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十番勝負 その十八

第二十七章 弥兵衛の死


 いいことは続かず、悪いことは重なるものである。

 弥兵衛が死んだ。おせきが死んで、半年ほど経った頃であった。

 頑健そのものであった弥兵衛が急に痩せ始めた。

 「弥兵衛よ、お前、この頃随分と痩せたなっし。どこぞ、躰が悪いのけ?」

 三郎が久し振りに顔を見せた弥兵衛の痩せかたに気付き、驚いて言った。

 「へえ、このごろ、はらのここいらあたりにしこりができ、時々いたむんだっぺ。どうも、食もすすまず、どんどんと痩せていくっぺ。おかしなことで」

 「弥兵衛よ、儂が費えを払うから、一度、城下に行き、医者に診てもらったらどうだっぺ。葬式がえりの医者ばなし、になったら取り返しがつかないべよ」

 「へえ、だんなさま、ありがたいおことばで、なんともはや、身にあまっぺよ」

 医者に行ったかどうか、確かめる間も無く、弥兵衛はどんどん痩せていき、頬もこけて骸骨のような姿になってきた。 そして、もう、起き上がることも出来ず、一日中、薄暗い家の中で寝たきりとなってしまった。


 或る時、弥兵衛の妻のおかめが三郎を呼びに来た。

 いよいよ、駄目になってきました、と涙ながらに話すのだった。

 三郎は大急ぎで弥兵衛の家に行った。

 弥兵衛は三郎の姿を見て、おかめが止める手を振り払って、起き上がった。

 「だんなさまにわざわざお越しねがったんでは、寝てはいらんねえだよ」

 「弥兵衛よ、そんなことを言わずに、おかめの言うことを聞いて、寝ていたほうがよがっぺ。そのほうが随分と楽だっぺ。無理をしても、わしは嬉しくないぞい」

 「だんなさま。弥兵衛はもういちど、だんなさまとむしゃしゅぎょうの旅にいきとうござんした。けんど、もうそれはかなわぬことだっぺね。いまでも、ときどき、ゆめにみやす。だんなさまとの旅はたのしゅうござんしたよ。おらはもう死ぬけんど、だんなさま、おかめとせがれたちを、よろしゅうたのんます」

 そう言うのが、弥兵衛にとっては精一杯であったようだ。三郎の顔を見て安心して気が緩んだのか、横になり、にこりと笑みを浮かべたまま、息を引き取った。


 烏がどこかで鳴いている。あたりは既に、夕暮れが忍び寄っていた。葬儀が済んで、三郎は弥兵衛の墓柱の前の石に腰を下ろして、ぼんやりと弥兵衛に語りかけていた。

 「弥兵衛よ、お前、死ぬのが早すぎっぺ。お前は、よく言ってたではなかっぺか。つんだす物はべろでもいや、と。けちんぼのお前が、これほど早く、自分の命を閻魔さまにくれてやるなんて、儂には考えられねえことだっぺよ。あれほど元気だった、お前がこんなにもあっけなく死んで、この世から居なくなってしまうなんて、儂には信じられねえ。お前が死んだ後、儂は誰と武者修行に行けばよかっぺか。儂の馬の面倒を見、儂の試合をじっくり見た後で、理屈と膏薬はどこへでもつくとばかり、時には屁理屈も多かったけんど、結構いいことを言ってくれたお前は本当にありがたい旅の連れであった。お前をただの下僕だと思ったことは一度もねえんだ。十歳上の、ちょっと抜けたところがある友と儂は思っていたんだ。お前が死んでしまった後は、儂はもう武者修行の旅に出れねえじゃねえかよ。いったい、どうしてくれるんだよ、なあ、弥兵衛よ。とどのつまり、木の実は木の下に落ちる、ということで儂にこのままここに落ち着けということだっぺか」


 「弥兵衛よ。おせきと与三郎が心中をしてしまった時に、お前がみんなに語りかけた、あの言葉を儂は決して忘れねえ。あの言葉は、本当に嘘偽りのねえ、人としての言葉であったぞ。言葉はおおむね無力だけんど、時として、人の心を動かす時は、強い力となるんだ。弥兵衛よ、あの時のお前は本当に惚れ惚れするほどいい男だった。みごとな男であったぞ。男として、儂の手本になってくれた。ありがとうよ、弥兵衛」

弥兵衛が死んで、妻のおかめも元気を無くしたのか、めっきり皺が増え、腰も曲がってきた。

 しかし、二人の男の子は揃って働き者で親孝行であった。

 おかめはたくさんの孫にも恵まれ、天寿を全うしたと云われている。


第二十八章 人生も秋の季節にさしかかり


 弥兵衛の死後、三郎は独り縁側に座り、足の爪を切ったりして、日向ぼっこをするのが多くなった。また、ぽかぽかと暖かい縁側で、座ったまま、船を漕ぐことも多くなった。

 そんな時、いつの間にか、三郎に寄り添い、三郎の寝顔を静かに見詰めているおまきの姿があった。おまきだけが三郎の心の慰めとなっていた。

 「なあ、おまき。お前ももうそろそろ二十歳になるなあ」

 「うん、旦那さまとは、十八違い」

 「そうか、儂とは十八も違うのか」

 「でも、旦那さまは時として、十歳かそれ以上、若くなる時がございます」

 「そうか。でも、若い頃はそれと反対のことを言われたぞい。たしか、弥兵衛、であったかなあ。だんなさまはおいらより十歳も若いはずなのに、時として十歳上のおいらと同じ齢に見える時があるとな」

 「弥兵衛さんがそんなことを」

 「その時、儂は弥兵衛に何と言ったと思う?」

 おまきは静かに頭を振った。

 「降参か。それでは、教えてやる。儂は、弥兵衛にこう言ったのじゃ。儂は忍びの術も会得している。忍びの者ゆえ、背丈も自由に変えられるし、齢も自由に変えられるのじゃ、とな」

 と、言いながら、三郎は立ち上がり、背丈を大きく見せたり、小さく見せたり、年寄りの顔をしたり、子供の顔をして、その変化振りをおまきに見せた。

 まあ、おかしな旦那さま、と言いながらおまきは笑い転げた。


 しかし、暫くして、おまきが縁側から去っていくと、また寂しさがじわじわと三郎の周りに忍び込んできた。まあ、人生とはこんなものかい、儂の一生も随分と面白いものであったが、今となっては、おまき一人がわしの無聊を慰めてくれるだけになってしまったのか、おまあさま、吾平、弥兵衛、おせき、みんな死んでしまった、と三郎は諦念にも似た寂しい感慨を抱いた。人はこのようにして老いて、死んでいくのか。

 庭の木も大分、葉を落とし、淋しい枝ぶりとなっていた。

 もうすぐ、冬も来るらしいな、と三郎は庭の落ち葉を眺めながら思った。


第二十九章 三郎とおまきの婚儀、三郎の出陣


 翌年の春、三郎はおまきを妻に迎えた。

 三郎は急に若々しくなった。若々しくなったのはいいが、おまきを悩ませることも出来た。

 気力が(みなぎ)り、佐竹義重が岩城親隆と諮り、棚倉に出陣し結城氏と戦った際、三郎は岩城氏を寄親として、その寄騎衆の一人として参陣したのだった。

 三郎にとっては初めての出陣となった。

 武器蔵の中に入り浸り、備えあれば患え無し、とばかり、武器の点検を始めた。

 「旦那さま、この鎧はどうだっぺか」

 「正太郎、その鎧は大鎧だっぺよ。今時、そんな鎧を着て、戦さをするもんかよ。おお、この胴丸がよがっぺ」

 武器蔵を漁り、胴丸鎧を見つけ出し、埃を払って着用した上で、『天下一兵法者』と大書した旗指物を背負った。いささか、滑稽だが、本人はいたって大真面目であった。


 そして、参陣の際、南郷屋敷で古式に則り、三種の肴と三献の盃で祝う出陣式を執り行った。

 挙句の果て、兜持ち、槍持ち、旗指物持ちを小作の百姓から選び、俄か仕立ての従卒にして、勇躍出陣した三郎であった。出陣に際して、村内を馬に乗って、悠然と練り歩いた。

 村の者は皆、あっけにとられて、三郎たち一行を茫然と見詰めるばかりであった。

但し、勇躍出陣した、その戦いでは、三郎の得意とする斬り合いはほとんど無く、礫合戦が主体となり、その際、三郎は額に敵の石礫を受け、あっけなく負傷して引き下がった。

「兜が暑くて、脱いでおったのをつい忘れて、突撃してしまった。兜さえつけておれば、むざむざ礫などを額に受けはしなかったものを」

残念、無念と三郎は額をさすりながら唸って言った。

 また、鉄砲の威力も知った。鉄砲は弾の持つ威力だけで無く、その音の凄まじさは三郎を驚かすに十分であった。三郎が乗った馬はおおいに怯え、危うく、三郎は馬上から振り落とされるほどであった。戦さの途中から屋敷に引き返した三郎は包帯を巻いた頭を振りながら、おまきに語った。

 「もう、刀を振り回して雌雄を決する戦さは終わったわ。これからの戦さで重きをなすは、騎馬武者を撃退する長槍隊と、遠くから弾を放つ鉄砲隊の二つよ」

 

そして、陣羽織を脱いだ。

 陣羽織をじっと見詰めた。鮮やかな陣羽織であった。今は亡きおまあさまが三郎のために、ひと針、ひと針、心を込めて縫ってくれた陣羽織であった。

 儂はこの陣羽織を着るために、この年になってと、皆に訝られながらも出陣したのだ、おまあさまもきっと極楽でおいらの武者姿を観たに違いない。

 きっとまた、ころころとお笑いになって、三郎殿、なかなか似合いまするぞ、岩城随一の武者でありまする、と仰せになられているかも知んねえな、と三郎は思った。


第三十章 千寿丸


 おまきを妻に迎えた翌年、男の子が誕生した。

 三郎は南郷家代々の嫡男の名である三郎という名を譲ることとしていた。

 幼名は千寿丸、元服後、南郷三郎博雅という名を名乗る南郷家の嫡男である。

 そして、三郎は千寿丸元服後は、伊織正清と名乗るつもりであった。

千寿丸は健やかに育った。武芸は五歳を迎えた頃から、三郎が教え始めた。

 親の欲目かも知れんけんど、千寿丸はなかなか筋が良い、儂を越える武者になっかも知んねえぞい、と三郎はおまきに語った。教える師匠もまた、良い師匠なのじゃよ、とも語った。

 聞いたおまきはころころと笑った。

 

三郎と千寿丸には後日談が残っている。

 千寿丸が十歳を迎えた時のことである。三郎は五十歳になっていた。

 三郎は、千寿丸を居室に呼び、父子二人きりで語る時間を持った。

 三郎は畏まる千寿丸と相対して座った。千寿丸は父の眼をまっすぐに見詰めていた。

 おかしなことであるが、この子はどこかあのおまあさまの面影を宿している、と三郎はふと思った。生んだおまきには心苦しいが、それゆえ、よけい愛しいのかも知れない、とも思った。

 

三郎は少し笑みを含んだ顔で静かに語りかけた。

 「千寿丸、そなたも、はや十歳になった。儂が父に死に別れたのは七歳の時であった。その時はまだ、死というものがどのようなものであるのか、実のところを言えば、あまりよくは知らなかった。勿論、漠然とは知っていたが、死の持つ深い意味までは知ってはいなかったということじゃ。父が儂の前から姿を消し、居なくなってしまったということは事実であったが、死というものが持つ本当の意味を知ることが出来なかったのじゃ。孔子さまが言われたように、いまだ、生を知らず、いずくんぞ、死を知らん、ということは真実であろう。逆に言えば、人生を長く生きれば生きるほど、死というものの存在の持つ意味を知っていくのかも知れない。幸いにして、そなたは未だ身近な者の死を見てはおらん。だが、儂は今までの人生の中で、多くの死を見て来た。父と母、この家の家宰であった吾平、儂の武者修行の際の良き連れであった弥兵衛、奉公人であったが、心無い者たちによって心中に追い込まれてしまったおせきと与三郎、わしが秘かに想いを寄せていたおまあさま、剣術の良き友であった松永景春、武術の師匠であった細川さま、今川さま、他、このように眼を閉じれば、幾多の亡くなった懐かしい顔がまざまざと脳裏に浮かんでくるのじゃ」


 三郎はじっと千寿丸を見詰めた。

「そなたもやがて、この父の死を見ることになろう。五十を迎える儂に残された寿命はそれほど長くはあるまい。死は避けることが出来ぬ唯一絶対のものである。まだ、そなたの人生は十年に過ぎないが、人生は旅に似ている。旅には始まりと終わりがあるように、人生にも始まり、すなわち、生と、終わり、すなわち、死がある。人生は必ず死を以て完結を見るのじゃ。言い換えれば、人生においては、確実な現実が一つある、ということじゃ。それは、生れ落ちた限りは、いつかは死ななければならないという確実な現実がある、ということじゃ。今、そなたに言っておきたいことがある。少し早いが、父の遺言として、心して聞いて貰いたいと思っているのじゃ。このように、二人きりで語り合う時間があるということはまことにありがたい。言いたいことは三つある」


千寿丸はじっと三郎を見詰めた。

「一つは、父亡き後は、母を大事にすること、ということじゃ。孝行は子としての最大の務めである。これを忘れぬよう。そなたを生み育ててくれた母のおまきを大切にすることじゃ。二つめは、まだ早いとは思うが、恋した女があれば、その女の愛を得るために積極果敢に行動をする、ということじゃ。愛と戦さでは、全てのことが正当化される、という格言もある。あらゆる手段を尽くし、全力を傾けて、勝つために行動するということじゃ。忍ぶ恋は駄目じゃ。そなたの母のおまきには済まぬことではあるが、この父にも叶わなかった恋がこれまで二つある。いずれも、苦い後悔を伴う恋として、今も胸を疼かせておるのじゃ。歳月は決してその苦さを消してはくれぬ。いや、むしろ、苦さは増すばかりじゃ。父は今このような齢になっても、その苦さを独り噛み締める時があるのじゃ。そなたに、そのような苦さを味わっては欲しくないと思うのじゃ。愛、恋には果敢でなければならない。これを忘れぬよう。三つめは、今生きている、その時を大事にして悔い無く生きよ、ということじゃ。人はいずれ死ぬるもの。こればかりは、なんぴとなりとも避けることはかなわぬ。死ぬる時、どれだけの苦さを抱いて死ぬるかが、その人の人生の値打ちとなろう。苦さの数だけ、後悔がある。後悔無く、死ぬることを求めよ。この三つが、父としてそなたに残す言葉である。人を愛し、この地を愛し、己が運命を愛し、今生きている人生を精一杯味わい、愛して、生きよ」


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