのことです。どうやら竜が潜んでいる朱の竜巻に乗り込むつもりのようだ、とパルフェが申しております」



 件の三名とはもちろんゴズ、クリムト、クライアのことである。


 この三日――いや、その以前からの活躍を含めて、スタンピードの魔物を食い止めることができたのは三人あってのこと。もし、彼らがいなければ防衛線が早期に破られていたことは疑いなかった。


 リデルの報告をうけたエルガートはゆっくりとうなずく。



「そうか。次の波が来ることはないと判断して、元凶のもとに向かったのだね」


「そのようです。しかし、目的はどうあれ、独断での行動はつつしんでいただきたいところです」



 三人の離脱に苦言を呈するリデル。自身の不注意によるところも大きいとはいえ、ソラ邸での暴挙を目の当たりにしたリデルは三人に対して好意的ではいられなかった。


 これに対し、エルガートはわずかに目を細めて応じる。



「許可を求めるだけ無駄だと考えたのだろうね。実際、スタンピードが終息しつつあるというのは希望的観測に過ぎない。この状況であの三人の離脱を許すような余裕は、我々にはなかった」



 三人はそれがわかっていたから独断で動いたのだろう――そう考えるエルガートの顔には色濃い疲労が張りついている。


 常に瀟洒な装い、優雅な振る舞いを崩さないギルドマスターも八重咆哮(オクテットロア)以降の狂騒は心身にこたえるものがあった。


 この三日、エルガートは眠ることはおろか椅子に腰をおろす暇もなく、政庁とギルドと市街をめぐって事態の収拾に奔走してきた。特に騒乱当初、咆哮によって政庁の重鎮たちの多くが倒れ、イシュカの都市機能は完全に麻痺していたため、エルガートの双肩にかかる負担は相当なものだった。


 そんな中、エルガートは混乱する職員と冒険者をとりまとめ、彼らを市街各所に配して治安の維持に努めた。むろん、部下に任せるだけでなく、エルガートみずからも外に出た。


 冒険者ギルドのマスターにして第一級冒険者であるエルガートは、イシュカでも指折りの有名人である。当然のように政庁の役人や市街の豪商、正規軍の指揮官たちに顔がきく。エルガートは彼らと連絡をとり、協力をとりつけ、臨時の命令系統を構築し、ともすれば吹きこぼれそうになる破滅の鍋にふたをし続けた。


 この奔走がなければ、イシュカの混乱は歯止めがきかず、市街での略奪、暴動の発生さえありえただろう。


 そして、この奔走の間、壊乱状態だった防衛線を支えたのがゴズたちである。もしゴズたちがいなければ、エルガートは混乱の収拾よりも魔物の排除を優先せざるを得ず、結果としてイシュカ市街の混乱は今の数倍、ことによると数十倍にまで膨れあがっていたかもしれない。


 さらにいえば、エルガートが前線に出たところで三人ほどの圧倒的戦果を挙げることはできず、おそらく防衛線は崩壊していたと思われる。そうなれば、イシュカは内憂外患によって一朝で滅び去っていたに違いない。


 今、まがりなりにもイシュカが存立しているのは間違いなく三人の功績によるところ。それを思えば多少の自侭じままには目をつむらなければならない。敵前逃亡したというならともかく、元凶の排除に向かったのならば尚更なおさらだ――エルガートはそう考えた。


 だが、それを眼前のリデルに告げようとはしなかった。リデルは聡明な女性だ。この程度のことはエルガートが口にするまでもなく理解しているはずだった。


 では、どうしてリデルは三人をとがめるような物言いをしたのか。


 それだけソラ邸での振る舞いに腹にすえかねるものがあったから――それは確かだろう。だが、それが理由のすべてではない、とエルガートは推察した。


 おそらくリデルは、あの三人に対して怒る以上に警戒しているのだ。ある意味、スタンピードの魔物よりもずっと。それは同時にエルガートの心理でもあった。


 この三日の間、エルガートは一度だけ防衛線におもむいて三人の戦いを目の当たりにしてる。数さえ知れぬ無慮無数の魔物たちを、文字通りなぎ払い、切り散らし、焼き尽くすその姿は、第一級冒険者の目から見ても異常だった。リデルは同じものをソラの邸宅で見て、警戒の念をおぼえたに違いない。


 望めばスタンピードさえ防ぎとめる力の持ち主。彼らがその気になれば、イシュカ市街を灰燼かいじんすることも可能だろう。


 これを妄想と断じることはできない。何故といって、あの三人は独自の価値観に基づき、イシュカに居住を許された鬼人の少女と、彼女を守ろうとした者たちに刃を振るったからである。


 そのあたりの事情はいまだに判然としないが、リデルの報告によれば、三人は制止を振り切り、都市の法よりも自分たちの法を優先させることを明言したという。


 そんな無法者が絶大な戦闘力を有しているのだ。リデルならずとも警戒するのが当然だった。繰り返すが、エルガートもリデル同様、三人を警戒している。


 ……ただ、実をいえば、エルガートの思考における三人の比重はそれほど重くなかった。三人よりもはるかに警戒する相手がいたからである。リデルの報告にあったもう一つの事実。あの三人を退けたのは、ギルドを除名された元第十級冒険者だった――



「またしても君か、ソラ」



 エルガートはった眉間をもみほぐしながらつぶやく。このところ、ギルドに問題が立ち上がるたび、きまってその名前がからんでくるのだ。


 今のソラが『寄生者パラサイト』でもなければ、レベル『1』でもないことはエルガートも理解している。


 ギルドを除名された時期を境に、ソラは急激に実力を高めている。それはわかっていたのだが、スタンピードを阻めるほどの実力者三人が、そろってソラに苦杯をなめるほどの域に達しているとは思っていなかった。



「私の考えていた上昇幅と、実際の上昇幅は、それこそ天と地ほども離れていたということか。さて、神が降りたのか、魔が憑いたのか……」


「マスター、何か?」



 怪訝そうにリデルに問われたエルガートは、小さくかぶりをふって「なんでもない」と応じる。


 そこから、再びソラについての思索を再開した。


 リデルによれば、ソラと三人は知己であり、おそらく同郷であるという。ソラの勝利のかげに三人の手加減ないし躊躇が存在した可能性は否定できない。


 だが、それを考慮してもソラの成長の早さは比類がなかった。


 そのソラであるが、三日前、藍色インディゴ翼獣ワイバーンに乗って北へ向かったことが確認されている――そこまで考えたとき、不意にギルドの建物が揺れた。



「――む」



 揺れを感じたエルガートはわずかに眉根を寄せる。頑丈なギルドの建物がぎしぎしときしみ、少し遅れてズゥ……ン、ズゥ……ン、という地響きがきこえてくる。


 一月前ならば、すわ魔物か、すわ地震かと大騒ぎになっているところだが、今のイシュカは諦観のうちにこの異変を受け入れている。


 エルガートは窓辺に歩み寄り、外を見やった。


 今、イシュカの住民のほとんどは打ち続く地震と、三日前の咆哮を結びつけ、おそるべき魔獣が都市の近くで暴れていると考えている。地震が続くことは魔獣が生きていることと同義。それゆえ、誰もが早く揺れがおさまるようにと願っていた。


 だが、エルガートは他者とは異なる視点でこの地震をとらえている。



「たしかに、打ち続く地響きは魔獣が生きていることを示している。だが、同時に、魔獣に挑んだ者が健在であることの証左でもある」



 そうとでも考えなければ、魔獣がティティスの森に留まっている理由が説明できない。


 一時間や二時間ではないのだ。魔獣が三日三晩、何の理由もなくティティスから動かなかったと考えるよりは、何者かと戦っているため、今いる場所から動こうにも動けなかったと考えた方が納得がいく。



「三日前に響き渡ったのは間違いなく竜の咆哮(ドラゴンロア)。であれば、あの朱色の竜巻の向こうにいるのは幻想種たる竜と考えるべきだろう。ソラ、君はその竜を三日三晩にわたって食い止めてくれているのか?」



 もしそうだとすれば、ソラの力は想像を絶している。信じがたいほどに。


 しかし、それでも人間である以上限界は存在する。地響きの頻度からして、ソラはこの三日、寝ることはもちろん、飲み食いすることさえできていないはず。いつ地響きが止まってもおかしくない。


 おそらくは命をけずって竜と死闘を繰り広げているソラのことを思い、エルガートは憂うように眼差しを伏せる。


 ソラが冒険者ギルドに敵意を抱いていることは知っている。その原因をつくったのが自分であるという自覚もある。除名の件はともかく、『隼の剣』をめぐる対応は恨まれて当然だった。エルガートに気遣われても、ソラは疎ましげに顔をしかめるだけだろう。


 それでも、エルガートはソラの無事を祈らずにはいられなかった。


 勝てぬと知って、それでもなお誰かのために竜に挑んだ若者の無事を祈らずにはいられなかった。



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